「ロストフ、アルヤ、ウルッバとストラヤの研究機関や政府当局に一通り当たってみたけど、近いうちにイグノータ大陸で地質調査を行うという計画が皆無。地下資源の豊富さをアピールして興味を持たせるようこれからロビイングを始めるにしても、形のある成果が出るのはまだ当分時間がかかる。もし環境部の要望通り次の夏にも調査に着手したいのなら、展開軍にやってもらうのが今のところ一番確実な方法かと」
ブロンドのウェーブ髪の女性士官は手元の画面を見ながら、淡々と夕叢見の質問に答えた。
「なるほど。まあ最近先進国のブームは地球に穴を開けるよりも宇宙探査だからね、仕方ない。展開軍にやらせたほうがずっと楽だしいいか」
「はい。それと直接関係はないが、アーカイブ部の資料を漁っているうちにこんな記録が」
メラン・D・カヴォーダニ少尉が手元の画面をくるっと回し、夕叢に見せた。
「ん? 天津浦の石油探査……おお、これは面白い。だいぶ昔のことだが、もし当時の記録やサンプルがまだ残ってたのなら自分たちで掘る手間も省ける。ありがとう、こちらで調べてみるよ」
夕叢は指先で画面をちょんちょんとつつき、データをコピーした。
「大佐はやはり真縞少将の
「ああ。世界各地の地層に残る不自然な地質変動の痕跡、そして各地の創世神話に共通して存在する太古の大洪水や火山噴火と思わしき描写、これらの事実をまとめて説明するのに実に都合のいい仮説ではある。私は史前文明なんかにそんなに興味はないが、天体衝突もなしにこれほどの地殻変動を起こせた原因、やはり気になる。特にそれがもし一度人類文明を滅ぼしかけたのなら、なおさら」
「……『敵』、か?」
メランは青緑色の目をぱちぱちさせた。
「おお、鋭いね。文明局は人類の過去を記録するが、我々は今の人類への脅威に備えなければいけないからね」
「それがエヴァンゲリカの
「ええ。知っての通りエヴァンゲリカが呼び出すアンゲルスと呼ばれる異形の存在の由来がまだわかっていない。我々がこの世界に来てからアンゲルス召喚の実例を確認できたのはまだほんの数件にとどまるが、少なくともやつらの起源は外宇宙ではない。でなければとっくに我々に探知されたはずだし、艦隊も動く。となれば……」
「アンゲルスの起源はもっと近い場所にあると……」
「その通り。やつらの発生源はやはりこの
「……大佐は恐ろしいことを言うね。でも私はそれが正しいと思う」
メランは手に持つ端末の画面を閉じ、夕叢の方をじっと見つめた。
「はは、ありがとう。でも証拠はまだ何一つないけどね。本当は中央洋の海底こそが一番掘りたい場所だが……」
「
「そう。環境部は地震波の観測データから中央洋の地殻の下に太古の陸塊が沈んでいて、そこから発生する異常なプルームによる超巨大噴火こそ
CE 401年10月10日 0707 CDT*1
地球 コーデュエネ共和国 アインタイーブ県アインタイーブ
「ふは……」
街の南外れ、小高い丘の麓に伸びる一本のオーク並木道の先に、まるで聖堂のような立派なアルワーム様式の石造建築が朝日のもと威厳ある佇まいを見せている。冷たくきりっとした朝の空気の中、一人の若い男があくびをしながら建物の正面階段の下で気怠そうに箒を動かしていた。
「おはよう
「うわ! …あ、いや、失礼」
突然背後から声をかけられたシェリザード・コバネが思わず声を漏らした。振り返ると、そこにはいつの間にか小柄な女性が立っていた。灰色のパーカを着ているそのアルヤ人女性はまだ十代後半の少女にしか見えず、長い黒い髪の毛は細い赤いヘアバンドで留められている。
「おはよう
大戦が勃発して以来、ここを訪れる観光客が激減し、シェリザードにとって見知らぬ顔を見たのも実に久方ぶりである。
「あ、いえ、私は
少女はポケットから小さな金属のカードケースを取り出し、一枚の名刺を差し出してきた。
「……KAS文化と教育財団……あっ!あなたが!? これは失礼した! どうぞお入りください、すぐ司書長を呼ぶので!」
シェリザードは来客を正面入口ロビーに案内すると、名刺を持って慌てて司書長のレイラ・カミシュロ女史のもとへと走った。
「初めましてヨミ
