幸福な王子とツバメ   作:高科奈紗

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永遠はいつでも

 

 涼しさの漂う秋空。

 賑わいの様相を呈している人々を他所に、オレは1人寂しく屋上で寝転がっていた。

 

 今日は文化祭の日。

 だからといって、何かあるわけじゃない。

 いつもと変わらない……独りは慣れっこだ。

 

「んぷぇ」

 

 突然、顔面に何か本らしき物を被せられた。

 

「相変わらず、湿っぽい顔してるね」

 

 本らしき物を剥ぎ取ると、白雪センセーが視界に飛び込んだ。

 床をパタパタと手で払い、オレの隣に腰掛ける。

 

「せっかくの文化祭なのに、楽しまないでどうするの」

「いいんっスよ、オレは」

 

 そう言って背を向けた瞬間。

 頭を「ぱすんっ」と軽く叩かれた。

 オレの顔に被せた本らしき物を、筒状に丸めて頭を軽く叩かれた。

 ……痛みはない。

 

「いたいっス、体罰です」

「こんなので体罰になってたまるか!」

 

 白雪センセーはそう言って、手に握っている本らしき物と同一の物を差し出してきた。

 

「……なんっスか、これ?」

「ウソでしょ」

 

 ……ああ、文化祭のパンフレットか、これ。

 

「じょーだんっス」

 

 ウソです、すっかり忘却の彼方でした。

 

「……で、パンフがどうかしたんっスか?」

「もうすぐ始まるよ」

 

 始まる? 

 ……文化祭はもうとっくに始まってるが? 

 

「……文化祭の内容、全く把握してないの?」

「はい」

「さも当然のように言わないの!」

 

 白雪センセーが深く溜息をつく。

 苦労人ポジションだよね、白雪センセーって。

 

「とりあえず、体育館に行くよ」

「わっ」

 

 白雪センセーに引っ張られ、屋上を後にした。

 そうして……人がぎゅうぎゅう詰めになっている体育館へとやって来た。

 

「なんの騒ぎっスか、これ」

 

 全校生徒がココに居るんじゃないか、ってぐらいの賑わい。

 

「何だと思う?」

「知らないっス」

 

 再び「ぱすんっ」と頭を叩かれた。

 

「2度も打った、オヤジにも打たれたことないのに」

「キミの父親……いや、今はそんな話どうでもいいから。パンフ開いてみて」

 

 白雪センセーに促され、文化祭のパンフレットを捲る。

 催し物のスケジュールを確認すると……

 

「あー……この時間だと、ウェイウェイ言ってそうな生徒がバンド演奏する時間帯?」

「それはついさっき終わった。その次のやつ」

「次の……」

 

 その下に目を向ける。

 

「……ピアノの演奏?」

 

 見たことのない名前が書いてある。

 姫榊 花奏……? 

 

「ヒメサカキ カナデ……この人、だれっスか?」

「ヒサカキ、ね」

「あっ、そうなんっスね。……うちの生徒で、こんな名前の人いましたっけ?」

「ウチの生徒じゃないよ」

 

 となると、外部の人間……OB、いや女性だからOGか? 

 

「本当にこの名前に聞き覚えない?」

「ん〜?」

 

 記憶の糸を手繰り寄せる。

 深く、深くに……そこで、一筋の光が脳天に突き刺さった。

 

「あっ」

 

 思い出した。

 半年ぐらい前に、突然引退した凄腕のピアニスト……姫榊 花奏。

 

「なんでそんな人がここの文化祭に?」

「私、その人と知り合いでね。そのツテで呼んだの」

 

 スゲー人と知り合いなんだな、白雪センセー。

 そんでもって、フットワーク軽いな姫榊 花奏って人。

 

「……? ちょっと、待って」

 

 違和感。

 いや、違う……何か、欠けていたピースがハマりそうな感覚。

 

