【完結】少年が秤アツコの傷になるまでの話。 作:\コメット/
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.
全ては虚しく、どこまで行っても、全てはただ虚しいものである。
けれど、それがわかっていたとしても、最後まで私達は抗わなければならない。
私達アリウス分校、その直下組織である『スクワッド』は、エデン条約の調印式を襲撃した。
エデン条約とは、トリニティ総合学園とゲヘナ学園が互いの不可侵を約束し、今後は両自治区の紛争解決を協力し合うことで、同時に両校の対立姿勢のあった関係性を緩和、全面戦争を回避するための条約。
スクワッドはエデン条約機構(ETO)の設立を利用し、調停内容を改竄、戒律の守護者ユスティナ聖徒会を亡霊のような形で複製。
無尽蔵に沸く破壊の軍隊を手に入れたアリウスはそのまま『彼女』の立案した作戦通り動き、トリニティ、ゲヘナ両校へ混沌をもたらした。
だが、歪みが生じる。
連邦生徒会、シャーレに所属する『先生』の介入だ。
彼の活躍、それにより各々の役目を全うした生徒達により作戦は瓦解。
任務を遂行できなかったスクワッドはトリニティ、ゲヘナ、そして仲間であったアリウスからも追われる立場となる。
死力を尽くしたにも関わらず、果てにあったのは虚。
起こした行動の末に進んだ道の先にあったのは、ただ虚しいという結果のみ。
───それでも。
それでも、私達は抗わなければならない。
アズサが自身の居場所と答えを見つけ、定められた運命を変えたように。
全てが虚しいモノと断じられたこんな世界を、私達は今は見えないナニカに縋るために、歩き続ける。
進み続ける。
********************
「姫」
聞き慣れた声につられ瞼を開くと、私───秤アツコが愛する3人の顔があった。
サッちゃん、ミサキ、ヒヨリ。かけがえのない大事な家族。
「(ごめん、ウトウトしちゃって)」
スッ、スッと手話でみんなに謝る。
「し、仕方ないですよ・・・かれこれもう二日は寝ずに逃げ回ってるんですからぁ」
作戦を失敗した私達に居場所は無い。
キヴォトス全域に指名手配され、毎日が追われる日々。夜が明ける前に移動し、飛び交う銃弾の雨と追手を掻い潜り、少ない補給でお腹を満たす。
ギリギリ調律を保つ天秤のような日常を、私達は続けていた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
「リーダー、しっかり」
「大、丈夫だ・・・すまない、足を引っ張っている自覚はあるんだ」
アズサとの一騎打ちで受けた傷が癒えていないのか、サッちゃんはこの逃亡劇を開始して以降ずっと調子を崩している。
ヒヨリの肩を借りないくらいには復調してきているけど、突発的に起こる戦闘の際、サッちゃんの動きがあまり良くない。
脇腹の怪我を庇いながら戦っている。
(どこかで休ませてあげないと・・・)
リーダーとしてスクワッドを引っ張ってきてくれた。生贄になるだけだった私に救済の手を差し伸べてくれた。
そんな彼女が、危機に瀕している。放っておくなんてこと、絶対にできない。
現在、私達は追手を振り切るために各地を転々とし、ゲヘナ領の中でも人気のないスラム街に足を踏み入れていた。
ここ最近は襲撃を受けていないものの、受け攻めでいえばこちらは受けの立場。警戒を切らせない状況、疲労は溜まる一方であり、サッちゃんの怪我も治せない。
「(───みんな、いい?)」
「なに、姫」
「(ここから暫く行ったところに、廃病院がある。そこでサッちゃんを治療しよう)」
お医者さんは勿論いないだろうけど、棚に治療薬や包帯はまだ残っているかもしれない。
スクワッドは、サッちゃんを軸にゲリラ攻勢を仕掛けるのを得意とするチーム。その主力が手負いとあっては、いずれ追う追われるの均衡は瓦解するだろう。
早急な対処が必要だ。
「(異存は無い?)」
「な、ないです・・・」
「私も賛成」
「・・・すまない、早く移動を済ませないといけないのに」
