桃花鳥のメイド 作:モカモカ
館の中に入って最初に見えたのは、重厚な雰囲気を醸し出す暗赤色のロビー。各部屋を繋ぐ出入り口があり、壁に掛けられたランプの明かりが薄暗く揺れている。床には微かな光を放つ魔法陣が刻まれていた。
しかし、一番気になるのは館内の広さ。外観よりも明らかに広く、まるで別世界にいるような錯覚に陥る。これは普通の建物では説明がつかない。誰かが空間を操っているのだろう。
「こっちに進むわ」
ロビーから長い通路を進んでいく。白い壁には優美な紅い装飾が施され、カーテンに覆われた窓が並ぶ。館内は思った以上にひんやりとしていて、湖畔の空気がそのまま流れ込んでいるようだった。
「花飾りはもっと豪華にしよー」
「お皿が足りなーい」
通路の奥から、メイド服を着た妖精の賑やかな声が聞こえてくる。明るい雰囲気とは裏腹に、妖精メイドはきちんと仕事をしているように見えた。メイドとして働いているから、ああいう感じになるのかしら。
(妖精は自然の具現。お嬢様に仕えるメイドという役割を得たことで、紅魔館という『自然』に適応したのかもしれないわね)
役割、か。私も『ソフィア・テオフォーラ』から『朋神 桃花』に変わり、紅魔館のメイドという役割を得た。これが何をもたらすかは判らないけど、良いものになるといいなと思う。
「この階段を降りた先よ」
レミリアお嬢様の指差した先には、地下への階段があった。
「地下に一体何があるんですか?」
「図書館よ。そこに私の親友がいるから、紹介しようと思って」
親友……その方も吸血鬼なのかしら。それに、図書館というのも気になる。もしかしたら、魔導書があるのかもしれない。
薄暗い通路をしばらく進むと、大きな両開きの扉が姿を現す。その前で立ち止まったお嬢様は、静かに扉を開いた。扉の向こうからは、様々な魔力が流れ出てくる。
目の前に広がった光景に、思わず息を呑んだ。地下から天井まで吹き抜けになった広大な空間は、壁一面が本棚で埋め尽くされ、無数の魔導書が整然と並ぶ。
だが、長い年月を重ねた古い紙とインクの匂いが鼻をくすぐる。視線を落とせば、積み上げられた本の山、開きっぱなしの魔導書、床に散らばる紙片。少し湿り気を帯びた空気には埃っぽさが残り、その壮麗な景色にどこか生活感を滲ませていた。
(本を粗末に扱うなんて……)
ヘーゼルは静かに呟いた。魔術や書記を司る
「あら、レミィ……と知らない顔ね。新しい客人かしら」
図書館の中央には三日月型の大きなテーブルが置かれ、そこで読書をしていた少女が本を閉じて立ち上がる。長い紫髪に三日月の飾りが付いたナイトキャップ風の帽子を被り、薄紫色のローブを纏ったその姿は知性を湛えていた。
「初めまして。朋神 桃花と申します」
「私はパチュリー・ノーレッジ。
私を一瞥したパチュリー様の眉が僅かに動く。その視線は初対面の相手に対するものというより、珍しいものを見た研究者のようだった。
「ん? 貴方、少し近くへ来てくれる?」
言われた通り近づくと、パチュリー様は目を細めて探るように私を見つめた。
「禍々しいような、神聖なような魔力ね。心当たりはあるの?」
「それは……私が使う魔法の影響かもしれません」
正確にはヘーゼルの影響なのだが、私の魔法が原因というのも間違ってはいない。どう思われるか判らないし、彼女のことは一応伏せておこう。
「へぇ。どんな魔法を使うの?」
「霊などの精神的存在の力を借りる魔法です。私は『降神魔法』と呼んでいます」
「幽霊に干渉する魔法……禍々しさと神聖さを兼ね備えているのはそのせいね。私からすれば、魔法というより呪術の類だけれど」
魔法と呪術は別物なのかしら。あまり気にしていなかったけど、パチュリー様には区別できるもののようね。
「言い忘れてたけど、桃花はメイドになるのよ」
「そうなの? だったら、
「……えっ」
突然の無茶振りが私を襲う。まさか、レミリアお嬢様だけでなく、パチュリー様もこんな感じなの?