「あ……あぁぁぁぁっ!!!」

「あっ、もしかして気付いた?」

「お嬢! お嬢だ!」

 

 完全に思い出した。

 前にニュース番組で見かけた、姫榊 花奏。

 その時に見た顔と……3ヶ月ほど前に出逢い、交友を深めていった女性……オレがお嬢と呼ぶ、匿名希望の人。

 その2人の顔が……脳内で完全に一致した。

 

「そうだよ、あの人の名前は姫榊 花奏」

「うそ……いや、確かに凄い人なんだろうなとは思っていたけど……」

 

 ニュース番組のコメンテーターは……彼女を世界一のピアニスト、と評していた。

 それだけに、突然の……しかも、23歳という若さでの引退に、惜しむ声がたくさんあった。

 ネット上の記事でも、彼女の引退を惜しむ声が多々あり……原因を推測する記事も散見された。

 

 そんな人が、ここでピアノの演奏をする。

 体育館が満員御礼になるわけだ。

 

「でも、どうして……」

「見て、聞けば分かるんじゃない?」

 

 壇上に目を向ける。

 大きなピアノが鎮座している……ステージ。

 その端から、見知った姿が現れた。

 

「お嬢……」

 

 独り言のように呟いた言葉は、喧騒の中で掻き消えた。

 エメラルドグリーンのドレスに身を包んだお嬢はピアノの前に立つと、上品な姿勢や仕草で頭を下げた。

 観客の喧騒が静まる。

 お嬢が椅子に腰掛け、譜面台に譜面を立て掛ける。

 

 前説とか、そんなのは一切ない。

 ただただ、ピアノに向き合う。

 

 メディアに一切出ず、必要最低限の言葉も言わない。

 それが、彼女が《沈黙のピアニスト》と呼ばれる所以。

 人見知りな性格じゃない、それはオレがよく知ってる。

 あの人は……真剣に、全神経、全精神を、鍵盤に注ぐ。

 言葉ではなく、指先で奏でる旋律で語る。

 

 そう、あの時……初めて逢った時のように。

 

「っ……」

 

 お嬢の奏でる旋律が、体育館全体に響き渡る。

 静寂を包み込む、暖かい音色。

 耳を突き刺す、力強い音色。

 心を震わせる……繊細な音色。

 

 この曲も……聞いた事がある。

 題名は知らないけれど……情景が、目の前に浮かんでくる。

 澄み渡った青空に、草花が生い茂る平原……そこを、ゆったりとした足取りで歩くお嬢が……オレには見えた。

 

「プロムナード。ロシアの作曲家、ムソルグスキーが作った曲。1枚の絵から、次の絵へ……歩いていく様を表した曲」

 

 白雪センセーが、誰かに語りかけるように、そっと……演奏の邪魔にならないように、囁くようにそう言った。

 そういえばこの人、音大出身だったな。

 

「まあ、お姉様が伝えたいのはそんな事じゃあないだろうけど……ね」

 

 めくるめく情景に心を奪われ、お嬢の《歌》に……ここにいる誰しもが、聞き惚れていた。

 そして、その中で気付いてしまった。

 

「キエフの大門、絵は見た事あるんじゃない?」

 

 スケールの大きさを実感させる堂々たる和音、縦横無尽に駆け巡る音階。

 そして……お嬢の込めた、想い。

 

「あ……」

 

 気付いてしまったんだ。

 あの人は……オレの為に、この舞台に上がった。

 烏滸がましいけれど……確かに、そう感じ取れる。

 オレに向けて……オレに伝えたくて、あの人は……演奏をしている。

 

「っ……」

 

 止められなかった。

 頬を伝い、溢れる涙を止める事が……出来なかった。

 

 今からでも、遅くないかな。

 お嬢のように……あの人のように、自分の総てを捧げて、生きていく……そんな生き方を……。

 

 *

 