「(そんなこと言わないで。私達には、サオリの力が必要なんだから)」
嘘偽り無い言葉を伝える。
すると、マスクの中に隠れた彼女の口元が少し綻んだ気がして、私もホッとする。
「あと少し休んだら、出発しよう。あまりジッとはしてられない」
そう、ミサキが警戒のため、言いながら窓から顔を覗かせた時だった。
「・・・っ!」
何かに気づいたのか、即頭を引っ込めるミサキ。
「(どうしたの)」
「・・・あれ」
顎で指され、私も彼女の見た方を覗く。
「・・・っちは・・・たか」
「いや・・・、向こう・・・みる」
見慣れたガスマスク、薄暗い装束。
間違いない、アリウスからの追手だ。
「───数は」
私とミサキの態度で察したのだろう。サッちゃんが疲労と怪我の痛みを押し殺し、目の色を変えて立ちあがろうとする。
「見える限りでは5、6人程度・・・けど、多分離れたところに本隊がいる。あれはその斥候だよ」
「ふえええ!?いくらなんでも早過ぎますううう!」
「応援を呼ばれる前に制圧する。場所がバレていないなら、ヒヨリはここを狙撃ポイントにして援護を。ミサキは中距離で撹乱、私と姫で取りこぼしを狩る」
愛銃であるアサルトライフルを手に取り、真っ先に、率先して私達の前を行くサッちゃん。
だけど、
「・・・ぐぅっ」
「(サオリ、無理しちゃダメ)」
崩れかける彼女を、私が支える。
既に限界を超えて戦い続けているのだ。もしも奇襲が成功したとしても、騒ぎが起これば少なからず敵陣に伝わる。そうなればジリ貧確定だ。
たとえ全てを退けたとしても、その時サッちゃんに病院へ行くまでの体力が残っている保証はない。
「───」
私は、決意を固めた。
「(ミサキ、ヒヨリ。サオリをお願い)」
「・・・っ!?姫、なにを」
「(止めないでね、もう決めたことだから。アビドス砂漠のK地点で落ち合おう)」
「待て、姫・・・アツコ!」
静止を振り切り、私は急がず、それでいて速やかに建物を出た。
外は遠くが見えなくなるほどに強い雨が降っていて、足音を殺そうとしても水溜りが邪魔をする。
(あとで怒られるだろうな)
静かに怒気を漏らすサッちゃんの姿が目に浮かぶ。
もちろん、無茶なことなのは囮を勝手に引き受けた私自身がよく分かっている。百も承知だ。
でも、あの状態の彼女を戦闘に晒すなんてできない。
(私も、サッちゃんを守りたいんだよ)
恩がある。情がある。愛がある。
だから、こんな危険な道を渡ろうと思える。
今まで彼女ばかりに判断と決定を押し付けてきた。その返しきれない借りのほんの一部を、今ここで返すのだ。
「止まれ!!」
ダダダダダッ!!
「・・・っ!」
牽制の射撃が地面に撃たれる。
ようやく気づいたようだ。
数は先ほど見た時と変わらない。歩き方の特徴からするに、私とミサキが見た部隊がそのまま私を追いかけてきたのだろう。
「一人か?他の三人の居場所を吐け、でないと」
「待て撃つな!狙いはもとよりそのお方だけだ!」
脅し文句を並べる部下を制する形で、リーダーらしき人物が声を荒げる。
「姫様、鬼ごっこは終いです。素直に投降してください」
「・・・」
距離は5メートル。向こうの武装は小回りの効かない大型のアリウス製ガトリングガン。リーダーはアサルトライフル。
威力は脅威だけど、注意を払えば対処は可能。それに私はタンク職、頑丈さにはそこそこ自信がある。
「他の者はどこへ?まさか、貴女を見捨てたのですか?」
ジリジリと距離が詰まり、合わせて私は後退。
こちらはまだ、攻撃の意思がある。向こうはというと、その意識はまばらだ。
儀式の生贄である私を傷つけるのは、『彼女』が許さない。
容易に手出しはできないはず。
(サッちゃんのように上手くできるか不安だけど)
銃を下ろし、油断を誘う。
生まれたわずかな隙を使って、懐へソッと手を伸ばし、あるものを掴む。
「・・・っ!」
ソレを、躊躇なく追手目掛けて投げつけた。
対多の戦闘において重宝する武器、手榴弾を。
「なっ」
爆発。
轟音。
(今!)
