4.
騒がしさを前に、グエルは病室をノックしようとする手を止めた。
他に見舞いが来ているなら水を指すのは失礼だから出直そうかと踵を返すと、何やら剣呑な雰囲気が扉越しにも伝わってくる。
『はぁ? ミオリネとなんて絶対嫌だけど。ねぇスレッタわかってる? ボクがミオリネの傍にいたって部屋は片せないし朝も起こさないけど。ボケてるの』
グエルは悪いと思いながらもその雰囲気を見過ごすことが出来ずにノックをした後扉を開くと、真白いドールのような女――ミオリネがそこに居た。
スレッタと婚約したと言うのに、相変わらず姿を見せることが少ないミオリネにグエルはこの女の何が良いのかと未だにスレッタの心情が理解出来ない。そんなミオリネは渋い顔をしていて、しかし平素のように口うるさくなく、ガミガミなにかを言うわけでもなく黙ってそれを聞いていた。
喧嘩をしているのはスレッタとエリクトだった。ふたりが喧嘩をしている姿は珍しく、グエルは少しだけ面食らう。ミオリネが開いた扉を確認して助けを求める目をしていたが、グエルはそれを黙殺した。
『嫌だって言ってるでしょ』
「だからお願いって言ってるんだよ」
『スレッタがしたい事は重々承知してるけど、それってボクには関係なくない? 巻き込まないでよ』
「関係あるもん」
軽口と言うには殺伐としていた。エリクトは珍しくスレッタにもグエルに向けるような冷たい声をしていたし、スレッタも声こそは棘がなかったが引く気がない態度だった。
ミオリネは黙って拳に力を入れてその様子を見ているだけで、この喧嘩に関して発言権が無いようだ。彼女が仲介しないところを見ると、ミオリネに関する喧嘩なのかもしれない。
『いや関係ない』
「関係ある」
『じゃあどう関係するのか説明してみなよ』
スレッタはそこまで話してグエルの訪れを確認したようだ。そのうえでエリクトに「なんでもだよ」と返した。
「なんの話をしているんだ」
『うわ今日も来たよ崇拝しに』
グエルはミオリネを助けるつもりはなく、ついでにエリクトも無視して、日課になった花瓶の花を取り替える。少し枯れた花の茎をパキリと折ってゴミ箱に捨てた。
「ミオリネさんこれから出張が多くなるので、浮気……不倫防止にエリクトに見張ってもらいたいなって思うんです」
「浮気なんて、しないわ」
『ボクはスレッタと一緒にいるって決めてるし、ミオリネとなんて絶対嫌だ』
「こうしてわがまま言うんです」
『わがままじゃなくて真っ当な意見だけど』
ミオリネに関わる話だというのに、ミオリネは呆れてるのか知らないが一言だけ横槍を入れたが黙ったままだった。それだというのに拳だけは固く結んでいて、ちぐはぐな行動が視界に入ったが、それを指摘する気も起きない。
「いいんじゃないか。嫁と小姑で一緒に居れば。家族になるというなら、仲も深まるだろう」
「そう、そうですよ。カゾクになるんですから、仲良く交流を深めてください」
「あんた……!」
スレッタの周りに余計なものはいないほうがゆっくりと見舞いに訪れることもできる。スレッタの考える事にはいまいち理解に及ばないこともあるが、これに関してはスレッタの味方をするべきだと直感で理解する。
グエルが現状送れる精一杯の皮肉に、ミオリネはやっと反応してグエルを睨みつけた。手から擦り抜けて行ったものだ。どう足掻いても手に入らなくて、スレッタは別の人間の手を取った。多少の当てこすりくらいは許されるだろう。グエルとて様々な経験をしてきたがまだ齢十九と子供なのだ。
『ふぅん。かぞく、カゾク。家族、ねぇ』
エリクトは吐き捨てるように言い放ったあと『――いいよ』と一転して、エリクトは年長者らしい落ち着いた声を出した。
『スレッタのやりたいこと、理解した。――つまりはそう、ミオリネがスレッタの立派なお嫁さんになれるように、見張っていてほしいというわけだ』
「うーん、そうじゃないけど……。でも少しそうかも」
「なんであたしが呪いのキーホルダーを身に着けてないといけないのよ」
