季節は冬の12月になり、グラスワンダーにとって大事な日がやってきた。
それはトレセン学園の受験だ。
この日のためにグラスと一緒にプレイするゲームの中で、日本語でのボイスチャットや電話も増えてきた。
わざわざ言語の違うアメリカから日本の学校に通おうとしているグラスの受験理由を聞いたことがある。
それはアメリカにいると自分を甘やかしてしまうから。それに両親も自分や妹を大事にしすぎて危ないことができないと。
その詳しい内容を聞くと、日本に来たかった理由のひとつに真夜中にランニングをしたかったからだそうだ。
日本だと夜でも女性1人で歩けるほどに治安がいいから、それを楽しみにするのもわかる。
タイキも真夜中に走るのは強く興味を持っていて、実際に走ったときはひどく喜んでは走りながら俺に電話をしてきたくらいだし。
他にも日本の歴史と文化に興味があり、芝のコースでレースをしたいと。(アメリカは芝レースの人気が低いのと、日本のほうがウマ娘レースの人気が高いから)
グラスパパも日本に興味があったから、その影響も強く受けているんだろう。家には和室があるというほどの日本好きなパパさんだし。
そんなグラスはもう日本に来ていて、明日が受験だそうだ。
自分がやるわけじゃないのに、少し緊張してしまって今日のトレーニング指導が若干うまくできなかった。
意識の切り替えが上手にできないのを反省し、夜に家へと帰ってきて夕飯を作る準備をしているとちょうどグラスからスマホへとメッセージが届いていた。
料理を中断し、メッセージのほうを優先する。
グラス:明日、ついに受験です!
マト:応援しているよ
グラス:ありがとうございます。お願いがあるんですが、受験が終わったあとに父と私を連れて観光案内をして欲しいんですけど……
明日か。俺の予定は……ウマ娘たちは自主練と夜のトレーニングをする予定だ。夕方までなら予定が空いているな。
受験前で弱気なのか、元気が欲しいのかはわからないが、案内の約束をしてあげよう。受験のことばかり考えていると、結局は深く考えすぎて寝られずに受験をすることがあるから。
グラスのことだから受験は合格するだろう。筆記は自信あると来日前に言っていたし、実技は何度か送ってくる走る動画で見た感じは良さそうだったし。
見た目では清楚さと弱気っぽさを感じる雰囲気だが、テレビ電話越しで友人として指導をするときは熱心だった。
ゲームを通じて負けず嫌いがとても強いことは知っている。
負けず嫌いだからと言って怒るわけではなく、おだやかな雰囲気で静かに闘志を燃やすタイプだ。
入学したあと、見た目と性格のギャップで担当するトレーナーは苦労しそうだなぁなんて思う。
マト:パパさんがOKを出したら観光をしようか
グラス:もう許可は取っていますよ
グラスの素早い行動で、明日の午後に観光できるイベントが都内に何かないかをスマホで検索をする。
するとデパートで青森観光物産展と観光展を同時にやるイベントがあるのを見つけた。
場所は車だとすぐに行ける距離だ。青森と言われて、すぐに思い浮かぶのはりんごやねぶた祭があるとだけ。
青森についてはよく知らないものの、イベント内容を見ると津軽三味線がやると知って興味を持つ。
マト:青森の物産展や地元の物を販売するのがあるらしいけど
グラス:行きましょう!
マト:わかった。明日の受験は満足できる結果で終わらせるんだぞ
グラス:明日の私は過去最速の記録で走り抜けてきます!!
メッセージ越しでもわかるグラスの興奮っぷり。最速と言うぐらいに気合が入りすぎているから怪我をしないか心配だ。
これ以上、余計に話をして精神を乱すのも嫌だから今のハイテンションを明日の実技試験に持っていって欲しい。
マト:明日はトレーナー室にいるから、試験が終わってひと段落したら連絡してくれ
グラス:はい。試験後にシャワーを浴び終わったらメッセージを送りますね
マト:良いレースを!
