終わってしまえば、スレッタはいつだって蚊帳の外だったように思える。
プロスペラに学校に行けるように編入手続きをしてくれたのも、決闘で勝ち続けなければならなかったのも、ミオリネの手によってエアリアルと引き離されたときも、キャリバーンに乗ると決めたときでさえ、そこにスレッタの意思はなかったのかもしれない。ずっと誰かに敷かれていたレールの上を、自分の意思で走っているかと勘違いしていた。
スレッタが初めて自分の意思で何かをしようとしたのは、きっと目が覚めて復讐を決意した時だ。思い描いたシナリオは拙かったとはいえ、初めて自分の意思で行うそれに罪悪感と、それでもぐちゃぐちゃとしたそれが取れる瞬間に見る皆の絶望した顔が、少しだけスレッタの胸にあったわだかまりを濁してくれた。
ミオリネとの婚約破棄を言い渡してから、もうそろそろ一年が立とうとしている。
箱庭の家は人が居なくなるとあっという間に朽ちるのか、離れていた期間は長くないというのに荒れ始めていた。それでもまだこの箱庭は見つかっていないのか、荒らされた形跡はなかった。
ほとんど自分で手入れすることのなかった庭に足を踏み入れて、いつでも日向ぼっこができるようにと設置されたベンチに腰をかけた。エリクトはプロスペラの遺書をもう一度読むと言っていたのでリビングに資料とともに置いてきた。ページを捲る人がいる訳じゃないので、気を使ってくれたのだろう。
黄金の麦が実る季節は終えて、畑は何も植わってないのか、または別の作物の種が芽吹いていないのか、土色でしか無い季節だ。
プロスペラの残した資料――遺書と呼んだが、結局それはスレッタへと愛情なのか、プロスペラが残した憎悪なのかはわからなかった。沢山行動したというのにわかったことの方がスレッタには圧倒的に少ない。
「スレッタ」
車両とともに近づいてくるのを確認した後に、地球での仕事を終えたらしいグエルが現れた。
「満足したか?」
「……この家に来ても、やっぱり何もありませんでした。それがわかっただけでもよかったと思います」
「そうか」
グエルはスレッタに近づくと影を作るように見下ろした。
「今のお前は自暴自棄になってどこかいなくなってしまいそうに見える」
「こんな身体でどこかいなくなるほど私は器用じゃないです」
「――なぁスレッタ。この前から俺はずっと考えていた。罪とか罰とか、小難しいことをな。色々考えて、結局ひとつの結論に至った」
軽口にもならない応酬の後に、グエルは真摯な声でこちらを見た。
「スレッタは誰かに自分の行動を咎めてほしかったんだろ。だったら、その役割は俺が担うべきだ」
「……相変わらず、高潔なんですね。なんであなたなんですか。それにその言い方、下手くそなプロポーズみたい」
エリクトを真似て、からかいと皮肉を混ぜ合わせた口調でスレッタは少しだけ頬をあげた。グエルはスレッタのそんな態度にも顔色一つ変えることなく、自分がそれを背負うべきだと言わんばかりだった。
「そうだ。サマヤさんがその役目を担わないと言うなら、それを行うのは俺でありたい。そのうえでスレッタ・マーキュリーの弱さを認めて共にありたい。復讐に囚われた怪物を人にまで連れ戻すのは俺でありたい」
スレッタは自分の両手に視線を落とした。そして両手を告解ように握りしめる。
誰か止めて欲しかった。そう言われてみればそうなのかもしれない。ずっと誰かの下敷きになって消費されてきた人生を認めてほしかったのかもしれない。拙い主張の仕方を、救ってほしかったのかもしれなかった。
「――この前の話の続き。私からミオリネさんへちょっとした復讐だったんです」
グエルがスレッタを罰してくれるならと滑り落ちた言葉は、一度吐き出してしまえばするすると落ちた。
「こんな大事にならなくてもよかった。ミオリネさんからは財産を半分もらって、お母さんには大好きなエリクトと最期を共にさせず、エリクトは死ぬことも許さないでずっとこの先ひとりで生き続ける。私は、みんなにそうあれと思いました。そうあれと、呪いました」
指先が震える。自分と向き合うのが、他人から突きつけられる罪じゃなくて自分で告白する罪は想像以上に重かった。