向こうが手傷を負い混乱しているのに乗じて、私は急接近し銃を乱射。
スコルピウスが火を吹き、爆風に次いでダメージを与える。
(これで、いい!)
包囲網を抜け、そのまま逃走。
構想していた経路通りに進めば、どうにか逃げ切れるはずだ。
「貴様、よくも!!」
「よ、よせ!撃つなと言っているだろう!」
「脚だ!脚を狙え!」
混乱と怒りに塗れた頭に、リーダーの声は届かない。
私の足元目掛けて、アリウスの兵隊達はガトリングガンを炸裂させる。
「・・・っ」
一発、右足を掠めた。
しかし、これぐらいの反撃は予想していた。想定内だ。
動きは鈍るけれどこちらは走っている。
重いガトリングを持った向こうは、大きな移動ができない。
逃げ仰る。
「やめろと、言っているだろうが!」
命令を聞かない部下を無理矢理にでも止めようと、リーダー格の女生徒は他生徒につかみかかった。
その際、私の足元に向けられていた照準が一瞬上へとズレる。
ガガガッ!!
「うあ・・・っ!?」
当たった。当たってしまった。
背中に重い衝撃が疾る。俊敏に動いていた身体は自制力を無くし、濡れたアスファルトへグシャリと倒れ込む。
「姫様!?き、貴様ら!だからやめろと・・・!」
「わ、私がいけないっていうんですか!?そっちが照準を・・・ッ」
責任の押し付け合い。どちらに非があるかの擦り付けが始まった。
やはり所詮はまだ子供。大人のように冷静な判断、指示を下すことはできないらしい。
この間に逃げないと。
「うっ、ぐぅ・・・っ」
歩いて、歩いて、歩いて、射線の通らない路地裏へ。
追ってはこない。まだまだ言い争いは続いているようだ。私が既に視線から外れていることにも、気づいていない。
(急いで、この場を離れないと・・・)
最低でも建物の中へ。
鈍い痛みが歩を進めるたび身体全体に響く。刺激が脳にまで達し、これ以上は動くなと警告をしてくる。
けれど、私は進む。
ここで捕まっては意味が無いのだ。何のために囮になった?サッちゃんが回復する時間を充分に稼ぐためだ。
「はぁ・・・っ、はぁ・・・っ」
もう、三人は廃病院に着けたかな。
私は役に、立てたのかな。
そんなことを夢想しながら、更に足を動かす。
そして、気づく。
「あ、れ・・・?」
地面が赤い。
アスファルトが、私の足元が、紅に染まっている。
途中から通る道の色が変わったのか、と思ったがどうにも違うらしい。
赤いのは、私が通ってきた道だけだ。
私が、通ってきた・・・。
(ああ、そうか。これ)
全部、私の血だ。
白いローブが見る影もなく無惨な真紅で汚れ、雨が血が滴るのを助長させる。
そうして出来たのが、この血の道。
「は、あぁ・・・っ」
一気に押し寄せる倦怠感。痛みよりも強くなる眠気。
不安定になる頭上のヘイロー。
このまま横になれば、楽になれるのだろうか。
(それは・・・ダメ)
壁に体を預け、怪我した右足を庇うように進む。
「血だ!この先に姫様がいるぞ!」
(流石に、くるよね・・・)
既に、構想していたルートからは完全に外れていた。
ここがどこなのか、今後どうサッちゃん達と合流すればいいのか、私は死ぬのか、どの疑問も虚に消えそうだ。
全ては虚しいものである。どこまで行っても、それは変わらない事実。
だけど、私はその先を求める。一縷の希みを掴み、みんなにもう一度会うんだ。
「そこまでです、姫様!」
下を用水路が通る橋の上で、遂に追いつかれる。
数は増員されていて、近くを探し回っていた部隊が私の元へ集められたのだろう。
三人に付いていたマークも、これで外れたと見た。
「すぐに手当を。大人しくしてください」
「・・・」
下の水路は、流れが急だ。
今この場には、周辺にいる部隊が総動員されている。
(これしか、方法はない)
私は、私の腕を掴もうとする相手の手を払い除け、
後ろへ、身を投げた。
今頃彼女らのガスマスクの下は、驚愕で塗り固められているだろう。
それを心の中でほくそ笑みながら、私は雨水も相まって勢いを増す激流にダイブした。