これを最後にグラスとのメッセージは終わる。
翌日、俺はウマ娘たちに自主練の再確認を電話でしたあと、グラスの受験がどうなるか気になって家で落ち着くこともできないためにスーツを着てから朝早くトレーナー室へと向かう。
受験日もあって朝は静かであり、少しして学校を受験するウマ娘の姿が校舎へと行く姿が窓から見える。
緊張しながら歩いている姿は初々しくもあり、職業柄らしくウマ娘たちの太ももや歩き方、姿勢に注意して見るのは仕方がない。
トレーナーとしてウマ娘をじっくり見るのは当たり前のことだ。中には無許可でウマ娘の太ももを勝手にさわる怪しい奴もいるが。
ウマ娘を眺めたあと、俺はパソコンの画面で担当ウマ娘たちの練習風景の動画や最近になって知名度が上がってきたウマ娘たちのレースを見る。
ぼぅっと午前を過ごしたあとは食堂に行き、受験に来たウマ娘たちが学食で食べるのに混じりながら、1人テーブルでご飯を食べる。
鶏唐揚げ定食をのんびり食べていると、俺に近づいてくる気配が後ろに感じる。
「相席、いいですか?」
「いいとも」
セミロングの美しい茶色の髪をなびかせ、微笑みながら声をかけてきたのはグラスワンダーだ。
アメリカの制服姿だ。
赤色をしたチェックのスカート。白ワイシャツの上に黒いセーターを着ている。それに黒のハイソックス。
前に私立の学校に通っていると言っていたから、その制服だろう。
日本では見ることのないデザインだから新鮮ではあるが、そんな子がサバの味噌煮定食というアメリカ人の子が選ぶには渋い定食を持って俺の反対側である正面へと座る。
「試験、おつかれさま」
「はい。あ、いいえ。本番は午後の実技試験ですから。疲れたというのは走ってからにします」
「ああ。試験だけど楽しんでくれたらいいなと思っているよ」
「私もそう思っています」
そういうちょっとしたやりとりを楽しくしたあと、会話もなく静かにご飯を食べていく。
話をこっちから振ることも考えたが、もし変な話をしてテンションが下がってしまったらどうしようと考えて下手に話すことができない。
話題選びに悩び、話をするのは試験後でいいだろう。そのときにグラスの様子を見て話をしよう。試験後の予定では観光案内だけど、体調が悪ければ明日にでもすればいいし。
先に飯を食べ始めていた俺のほうが食事を終えて立ち上がれば、グラスと目が会った。
俺は無言で右手を握りしめて親指を上げてサムズアップをすると、グラスはにっこりと自信がある笑みで同じことをしてくれた。
その落ち着いた様子に安心し、トレーナー室へと戻る。
トレーナー室ではソファーで時々眠りながらも、遠くからウマ娘たちの試験をする声を聞きながら本棚から取った栄養学の本を読み進めていく。
実技試験では体力測定が終わったあと、それぞれが出るレースが終わったら試験が全部終わりなため、帰る時間はさまざまだ。
グラスの試験が終わる時間はいつだろうかと読書をやめて、天井を見上げていると目の前のテーブルに置いてあるスマホから音が鳴る。
メッセージが来た音だ。
グラス:シャワーを浴び終わりました!! これからトレーナー室へ行けばいいですか?
