(起稿:2024.7.14)
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かくて人々烈しき熱に焼かれて、此等の苦しみを掌る権威を持ち給ふ神の名を涜し、かつ悔い改めずして神に栄光を帰せざりき。
CE 401年4月5日 0746 AIT*1
地球 アルヤ共和国 浪花市手島区
日の光は白いレースカーテン越しに、まだ藺草の香りがする和室の部屋を柔らかく照らした。朝のちょっぴりひんやりとするそよ風が半開きになっている窓を通り抜け、カーテンの裾を小さく踊らせた。窓の外からは出勤したりゴミ出したりする近所の人々の話し声や車の音、カラスの鳴き声が聞こえてきて、賑やかな都会の一日の始まりを告げている。
そんな外界の慌ただしさとはよそに、
細長い四角い鏡に映し出されているは、端整な顔立ちにセミロングストレートの黒髪を持つ十代後半の人間の少女の姿そのものだ。黒い眉と繊細なまつげに飾られたつぶらな目はランダムにまばたきする機能を持ち、小鼻や胸元はリズミカルに膨らましてヒトの呼吸や脈動をシミュレーションすることもできる。体表の体温も、肌の色と質感も、手足の爪も、乳首やへそも、薄い体毛まで、限りなくヒトのそれと同じように再現された。また彼女は長期間人間社会に潜伏する任務が想定されているため、これら基本の外観パーツを加えオプションのコスメティックパッケージも装着されており、下腹部に女性器の外観を模した割れ目といったより精巧な身体的特徴や、皮膚から発汗する機能、さらに採血や放射線といった医学検査に対する欺瞞機能など、あらゆる状況を想定したより高度な偽装も施されている。
鏡の前に立つ彼女は外見こそ人間の女の子と何ら変わりないが、その中身はこの世界の人類では到底想像もつかない超越した科学技術による産物である。彼女の骨格はナノイド非晶質合金フレームであり、筋肉の役割を果たしているのはキャピラリーTフィールドサーボモーターで、そして彼女の皮膚を成しているのはエネルギー転換ナノイド積層装甲だ。これらはすべて軍の次世代艦載戦闘機
第一世代の汎用素体はヒトを模した骨格や筋肉構造を有し、まるで血液を象った赤い循環液を体内に巡らせているのに対して、第二世代はこういった象徴的な要素や非効率的な仕組みを一切排し、純粋な戦闘マシンとしての性能強化に徹底している。にもかかわらず、第一世代に比べ第二世代がより「人間らしい」とされているのは他でもなくその精神的構造にあった。第一世代の汎用素体が搭載する疑似人格データはその身体や外見と関係なく必要に応じて自由に書き換えることができ、言い換えれば肉体というハードウェアにインストールされているだけのソフトウェアにすぎなかった。一方で第二世代は新型ナノイドフレームの特性を活かし機体ごとに固有の人格パターンを持ち、それがハードウェアの肉体とは切り離せないファームウェアのような存在に変わった。人間が成長するのと同じように、第二世代汎用素体の人格データも機体の稼働を通して経験の蓄積などにより変化し、一人一人違う「個性」をもたらした。
本物のヒトが軍から姿を消して久しいこの時代、科学技術の進歩の停滞や軍組織の硬直化を防ぐためにも、軍を構成する汎用素体に人間らしく個性を持たせることが優先的な課題となっていた。そんな中、
・TAHM-2に準拠した最新技術の導入による汎用素体のアーキテクチャーを一からの再構築
・第一世代ではなし得なかったヒトと同様の真の「個性」の獲得
・
と新世代の汎用素体の開発に際して掲げられたこの三つの目標、どれを取っても軍の将来を左右しかねない重大な課題なのに、それをたった一つの機体でほぼすべてを実現した開発プロジェクトチームの素晴らしい大仕事は最大限の賛辞に値すると言えよう。が、その対価も決して小さくはない。第二世代型汎用素体の生産コストは自身の10倍の高さもあるTAHM-2よりも数倍高いと言われ*2、第二世代の各モデルは一旦正式に採用されてはいるものの、いまだに低率生産しか認められず、毎回最小限ロットでの調達を余儀なくされている。
このような数あるハードルを乗り越えてようやく、彼女は一人の人間として今ここに立っている。唯一無二の自我を持ち、喜怒哀楽を感じ、そして学習や経験を通して成長していく。彼女は間違いなく「人間」そのものだ。親から生まれた生身の体ではなく、軍の工場で作られた人工の体を持つ、という点さえ除けば。