********************
それは偶然だった。
いくつものたまたまが重なった、奇跡だった。
求めてやまなかった、可能性の一つだった。
偶然、ミサイルの被害地域に少年の経営する店があって、偶然、次の拠点としたのがゲヘナの郊外で、偶然、今朝は早起きしたので近くを散歩していて、偶然、コースに選んだのが水路の通る道筋で。
「───」
偶然、少年は少女を見つけた。
水の浅いところに乗り上げているその子を見つけた彼は、驚きや困惑といった感情は抱くことなく、すぐさま少女に駆け寄る。
少年が抱くのは、『まさか』という心臓を跳ねさせる、過去の記憶をたぐり寄せ、今までの行動を肯定させる希望に満ちたモノだった。
「おい、大丈夫か?」
返答は無い。
抱き上げた少女は信じられないほど軽く、もともと白いであろう顔色は雪のように生気が感じられない。
羽織るローブは血で染まり、水に浸かっていたせいか体温も低い。
急いで適切な処置を施さなければ、少女は死ぬだろう。
「祖父さん、ついにきたよ。この時が」
しっとり濡れた色素の薄い紫色の髪を撫でながら、少年は少女を背負い自身が拠点とする建物へ向かった。
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少年は難儀していた。
明らかに重体である少女を部屋へ担ぎ込み、治療に取り掛かろうとしたのだが。
「おいおいおい、この格好は・・・」
彼も年齢で言えば思春期真っ盛り。自分のベッドに寝かせた少女のブーツを脱がせ、靴下を脱がせ、ローブを脱がせ、胸部のプロテクターを外し、ガーターベルトも外し・・・断腸の思いでスカートも、脱がした。
見たところ背中や腿あたりに銃撃を受けた痕跡があったので、仕方なくだ。仕方なくなのだ。
そして、全容が明らかになってどうだろう。
「レオタードて・・・」
鼠蹊部のラインが非常に際どく、通気性を向上させるためか脇部分が露出している、青少年には過激といえる構造をした紺色のレオタード。
これが普通の下着なら、いっそ開き直れたかもしれない。
少女は用水路を流れてきたわけで、身体が冷え切っている。延命させるためには濡れた衣服を脱がして、暖房や毛布などで温かくしてやり、傷の処置へ取り掛かる必要がある。
普通の少女らが着るような下着類なら、最低限の接触で済ませることができた。なのに、現実は非常である。
この、どこからどう見ても着脱方法がわからない変な肌着を前にして、少年は数秒硬直した。
「申し訳ないが切るか・・・なんだこれ、素材は伸び縮む感じで別に硬くも何とも無いのに、カッターで切れねえ・・・」
カッター以上、銃弾未満の耐久力の肌着とはこれ如何に。
「・・・ぅっ」
しかし時間は限られる。
悶々と気を取られているうちに、少女の命は削られているのだ。
「・・・ええい、ままよ!」
幸い、伸び縮みするお陰で無理矢理にでも脱がすことは可能だ。
負担にならないよう自分の体を支えにして起き上げ、上半身から脱がすことにした。
若干の膨らみのある胸部を通過したところで準備していたバスタオルを被せ、そのまま勢いで脱衣完了。
「もう二度とやらんこんなこと・・・」
なんの拷問だよと一人でキレながら、少女のデリケートな部分をタオルで隠しつつ、湿った身体を拭いて処置を行う。
背中に五発、左太ももに二発、右足に掠めた傷が一箇所。
弱っているとはいえキヴォトス人、素人の処置でも持ち前の回復力が加われば恐らく大丈夫だ。
柔肌に埋まる弾を慎重に引き抜き、消毒。綺麗な布を弾痕に当てて包帯を巻いてやれば、一先ず応急処置は完了。
あとは冷えた身体を温めるために少年自身が寝巻きに使っている服を着せ、毛布を被せ、部屋の暖房をつける。
「取り敢えず、これでいいだろ」
最初と比べて呼吸も安定し、体温も戻ってきた。
顔色も良くなってきている。
どうやら峠は超えたようだ。
「・・・君が、あの」
