僕が……俺が男の子の、イズクの手を握り返した時、しまったと思った。
その頃俺の個性の発動条件なんて知るよしもなかったが、触れたものを壊してしまう事だけは、わかっていた。
だから、イズクの顔が苦痛に歪んだ時、心底後悔した。
また、壊してしまう。
『ご、ごめんっ!僕の、個性がっ……!』
『ぐっ……うぅううううぅぅぅぅ……!』
目に涙を浮かべ、崩壊していく右手を抑えるイズクの顔は、今もなお目に焼き付いている。
俺が、あどけない少年の未来を奪った瞬間だ、決して忘れる事はない。
『こんな、こんな個性持った僕なんて……!もう……もう……!』
その時の俺は心底、全てに絶望したのだと思う。
俺が苦しい時、誰も助けてくれなくて。
その中でもようやく助けてくれようとした子を、自分の手で崩壊させたんだ。
罪の意識で、限界だった。
両の手で、自分に触れようと、もう、自分自身を終わらせようとしたんだ。
目の前で、既に右腕を失ったイズクが涙を溢れさせていて、もう俺にはそれしか償う方法がないと、そう思った。
……でも。
イズクは、そんな状況で笑ったんだ。
顔は険しくて、涙と鼻水に濡れて、お世辞にも綺麗とは言えない顔だった。
なのに、その表情はこうして何年も経った後でも鮮明に思い出せる……。
『す、すごい、こせい……!』
その言葉は、今もずっと覚えている。
俺はずっとその言葉が欲しかったんだ。
『き、きっときみは、す、すごい、ヒーローに、なる、よっ!』
目の前が一気に開けていった気分だった。
俺の進む先はもう突き当たり、行き止まりだと思っていた。
けれど、その壁の向こうから、壁をぶち壊して、光が溢れてきたんだ。
その時が、その瞬間が、きっと俺の
『っ!!!!!待ってて!!!今、助けを呼んでくるから!』
俺は、そう言って、俺の心を救ってくれたヒーローを助ける為に、駆け出した。
腕を抑えてうずくまるイズクの姿を最後に見て、俺の罪深さを改めて胸に刻み付けて。
張り裂けそうな思いでヒーローに、警察にすがりついて、イズクがいた公園にたどり着いた時には……既にそこには何も、なかった。
俺にとって最高のヒーロー、ミドリヤイズク。
俺が壊してしまった彼に報いる為に、俺は心に決めたんだ。
必ず、最高のヒーローになる、と。
僕が僕を認識したのは、激痛の中でだった。
「ごぼっ!」
息苦しさと痛み、薄暗い視界の中に、水泡が過ぎ去っていった。
遅れて今僕がなんらかの液体に包まれている事に気付いて、苦しさから、目の前を反射的に力強く叩いた。
バリンッ!
ザバァーッ!
目の前にあった透明なガラスはそれで砕けて、僕を包んでいた液体が一気に外へと流れていく。
同時に僕の体も液体から解放されて、体に繋がっていた管のようなものがぶちぶちと千切れた。
「ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ」
口から液体を吐き出して咳き込んだ僕は、そこで初めて疑問に思った。
ここは何処だ?
なんでこんなところにいるんだ?
