4.
いつものようにノックをして、いつものように病室に入る。
最近、スレッタのベッドは起きていることのほうが多かった。この頃になるとプロスペラもスレッタの回復をみているのか病室につきっきりが回復をしているという事実に安堵していた。
見舞いに来るたびに、エリクトから怨嗟と小言を言われたが、エリクトは言いたいことを言って飽きたのか、もしくはプロスペラと同じ心境にまで至ったのか、最近は見舞いに来るなとは言わなくなった。もしかしたらスレッタがいる前で怨嗟の言葉を吐きたくなかったのかもしれない。
『いい加減飽きないの。気持ち悪いんだけど。スレッタになんも関係ない人間が毎日見舞いに来る光景』
「スレッタ、今日はピンクのカーネーションだ」
『今日はっていうか今日もでしょ』
一連の流れで毎日空いている花瓶に律儀に花を活ける。うんざりという気持ちを声に乗せきるエリクトの言葉を聞かなかったことにして、スレッタの目線を受けながら花瓶をスレッタの目が疲れないようにサイドテーブルへ移動させた。
『スレッタいい加減話せるようになってよ。代わりに彼にもう来ないでっていうんだ。多分ボクの声は彼には聞こえてないね。だからボクがいくら言ったって懲りずに毎日来るんだ。ミオリネだって最近やっと追い払ったのに』
「ミオリネを?」
怨嗟はなくなったが嫌味は出続けるエリクトの言葉に、グエルは珍しく反応した。
『ミオリネはもっと最悪だ。スレッタが眠り続けている間には一度も来なかった癖に、目が醒めたとわかったら病室に飛び込んできた。ボクはあれほど気味の悪い光景を見たことがなかったね。忙しい、なんて言い訳してたけど』
知ってるかい。ミオリネ、スレッタのことをいまだに婚約者に仕立て上げるらしいよ。エリクトはいっそ馬鹿にしたように嗤った。
そういえば、グエルもミオリネの婚約について聞いたことはなかった。フェンシングの決闘で譲ったホルダーの地位だったが、その後スレッタは意識をずっと失っていて、ミオリネの婚約のことなんてすっかり頭から抜けていた。
グエルに協力を仰いでいながら、スレッタへの裏切りに加担させておきながら、協力者である自分さえもあっさりと裏切っていくのだからミオリネ・レンブランという女は悪女の名に相応しいのだろう。
「ん? 待ってください。スレッタはいまだにミオリネの婚約者という事ですか」
『ずっとそう言ってるだろう。友達でもない、婚約者でもない、恋人でもないただの遠い知り合いが、毎日見舞いに訪れているこの様はいったいなんだというんだい』
ボクのほうが知りたいよ。グエルはやっと自分の置かれている状況を察して、ミオリネにいち早くスレッタとの婚約を解消するように言わなければと端末のメッセージを開いた。
それからひと月もたてば、スレッタは少しだけなら会話ができるくらいには回復した。
グエルはあの後、ミオリネには婚約を解消するように苦言を呈したが「スレッタは私が守る」「アンタには関係ない」の一点張りでグエルの話を聞こうともしなかった。直接乗り込もうと思ったが、ミオリネはグエルの訪問を悉くかわしている。
婚約者のいる女の病室を毎日訪れている。字面だけ見れば立派に怪しい人間の行動なのだが、そもそもほとんど一年間通い続けて噂にはなっていないのだから問題は大きくないだろうとグエルは勝手に検討をつけた。噂になったとしても疚しいことはしていないのだし、噂にならないくらいにはミオリネはスレッタのもとに訪れていないようだ。対してグエルはエリクトに自己欺瞞だと言われようとも通い続けている。少しだけそれに優越感を感じて、マウントをとるような考えだからいけないのだと思いなおす。
「そんなことを、言ってたの?」
スレッタはゆっくりと言葉を漏らした。しばらく話していなかった声帯は衰えていて、頻繁に舌は縺れてつかえている。
『そうだよ。スレッタがグエルとミオリネについてどう思っているか知らないけれど、ボクからしたらそうとしか取れない。無理矢理エアリアルにアンチプログラムを取り付けて機能を停止させて、ボクに嫌な役割を押し付けた挙句にキャリバーンに乗ってくるなんて』
「たしかに」
囁きのような小さな声でスレッタは頷いた。グエルはストラップと会話をするスレッタをじっと見守っていた。そして気づかれぬように顔を僅かに顰める。スレッタがしっかりと覚醒した今も、死神は消えることがなかった。スレッタが目覚めた今は楽しそうに上半身をベッドの上に投げ出して、スレッタの腹のあたりに頭を乗せている。改めてグエルは一度だけエリクトに死神の存在を確認したことがある。『スレッタについている死神? そんなものはいないけど』と馬鹿にされて終わったが。エリクトが認識できないというのなら、きっとグエルの幻覚なのだと確信する。
