火と玻璃の海の向こう   作:KenRB

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CE 401年12月19日 1216 ACT

地球 アルヤ共和国 美津山州青岡郡洗山

 

 救援部隊が戻ってきたのを聞き、オレクサンドル・イーシェンコ少佐は急いでヘルメットを被り、大隊KPから出て町の外れに向かった。そこでちょうど一人敵兵の捕虜が軍用トラックの荷台から引きずり降ろされるのを見た。捕虜の左足には血のにじんだ包帯がくるくると巻かれ一人では歩行できない様子で、二人の兵士に担がれながら連行されていった。近づいてみると、そのエヴァンゲリカ兵は顔面蒼白でされるがままの放心状態だったにもかかわらず、顔にはなぜか不気味な笑みを浮かべていて、見ているこちらの方がぞっとした。もう一台のトラックには死体が何体も積まれていた。暮川綴美の乗るBTRから救援要請が出た時からずっと続いていた胸騒ぎが治まるどころか、むしろ不安が増す一方だった。

同志少佐(タヴァーリシ・マヨル)、捕虜を連隊本部に連行してよろしいか」

 救援部隊の指揮を取っていた小隊長が彼に指示を伺った。

「ああ、そうしてくれ。ところで乙女(ディヴィツァ)は見なかったか」

 とにかく早くこの人だかりの中からあの子の姿を見つけないと彼は落ち着けない。

我らが乙女(ナシャ・ディヴィツァ)ならあそこに」

 少尉の指し示した方向に目を向くと、自分が探していった少女がBTRの前に立っていた。

「ツヅミ! 無事か!? けがは?」

「ん? あ、イーシェンコ少佐。ええ、こちらの損害はない。まあ、BTR(ベーテーエル)を溝から引っ張り出すのがちょっと手間かかったが」

 土だらけのBTRを指差す女の子の元気な姿を確認したオレクは、やっと胸を撫で下ろすことができた。

「そうか、それはよかった。敵の斥候……と言ってたな?」

「ああ、敵が隠れていた草むらにたまたまBTRが突っ込んだ。すごい偶然だった。こちらは人数が不利だったが、幸い向こうも予想外だったみたいで逃げるだけで反撃してこなかった」

「じゃあ救援要請を出したのは……」

「ええ、もう全部片付いたあとよ。だからトラックを呼んだ。そんな一個小隊の援軍が来るとは……」

「……まったく、いつも無茶しやがって」

 自分が想像していたよりもさらに危険な状況だったらしく、オレクは肝を冷やした。二人はしばらくエヴァンゲリカ兵の死体がトラックの荷台から下ろされるのを一緒に見守った。

「やつらは動員兵(プリズヴニキ)じゃない、本物のエヴァンゲリカ兵(イヴァンツィ)だ」

 兵士たちが敵兵の被っていた偽装服を剥ぎ取り、頭の向きをそろえて地面に並べているのを見ながら、オレクは突然綴美にそう言われた。

「なんだと……」

 彼は思わず眉をひそめた。この美津山州の戦線は敵にとって北の碧流と南の呉江ほど重要ではないためか、今まで対峙してきた敵軍の部隊はほとんどクヤニア諸国の動員兵で構成され、せいぜい指揮官クラスがエヴァンゲリカ人士官だ。オレクは地面に並べられ検分を待つ死体らに近寄り、一人一人の顔を確認した。綴美の言う通り、彼らは全員白人だ。

「残念ながら敵の通信兵は無線機ごと轢き潰してしまった。死体らもあさったけど案の定なにも出てこない。逃がしたらまずいと思って、捕虜も一人しか取れなかった」

「いやいや、あの状況で一人でも生け捕りにできたらすごいことだよ。安心しろ、捕虜は治療してもらったら今日中にも師団本部に後送して、取り調べを受けさせる」

「まあ、やつらは狂信者だ。捕まえた時も手榴弾で自爆しようとしたから、そう簡単に口を割らんだろう。期待はしないでおこう。それよりもやつらがここにいること自体、ちょっと妙だと思わないか?」

