1.
扉を開けたとき、一番最初に目へ飛び込んできた光景は、一見したら妖精のような女が、スレッタに抱き着いているところだった。絹のようにサラサラとした髪に、ホワイトグレーの理知的な瞳。儚く見える癖に傲慢で、他者の痛みを理解せず、他人には責を押し付けて自分が一番可哀想な立場だと思っている。自分が一番可愛くて、愛されていることにさえ気が付かずに平気な顔で他人を踏み躙った女。そんな女をスレッタは穏やかな顔をしてミオリネを受け入れている。まだベッドから自力で立つことができないスレッタに、ミオリネは跪いて褐色の肌に銀の指輪を嵌めていた。ホワイトグレーの瞳は泣いていたのか目尻が赤らんでいて、少し腫れぼったい。
そんな様子のふたりをみくらべて死神は首を傾げている。
「スレッタ……大切にするわ。絶対に、もう不幸にはさせない」
「はい。ありがとうございます、ミオリネさん。――この指輪、大切にしますね」
夢かと思った。或いは罰なのかとも。スレッタ・マーキュリーというひとりの人間の尊厳を汚した罰。律儀にピンクのカーネーションを持ってきた自分が滑稽にすら見えてくる。だから彼女に選ばれなかったし、スレッタは今まで見舞いに来なかったミオリネの手を取ったとも思った。
「おいミオリネ」
そんな事実を認めたくなくてグエルは花束を落とすと大股で近寄り、スレッタに抱きつくミオリネを引き剥がした。
そこでやっとグエルの入室に気がついたふたりが、目を大きくまばたかせてグエルを同時に視線を集める。
「いたっ。な、何すんのよ!」
ミオリネは掴まれた肩を勢いよく跳ねる。グエルはスレッタが目の前にいるのにも関わらず口を開いた。
「お前、よくスレッタに求婚なんてできたものだな! 自分がした行いを忘れたのか!」
「……何言ってんの。スレッタはずっと私の婚約者よ。指輪を送って何が悪いっていうの」
「ずっと見舞いに来ていなかった癖に、今更スレッタの婚約者なんて白々しすぎるだろうが」
「じゃあなに、あんたはいつも見舞いに来ていたっていうわけ」
「そうだ。スレッタはやっと自由になったんだ。今更お前なんかが縛り付けるなんて、スレッタの気持ちを考えたことはないのか」
実際に毎日スレッタの見舞いをしていたのはグエルだ。そこにどんな汚い感情があろうとも、起きるかどうかもわからぬスレッタのもとを訪れて、捨てられる花を持ってきて活けていたのは間違いなく事実だ。だというのに、スレッタはなぜこうも早々にミオリネの手を取ろうとしたのだ。グエルにはそれが認めがたかった。
それを直接スレッタにぶつけられない分グエルはミオリネをなじる。
「それはこっちのセリフ。スレッタのこと好きだったのは知ってるけど、でもスレッタは渡さない」
「まるで子供の癇癪だな。そうやってスレッタを今更縛るのか」
「縛る? スレッタがあたしを選んだのよ。アンタじゃなくて、あたしをね」
「嘘をつくな。スレッタの幸せを考えるなら、そんな非常識なこと出来るわけないだろう。大体、お前の家族がスレッタの御家族を――」
「――だからあたしが責任取るって言ってんのっ!」
食い気味にミオリネが発した言葉は、癇癪を起こした子供のような悲鳴だった。ミオリネは整ったドールのような顔を真っ赤にしてグエルを睨みつける。大声を出して肩で息をつくミオリネを鼻で笑う音がした。
『君たち、ほんとデリカシーって言葉を知らないよね。ヒートアップして喧嘩するのは勝手だけど、ボクたちの前でする話? ミオリネもグエルも何も変わりはしない。君たちの自慰行為に、ボクたちを使わないで欲しいんだけど』
冷たく響く声に、病室が一瞬で静まり返る。
『ボクからすれば、今更スレッタの見舞いに来るミオリネも大概気持ち悪いし、毎日ピンクのカーネーション見舞いの花に持ってくるグエルも気持ち悪い。どうしてボクたちを放っておいて欲しいと伝わらないのかな』
「エリクト。そんなことない。私、お見舞い来てくれるの嬉しいよ」
『スレッタがどう思ってるか知らないけど。でもボクはボクの意見として、君たちには来ないで欲しい』
「……私は、スレッタの婚約者よ」
足掻くようにミオリネはエリクトへ言い訳をする。エリクトはあからさまにため息をついて、この話が平行線になることを悟ったのかむっつりと黙った。
「私、ちゃんと話したよ、エリクト。なにかダメなの?」
『別に。スレッタがそう決めたのならそうすればいいよ。ボクはグエル・ジェタークとミオリネ・レンブランを許さないって言うだけの話で、それをスレッタに強要するのは違うからね。君たちと違って、ボクはスレッタの意思を尊重したいし』
エリクトの言葉にミオリネが拳を強く握る。グエルも唇を噛み締めて、鉄錆びた味が広がるのを受け入れた。
「じゃあミオリネさんとグエルさんに謝って」
『はぁ? 話聞いてた? スレッタなんか勘違いしてない? ボクは君の妹でもなんでもないし、ボクの言うことは至極真っ当なわけ。スレッタの近くにいるってことは、ずっとこうして自分の罪にこの人たちは向き合うってことだけど。今更甘い蜜だけを享受しようとするなんて、図々しいんだよ。スレッタはこのふたりに利用されてていいの?』
「り、利用されるのは嫌だけど……そんな言い方、よくないよ」
「いや、事実だ」
グエルはエリクトの言葉に賛同する。「俺たちが、スレッタにひとりだけ辛い役目を押し付けた。だから、サマヤさんの言うことは正しい」
グエルがそう吐露すると、スレッタの瞳が少しだけ見開いたあとくもったような気がした。
「スレッタの前で話すようなことでもなかったな。デリカシーのない話をしてすまない」
「気持ち悪い。やっと自由になったですって? スレッタのこと何も知らないくせに」
「ミオリネさんも、それ以上はだめです。その、喧嘩はしないでください」
気まずい沈黙だけがその場に残る。ミオリネがグエルのことを強く睨みつけた後、長い髪を翻して彼女はスレッタの病室を出ていった。