「通信機器を地球寮の皆さんが作ってくれたんです。だから、ずっと今のような大音量のエリクトの声が響くわけじゃないですよ」
少しだけ胸を張って答えるスレッタ。
「……あんたがそう望むなら、それでいいわよ。スレッタの婚約者だから、あたし」
鶴の一声らしい。ミオリネはキーホルダーと通信機器をスレッタの手の中から乱雑に奪い取ると「あんたはいいわよね」とグエルに吐き捨ててスレッタの病室を出て行く。
「なんなんだアイツ」
「ミオリネさん、お仕事で疲れていて最近いつもあんな感じですよ。とげとげしてるんです」
「そんなのと一緒になって疲れないか」
「世界中を飛び回っているので、あまり会う機会もないですしね」
スレッタはミオリネの様子を気にしていないようだった。サイドテーブルにあるシリコン製のハンドグリップを手に取ると握りしめてリハビリを始める。
「どうしてグエルさんは毎日お見舞いに来てくれるんですか」
グエルに対してスレッタは見舞いに来るなとは今まで一度も言わなかった。純粋に疑問だと思っているような声だ。
「私はグエルさんじゃなくて、ミオリネさんの手を取りました」
「そうだな。お前は俺の手を取ってくれなかった」
「そうです。私はミオリネさんを選んだ。エリクトにも、お母さんにも言われました。下心もないのに毎日来るわけないって。ちゃんと来るなって言わないといけないって」
「……来ない方がいいか?」
思わず出たグエルの声伺うような声に、スレッタの動きが止まった。ぱたりとベッドの上に腕が落ちた。スレッタはグエルのことを見ないで、そのまま布団の中にある足先をじっと見つめる。
「来ない方がいいって、言えたらよかったですよね。毎日来てくれるの、本当は嬉しいんです。グエルさんのお見舞いがエリクトの言うように崇拝だったとしても。忘れないでいてくれるのは、嬉しい」
「崇拝じゃない。俺はスレッタに惚れて、惚れた女に再起して欲しくて、自分に少しでもなにか出来ないかと悩んでいるだけだ」
「あなたの期待には応えられないのに?」
「それでもだ」
はっきりとグエルは断言した。スレッタが元のような生活ができるようになるまで支える。それがグエルにとっての、スレッタに対して今できる事だった。これはスレッタが誰の手を取ろうとも、取らなかろうともそれだけはやり遂げたい。だからグエルは病室を毎日訪れたのだ。
自分の心と折り合いがつけば、あとは簡単だった。スレッタの為に少ないけどできることをする。グエルがスレッタにできることが終わったら、この初恋を抱えたままグエルは生きて行く。何となくそんな自分が想像ついた。
「本当は、エリクトには近くにいて欲しくなかったんです」
スレッタはグエルと反対を向いて話をすり替えた。
グエルの気持ちを受け入れない。それを態度に露骨に表されて、グエルは失笑しながらも相槌を打った。
「リハビリ、あまり芳しくなくて。期間も長くなるし、ずっと病室いてもつまらないし。だったら世界を、地球と宇宙を飛び回ってるミオリネさんについて行った方がきっとずっと楽しい」
リハビリが芳しくない。それはスレッタの後遺症の深さを示していて、グエルは息を忘れた。
「自由に動き回ることって、きっともう私にはできない事だから」
儚く笑ってそう漏らすスレッタにグエルは咄嗟に手を取ろうとして動きをとめた。
グエルは自分の立場がスレッタに触れられる立場ではないと理解していた。伸ばしかけた手が力なく落ちて、ぱさりと衣擦れの音を立てる。
「そんなこと、言うなよ。回復するから」
「無責任なこと、言わないでください」
回復して欲しい。後遺症もないくらいに、あのモビルスーツの操縦捌きをまた披露して欲しい。そう願って口にしたが、スレッタには届かなかったようだ。
スレッタはリハビリを完全に辞めてしまい、布団の中に潜り込んでしまった。
「グエルさんが思っているよりも、ずっと私は汚い人間です」
少しだけ鼻をすする音が聞こえて、グエルはその音を聞かなかったことにする。
彼女が求める相手は自分ではないと、己を律した。