マト:パパさんと一緒においで。グラスの調子がよければ観光に行こう。
そう送ったあとに安堵のため息をつく。グラスが落ち込んだ様子は感じられないからだ。
それから10分ほどたった頃にトレーナー室へとノックの音が鳴る。
扉を開けると、冬のひんやりとした空気がある中で明るい笑顔を浮かべるグラスがいた。横にはスーツをしっかりと着込んで安心した様子のグラスパパがいた。
ふたりの様子からして、試験がいい感じに終わったようだ。
「さっそく行きましょう!」
トレーナー室で一休みしようとしていたが、きらきらと輝くグラスの姿を見て、すぐに行くことにした。
グラスのパパとも話をして、体調はいいと言っていたから。
ふたりを連れ、トレセン学園の駐車場に行って普通乗用車にふたりを乗せる。
助手席にはわくわくしているグラスが乗り込んだ。
普段のメッセージや電話、ゲーム内のチャットでは大人っぽいところがあるが、こういう子供っぽさがあると実にかわいい。
後部座席に座るグラスパパに、このほほえましい様子のグラスがかわいい、と言ったら満足げに自慢された。あとグラスからは恥ずかしそうに太ももを叩かれた。
日本人だとこういう場合は謙遜することが多いから、これがアメリカかと思う。
俺はグラスにべしべしと太ももとを叩かれたあと、車を30分ほど走らせて目的地であるデパートそばの駐車場へと着く。
そこからグラス親子を連れてデパートへと入り、催事場までは人で混んでいるのでエレベーターを使って行く。
フロアにたどりつくと、青森の物産観光展と看板がかかれてある。
あちこちに食べ物や工芸品を売っているお店があり、近くでイカメンチカツの香ばしい匂いがする。
数多くのものが一堂にそろっている光景にグラス親子は好奇心がいっぱいであたりを見回す。特にグラスなんてウマ耳をぴこぴこと激しく動かして興奮しているし。目もきらっきらだ。
ふたりとも早く店を巡り歩きたがっているが、それよりも先に見るべきものがある。
それは催し物で5分以内に津軽三味線の演奏が始まると、看板に書いてあるからだ。
「グラスとパパさん。せっかくなので三味線を聞きましょうよ」
椅子とマイクが置いてある場所を指差して声をかけると、ふたりは目を輝かせてはステージのすぐ近くまで歩いていく。
グラスにいたっては俺の手をぐいぐいと引っ張るぐらいに。
日本文化に興味を強く持ってくれるのは不思議と自分のことみたいに日本文化が誇らしく思ってしまう。
津軽三味線の津軽は青森県だが、俺はあまり青森のことを知らない。
青森で印象に残っているのは、伝説のウマ娘であるトウショウボーイやテンポイントと争った『緑の刺客』ことグリーングラスの出身地であり、リンゴの有名生産地ということぐらいだ。
「マトさん、マトさん! 看板には津軽三味線ってありますけど、普通の三味線とどこが違うかわかります?」
「違い? ……あー、わからない。調べてくれ」
すまなそうに言うと、グラスはちょっと落ち込んでしまう。けれど、すぐにパパさんがスマホで調べて答えを教えてくれる。
違いは大きさだそうだ。演奏する曲の種類によって三味線は変わるらしい。
三味線の知識を得ていると、お客さんがどんどんと集まってくる。時間になると袴を履いた演奏者と司会の人が来ては曲名を言って演奏が始まる。
津軽じょんがら節。
津軽三味線が出す音は以前に聞いたことがある、通常の三味線の音よりも低く迫力がある感じがする。
三本の弦しかないのに豊かな音色があるのはすごいことだ。
音に感心しながらグラスの様子を見ると耳をピンとまっすぐに立て、目はしっかりと演奏者を見ている。
わくわくしている表情から気にいったみたいだ。
しばらくして演奏が終わると、たくさんの拍手が。もちろんグラス親子や俺も強く拍手だ。
1曲が終わって、もう1曲の演奏が終わると演奏者は帰って催し物が終わった。
曲を聞いていた客の人たちが散りぢりになっていくなか、尻尾を高く持ち上げて左右に振りながら空気の余韻を感じているグラスだ。
「三味線はどうだった?」
「最高ですね。まさしくこれが日本の楽器という感じでしょうか。ピアノやバイオリンはいかに美しい音を、余計な雑音がなくすかを求めているんです。
けれど三味線は別で雑音があるんです。この音が悪いと感じる人もいるでしょうけど、私はそれがとても良く感じました。雑音があることによって自然的……そう、調和があると思うんです。
ホテルに戻ったらスマホで津軽三味線という楽器の成り立ちを調べるのがとても楽しみです!」
最高だと言うだけでなく歴史的な過程を知ろうとして、そういうふうに文化を楽しむのはとても楽しいことだと思う。
そして興奮しながら早口で言うグラスに言われて、三味線が持つ雑音の良さという言葉に納得する。
三味線だけでなく、琴や太鼓に木魚もそういう系統になるだろう。
だが、
グラスパパはどうかと思って聞くと、悩んだあとに「音の範囲がうるさく感じる」とのことだ。
クラシック音楽が好みらしいが、それらと比べてうるさいらしい。
たしかに三味線はピアノやバイオリンのようにわかりやすい音ではない。
「パパにはこの良さがわからないんですか?