 屋上の柵に腕を乗せて、夕暮れの秋空をぼーっと眺める。

 満たされたような、空っぽのような……なんとも言えない心持ち。

 でも、それが悪い感覚とは言わない。

 だって、あんな演奏を聞いたら……

 

「こんにちは、少女」

 

 ピクッと肩が小さく震えた。

 そして、心が踊った。

 

「……ちわっス」

 

 後ろに顔を向けて、軽く頭を下げる。

 ドレス姿のお嬢はスタスタと歩いて俺の隣に立ち、柵を掴む。

 

「私の演奏、どうだった?」

「……まあ、凄かったですよ」

「そっかそっか」

 

 お嬢は茜色に染まる空を見上げ、クスッと微笑んだ。

 

「……っていうかお嬢。なんでこんな学校の文化祭に」

「ん〜?」

 

 お嬢は空を仰いだまま、口を開いた。

 

「最初はね、私が所属してるバンドが呼ばれたんだけど……あっ、花澄がウチのバンドと長い付き合いでね。……でも、私のワガママで、私だけの出演にさせてもらったんだ」

「はぁ。……って、バンド組んでるですかお嬢」

「そうだよ。キーボードで食ってるって言ったでしょ? まあ、インディーズだけど」

 

 天才ピアニストが、今はインディーズバンドのキーボードを務めている。

 ……なんとも奇妙な話だ。

 

「ピアニストを引退したのって……」

「今のバンドに復帰する為」

「……復帰?」

「4歳からピアノをやってたけど、中学で辞めちゃったんだ」

 

 お嬢の言葉を、静かに噛みしめる。

 

「空虚な中学生活を送って……高校に上がって、今のバンド仲間と出会って、バンドに誘われて……あの時は色々とあったなぁ」

 

 クスクスと思い出に浸りながら話すお嬢の表情は、とても晴れやかだった。

 

「みんなと演奏して、本当に楽しくて……でも、みんなと一緒に居ると、後悔ばかりが募っていった。今ならピアノの道に戻れる、まだやり残した事がある……でも、今の仲間と離れたくない」

 

 お嬢の表情に、翳りが差し込む。

 

「あの時の私は本当にバカだった。誰にも相談しないで、1人で勝手に突っ走って……バンド仲間のみんなと仲違いしそうになった。そんな時、私たちを繋ぎとめてくれたのは花澄だった」

「……………………」

「バンド仲間は私を、後悔しないように……ピアノの世界へ送り出してくれた。必ず、戻ってくるって約束を交わして」

「……その約束を果たす為に、引退を?」

「そっ」

 

 お嬢はくるりと振り返り、柵にもたれ掛かる。

 

「私なにり、満足したからね。ピアノで得た地位や、名声を全部かなぐり捨ててでも……私は、仲間と共に歩む道を選んだ」

「なのに、なんで今日はピアノの演奏を……?」

「今日限りのリバイバル公演だよ、良い機会に巡り会えたね、奏ちゃん」

「えっ……オレの、名前……」

「ちょっとビックリしたよ。私と名前、似てるんだもの。……ねっ、榊 奏ちゃん」

「あはは……もしかして、雪ちゃんから聞いたっスか?」

「うん」

 

 お嬢の……闇色の瞳が、オレの視線とぶつかる。

 

「まあ、オレもお嬢の名前を知ったんで、おあいこっスね」

「ふふっ、だね」

 

 お嬢は再び身を翻し、柵に腕を乗せて空を仰ぐ。

 

「……あの」

「ん?」

「オレ、頑張ってみます」

「うん」

「だから……見ていてください、オレの生き様ってのを」

「うん、応援してるよ」

 

 ニコッと暖かい微笑みを……そして、生きる勇気を貴女はくれた。

 オレの生きる姿をこの人に見せる、それが何よりも……この人への恩返しになると信じて。

 

「これからも、オレの事……見ていてくださいね、姉さん」

 

 秋風が頬を撫でた。

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