◆男嫌いのサメ姫は、愛の言葉を信じない◆   作:タナゴコロ

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*6* 置いてきたもの。

 

 

 店を出てしばらくはオズヴァルトに連れられるまま街中を歩いていたが、段々と家や店がまばらな街外れにさしかかり、ついには街道に出てしまった。よくよく見てみると歩いてきた道は緩やかな傾斜になっていて、今歩いている街道が小高い丘の上に通じているのだと分かる。

 

 のんびりと歩きながら話すのはお互いに大した内容ではない。私からはルカは元気でやっているのか、エレオノーラの店以外では知らないファビオがどうしているのか、他の団員は鍛錬をサボってはいないか。

 

 オズヴァルトはその一つずつに丁寧に答え、代わりに私が今どうしているのかを訊ねてくる。これにはエレオノーラの名前や客の身バレのなさそうな情報を小出しにしながら、酒場の警護をしていると誤魔化す。

 

 正直に話してくれる相手に対して嘘を吐くのは少々後ろめたいが、仕方のないことだ。

 

 それでも歩みを止めないオズヴァルトに並んで話す時間は、今夜海底に戻ろうとしている私にとって、歳の近い武芸仲間としての貴重な時間のように思える。途中で道は三叉路に分かれ、他の街道へと通じる二本道と、さらに丘の上へと続く一本道になった。

 

 オズヴァルトは「こっちだ」と登りの道を指したので、頷き返して丘の頂上へと向かうことにする。そんな感じで二人して緩やかな道を登っていくうちに、海に面した空の方角が徐々に明るさを増してきた。

 

 しかも緩やかに思えていた道の終点は以外と高さがあり、ちょっとした展望台のようだ。実際に今立っている場所から距離が結構離れているが、背後には灯台のようなものも見える。

 

 視線を内湾の線上に沿わせるように辿ってみると、湾に入ってくる入口の崖の上にも小さく灯台の灯りが見えた。

 

 しかし時折強く吹く海風の影響か、塩害に弱い植物はあまり見かけず、周囲に遮るものがあまりないせいもあり、グルリと湾を囲むように扇状に広がる街を一望出来る。

 

 ここの海は王都よりもやや青が濃く深い印象を受ける。自分の故郷の色が地方によって少しずつ違ってくることに感心していたら、隣で同じ様に佇んでいたオズヴァルトがポツリと「この街も、少し変わったな……」と口にした。その声が僅かに含んだ寂し気な気配に気付かないふりをする。

 

 きっとどれほど人種や種族が違っても、こればかりは同じことで。誰しもが故郷を出てからその存在の特別さに気付くのだろう。

 

 しばらくの間はお互いに無言で各々の故郷をぼんやりと見下ろし続けたが、空がはっきりと分かるほど白んできた頃、先に口を開いたのはオズヴァルトだった。

 

「――この場所から見えるあの入江の入口付近で昔、割と規模の大きい海難事故に遭った。それ以来あんなに好きだったはずの海も苦手になって、事故に遭うまでは出来ていたはずのことが出来なくなった」

 

 唐突に始まったオズヴァルトの思い出話に、一瞬だけ隣を見やった。けれどオズヴァルトはそんな私に気付かないのかじっと海の方角に視線を投げている。

 

 恐らくこちらの言葉を待っている訳ではないにしても、何か言わなければならない気がして「泳げなくなったのも、それからか?」と問いかけた。するとそれまでまだどこかぼんやりとしていたオズヴァルトの表情が、はっきりそれと分かる苦笑を浮かべた。

 

「よく分かったな。そうだ。あの事故に遭うまでは上手くはなかったが、それなりに泳げた。今ではもう足が立つ場所でも不安になって無理だがな」

 

「それならやはり……もう海は嫌いになったのか?」

 

「いいや? 嫌いというのとはたぶん違う。ただそれまで隣合わせにあったものが、急に随分遠い存在になってしまったような気分とでも言うのか――……。どう接したら良いのか分からなくなったと言った方が正しいだろうな」

 

 適当な言葉を探した私が苦し紛れに「折り合いのようなものか」と訊ねると、オズヴァルトは「そういうことだ」と笑う。その表情にもっと上手い言葉があったのではないかと思ったものの、下手に言葉を重ねずに次の発言を待つ。

 

 すると案の定、オズヴァルトは今度こそ誰かに聞かせたかったのだろう話題の核心に触れた。

 

「あの事故で俺は父を亡くしたが、数少ない生存者としてここにいる。当時は奇跡だ何だと騒がれたが……あれは奇跡でもなんでもない」

 

「ほぅ、では何だと思うんだ?」

 

「……笑わないと約束するか?」

 

「ああ、あまりおかしなことでもない限りは笑わん」

 

「それはお前の基準でおかしいと感じたら笑うということか?」

 

「そうなるな。無理に聞くつもりはないが、どうする?」

 

 オズヴァルトらしくもない、妙に言質を取ろうとしてくる姿勢に唇を持ち上げないように気をつけつつ、本当は話を聞かせたがっている弟妹達を思い出しながら先を促す。

 

 長年弟妹達の面倒を見てきた経験上、大抵この聞き方をしてくる時は相手に聞かせたがっていることの方が多いのだ。

 

 それでも一瞬だけ考える素振りを挟み、結局「まぁ……これまで散々みっともない姿を見られたお前なら、もう変わらんか」と呟くように前置いてからとんだ衝撃の発言を投下した。

 

「あの事故で海に投げ出された時に俺を助けてくれたのは、神の起こした奇跡ではなかった。お伽話のような話だが……赤い目をした人魚が助けてくれたのだ」

 