言いかけて、止める。
そろそろ店を開けなければならない。できれば起きるまで面倒を見てやりたいが、彼も生活がかかっている。
「おやすみ。今はゆっくり休んでくれ」
毛布を肩までかけてやり、彼は店のシャッターを開けるべく立ち上がった。
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「ん・・・」
和らいだが未だ続く痛みと、気を失う前は無かった温もりにより、秤アツコは目を覚ました。
知らない天井、知らない匂い、知らない場所、どれも彼女を混乱させる要因には十分なもの。
(あれ?傷が)
何より、着せられた衣服の下にある弾痕が適切な処置を施されている。それが困惑を更に加速させた。
状況を頭の中でまとめると、自分は誰かに助けられ、こうして治療も受け寝床を貸してもらっている。
なぜ?とアツコは首を傾げた。
スクワッドは現在、トリニティとゲヘナの両校、更に自分達の母校であるアリウスからも指名手配を受ける身だ。ここがゲヘナのどこかは不明だが、当然手配書は出回っているはず。
一体なぜ。
(もしかして、まだ知られてないのかも)
流れついた場所が都市部からの情報が遅れる郊外地域なら、腑に落ちる。
しかしそれも時間の問題だろう。
あの調停式の襲撃事件は一応終息、事態の掃討期に至ってからは数日が経過。いくら郊外でも、そろそろ情報が出回っても良い頃合いだ。
見ず知らずの自分を救ってくれた親切なここの家主も、詳細を知れば黙ってはいまい。
すぐにお暇するべきだ。
(それにはスコルピウスを回収しなきゃだけど・・・)
晴れ時々銃弾のキヴォトスにおいて、丸腰など自殺行為。ましてや追われる身のアツコにとって、愛銃の存在は必要不可欠。
その回収に動こうとするが、周りを見てもどこにも無い。
胸部を守るプロテクターも、各種小道具を入れたポーチも、左足に常在させているスタンガンも、本命であるスコルピウスも、行方をくらませていた。
「・・・っ」
背中と脚の痛みを堪えつつ床に立ち、部屋を見渡す中で、気づく。
(この香り・・・)
心を和ませるような、落ち着かせるような、そんな匂いが部屋を満たしている。
お香や衣類の柔軟剤では無い、もっと植物由来のモノだ。
アツコは、それが自分の好む代物であると気づくと同時に、では正体は何かと考えて、答えに行き詰まる。
喉元まで出てきているのに、あと少しというところで奥底へ落ちてしまった。
しばらく部屋を調べていると、階段を発見。ここは建物の上階であることがわかる。香りも、下の階へ続くそちら側から流れ込んでいることにも気づく。
「───」
自分が寝ていた部屋に、武器類は無かった。であれば、それはもう下のフロアにしかないだろう。
愛銃を取り戻すため、そして香りに心惹かれ、アツコは一歩、一歩と音を立てないように階段を降りる。
果たして、降りた先にあったものは、
(───わぁ)
広さにしては10畳と少し。
そのフロア一体の8割を埋め尽くすほど綺麗な、色とりどりの花々だった。
(香りの正体って)
この花たちのことだったのか。
納得した彼女は、目を輝かせながら影からフロアの様子を伺う。
ザッと見たあたり、ここはおそらく花屋。一つ一つの鉢や他の入れ物に値札が貼られていて、且つアツコ自身が出てきたのがカウンターの裏手だったことから行き着いた推察だ。
「ありがとうございました、またのお越しを」
キョロキョロしていると、恐らく家主、いや店主の声が店頭から聞こえてきた。
コツ、コツと足音がカウンターへ向かってくるのもわかる。
(まず)
まずい、と思ったがしかし。
バレないよう降りてきた階段をもう一度上がろうとして、背中に痛みが疾る。急にアクションを起こしたせいだ。
見事に段を踏み外し、バランスを崩して後頭部が地面目掛け落下する。
「・・・っ!」
死にはしないだろうけれどきっと激痛であろう衝撃に備えて、アツコはキュッと目を閉じた。
ドンガラガッシャンッ!!