『イヤミのひとつだって言いたくなるよ。なんのためにボクたちとスレッタを引きはがしたんだ。一番最悪なのがシュバルゼッテじゃなくてキャリバーンでボクたちのところにまで来たところ』
「どうして?」
『お母さんはスレッタが来るかもしれないことは予想していた。というか最初はお母さんはスレッタにも手伝ってもらうつもりで、ジェダークにシュバルゼッテを作らせていたから。だから来る時はシュバルゼッテだとボクは思っていたし、フィルターのかかったシュバルゼッテならボクの……エアリアルのオーバーライドの範囲だからスレッタは今の状態になることはなかったのに』
本当に最悪中の最悪しか踏まなかった。任せるんじゃなかった。とエリクトはスレッタに語りかける風を装ってグエルを批難している。
グエルは少しだけエリクトの気持ちが理解出来たような気がする。彼女たちには彼女たちなりの計画があって、少なくともスレッタを最悪の形で迎え入れるつもりはなかった。一番最悪の結果に導いたのは、間違いなくグエルとミオリネだった。
『シュバルゼッテに乗っていたのがラウダ・ニールで、同士討ちを始めた時にはさすがに困惑したけどね。そのままスペース・デブリとお友達になればよかったのに』
「エリクト」
スレッタは呆れた声でエリクトを窘める。
「グエルさん」
「どうした」
スレッタは時間をかけて首を動かして、グエルを見た。目が覚めたころは焦点が合わずにぼんやりとしていた瞳が、今はしっかりとグエルを見つめている。落ち着いたブルーグリーンの瞳が己を映し出しているのが少しだけ背中がむず痒く感じさせた。
「その、エリクトが迷惑を、かけてすみません」
「いや。迷惑をかけたのはこちらだしな」
『本当にそう。迷惑被ってるのは完全にこっち。来るなって言われても来続けたのは狂気の沙汰だから。スレッタ、もう来ないで、ボクたちを放っておいてと言うんだ』
「エリクト……」
何を言っても無駄だと悟ったのか、スレッタはエリクトと話すことをやめたようだ。
「起きたばっかりの頃はあんまり記憶なくて、エリクトがずっと話しかけてくれてたのは、何となく覚えてるんですけど。でもあの、お花、いい香りで。それはなんとなく、知ってたんです。グエルさんですよね、毎日活けてくれてるの」
プロスペラに毎日捨てられているから新鮮な生花が活けられているとは言わなかった。捨てられてなかったとしても、多分グエルは毎日花を持ってきていただろう。
「その。気に病まないでください。キャリバーンに乗る決断をしたのも、お母さんとエリクトと話したいと決めたのも、全部自分で考えて、決断したんです。だから、こうやって入院してるのも、誰のせいじゃなくて。私がもっとパーメットに、耐性があったらよかっただけですから」
「それは、違う」
グエルは頭を振ってスレッタの言葉を否定した。スレッタが決断をしたのではない。そうなるように大人に誘導されて、もしかしたら戻ってこれないと、怖いとふるえる少女をみなが見て見ぬふりをした。決めたと言うけれど、選択肢は他になかった。
「違くありませんよ。体、まだ動きにくいですけど、そろそろリハビリも始めるんです。体が不自由でも学校の先生なれますし。パイロット科の先生は難しいかもしれないですけど、でも、水星に学校作るって夢は諦めたくないんです。今はちょっと、まわり道するだけで」
気にしてないようにスレッタは殊更明るく振る舞う。一年も経てば見舞いに来る人や回数は数日に一回だったものが一ヶ月に一回になり、数ヶ月に一回と圧倒的に減っている。ベルメリヤやグストンなんかは一度も見舞いに来ていない。プロスペラ・マーキュリーの責任を、子供のスレッタ・マーキュリーがとれ。用が済んだらそれで終わり。彼女はそんな地獄に突き落とされたのだ。
「リハビリ頑張って、学校も卒業して、先生の資格取って。……出来れば、パイロット科卒業したいけど、単位足りるかな」
それでも、スレッタにここで憐憫を持ってしまったら失礼だということは重々に承知している。グエルは唇を噛み締め、すっかり癖になった鉄錆びた口腔を味わった。
自分たちに出来ないことを彼女に押し付けたと言うのに、彼女は地獄の中で細い光の糸に食らいつこうとしている。
「私、わがままだから。お母さんも、エリクトも自分の夢も、何も諦めたくないんです」
最後の言葉は、自分に言い聞かせるような独り言だった。
エリクトが小さく『出来るよ。だって頑張り屋のスレッタだもん』と答えていた。その声は、自分に向けられるものよりも優しく、穏やかで、本来のエリクト・サマヤを垣間見たような気がした。