「この部屋全体の掃除、ということですよね?」
「今すぐじゃなくてもいいわ。なるべく早くしてほしいけど」
パチュリー様は床に積まれた本へ視線を落とす。掃除といっても、一冊ずつ片付けていたら、いくら時間があっても足りない。埃っぽさやじめじめした空気も、どうにかしたいわね。これは、パチュリー様からの試練みたいなものかしら。
「この量は初めてですが、やってみますね」
「もしかして、清掃の魔法が使えるの?」
「ええ。特に書物の整理整頓に関しては自信があります」
「ふうん。それじゃあ、お願いね」
軽く気持ちを整え、私は袋の中から一冊の魔導書を取り出す。整理整頓のイメージを浮かべると、風もないのに魔導書がめくれ始め、目的の呪文が書かれたページで止まる。一面を埋める文字と魔法陣──ヘーゼルの魔術が淡い光を帯びていた。
魔導書の呪文を唱えると、足元に魔法陣が展開する。魔力の粒子が書架の間を流れ、部屋全体へと広がった。湿った空気は少しずつ澄み、本棚から外れていた本が宙へ浮かび、魔導書に残る魔力を辿って本来あるべき棚へ戻っていく。
やがて、図書館の空気は清められ、積み重なっていた本の山も、最初からそこにあったかのように整然と収まっていた。
「……凄いわね。その強大な魔力が込められた魔導書を扱えるなんて、やるじゃない」
「ふふ。流石は私が選んだメイドね!」
パチュリー様が本棚に触れ、感嘆する。お嬢様は胸を張って満足そうに笑っていた。ヘーゼルは何も言わないけど、彼女が満足できるような掃除は出来たはず。
とは言え、少し疲れたわね。想像以上に魔力を消耗したし、こうやって一気に片付けるよりも、定期的に掃除した方が良さそう。
「これほどの技量があるなら、スペルカードも作れるんじゃない?」
「スペルカード?」
「自分の得意技に名前を付けて宣言するための札よ。互いに技を見せ合って、その美しさで競うルール──通称『スペルカードルール』で使うわ。幻想郷では主流の遊びにして『決闘』ね」
遊びであり、技の美しさで競う決闘でもあるなんて。単なる技のぶつけ合いではない、『美しさ』という精神的な勝負も織り交ぜた決闘がどんなものなのか興味がある。
「幻想郷で暮らすなら、スペルカードはあった方がいいわ。お手本として、私のスペルカードを見せてあげる」
パチュリー様はその場で魔導書を開き、魔法の準備を始めた。
「え、ここでやってもいいんですか?」
「魔導書は魔法で保護されているから、本が傷つく心配はないわ」
そうは言っても、図書館で暴れるのはやめた方がいいと思う。ヘーゼルは怒りを通り越して呆れているのか、口を出してこない。パチュリー様が管理者だから大丈夫……と言っていいのかは判らないが。
「無理しない程度にするのよ?」
お嬢様の言葉に頷き、パチュリー様は魔力を高めていく。静謐な夜の魔力が集まり、魔法陣が展開する。
「それじゃあ、いくわよ」
月符『サイレントセレナ』
パチュリー様がカードを取り出し、静かに呪文を唱えた。すると、水色の細長い光弾が五つ、一直線に並んで放たれる。月光を宿した光弾の列は次々と増え、波紋を描くように全方位へ広がっていく。上空から青い光弾が静かに降り注ぎ、図書館は幻想的な青白い光に包まれた。
「こんな感じでスペルカードを相手に放つのよ。その間に相手の攻撃が当たったり、一定時間が経過するとカードが破られたことになるわ」
「なるほど……」
スペルカードを展開する側と攻略する側に分かれて対戦する形なのかしら。実際は目まぐるしく攻防が入れ替わりそうだし、そう単純な話じゃないかもしれないけど。
「あと、スペルカードは基本的に避ける余地を作る必要があるのよ。逆に言えば、相手が回避する手段を持っていれば、どんなスペルカードでもいいってこと。特定の方法で避ける必要がある弾幕とかね」
この他にも、スペルカードルールには細かな決まりがあるらしい。遊びとはいえ本気で戦う以上、不慮の事故も起こり得る──それが幻想郷の流儀だった。
「お嬢様方、パーティーの準備ができましたよ」
幻想郷の決闘について考えを巡らせていると、図書館の入り口から悪魔の羽を持つ少女が現れた。紅いショートヘアで、黒を基調とした服を着ている。魔力は控えめだけど、パチュリー様の使い魔なのだろうか。
「……あら。随分と綺麗になっていますね。そちらの方は?」
「こんにちは。私は朋神 桃花といいます。今日から紅魔館のメイドになった者です」
「図書館の掃除は彼女がやったのよ」
お嬢様の言葉に、魔物の少女は目を丸くする。
「ありがとうございます」
「片付ける手間が省けたわ……と言いたいところだけど、まだ確認はしてないのよね。一応調べておいて頂戴」
「判りました」
魔物の少女は小さく頷き、本棚の方へ歩いていった。
「それじゃあ、行きましょうか」
私とパチュリー様の方に向き直ったお嬢様は、出口に向かって歩みを進めていく。私はもう一度だけ静かな図書館を見渡し、お嬢様たちの後を追った。