「……人魚って……上半身が人で、下半身が魚のあの人魚か?」

 

「ああそうだ。どうした、嘘だと思うなら笑っても構わんぞ? 実際目を覚まして開口一番に“助けてくれた人魚に礼を言いたい”と言ったら、母にも笑われた。尤も、父を失った直後だったので泣き笑いだったがな」

 

 突っ込むべきところが目白押しなのに、気になるところが一カ所に集中している場合というのはどんな反応をすべきなんだ? 流石に察しの悪い私でも過去を遡ればその状況に似通った場面があったことくらい思い出せる。

 

 これが仮に“ただの人魚”であれば、そんな偶然もあるのだと聞き流すことが出来ただろう。人魚は本来かなり好奇心旺盛な生き物で、幼い頃などであればすぐに他の海域にフラフラと泳いでいったり、陸に憧れて海面を目指したりもするからだ。

 

 だが、コイツは今確かに“赤い目”と言った。これはそうそう偶然にあることでもない。それというのもガサツで破壊衝動の強いサメ族とわざわざ番たがる人魚が少ないからだ。

 

 サメ族はサメ族としか番わない。

 

 そうしてこの海域にいるサメ族の人魚は、現在私だけだ。

 

 今日まで知らずにいたことだとはいえ、自分がどれだけ危険な綱渡りをしていたのか遅ればせに気付いたことで血の気が引く気がした。会話の途中で急に黙り込んだ私を覗き込み「やはりお前も嘘だと思うか……」と肩を落とすが、違う、そうじゃないと首を振る。

 

 けれどそんな反応で納得するよりも先に「らしくないと分かってはいるんだ。今のは忘れてくれ」とそっぽを向くオズヴァルト。

 

 どこか寂しげなその背中に向かい「待て待て、拗ねるな。別に馬鹿にしたんじゃない」と声をかけるが、長年この一件で弄られてきたのだろうオズヴァルトは視線を合わせようとしない。

 

 なので、無理矢理視線を合わせてやろうとオズヴァルトの頬を両手で捉え、自分の方へとグッと引き寄せる。

 

「どういうつもりで明かしてくれたのかは知らんが、感心したんだ。夢か現実かはこの際置いておいたとしても、人外の生き物を相手に礼などと……お前の生真面目さは、その頃からの筋金入りだったんだなと。これは馬鹿にしているのではなくお前の美徳だと伝えたいだけだからな?」

 

 素直に感想を伝えたと言うのに、オズヴァルトは少しだけ視線を泳がせてから「もう何とでも言え」と言って脱力してしまった。

 

 そのうなだれた姿を見て、あの時助けた少年はこんな大人になったのかと。そんな当時の自分の無謀さを褒めてやりたいような温かな心地が、キンと頬を凍らせるような冬の朝の胸に広がる。

 

 

***

 

 

 結局半日ほどオズヴァルトと観光を楽しんだ後、夕方には奴の生家の近くまで行くという馬車が出る乗り場まで見送り、そこで別れた。

 

 てっきり夕食は一緒に食べるのだろうと思っていたので、肩透かしを食らった気分だ。急な別れに時間を持て余して早めの夕食を宿屋でとり、客や主人達が寝静まる深夜を待って一日分の宿泊代を置いて宿を出た。

 

 月明かりに照らし出された砂浜に仁王立ち、グングニルを担いだまま怪しげな紫色の小瓶を唇に当てて一息にあおる。苦甘い水薬が喉を滑り落ちて、胃に到達した熱い感覚があった。

 

 それから数分ほどすると、以前にも感じたことのある筋肉の蠢く感覚が下半身に現れ出す。その感覚を確認してから即座に海に浸かって下穿きを脱ぎ、腰の辺りに括り付ける。

 

 冬の海水は容赦なくそこで生まれ育ったはずの私を苛み、歯の根が合わずにカチカチと鳴った。

 

 

 ――コポ、

 

 ――コポコポ、

 

 ――コポポポポ、

 

 

 徐々に塞がっていたエラがゆっくりと開閉する感覚。二本の脚を揃えた状態で海に沈む間に、みるみるその境界線があやふやになったかと思うと、よく見知った人魚にしてはいささかどころでなく醜い尾ヒレが姿を現した。

 

 二本の脚がザラリとした灰色の皮膚に覆われ、筋肉で膨れ上がる。上半身よりも大きい下半身は以前までならあまり気にならなかったのだが……。人間の二本脚に慣れてきていたせいか、肥大化したように見える不格好な尾ひれは、何となく直視出来るようになるまで暇がかかりそうだった。

 

 そこまで観察してから久方ぶりに尾ひれを使って思い切り水をかく。

 

 グンッと上半身を置いて引っ張られそうになる感覚が、陸での生活で眠っていた本能を呼び覚ましていく。やがて肌に感じていた水の冷たさがだんだんと鈍くなり、見上げる水面の月明かりが遠ざかって。瞳は海水に痛むこともなく、微睡みの中にいるような浮遊感があるだけだ。

 

 私は少しの間だけ生ある弟妹達のために母なる海底に戻るけれど、待っていてラフィアナ。クソ親父のしでかした有象無象の面倒事を片付けたら、姉様は必ずお前の仇を取りに再び陸に上がるから。

 

 それまでは首を洗って待っていろ、クソ王子。必ず貴様を見つけ出して……いや、最悪王位継承の儀に間に合わせて必ずお前を仕留めてやるからな。

 

 離れていく月光滲む水面に向かい、私は今一度決意表明の中指を立てた。

 

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