◆男嫌いのサメ姫は、愛の言葉を信じない◆   作:タナゴコロ

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*幕間*浪漫と時間を天秤に。

 

 

 海は万物の命においての母であることは、この世の理として誰もが知っていることである。どの命も原初は海から這い出して陸に広がり満ちたのだ。

 

 故に陸の人間がいくら繁栄しようが、文明の発達と共に自然界に対して驕りを持とうが、母なる海なくしては何も得ることが出来ない。

 

 しかし、大抵の動植物が海から陸に様々なものを持ち出すことに成功したが、中でも唯一持ち出せなかったものがある。

 

 それは“魔力”と呼ばれる命の澱。万物の命を生み出した海に溶け込むその澱だけは、陸のどの生物も海から持ち出すことは出来なかった。海に溶け出した“魔力”は海の表面を僅かに漂うことはあっても、より純度の高い“魔力”は重く、幾千、幾万の歳月をかけて海底に降り積もっていく。

 

 陸には決してないその存在に気付くものは多くはおらず、時折“海底から陸に上がる変わり者”だけがその存在を持ち出すことが出来たが、その者達は何故か一様にその存在を広めることはしなかった。

 

 ――そのお陰か陸の生物が“魔力”の存在を知ることは、今に至るまで一度もない。

 

 さて、それはそれとして、どれだけ上に立つ者が明るい統治を目指していても、どうしたって出来るのが裏通り。このザヴィニア国もその例に漏れず、市場の端の胡散臭い店が建ち並ぶ界隈を有している。

 

 時にいけないお薬や突飛な噂が広まってしまう仄暗い裏通りは、いつでも騎士団と大の仲良し。時折大きな捕り物が起こることもあるので、ある意味お祭り騒ぎな日が多いのだ。

 

 そんな色々と怪しい店が軒を並べるその一角でも、店主が度々どこかへ消えては新たに違う店主が居座るという、一風変わった占い屋があった。

 

 一応血縁者が継いでいるという噂ではあるものの、毎回それまでの店主と毛色が全く異なっているので、それが本当のことなのかは裏通りの人間ですら誰も知らない。しかし的中率は相当なものであるらしく、他国の貴い身分の人間なども利用することがあるそうだ。

 

 その店ではいつも不思議な匂いのする紫色の煙を上げる香が、細くドアの隙間から漏れ出していた。噂ではその煙を吸った者は、店を出る時には何故その店を訪れたのかすら忘れてしまうらしい。

 

 だからこそ、店の古びたドアにかけられた札には掠れた文字で【絶対安全、秘密厳守のお店です!】と書かれてある。……この札を見て入る勇気のある人間は、余程切羽詰まった状況に置かれているに違いない。

 

 したがって当然というのか、余程追いつめられた人間が少なければ訪れる客がほとんどいないのも納得だ。

 

 けれど今日は珍しくそんな怪しい札が裏返されており、来客中である旨が告げられていた。

 

「むかーしむかーし世話になった旧友の為に、ご注文通りあの娘はうちから追い出したがな、お陰でこの三週間わたしの片腕が腑抜けちまったぞ。どうしてくれる?」

 

 紫煙が充満する中で発せられた声は、低く張りのある男のものだ。飄々とした中に食えない人間性が滲んでいる。だからだろうか。言葉の内容ほどには困っていないのか、その声にはどことなく面白がる雰囲気が漂っていた。

 

「どうするも、こうするも、そんなことはアタシの知ったことじゃあないよ。あの小娘と小僧に支払いに見合わない仕事をさせられて、こっちは商売上がったりだ。こうなりゃ小僧の方からも代価をもらうべきだったね!」

 

 男の言葉にそう返す声は、鈴を転がすような可愛らしいものであるのに、随分と内容が黒い。それに紫煙の正体は香ではなく、水煙草の煙だった。ゆらゆらと煙草をくゆらせる声の主は、真っ赤な髪を持った気の強そうな少女……いや、幼女だ。