植えられた鉢が蹴られる音、聞こえていた足音が血相変えたように荒々しくなり、何かが滑り込んだのか彼女は堅い床とは違う柔らかい感触に支えられ体を打ちつける。
「いってえ・・・くそ」
柔らかいものの正体、自身を受け止めてくれた人物の悪態が聞こえる。
どんな顔をしているのだろうと、彼女は目を開け上を見た。
同い年・・・15歳のアツコと同じ年頃の、少年。
背丈は175cmほどで、見た目は細いが決してガリガリというわけではなく、仕事でついた筋肉が衣服の上から感じられた。
(お礼、言わないと)
しかし声を出せば
一人でどうしようとアタフタしていると、少年は物凄く不機嫌な形相で、彼女の両肩を掴み、
「怪我人は!大人しく!寝てろ!」
怒鳴られた。
ギョッとして、勢いに気圧され即コクコクと首肯。
その様子を見た少年は、やれやれ全くとため息を吐いてアツコを抱え2階へ。
「あと少しで店を閉める。それまで待ってろ」
口調は荒いが、再度ベッドに寝かせる所作は彼女を思ってか非常に優しいもので。
「喉、渇いてるか?」
「(コクリ)」
「ならこれ、水だ。焦らずとも、ベッドの下に君の装備が入ってる。悪いようにはしないから寝ていてくれ」
水の入ったマグカップを渡して、少年は店の方へ戻る。
ちびちび喉を潤す中で、アツコは初めての感覚に陥っていた。
(サッちゃん以外に、怒られた・・・)
ミサキとヒヨリは家族とはいえ姫という肩書きが先行し、アツコが無茶をしてもとやかく言うことはなかった。
サオリが姉代わりとなって、アツコを含めた三人の面倒を見ていた。その生活において、彼女だけがアツコを叱る存在だった。
つい先ほどの説教は、気落ち半分、新鮮さ半分を胸中に抱かせる。
30分後。
言われた通り大人しくしていると、遠くでシャッターが下りる。
次いで、怪我人のアツコとは違いスムーズな足音を立てて少年が階段を上がって二階へとやってきた。
「起きてたか。怪我は?痛むか?」
「(少し痛むけど、大丈夫)」
「・・・?」
普段スクワッドの面々に接する時のように手話で自身の言葉を伝えると、少年は首を傾げた。
そして、「ああ、そうか喉が・・・すまない。無作法だったな」と自分なりに解釈したのち、大きめのタブレットを机から取り出してアツコに渡す。
意図を察した彼女は、今伝えようとした手話の内容そのままタブレットに書いて少年に見せる。
「そうか、よかった」
初めて、不機嫌ではない安堵した表情を浮かべ口元を綻ばせた。
「腹が減ったろう。簡単なものしか作れないが、腕には多少自信がある。本かタブレットでもイジって待っててくれ」
「(わかった)」
部屋の広さは7畳ほど。寝床とキッチン、リビングが小さくまとまった内装だ。
少年は献立を考えながら冷蔵庫を漁る。
その様子をジッと、アツコは見つめていた。
(本当に、この人が)
改めて分析すると、生活感からして少年一人しかこの建物には住んでいない。
怪我の処置も的確で、同い年ぐらいにも関わらずもう自分の店を出しているというのも、彼女は関心を覚えた。
「アレルギーは?」
「(ないよ)」
「ん。思ったより体調は良さそうだから回復食よりガッツリした物の方がいいな・・・よし」
冷凍保存の米、卵、ケチャップ、きのこ、玉ねぎ、鶏肉、各種調味料。
それらを出し、切って、炒めて、和えて、あっという間に熱々のオムライスが完成する。