そして……。
「僕は……誰だ?」
左腕しかなくて、右腕は激痛を訴えてくる。
けど、そんな事よりも、自分がわからない事が気になった。
自分の事が何もわからない。
とても不安……なんだろう。
ただ、今でもわからない、僕がその時何を思っていたのか。
何故か、安堵の息を吐いていたように思う。
何もわからないのに、安堵も何もないのに、不思議だった。
『やぁ、目が覚めたかい?』
そうして考えを纏めている間に現れたのは、スーツ姿の男性だった。
その時は暗がりで顔は良く見えなかったけど、多分その時彼は満面の笑みを浮かべていたんだろうと思う。
彼は、先生は語った。
死にかけていた僕を助けたのだと、腕は無理だったけど命は取り留めたと。
その代わりに、普通の人間とは少し違う体になってしまった、と。
その言葉に僕が抱いた感情は、どうでもいい、だった。
僕の人間のイメージだと何かしら情動があってしかるべしなのに、不思議な程に心は凪いでいた。
歓喜も感謝も恐怖も何もなく、まるで脳ミソが何かに包まれているかのように、目の前の光景や自分に起きた出来事が他人事のように思えた。
それが、先生が何かした結果なのか、僕が先天的にそんな存在だったのか。
それはどれだけ時間が経ってもわからなかった。
「僕は、何をすれば?」
先生は救ったとだけ言って、此方の反応を伺っていたようだった。
だから、先生が欲しがっている言葉を返した。
直感的に先生が無償で人を助けるような人間ではないと、そう確信出来ていたから、その言葉は割りと素直に出てきた。
「まずは傷をしっかり癒して、そこからは体を作るといい。
まだまだ君は幼い。
君に頼み事をするのは、ある程度育った後だ」
ついでに、と先生は言葉を続ける。
「君には個性が無かったようだからね、扱いやすい個性を与えておいたよ。
それも含めて、鍛えていくといい」
にゅるり、音にすればそんな感じだろうか。
そう言われて本能のままにない右腕に力を入れれば、アメーバ状のものが断面から生えて、ぐねぐねと右腕を形作った。
本当にそのまま、右腕を動かすように自在に動かせる事に、僕が個性を使っている事に。
目覚めて初めて、強く、心が揺さぶられた。
けれど、その感情を、僕は言葉に出来なかった。
それから暫く、痛い日々が続いた。
辛かったり苦しい訳じゃない、ひたすら痛い日々だ。
僕の体に込められた個性は、僕の体には簡単には定着せず、痛みという形でその反動を与えてくる。
その反動すら個性で押さえ込む為に、また別の形で痛みとなって現れる。
先生はそれにそういう事もある、と変わらず様々な個性を僕の体で試していった。
そこまでくれば、先生が僕に求める役割という物も、朧気には理解し始めていた。
「まぁ、それでも良いか」
個性を使う時の、言葉に出来ない感情は悪くない。
それをただ痛みを感じるだけで感じ続けられるなら、空っぽの僕としては否はない。
色んな個性を使う傍らで、素の力も鍛えていき、根本的な体作りもドクター指導の元で始めた頃。
僕は先生に呼び名を求めた。
何せ僕には個体名がない。
「別に番号でもなんでも良いので貰えませんか?」
『……君ね、そういうのって自分から言うものじゃないと思うよ。僕が言う事じゃないかもしれないけれど』
先生は呆れた声を返したが、僕としては個体名がないせいで反応が遅れた事があったのが、少し引っ掛かっていた。
個体名がないと、コミュニケーションに数テンポの後れが生じる、それはただ無駄なだけだろう、と。
そう説けば先生は納得したように頷いた。
けれど同時に、腕を組んで悩み始めてしまった。
「別にアルファとかでも構いませんよ」
『いや、その類いの名付けだとデルタくらいかな、いやそうじゃなくて』
そこから暫し先生は考え込む。
その思考を邪魔しないように、静かに筋トレを続けていると、不意に先生がよし、と声をあげた。
『じゃあ少し予定を繰り上げようか。
ちょっと出掛けよう。君にはして貰いたい事がある』
「……して貰いたい事?」
先生は、いつも通りの影のかかった顔で、凄絶に笑っていた。
面白くて仕方ないとばかりに、笑っていた。
『この家には女性が一人住んでいる。
その女性を、殺して欲しい。手段は問わないよ』
成程。
意図は理解出来ないけれど、やって欲しい事はわかった。
ならさっさとこなすとしよう。
「わかりました」
先生からの
まだまだ体つきは子供だけど、女一人殺すくらい訳はないだろう。
家に入る前、ちらと見えた庭は随分と荒れ果て、まったく手入れされていないのが目に入った。
玄関を開ければ、何処か埃臭く、廃屋よりは清潔、な荒れよう。
「こんなところに住む人間を、先生がわざわざ殺す意味がわからないな」