シェリザードに呼ばれ急いで正装して出てきたレイラはそう言いながらも、やはり訝しげに何度も目の前の少女をじろじろと見た。あの名だたるKAS財団の職員がこんな年端の行かぬ少女だとは、と彼女の顔に書いてあるようだ。
「初めまして、レイラ・ハヌム。こちらこそ朝早くてすまない。私も早くアインタイーブに着いてふらっと来ただけなので、お気になさらず」
しかしヨミという名の少女は不快な表情一つも見せず、屈託のない笑顔でレイラと挨拶を交わした。
「すでにご存知の通りかと思うが、あいにくエルソイ理事長が現在入院しており、この大書庫のことに関しては全て私が代理を務めている。なにかと至らぬ点もあるかと思うがどうかご容赦を」
「ええ、それは伺っている」
どうやらこの東洋人の少女こそがレイラ司書長が待ち望んでいた上客のはずだが、なにせ出会いの仕方が予想外だったため事前に用意した応接の手順がすべて吹っ飛び、レイラもこれ以上なにをすべきかと急にわからなくなった様子で、場に一瞬微妙な空気が流れた。
「ええと、こんなところで立ち話するのもなんだし……そうだ、ヨミ・ハヌムは朝食はまだか? 僕たちはこれから食べるところだし、ご一緒にいかが?」
シェリザードはなんとか助け舟を出そうとした。
「あらやだ、朝食の用意の途中だったわ。シェリザードもたまにいいこと言うんじゃない。早く皆さんにテーブルの準備を。さあさあ、ヨミ・ハヌムもどうぞこちらへ」
「『たまに』はないだろう……」
幸い客人の女の子はふふっと笑ってくれた。
「それはとてもうれしいわ。コード人は一日の食事の中でも朝食をもっとも大事にすると聞く。ではお言葉に甘えてご相伴に預かるとしようか」
「なんだこのみすぼらしい朝食は……パストラミは? アイシェ、パストラミも持ってきて!」
しかしいざ職員たちが集まるダイニングルームに客人が招かれると、目の前の食卓に並ぶ品数の少なさにレイラが思いのほかまごついてるように見えた。
「パストラミは週末のが最後だったよ。スジュクならあとこのくらい」
アイシェと呼ばれるその丸顔の若い女性職員は右手の親指と人差し指を出し、厨房に残っていたであろう干しソーセージの長さを示した。
「なんてこと…! 他になにかないのか?」
「あ、ジャムだけならアフメットのおばあちゃんが前送ってくれたやつがまだ何種類かあるよ」
また別の職員が答えた。
「それ全部持ってきて!」
「どうかお気になさらず、もう十分豪華だわ。私もそんなに食べられないので。職員の皆さんは毎日ここで一緒に食事を?」
食卓についたばかりの職員たちが自分のためにまた慌ただしく動き出しすを見て、
「ええ、ここの職員はコーデュエネだけでなく色んな国から来ているので、皆さんここで家族同然のように寝食共にしている。もう大昔から続いてきたことよ」
「なるほど。昔の僧院みたいだね」
「あっ、いえ、当書庫は決してそのような宗教施設ではなく……」
「僧院」という単語を聞いたレイラの表情が明らかに引きつっているのを見て、依実は今大書庫に対する世間の風当たりがいかに厳しいかをすぐ理解した。彼女はこれ以上この話題に触れるのをやめ、黙って紅茶のカップに口をつけた。
「ええと、ヨミ・ハヌムが今回来られたのはどのような用事で? 僕たちになにかできることは?」
食卓の空気が張り詰めかけたところ、シェリザードがまた気を利かせすかさず話題を変えてきた。
「ええ、世界的有名なこのアインタイーブの大書庫が戦争のせいで厳しい状況に置かれていることを聞き、私たち財団にもなにかできることがないかと、ひとまず現状の確認と、大書庫の数ある所蔵品の保護と保存を考える上で、将来的にデジタル化することも見据えて、その下調べも兼ねてってことで」
依実が話し終えると、テーブルを囲んでいた職員たちがなぜかばつが悪そうに一斉に静まり返り、下を向いたまま黙々と朝食を取り続けた。大書庫がこのままではいずれ立ち行かなくなることに皆うすうす気づいてはいたが、それが第三者の口からはっきり聞かされると、嫌でもその現実を直視せざるをえなくなる。
