誰に言ってもそのことを信じてもらえず、そのナニカに危険性を覚えた夏油は、小学六年生となってしばらくした後、意を決して異形の退治に乗り出す。
しかし、異形にはただ攻撃するだけでは意味がなく、夏油は死の淵に追い込まれる。しかし、その極限状態で湧き上がった彼の生存本能は、彼に眠っていたチカラを呼び覚ますのだった。
異形を取り込み、自ら使役できるチカラ。自身に宿る権能を自覚した夏油は、母より教えられた精神を実行するべく、夜な夜な家を抜け出しては彼の住まう街に潜む異形を取り込み、その異形で異形を倒し、取り込み……と、自警団のような活動を行う。
ある時、いつものように活動を始めようと山林の中に建つ神社へ足を向けた夏油であったが、神社の裏手から不穏なチカラが漏れ出ているのを感知。その根源の排除へ向かう。
そこで彼が出会ったのは、白い体色をした喋る異形、もとい呪霊——ウィスパーであった。
さあっとそよ風が吹き抜けて、夏油の髪を揺らした。木々のざわめきも気にならないほど、彼はとにかく現状がよくわからなかった。
「アナタのお名前は?」
何故異形、もとい“呪霊”が喋るのか。喋れるのはまだしも意思疎通が取れそうな雰囲気なのか。何故190年も封印されていたのに“ウィスパー”なんて外来語めいた名を名乗ったのか。
目の前で仰々しくお辞儀をしてきた、この間抜けた見た目の白い呪霊から、普通の呪霊から感じる不快感を感じないのは何故なのか。
自身の隣で耳を塞ぎたくなるような声を上げる、醜い呪霊を見た後、もう一度目の前のウィスパーを見た夏油は、恐る恐る口を開く。
礼儀には礼儀を、それが彼の流儀であった。
「……僕は、夏油傑だ」
「スグル君ですね! 状況をみるに、アナタが
チラリと、巨木の根元に散らばる石のかけらを一瞥して言ったウィスパーの言葉に、夏油は首を縦に振る。すると、白い彼は頭と尻尾を揺らめかせて一回転し、パッチリ開いた丸めを嬉しそうに細め、
「やっぱり! ありがとうございますホント! いやぁ感謝してもしきれないでうぃすよ! 何かお礼をしなくてはなりませんねえ……」
と、夏油と、その指示を待つ2体の呪霊の周りをぐるぐると回りだす。
「ちょ、ちょっと待て、待ってくれ」
「うぃす?」
そんな彼を制止するのは夏油の声。ピタリと動きを止め、再び夏油の目の前を陣取った白い呪霊の間抜け面に、夏油は止めたは良いものの、どうしたものかと固まってしまう。
彼のチカラを持ってすれば、おそらくウィスパーを取り込むのは容易。
しかし、夏油は今までの経験から、自身が取り込んだ呪霊は、その自由意志を
(悪いようには、見えないけども)
“誤解で封印されていた”なんて口走ってもいたが、それが本当かどうかなんてわからない。しかし、もし本当に、人に対してなんの悪事も起こしたことのない存在だとすれば。
そんな存在を、問答無用で意識を塗り潰して自分の駒とするのは、良いことなのだろうか。
「ふーむ…… スグル君は何かお困り事がある様子。ならば、封印を解いてくれたお礼にこの
気づくと、悩みの種は青紫色の唇の両端を吊り上げ、したり顔でこちらを見てきている。
「……え? あぁ…… まぁ、じゃあ……」
月明かりに照らされ影を落とすその表情を見て、夏油はため息をついて親指で額を掻いた。
◇◇◇
夏油の選択は単純、自分に同行させてウィスパーの人となりを観察しよう、場合によっては実力も測る。ということであった。
それを知ってかしらずか、ウィスパーは快く夏油の提案を受け入れた。
「スグル君はこの街を呪霊から守っているんでうぃすねぇ…… 小学生の身でそんな志を持つなんて……」
「あはは…… こういう力を持っているのは僕ぐらいだ、なら僕がやらなければ」
しんと静まり返った住宅街、そのふつふつとついたり消えたりする電灯の下を、山から降りてきた夏油とウィスパーは並んで進んでいたが、その時に夏油の語っていた決意をうんうんと頷いて聞いていたウィスパーは、しかし、むむむと下唇を突き上げ、夏油の前へふよふよ躍り出る。
「呪術師連中に任せておいてもいいことを自分で……! 私感心しちゃいましたっ! ……でも、自分を労ることも大事でうぃすからねっ! 君はまだまだ若いんでうぃすから……」
(……)
夏油は、ウィスパーの調子の良い物言いに口元を緩め、ふと、話の中に知らない言葉があることに気づき、少し目を広げる。
「……呪術師?」
「……むむっ、呪術師を知らない……! というか、スグル君まさか、自分の力のことも、私たちのこともよくわかってないのでは……!!?」