机に並べた後、少年はベッドにいるアツコをソッと抱き起こし、椅子へと導き座らせた。
パァッと目を丸くし、マジマジと目の前のオムライスを見つめる彼女を見て、少年は少し申し訳なさそうに、
「悪い、多かったか?」
と心配そうに気遣ってくる。
「(そんなことない。食べてもいい?)」
「ああ。召し上がってくれ」
「(いただきます)」
女子にしては多過ぎるのではという量をスプーンですくい、パクリ。
(おいしっ)
口に含んだ瞬間旨味が弾け、空いた胃が更にオムライスを欲する。永久機関が完成し、少年の目も気にせずアツコはスプーンを動かした。
ご満悦に食べる彼女、安堵する少年。
半分までオムライスを減らしたところで、彼から話が切り出された。
「君、アリウスの生徒だろ?」
ピタリ。
今まで勢いを保っていたスプーンが、止まる。
「誤魔化さなくていい。プロテクターにアリウスの紋章があったし、顔も・・・スクワッドだったか。手配書にある四人は既にキヴォトス全域に割れてる」
そのうちの一人が君だ。違うか?という問いに、アツコは素直に頷く。
嘘をついても意味がない。何より、ここまで良くしてくれた少年に対してそれは失礼というものだ。
「本来なら、ヴァルキューレか近くのゲヘナに突き出すのが常識だが・・・凶悪犯でも怪我人は怪我人。手負いの君を引き渡すのは、少々気が進まない」
「・・・」
「だから、君の怪我が治るまではここに置いてやる。その代わり、完治したらすぐに出ていってくれ」
「(あなたにとって、私を置いとくメリットはあるの?)」
「ある。俺も男なんでね、一度美少女と一つ屋根の下ってのは昔から憧れだったんだ。それはテロリストを家に匿うっていうデメリットを、充分上回る」
「・・・」
静寂、沈黙。
彼の言葉を信用していいのだろうか、アツコは視線を彼の目から外さず思案する。
スクワッドのリーダー、サオリならまず間違いなく断るだろう。
それは怪我をしている現状でも変わらない。今日会ったばかりの人物に自らの命を預けることなど、リアリストで冷静冷酷な彼女はしない。
では、アツコ自身は。
今この場に、決断を下してくれる頼もしいリーダーはいない。
あの時、囮を買って出た時と同じく、自分で考え自分で決めなければ。
「断ってもいい。その時はできる限りのフォローをして、君を送り出す。今の状態で満足に動けるとは思えないが」
少年側は、アツコの弱味を全て握っている。
素直に従い、隙を伺うのが塩梅。今までの話が全て嘘であり、明日にでも警察に呼ばれることもあり得るが、
(・・・私は)
信じてみたい。
自分を救ってくれたこの少年を、信用したい。
希望的観測が身を滅ぼすというのは、理解しているつもりだ。
「(わかった。治療が済むまでお願い)」
それを踏まえても、アツコは彼を信じる道を選んだ。
「───そうか」
「(ありがとう)」
「治ってから言え」
冷めるぞ、とだけ付け加えて、少年は料理に使った調理器具を洗うために席を立った。
(あっ)
そこで、アツコは気づく。
(名前、聞くの忘れてた)
呼びかける訳にもいかず、彼女はいずれタイミングがあるだろうとその場は堪え、オムライスを頬張ることにした。
少し冷めていたけど、久しぶりに食べたマトモな食事だったので、それは気にならなかった。
hardenbergia:ハーデンベルギア
花言葉:運命的な出会い
本日、18時に02を投稿します。