5.
「お母さんは、どうするの」
病室のドアに手をかけた時、スレッタの声が中から聞こえた。プロスペラがいるらしい。ほんの少しだけ扉が空いていて、三人が会話している様子が見える。
扉越しにもわかるほど、スレッタはどうしてか緊張しているらしく、少しだけ声が上擦っているのがわかった。
「お母さん、実はもう終活始めてるの」
『……終活?』
プロスペラの声は怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなかった。
『終活って、お母さん何するの』
「……身辺整理よ。色々整理しないと行けないことあるから」
『ふぅん。そう。――頑張って、終活』
家族会議に聞き耳を立てるだなんて下世話だ。そう思いつつも、何故かグエルは足を動かすことが出来なかった。
不意に後ろから視線を感じて振り返ると、死神がじっとグエルを見ている。死神は物珍しいものを見たように、グエルを視界に収めていた。
「お母さん。あのね、私、せっかく学校に入学できたんだから、ちゃんと卒業したい」
「リハビリ、大変よ。データストーム汚染の影響だってあるお母さんも大変だった」
「うん、分かってる。――お母さん、聞きたい事があるの。私、頑張ってあとどれくらい生きられるかな。ちゃんと学校、卒業できると思う?」
スレッタはプロスペラの様子を見ながら、ぽつりと呟く。プロスペラの声は落ち着いていて、グエルの知っている煙に巻くような物言いでも、口調でもなかった。これは生来のプロスペラの物言いなのだと、何となくグエルは察する。
「勉強、頑張りなさい。体はきっと少しづつ、私と同じようにヘッドギアをつけて、脳を補助してって形になるでしょうね。――■■年、くらいかしら」
重要なところがノイズが酷くて聞こえない。どくどくと心臓が早なり、ぐにゃりと視界が回る。スレッタの余命はきっと多くはない。薄々察していたが、それを直接口にするのは怖くて、聞けなかった話だ。身を守るようにその場に蹲ると、死神がグエルに手を伸ばしていて、それを振り払うように跳ね除けた。
「そっか。ねぇお母さん、もうひとつ聞いていい」
「どうしたのスレッタ」
「お母さん、私に対して怒ってる?」
余命を聞いたスレッタの声は、どこまでも普通だった。でもプロスペラに問う言葉は、子供が親の顔色を伺う時に出す猫なで声へと変わった。。プロスペラは考えるように押し黙って、そしてやがて口を開いた。
「ほんの少しだけ」
「……そっか。ごめんね、お母さん」
「なんであの時、キャリバーンに乗ってきたのかなって。それにだけは、お母さん怒ってる」
それはエリクトも言っていた。全てはプロスペラの計画のうちで、掌で転がされていて、最後にほんの少しだけ、その思惑から外れた。その結果が今の目の前の光景で、それは確実にスレッタを蝕む結果となった。きっと本人は気にしていない。だから、周りもそれに触れてはならない。スレッタ・マーキュリーという人間の品位を、貶めてはならない。
「スレッタがあの時、学園にずっと居てくれれば、スレッタは幸せになれた。エリィも幸せになれた。そう思うのは、親のエゴかもしれないわね」
「そんなこと、ないよ。私はお母さんが大好き。だから、でも、邪魔して、ごめんなさい」
「……またしばらく会えなくなると思うけど、スレッタは頑張れる?」
「……それは、終活するから?」
「そう。そうね」
スレッタは答えに迷うように瞼を伏せる。長いまつげが影を作った後に、しっかりとプロスペラを見る。凝り固まった頬の筋肉を、少しだけ上げて見せる。
「……頑張れるよ。地球寮のみんながいるから。きっと大丈夫。リハビリ、辛いかもしれないけど」
『まぁボクがいるから、お母さんは安心してその終活とやらに励んできなよ』
「いい子ね。私の可愛い娘たち」
それは自分がある種渇望していた光景だった。父と和解し、義弟を理解し、家族としての在り方を改める。グエルが己の手で壊したもの。グエルはやっとスレッタに自分の家族像を押しつけ、投影していたのだと気が付いた。自分が求めていたものがそこに合って、だからグエルはずっとスレッタの病室に通っていたのだとやっと思い至った。それと同時に、一番スレッタ・マーキュリーという人間の尊厳を汚していた自分にも気が付いて、せりあがる胃液をそのままに吐き出した。
死神は、もうちっともグエルのことを見ていなかった。死神の視線の先には、プロスペラがスレッタを抱きしめている。きっと二人の間には、エリクトもいることだろう。その様子を、死神は茫然と、悲しそうに見つめていた――。