型式番号「U-1B」。シリアルナンバー「0000 0001」。固有名「暮川綴美」。
数字が示す通り、彼女は第二世代型汎用素体U-1Bの1号機である。U-1Bとは基本型となるU-1からの派生型で、主に人事部
身長155cm。体重60kg。同じ体型のヒトと比べ明らかに体重が重いが、体の骨格であるフレームが金属製であることと、コスメティックパッケージ分の重量増加があるため、質量という物理的性質だけはごまかしようがない。健康診断で体重測定する時は体重計の方を操作することでなんとか乗り切っている。
姿見で自分の外見や体の状態を一通り確認し終えた綴美は一旦鏡から目を逸らし、床に無造作に置かれていた衣類を拾い上げ一枚ずつ着用し始めた。
白いブラジャー。
白いパンツ。
白いキャミソール。
ダークグレーのスパッツ。
これらは全部軍の支給品なので、特に言うことはない。
しかしこれから入学する予定の南手島高校の制服は初めて着るタイプの服で、少し戸惑うことになった。
紺色のプリーツスカート。
ポケットがなければどちらが前か後ろかわからなかった。そもそもポケットがなぜか片方しか付いていなかった。
紺色に白いラインが入ったセーラー服。
着る時頭から被る必要があり、さらに胸元で三角タイを結ばないといかず、とにかく面倒であった。
(変な服……)
そう思いながら、彼女は鏡を見ながらなんとかスカーフをきれいに整えることができた。
続いて床に座り白いハイソックスを履いてから、シンプルなデザインの腕時計を左手首の内側に着けた。
最後に、机の上に置いた眼鏡を手に取った。
度が入っていないいわゆる伊達眼鏡。
汎用素体は当然ヒトのように視力を矯正する必要がないが、これはいわば自分と同じ容姿を持つ双子の妹、2号機の
細いチタン合金のフルリムのスクエア型の眼鏡はこの世界ではなかなか前衛的なデザインになってしまうが、まあこれくらいは許されるだろう。
テンプルを開き、顔にかけた。
これで完成。
鏡の前でくるっと一周を回って、着こなしに問題がないことを確認した。
「…よしっ」
自分に気合を入れるかのように小さく声を出した後、彼女は部屋の窓辺に移動してレースカーテンを開けた。これから数年間の住居になるだろうこの部屋は手島駅の南東側に建つそこそこ高級そうな高層マンションの5階にある。駅前の幹線道路から南へ一本入った裏通りという立地で、南向きの部屋の窓からは
汎用素体は製造時に必要な知識をあらかじめ一通りインプットされているが、生きた実践や経験は代替できるものではなく、実際に配備されるまで生身の人間と同じく学校といった教育機関を通う必要がある。ただし軍の場合は人間の軍隊と違って、下士官兵と士官の区別なく全員が人事部の所轄する軍務学校での教育課程を経て、そこで選択するコースや個々の適性によって最初の配属先が決まる。そして教育課程の最後に、軍の保護対象である人類の特性を理解したりその生活や文化を体験したりするために、全員がCOSでの一定期間の実習を課せられている。実習の期間はそれぞれのカリキュラムに応じて数ヶ月から数年間と幅があるが、彼女たちU-1B型の場合、機種の特性上最初から広報省の行政士官コースに内定されており、その実習期間も一番長い年単位のものになる。彼女たちの外見年齢にふさわしく、人間社会での高校生活を一通り体験するには十分な時間だ。
しかし、前の世界ではそれがかなわなかった。彼女たちのCOS実習が控えているタイミングで、
彼女たちが再び目を覚ましたのはここ、CUCE 1.4*4宇宙に来てからのことだ。広報省が通常の手順通り地球圏に展開後、地球の環境や人類の文明レベル、世界情勢などについて初歩的な調査を行い、その後二十年ほどをかけて地球上で活動する下準備を整えた。現在の人間社会がおおむね平和であることを確認した上で、延期され続けてきた彼女たちのCOS実習はようやく再開が認められた。
そして今日がいよいよ高校の入学式の日だ。これから通う学校で、歩く街で、どんなことに遭遇するだろうか。どんな人に出会えるだろうか。今まで先輩たちの話でしか聞くことのできなかった人間社会での生活を、今度は自分自身で体験する番になるのだ。待ちに待ったCOS実習が本当に始まる。未来への夢や希望に満ちている乙女たちは胸を躍らせずにいられるだろうか。
彼女は窓の外の空気を胸いっぱいに吸い込んで、しばらくこの真新しい世界の光を浴び続けた。
二
-灰色の夏-
CE 401年12月25日 1229 ACT*5