 

「まあまあ、そう言いなさんな。その二人の身許は今うちの領地預かりだ。騎士団と接点のなくなったあの娘にはどうしたって見つけられんよ。それよりもお前さん……その姿で煙草をやるのは感心せんなぁ?」

 

「はん、感心だって? よく言うよ。海底にいた頃はとんでもない悪童だったくせに、いつの間にそんな腑抜けたことを言うようになったんだい」

 

「はっはっ、こう見えても今は騎士団の団長様だ。子供が健康に悪いものを吸っているのを黙って見ているわけにはいかんのさ」

 

 言うが早いか、赤髪の幼女の手から水煙草の吸い口を取り上げた男は、それを一口深く吸い込んで、フーッと宙に紫煙を吐き出した。

 

 自ら吐き出したわけではない煙は煩わしいのか、幼女が眉間に皺を刻んで紫煙を追い払う姿を眺めながらうっすらと笑う男の唇の端からは、やや鋭い犬歯が覗き、普段部下達に見せる笑みとは違った獰猛そうな気配を纏う。

 

「それにあの小僧は次の玉座に座る貴い方だ。お前さんに身体の一部をコピーでもされたら、玉座に座った時に隠し子騒動になるやも知れん。わたしとしては人間の王など知ったこっちゃあないが、愛しい妻が暮らす国の王なら話は別だ」

 

 聞く人間が聞いていたなら、即刻お役御免になりそうな発言をする男は、少しも悪びれた風がない。むしろその不遜な態度こそが、この男の本性であるのだろう。

 

「だったら、あの小僧からはアンタと同じように寿命でも頂こうか。人間の寿命はアタシ達と違って短いと聞くけれど、その代わり輝きが違うからね」

 

 男の手から再び吸い口を奪い取った幼女がそう言いながら深く煙を吸い込むと、男はほんの少しだけ飄々としていた表情を固くした。その変化に気付いた幼女が「……アンタも老けたもんだね」とどこか寂しげに鼻で嗤うと、男は「人間の命は儚いものだからな」と唇を歪めた。

 

 母なる海で産まれた者達はその身に“魔力”を宿す為に、陸の生物よりも遥かに長きを生きる者もある。それ故か、時に儚いものに憧れるものが出てくるのだ。

 

 そうして皮肉なことに、ないものに憧れることには海も陸もない。

 

「アンタ、陸の生物になったことを後悔してるのかい?」

 

 さして興味もなさそうに、紫煙を細く吐き出しながら幼女が訊ねたその問いに対して、男は少しも躊躇う素振りを見せずに「いいや」と答えた。

 

 幼女はそんな男の……随分と老けてしまった旧友の答えを聞いて、満足そうに「ああ、馬鹿だねぇ。馬鹿者ばかりだ」と笑う。

 

 男もそんな幼女の姿になってしまった旧友に向かって「馬鹿者ばかりだと、お前さんも商売が繁盛して良いだろう?」と軽口を叩いた。

 

 かつては暗い暗い海の底で、飽きるほど永い時間を嫌われ者同士つるんで遊んだ二人の寿命(じかん)が重なることはもうないけれど。

 

「アンタ達みたいな馬鹿者が言うところの浪漫は、アタシを永遠に美しく保たせてくれる。この姿でならあと数十年は海の底に戻る必要もないから、アンタの葬儀には出席してやるかね」

 

「おうおう、言ってろ。この魔女めが。しかしな、そろそろあの子供騙しな短剣はどうにかしろよ?」

 

「ふん、抜かせ。今回のあの娘みたいな家族愛の重い人魚が、そうそう海底にいるもんかい。今回のことをやり過ごしたらあと数百年は今のままだよ」

 

 そんなやり取りを交わす二人が吐き出す紫煙揺らめく店内を、太古の浪漫がクルリと巡る。

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