しかしこの小さな客人のことばに一つだけ間違いがある。大書庫の経営状況が芳しくないのは大戦前からであり、理念の崇高さと責任の重さにもかかわらず収入の不安定と民衆の無理解、戦争の勃発がそれら積年の問題を一気に表面化させたに過ぎない。エルソイ理事長のこのタイミングでの入院も恐らく単なる偶然ではなく、経営破綻の責任をレイラ女史に押し付けるためなんじゃないかという嫌な噂までもが流れた。
「デジタル…化?」
聞き慣れない単語にレイラは目を丸くした。
「ああ、あれか、紙の文献の写真をマイクロフィッシュの代わりに電算機に取り込むってことだよね? マイクロフィッシュほど大掛かりな機材がいらず手軽にできるからって最近ウルッバの国々では開発が進んでると、この前来たバヤールヌ大学のフィダン教授もちらっと言ってたよ。まあ、その電算機がバカ高いが……」
「そう。正確には写真ではなくスキャンだが、まあ似たようなものだ」
バヤールヌ大学というのはコーデュエネの首都バヤールヌにあるこの国の最高学府。こういう最新テクノロジーの話に理解のあるシェリザードのような若い人が解説してくれるのは依実にとってもありがたかった。
「電算機に取り込むとどうなるの? マイクロフィッシュとどう違うの?」
「マイクロフィッシュ自体は耐久性に問題がなくても、その上に記載される情報も結局フィルムという実物に依存してるので、火事や災害でフィルムを失えば情報がなくなるのは紙と一緒よ」
「でも電算機も実物ではなくて? 電算機は壊れないの? ごめんなさいねおばさんこういうのに疎くて」
「電算機の中のデータは、簡単に別の電算機に複製したり移動したりすることができるので、世の中のすべての電算機が一斉に壊れない限り、データは半永久的に存続し続ける。例えるなら……そうね、フィルムがなくても無限に焼き増しできる写真ってとこかしら」
インターネットやクラウドなど、この世界ではまだ実用化されていない概念を持ち出さずに、依実はなんとか彼らにもわかりやすい説明に努めた。
「なるほど、フィルムがなくても焼き増しできる写真か……さすがヨミ・ハヌム、わかりやすい例えだ」
「シェリザード、食べながらしゃべらない。そのデジカル化ってやつ、すぐにできるものかしら」
「はい。マイクロフィッシュを作るよりもずっと簡単なので、設備を持って来ればすぐにでもできるが、元の文献の保存状態にもよるので、それも含めて今回の調査で確認させていただきたい」
朝食後、依実はシェリザードたちに大書庫の中をじっくり案内してもらった。
「……大書庫の詳しい起源は残念ながらはっきりとわかっていないが、遅くとも共通歴前6世紀にすでにこの地で文献の収集を行っている記録が残されているため、千年の歴史を持つと言われている。現在の大書庫の建物は3世紀初期に、この地を治めていたアルワーム帝国のセズギン・パシャが当書庫の活動に感銘を受け、彼の全面協力のもとで建てられた。そのためパシャの功績を称えようと、当初大書庫の入り口ロビーに彼の胸像が置かれていた」
「『当初』ってことは、今はもうないの?」
「はい。帝国が崩壊してコード人とマシュリク人の国に分かれた後、セズギン・パシャがこの地でマシュリク人への虐殺を行っていたことが発覚し、大変な論争になった。像を撤去すべきだという意見も多い中、当時の理事会はそれも歴史の一環として、ただ単に臭いものに蓋をするのではなくきちんと後世に伝える必要があると、像を入り口ロビーから今の展示室の隅に移動して、経緯を説明するキャプションを付けてあくまで展示品の一つとして扱った」
「なるほど、複雑な事情があるのね」
「なにせ近代まで民族紛争の多い地域なもので、時に小さな言動でも大きな問題を起こしかねない。もっとも、彫像どころか大書庫そのものもセズギン・パシャ、ひいてはアルワーム帝国の忌々しい負の遺産だから取り壊すべきだと、今でも抗議の投書が年に数件来るけどね」
「大書庫の歴史がそんな帝国なんかよりもずっと長いのにね。まったく浅はかな連中だ」
依実はその歴史上の人物をかたどったくすんだ色の銅像を見上げながら至極真っ当な感想を述べた。
「ヨミ・ハヌムにそう言っていただけると実にありがたい。まあこのアインタイーブも元はと言えばマシュリク人が作った街なので、彼らの言い分はわからなくもないが」
「だから
「……恐れ入った。ヨミ・ハヌムはコード語だけでなくマシュリク語までご堪能だとは」