地球 アルヤ共和国 美津山州青岡郡安岡
軍用トラックの助手席から降りたオレクサンドル・イーシェンコ少佐は、道端の倒れた木の幹に腰をかける
「よう、イーシェンコの旦那! 久しぶりだな! お嬢さんになにか用か?」
大尉はたばこを挟んだ手を振りかざして挨拶をしてくれた。どうやら昼食後に一服しているところだ。
階級は自分が上だが、山谷大尉のほうが自分より十歳近く年上だからか、いつもタメ口を聞いてくる。ロストフ軍の指揮下に入らざるを得なかったことへのせめてものささやかな抵抗を、兵たちの前で示したかったかもしれない。もっとも自分もアルヤ人ではないので、ことさら大尉の話し方を失礼に感じることもなく、むしろこうしてなんでもフランクにしゃべってくれたほうが楽だ。
「おーい、
自分がうなずくと、大尉は振り返り後ろの雑木林に向かってこう叫んだ。
「予定通り日没までには戻ると! そのあとはまだなにも!」
林の中から迫田
「だそうだ。どうします? 待ちますか?」
「いいえ、そこまで時間がないので、とりあえず荷下ろしが終わるまで。クレカワお嬢さんが注文した品物は一応全部揃えたはずだ」
「おお、それはありがたい。このままじゃ冬服もままならなくてね、本当に助かった。礼を言う」
山谷大尉から渡されたたばこを受け取り、大尉の隣に腰を下ろすと、火までつけてくれた。
「お嬢さんはまた偵察ですか? 独立中隊はまた打って出るのか?」
「ええ、いつもの偵察だ。ただ次の作戦はまだ決まってない。敵の斥候部隊の話もあるので、あんまり一箇所に長居はできない。この野営地も明日で引き上げだ」
「そうですか。ここ最近敵になにか変わった動きは?」
「いや、目に見える変化は、特になにも……お嬢さんがやったあの敵の斥候の話、確かに妙ではあるが、我々が実際に遭遇したわけではないのでなんとも……本隊のほうこそ、なにか新しい情報はないのか?」
「いえ……あのあとすぐにクレカワさんの言う通りに掃討作戦を行って、同じ斥候部隊らしき数組の敵を発見したが、どれも最後に残ったやつが自決して、結局捕虜は彼女が最初に取った一人だけだ。そいつが今第5軍司令部で尋問されているが、いまだに口を割らないそうだ」
「お嬢さんの言った通りだな。まあ、敵さんの意図がわかったところで、俺たちのやることになんら変わりはないさ」
大尉は一度たばこの灰を落とし、また口に戻した。
護衛という名目で輸送部隊に同行してここ「
オレクはもう一口たばこを吹かすと、意を決して相手に話しかけた。
「そういえば前から聞きたかったのですが、ヤマタニ大尉たちはどうしてクレカワさんと一緒になったんですか?」
「そう来たか……いやあ、
山谷大尉は驚きの表情を見せたが、拒否反応とまでは示していないようだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「それは……だって、クレカワさん、あんな育ちの良い若いお嬢さんのはずなのに、本物の軍人以上に有能というか……だから、あそこでなにがあったのかは、気になります」
オレクはこれまで自分が感じていたもやもやとしたものを思い切り吐き出してみせた。山谷大尉たちアルヤの残存兵は国こそ違えど、共に緒戦の地獄をくぐり抜けたという意味ではまごうことなき戦友だ。少なくとも最近送り込まれた右も左もわからない補充兵たちよりはよほど信頼が置ける。だからこそ彼らのことも、暮川綴美のことも含めて、もっと知らねばと思った。
「まあ、そうなるよな。少佐殿は正しい。はっきり言って、暮川お嬢さんは俺の知ってるどの兵よりも強い。あんな年端もいかないお淑やかなお嬢様が顔色一つ変えずに敵を屠っている。漫画じゃないんだから、はたから見ればおかしいのはわかる。それが普通の反応だ。俺だってそう思う。だけど仕方がなかったんだ。あの時お嬢さんに、彼女に頼ってしまった。頼るしかなかった。あそこで起きたことはそれだけ異常なことだ。彼女に比べれば、俺たちは情けないほどの腰抜け野郎だ……まあ、実に恥ずかしい話だけど、イーシェンコさんになら話してもいいと思う」
大尉のことばに、言い出しっぺの自分が思わず唾を飲み込んだ。このごつい岩のような武人をここまで言わせた山豊島での経験は一体どんなに過酷なものか、想像もつかない。
「……お願いします」
たばこの青い煙がゆらゆらと冬空へと登っていくのを見ながら、山谷大尉はゆっくりと口を開いた。
「ええ、あれは忘れもしないよ」