興奮しっぱなしなグラスは日本語に英語を混ぜて言ってしまっている。グラスパパは日本語がわからないってことをつい忘れているようだ。
言い終わったあとに、伝わっていないことに気づいて英語で言いなおしをしたが。
パパさんに英語で三味線について語るとようやく落ち着いたらしく、尻尾の位置は普通に戻っている。
こんなに興奮している姿は初めてで、ここに連れてきて本当によかった。
「動画で三味線の演奏を見たことはありますが、それとは違って生演奏だからこそ音の衝撃が心の奥底にまで届きますね。ピアノの純粋な音もいいですけど、こういう迫力ある自然的なのもいいですね」
和楽器というのは音の好き嫌いが強い人が多い気がする。俺だって三味線の音は気に入ってるが、雅楽を聞くとうるさく感じるから。
今回の三味線はパパさんの好みに合わなかっただけだ。
「音に癖があるから好き嫌いの差が大きいんだ。だからこそ、好きな人はとても好きになる。ウマ娘のレースだってそうだ。変なしぐさや個性が強い子は人気が高い」
「マトさんもそういう子が好きなんですか?」
「あぁ。担当しているウマ娘たちも個性が強くて一緒にいると楽しいよ」
フラッシュやタイキが日本の食べ物や文化に感心している様子を見てくれると嬉しい。なにより振り回されていることが多くあるのが嬉しいのかもしれない。
今でこそ元気だが、タイキはホームシック。フラッシュは日本生まれの子たちとコミュニケーションが上手に取れなかったから。
タイキやフラッシュのことを思い出しながら言うと、グラスはじっと力強く俺の目を見つめてくる。
威圧感がある雰囲気から、俺は後ろへと下がってしまう。
なんでこうなっているのか、グラスの謎な感情の理由がわからないでいると、グラスパパが俺たちを呼ぶ声が聞こえてくる。
俺とグラスが話をしているのをよそに色々な食べ物や工芸品の店を回りたくてたまらないらしい。
「グラスと一緒に店を回りたい。君は日本への理解が深いし、好奇心が強い」
「私はマトさんの担当の代わりになれていますか?」
「なれていないね。誰かの代わりなんじゃなく、グラスと店を見てまわりたいんだ。前に来たときも今だってグラスと一緒にいると楽しいよ」
気になるものがあったのか、店の前へとテンションを高くしたパパさんが行くのを追い始める俺だ。
歩き出しながら、人が多い物産展の中をグラスがはぐれないように、後ろを気に掛ける。
「はぐれるといけませんから」
そう言って、俺から視線をはずしているグラスはちょっぴり恥ずかしそうに俺が着ているスーツのジャケットの端を指でちょんとつまんでくる。
こういうふうにされると、心の奥底からやってくるのは温かくて優しいもの。
これは……父性というやつか!
自分の気持ちに納得すると父性が俺の中からあふれだしてきて、これが子持ちの気分かと実感する。独身で彼女すらいない身ではあるが。
かわいらしさでいっぱいなグラスが学園に入学したら、全力で手助けしよう。なんならトレーナーが決まるまでは俺のトレーナー室に来てもいいし。
これで終わります