「ああ……えっ、今なんと!?」

「ん? だから自殺されんように注意したほうがいいと……」

「じゃなくて、今自爆だと……?」

「おお、気づいてすぐ取り上げたから」

 綴美はポケットから一発のエヴァンゲリカ軍制式のMk 3パイナップル型手榴弾を取り出して見せてくれた。

「なんて無茶な……」

 オレクはことばを失いかけた。この少女の小さな体にいったいどれほどの勇気が秘められているのか、自分はいつも驚かされてばかりだ。

「……わかった、護送の兵士たちには細心の注意を払わせるよ。君の言うように、ここに来てエヴァンゲリカ人だけの精鋭部隊を投入してくるとは、敵にとってこの美津山州の戦線も重要度が上がってきたと考えたほうがいいのか。しかし解せないな……我々の後ろには山しかない。占領地域の拡大ならともかく、そんな精鋭な部隊を出してまで攻め落としたい重要な目標があるわけでもないのに……」

「それだけじゃない。やつらは誰にも気づかれずに味方陣地のすぐそこまで来ていることが異常だ。道案内をどうやってできたのか」

「……内通者がいる、とでも言いたいのか?」

 考えたくない最悪な可能性が頭をよぎった。開戦直後の地獄を共に戦ってきた仲間たちは信頼している。しかし新たに来た補充兵たちは?

「いえ、そこまでは言ってない。ただ不気味だ。用心するに越したことはない」

 綴美は身長的に自分の肩に届くのが難しいので、代わりに背中をトントンと叩いてくれた。彼女がこのような可憐な少女の姿をしていなければ、ただの一人の頼もしい「戦友」だと思えたのに。

「わかった、大隊長にも伝えておくよ。君たち独立中隊も気をつけろよ」

「はっは、ここにいたか、我らが乙女よ! 兵士たちから聞いたぞ、一人で敵兵10人をやっつけたって?」

 後ろから男の豪放な笑い声が聞こえて、振り返れば大隊長のアレクセイ・アンドロソフ中佐もこちらに来ていた。

「話盛りすぎ。敵は8人いた。BTRで一人を轢いて、一人を生け捕りにしたから、倒したのは6人よ」

「それでも十分英雄的行為だ! 勲章を申請しとくよ」

「やめてくれ。これ以上兵站への負担を増やしたくない」

 残念なことに称えられている本人がまったく乗り気ではない様子で、むしろ呆れた顔で手を振った。

「それはいかん。軍隊というのは信賞必罰だ。戦功を上げた者にはちゃんと褒賞を与えねば示しがつかん、これは士気にも関わる問題だ。ははは、なあに、君宛のファンレターが何通か増えたところで大したことはないさ。あそうだオレク、敵兵の死体もできるだけ詳細に検分してから一緒に師団本部へ送ってくれ。この気温だしすぐには腐らんだろう。全員エヴァンゲリカ人だって? 新しい師団長殿にも敵の顔を見せてやれ」

はっ()! 実は今ちょうどお嬢さん(ジェヴシュカ)とその話を……」

 アンドロソフ中佐の言う「新しい師団長殿」とは彼ら第233連隊が所属する第81自動車化狙撃師団の師団長プリーシュヴィン少将のことだ。「新しい」といっても、戦死した前師団長に代わり急遽補任されてもう3ヶ月以上たつ。本人は決して無能な人物だとは思わないが、なにせ肌が白く眼鏡をかけているそのいかにもインテリ然とした風貌と、着任した時は開戦初頭の過酷な戦いがすでに一段落し、戦況が膠着する陣地戦に変わっていることも相まって、中佐たち修羅場をくぐってきた前線の指揮官らからはどうしても「戦闘を見たことのない中央からの軍官僚」に見られてしまうようだ。