「まあこんな仕事だしね。この奥が最後の展示室?」
依実はさらりとシェリザードのおだてを流し、さらに奥へと進んで行った。
「はい、ここには当書庫の所蔵品の中でももっとも古い年代のものが展示されている」
照明が薄暗いその広くない部屋に入ると、依実はすぐ部屋の中央に鎮座する小さなガラスのショーケースに目を奪われた。
「これがあの『三日月物語』に登場する有名な『ラスシャマルの水晶』か?」
「ええ、よくご存知で! まあ巷ではこれがあの伝説の中でアマル王女が持つ水晶だとよく言われているが、実際に文献などの証拠が一緒に出土したわけではないので、あくまで民間伝承の域を出ない」
「なんだ、結局わからないんだ。年代測定とかは?」
「いえ、たとえ伝承が本当だとしても、大切な文物に傷をつけるわけにもいかないので、お恥ずかしいながらそういった科学鑑定は実はまだやったことが……」
「だよね。触ってみてもいい? 手袋するので」
「いや、それはさすがにご遠り…ちょっ、なんだよ」
「もちろん! 構わないよ! いいからいいから、早く鍵を」
依実の要求を一度断ろうとしたシェリザードだったが、後ろから割って入ってきたレイラが「客人の機嫌を損なうな」と言わんばかりに彼に目配せをしてガラスケースの鍵を取りに行かせた。
「すまない、こっちも仕事でね」
依実は白い手袋をはめ、着ているパーカのフードを被った。言われたまま鍵を取ってきたシェリザードはややふて腐れた顔になりながらもケースから宝物を慎重に取り出してくれた。
(
(Rhyolite 7-1、Athanor。了解。
依実はシェリザードの手から丁重にその透明な宝石を受け取り、まるで赤ん坊を抱くように左手でしっかりと抱え、右手をそっとその上に置いた。隣に立つシェリザードとレイラの視線を感じながらも、彼女は目をつむった。
(Rhyolite 7-1、
自分から触りたいと申し出たのに、なぜ手にした途端逆に目をつむるのかと彼らは怪しんでいるだろうが、今はそんなことに気にする余裕はない。伝説の宝物ラスシャマルの水晶とされるものの実物に触れられるのは恐らくこれが唯一の機会なのだから、依実は手の中のその重みに意識を集中させた。
(対象物"Hourglass"は長さ15.8cm、直径6.2cm、重さ約948g、無色透明の六角錐柱。構成物質の99.992%が二酸化珪素、純度の高い石英であることに間違いはない)
(Rhyolite 7-1、Athanor 1 Actual。水晶の表面の様子は? もっと詳しく教えて!)
「Athanor 1 Actual」というコールサインは、すなわち文明局アーカイブ部の部長本人である。一士官候補生に過ぎない自分とCOSの任務管制との通信に真嶋少将の声がいきなり割り込んできたことは、ラスシャマルの水晶のことがよほど気になっているのだろう。事前に天音お姉さんから聞いていなければびっくりさせられるところだった。
(はい。表面には何らかの工具によるものと思わる微細な切削痕や研磨痕を多数確認できる。人為的な加工が施されたことを推測できる)
(なるほど。人工物であることは確かなんだな。それで製作年代に関する手がかりは?)
(不対電子の数を測れば年代はわかるが、それはあくまでこの鉱物ができた年代であって人間が手を加えた年代ではない。あとは加工の痕跡から使われた工具や技術水準を推測したりするかな。詳細なスキャンデータはすべてアップロードしたので、あとのことは分析記録課に聞いていただければ……)
(了解。ありがと~! あとの仕事も気をつけてがんばってね~)
精密スキャンを終えた依実は再び目を開け、持っていた水晶をシェリザードに返した。
「ありがとう。とてもきれいな石英だわ」
「……もう大丈夫なの? せっかくなのでもっとゆっくり見ていただいても構わないのに」
レイラがたまらず自分にそう聞いた。彼らの目には自分がただ目をつむったまま数秒間水晶を懐に抱きかかえただけに見えたのだから、困惑するのも無理はない。
「ええ、確認したいことはもうできたので」
依実は頭に被っていたフードを下ろし、またきれいな黒い髪を服の中から出した。