そう呟いて、土足のまま足を踏み入れていった。
そして僕は、その家に住んでいた女性を殺し、先生から名前を与えられた。
『おめでとう、これで君は過去の自分を完全に葬った訳だ。
望み通り、名前を与えよう。『死柄木弔』そう名乗るといい』
「弔……弔い、ですか。しかし、死柄木?」
『僕の名字さ』
「成程……ありがとうございます、先生。この名前、大事にしますよ」
僕はこの時、どんな表情をしていただろうか。
先生の悪辣さに気付きつつも、怒りはなかった気がする。
あの女性を殺しても僕の心は大して動く事はなかった。
ただ……。
手の中にある、筋骨隆々な男性のフィギュアを握り締めた。
あの女性も、ヒーローがいればきっと、死ななかったのだろうな、と朧気に思った。
弔、弔いか。
せめて彼女の死を、僕の糧としよう。
僕は……
精々悪辣に生きていくとしよう。
先生の元にいる限り、それ以外に生きる道はないのだから。
既に住む者を失った家、廃墟となる家、曲がった表札をその手に引き寄せた。
「……可哀想に」
きっと幸せな家庭があったのだろうに。
トドメを刺した僕が言う事じゃないかもしれないけれど、なんとも哀れなものだ。
……ふむ、同情、か。
そのくらいの人間らしい感情はあるらしい。
名字のかかれた表札を握り締めて砕き、フィギュアと共にその場に投げ捨てた。
オールマイト、人形。
その堀りの深い笑顔は、この惨状を見て、どう思うのだろうか。
「ふぅっ」
僕の口から溢れた火の粉が、廃屋となった家に火をつける。
メラメラと燃え出した家を暫し眺めて、先生と共に家を後にした。
黒いヘドロのように酷い匂いのする液体に包まれながら、最後に見たのは、ツンツン髪の少年が此方を目を見開いて見ている光景だった。
「イズッ」
何か言いかけていたようだったけれど、先に先生の転送が発動し、その光景は瞬時に切り替わってしまった。
『おや、今の子、知り合いだったかい?』
何処か試すような先生の問い掛けに、僕は即答する。
「いえ、知らない子でしたね」
あちらは何か僕を知っていたのかもしれないけれど、僕には生憎覚えはなかった。
『そうかい。では弔、今日はご苦労だったね。後はゆっくり休むと良い』
先生はそう言ってその場を後にする。
それを見送って、僕は静かに先程自分がした事を思い返した。
人を一人殺した。
言葉にすればそれだけの話。
ただ、人間……というか生物は基本的に同族を殺す事に嫌悪感を覚えるように作られている。
それは種を保存する本能とも呼ばれているものであり……基本的にはどんな人間にも搭載されている筈の本能だ。
けれど……。
「……特に何も感じなかったな」
僕は、あの女性の首をへし折った左手を見つめる。
特に、何の感慨が浮かぶ事もなかった。
ただ、そうだ。
彼女が引き寄せた人形、オールマイトのフィギュア。
彼が、本当の彼がいれば彼女は死なず、代わりに僕が死んでいただろうか?
或いは、僕にもまた別の生き方が……。
「……バカらしい」
そんなものはないだろう。
それに、先生の個性の実験台になる生活も、そう悪くはない。
様々な個性を体を壊しながらでも使えるのは、なかなか面白い。
いずれはいくつかピックアップしてくれれば、僕の個性として譲るという話もあるが、今はこのまま様々な活用法を模索していく日々で構わない。
そうと決まれば、今日はもう寝よう、明日も体を鍛えないといけない。
まずは、個性に耐えられる体を作る、話はそれからだ。
粗末なベッドに潜りこみながら、僕はゆっくりと目を瞑った。
その時、頬を熱い何かが伝った気がした。
胸の奥で、誰かがひどい悲鳴をあげた気がした。
それら全てを無視して、僕は眠りにつく。
全ては気のせいだという事にして。
「君は、ヒーローになれる」
何のつもりだろうか、このニセ筋骸骨は。
どういうつもりだろうか、この
なんで今なんだろうか、このクズは……!
オールマイト。
平和の象徴。
ああ、嫌いだな、その全てが嫌いだ。
救えなかったものなんて何もなかったような、そんな態度が、大嫌いだ。
僕を全て知った気になって、得意気に語る姿が大嫌いだ。
僕は、目覚めて初めて、溢れる嫌悪感で涙を流した。
顔をくしゃくしゃにして、俯いて、気付かれないように目の前のガリガリの男を睨み付けた。
夕日をバックに僕を見下ろす骸骨のような男は、やけに神々しく見えた。
先生、安心してくれていい。
貴方が大嫌いなオールマイトは、僕も大嫌いだ。
その首を、絶望に包まれた首を、いずれ貴方に献上しよう。
それを恩返しとしよう、先生。
その日が、その時が、僕が心の底から
それがきっと、僕のオリジン。
僕の、死柄木弔の始まりの時だった。
誤字報告ありがとうございます、修正しました。