「それじゃ、私はもうそろそろ隊に戻るので、あとはよろしく」

 自分が中佐と話し込んでいると、綴美がそう言って帰ろうとした。

「敵がまだうろついてる可能性もあるから、護衛をつけるよ」

 オレクは慌てて彼女を呼び止めた。

「大丈夫。迎えはもう呼んであるので、途中で落ち合う手はずになってる。敵の斥候も恐らくこの1個分隊だけなはずがない。その兵力は掃討作戦に割いたほうがいい」

「おお、任せろ! 狡猾な狼どもは一匹残らず駆除してやる!」

 アンドロソフ中佐は拳を握り相手を絞め殺すかのようなジェスチャーをして見せた。

「ああ、そうしてくれ」

 綴美が一度手を上げるとこちらに背を向けた。少女は着ているパーカをその長い髪の上から羽織っているせいで、彼女が頭を動かす度に首元から艶のある黒い髪の毛が湧き水のようにするりと溢れ出て、この息が詰まる戦場に似つかわしくない色気を醸し出している。

 妻や娘の顔を最後に見たのはいつのことだ。一瞬だけだけれども、オレクの思いは数千キロ離れた故郷に飛んだ。

 

 イーシェンコ少佐とアンドロソフ中佐たちと別れた暮川綴美は一人町の南に出た。

 冬の風は冷たいが、日向はまだほっこりしている。アスファルトの路面に空いた砲弾の穴が土で雑に埋められ、赤錆だらけになっている敵軍車両の残骸が無造作に道端に押しのけられていることを除けば、どこにでもある田舎町の怠惰の昼下がりだ。彼女は冷たく乾燥した空気を一息吸い込むと、さっきイーシェンコ少佐との会話を頭の中で反芻した。

 彼の言うように、この美津山州において戦略的価値のある海沿いの港街はすでに敵の占領下にある。内陸部はほとんど山で、重要な軍事施設も人口の多い大都市もなく、敵にとって他の戦線と比べれば優先度が低いはずだ。にもかかわらずこのタイミングでエヴァンゲリカ人だけの精鋭部隊を投入してまで攻勢を強化しようとした。敵の狙いは全土の占領か、それともここにいる同盟軍部隊の撃滅か。考えうる理由はこの二つしかない。もし敵の目的は特定の同盟軍部隊、たとえば自分たち「鉄の乙女」中隊の壊滅だとしたら?

 イーシェンコ少佐には言わなかったが、あの捕虜は自分のことを知っていた。確かに自分の存在は同盟のプロパガンダに載って西側諸国に知れ渡っているので、エヴァンゲリカ側も当然それを認知しているはずだ。敵としてプロパガンダの素材になっている「鉄の乙女」中隊を壊滅させ、同盟軍の士気を削ぐことを目論んでも不思議ではないが、たった一個中隊相手にこの態勢は大げさにも思える。いや、本当に大げさなのか。山豊島にいた時から、自分たちは少ない兵力ですでに何体も天使を撃破している。自分が普通の人間と違うことに敵が気づいているのか? そんなはずはない。しかし断言もできない。たとえ敵の標的が本当に「鉄の乙女」中隊だとしても、誰も助けてくれやしない。偶像は生きている必要はない。核攻撃を受けたアルヤ諸島の惨状を見た自分たちは戦って戦って死んでくれたほうが、同盟軍の上層部にとってむしろ都合が良いのだ。

 だから、なにが起こっても彼女のやることに変わりはない。敵軍をすべて海に追い落とすまで、戦いをやめることは決してない。これはもちろんCOSからの任務ではない。彼女自身の私怨だ。

 綴美は足を止め、町の入口近くに立つ道路案内標識を見上げた。青い看板に白い文字で書かれていた三方向の行き先が、誰かにわざわざ敵のことばで「FUCK YOU」「FUCK YOU AGAIN」「FUCK YOU ALL」とそれぞれ貼り替えられている。下品なことばだが、自分はそのセンスが気に入っている。一ヶ月ちょっと前にこの洗山の町を解放した時、小銃を背負う自分がこの案内板の下に立っていたところを従軍カメラマンに写真を撮られ、それがアルヤ国民の不屈の抵抗の象徴として西側諸国の雑誌に載せられ、またもや大反響を呼んだそうだ。少なくとも同盟事務局広報局の人間からはそう言われている。