「私はずっとお母さんとエリクトとエアリアルに支えてもらえてばっかりだったから。ひとりで選んで決めるのはすごく怖くて。どうしようもないくらいみんなを許せなかったのに、心の底ではいつも怯えてた。目を、醒ましたくなかった」
「ああ」
「……私も、人を殺しました。プラント・クエタで。ソフィさんのことも、間接的に殺しました。みんなを守るために、正しいことをしたんだって、自分に言い聞かせてました」
エアリアルで人を潰した時のことを思い出す。エアリアル越しの殺人は罪悪感も人を殺した感覚も鈍らせた。その時の最良の選択だった、過去の自分はプロスペラの言葉も借りて肯定したが、じわじわと取り返しのつかないことをしたのだと、ソフィの最期を見て知らしめられた。
「自分がやったことは取り戻せないんだって。何も手に入らなくても、前に行くしかないんだって。そんな綺麗なことを過去の私は言いましたけど、私はグエルさんのように、ひとりで沢山の自分の罪に向き合えるほど強くなかった」
「今こうして向き合ってる。それでもスレッタ・マーキュリーが償いたいと言うのなら、お前にできるのはそれこそ奪った命の重さを自覚して、お前が奪ったかもしれない家族を、孤児たちを保護者の代わりに知識を与え、将来への選択肢を増やしてあげる事なんじゃないのか」
スレッタは縋るようにして顔を上げた。
「それは、あなたが私に与える罰なんですか?」
「そうだ」
グエルは力強く断言した。否定をすることは許されない語気だ。
やっと許されたような気がする。誰に許しを乞うことも、誰に救いを求めることもないはずだったが、それでもグエルはスレッタの為にそう断罪した。
「私は罪を告白しましたが、まだひとつだけ、やれてないことがあります。償うのに、拙いシナリオを終わらせなければなりません」
「……それは俺への復讐か?」
「そうです。あなたのことを好きだと思ってました。少なくとも温室で話をしてくれた時に私は真摯なあなたに惹かれてた。でも結局はキャリバーンに乗る私を止めてくれなくて、あなたが好きなのかどうなのかもわからななっちゃいました。だって、好きな人が死に行くっていうなら止めてくれないのかなって思うから」
グエルのぐちゃぐちゃに歪んだ表情を見据えた。その仮面が外れて初めてスレッタはグエルに向き合えるのだ。
「最初はグエルさんの手を取らないことで復讐しようとしたんです。でも、結局は縋っちゃった。それでもあなたに復讐できたと思っていました。それなのに、貴方の顔はまだ見えないんです」
「ああ」
「だから、お願いがあるんです。……きっと私のほうが先に死ぬ。私が死んだら、私への気持ちをずっと持ったまま生きてください。生ける屍になるのも、後追いするのも、他の女性に目移りするのも許さない。ずっと、私のことだけを想って、居なくなった私に苦しんで、それで天寿を全うしてください」
「ああ」
グエルにつけられたぐちゃぐちゃな仮面が少しずつ剥がれていく。それでもグエルは泣きそうな顔で歪んでいて、そんな顔で人を糾弾していたのかとスレッタは少しおかしくなった。
「それで、私が少しでも長生きできるように、沢山たくさん尽くしてください。美味しいもの一緒に食べて、お出かけして、いっぱい想いで作って。死ぬ時だって怖いって思うよりも、グエルさんと一緒に居れて良かったって思いながら死にたい」
「ああ」
「それが私があなたにする、たったひとつの復讐です」
「最高に、最低な復讐だな」
「はい」
「……わかった。受け入れよう」
少しずつ歪んだ仮面が剥がれてゆく。辛そうな、苦しそうな顔に見えた。望んでいた顔だ。
スレッタの歪んだ呪いが消えていく。ずっと胸を巣食っていたわだかまりがなっていくのがわかった。
「はい。ねぇ、グエルさん。わたし、やっとあなたの顔を見ることができました。……これからたくさん、私があなたを好きだなって思えるよう尽くしてください」
仮面が完全に剥がれた。それでも数年ぶりに見るグエルの表情を確認する前に、グエルがスレッタのことを抱きしめた。震える肩は多分そのまま泣いているからだろう。涙がうつるようにスレッタもぽろぽろと泣きながらグエルを抱き締め返した。