 山谷(やまたに)大尉らの部隊と山豊島から生還したあと、同盟軍の指揮下にとどまり戦い続けることを選んだ彼女のことを同盟の広報部門が「鉄の乙女」と名付けて大々的に戦意高揚のためのプロパガンダに利用した。もし戦争が起こらずそのまま高校生活を続けていたら、いつか暮川天音お姉さんみたいに有名なミュージシャンになることも夢見ていたが、まさかこのような形で世界的有名になってしまったとは、運命のいたずらにもほどがある。あれから彼女宛の手紙や慰問品が世界各国からひっきりなしに舞い込むようになった。それでも少しは部隊の補給の足しになればと思うとそんなに悪いことでもない。だが荷物の数が増えすぎると今度はエヴァンゲリカのシンパからと思われる銃弾や毒物入りの脅迫状などの不審物も届き始め、安全を理由に彼女宛の郵便物はすべて同盟の広報局で一度検査を受けることとなった。手紙も彼女は最初こそ律儀に全部目を通していたが、広報局の検閲を経て月に「厳選された」数通のみが彼女の元に届けられる方式に改められてから、それを読む気も俄然失せてしまった。

 そんな中でも、彼女にとってとりわけ印象深かった手紙が一通だけあった。エレナという名の、ストラヤ連邦在住の6歳の女の子からのものだ。武運長久だの、憎き敵をやっつけろだの、自分の代わりに敵討ちしてくれだのといった、彼女にさらなる戦果を求める殺気立つ内容の手紙も多い中、その子はただただ綴美と隊員たちの健康と安全を祈った。手紙の中にはさらに一羽の折り鶴も同封されていた。がんばって折り方を習っただろう。

 その折り鶴は手紙と共に今でも綴美のデイパックの中に大事にしまってある。彼女は特にわけもなくデイパックの内ポケットからその折り鶴を取り出してみた。ピンク色の色紙できれいに折られた鶴は冬の日差しの下で彼女の手のひらに羽を伸ばした。

 こんな取るに足らないちっぽけな紙切れになぜこだわるのか、自分にもよくわからない。自分がなまじ世界的有名人になったおかげで、COSも下手に自分に任務を出すことができなくなった。今の自分を縛るものはなにもない。まるで鳥のように自由だ。人間と共に戦い続けることを選んだ自分の行動をCOSや政策部がどう見ているか、知ったことではない。自分は今、第2総軍の士官候補生でも、COSの特務員でもなく、クレカワツヅミという一人の人間として確かにこの世界を生きている。しかもあろうことか、ヒトと違って自分は病気やけが、死ぬことさえも恐れる必要はない。人を殺すことも、エヴァンゲリカと戦うことも、やることなすことすべてが自分の思うがままだ。

 しかし、この仮初めの自由もいつまで続くことはないと、綴美は知っている。汎用素体である自分は死ぬことがなくとも、世間から見たクレカワツヅミという人間は殺すことができる。たとえば「鉄の乙女」中隊が敵の圧倒的な戦力の前に敗北し全滅させられたという、普通の人間ならまず生還できないであろう状況ができてしまえば、COSや政策部も難なく自分をこの世界から退場させることができる。故に自分に絶対に失敗は許されない。まだここで終わるわけにはいかない。山谷大尉やイーシェンコ少佐たちのために、あの子たちのために、そしてなにより自分自身のこのやり場のない憤りのために、自分はまだ戦うことをやめるわけにはいかないのだ。

 彼女はそのピンク色の折り鶴を手に握りしめたまま、自分の額に当てた。恐れを知らぬ彼女でも、今やこの会ったこともない小さな女の子の祈りに縋ることしかできないように見えた。

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