びびび、と痺れたようにしてビクビクしているウィスパーを尻目に、夏油は顎に手を当て過去を遡ってみる。
確かに、呪霊が見えるというところから始まり、直感的に呪霊を悪しき存在と見抜き、力に目覚めてからは呪霊と戦って勝利を収めてきた彼であるが、ウィスパーと出会うまでは呪霊という単語すら知らないでいたのである。
「言われてみれば……」
ウィスパーは愕然とした様子で項垂れ、腕を力無くぶら下げる。そして、ジトッとした目を首を傾げる夏油に向ける。
「私たちと向き合う上で知識はあった方が良いでしょう…… いいですか? スグル君」
「え、あぁ……」
……
(――呪霊、人の持つ負の感情から生まれる存在、それを、呪力という精神エネルギー、そして生得術式で倒す者達が呪術師……)
――スイッチの入ったウィスパーの話を聞きながら、街のあちこちに飛ばした呪霊からの反応に注視しつつ、路地裏を覗き、高台にある墓地を歩いたり、と、数分ほど聞いて得られた情報に夏油は舌を巻く。
「呪霊というのは基本的に明確な意思を持たないし、言葉も喋りません。ただ悪意に任せて暴れるだけ…… たまに意思疎通が取れるような呪霊もいるでうぃすが、そういうのは大抵
「格が高い、ということは、強いのか?」
「歩き回る災害、と表現できるでうぃすねぇ。ま、生きている間に遭遇したら逆にラッキーな存在でもありますが……」
「……」
(話だけ聞いていると、あたかもこいつが凄まじい実力を持つ呪霊、と言っているようになるが……)
喉が渇き、近場の電信柱の近くに置かれていた自販機で水を買って一休みしていた夏油は、自販機のボタンに灯る光を追いかけるウィスパーに胡乱げな横目をやる。すると、うぃす? と振り向いてきたので、彼は小さく笑んでお茶を濁した。
やはり、その白くてもちもちしてそうな風貌に迫力はなく。
(強いのか? 本当に……)
――と、少し緩んだ気持ちになっていたその瞬間。
夏油は脳裏に走った電流のような感覚に、ハッと顔を上げ、先の見えない暗い夜道の先を見つめた。
「うぃすす? どうしたんですかスグル君。おトイレならここら辺にはなさそう……」
「使役していた呪霊からの反応…… 南西の廃墟か……?」
引き締まった夏油の言葉に、自販機の飲み物をじっと眺めていたウィスパーの身体が跳ね、夏油の後ろ姿に顔を向ける。
「……ということはっ!」
眉間に皺を寄せ、夏油は地面に手を翳す。その真下を起点に地面に波紋が走り、黒い飛沫を立てて現れたのはマンタ型の呪霊。
そこに飛び乗り、黒い風のように空を舞って加速していく彼の後方に、白い軌跡を残してマンタ型呪霊の尻尾を掴んだウィスパーが続いた。
◇◇◇
夏油の住む街の、南西部の外れ。いまだに再開発の手が伸びず、アスファルトにはヒビとめくれが目立ち、電柱に括られた電灯が一部立ち消え、美しき夜空が不気味に大地を照らす。その上空に彼とウィスパーはたどり着く。
「むむむ……!! この背中に冷えピタをいきなり貼られたような感覚……!」
(劣勢みたいだな)
張り詰めた空気感が立ち込め、
(あれか)
狙いを定めた夏油の意を汲み、マンタ型呪霊は高度を下げながら民家の元へ近づいていく。
そして、ある程度の高度に差し掛かったところで、夏油は呪霊の背をけり、躊躇なく飛び上がる。
「ってのわー! スグル君!!!!」
何も知らないウィスパーの絶叫とマンタ型呪霊を背に、迫る瓦屋根を下に、夏油は足元に呪力を込める。
――ズダン……!! ピシシッ……!!
猫の鳴き声も聞こえない周囲に響き渡る鈍い音。ヒビの入った瓦屋根にうずくまり、すぐに立ち上がった夏油は――
『――グルラルアァァァア!!!!!』
「っ……と!!」
その最中見えたのは、夏油の使役していた呪霊を咥え、噛み砕きながら屋根を突き破る、牙の生え揃った大きな口と尖った鼻、そして、顔面中の不揃いな目が血走るサメのような怪物。
「大きいな……!!!」
パラパラと破片が飛び散り、浮遊感に身を任せながら、夏油は口元に不敵な笑みを湛える。
そして、背中から地面へ落ちる夏油の元へ、呪霊の残り滓がへばりついた咬合が迫り――
『ぎゅりり!』
――割り込むように、腹部に白い塊をくっつけたマンタ型の呪霊が夏油を攫い、巨大呪霊の両顎は空気を断ち割るに終わる。しかし、それで諦める呪霊ではなく、尖った鼻を振り回し、憤怒の雄叫びが崩れ残った瓦にトドメを刺した。
「ちょ、スグル君、場慣れしとるんでうぃすね……!!」
広い背中の上で屈むように立ち、体勢を整える夏油の足元で、マンタ型呪霊の腹にしがみついていた白い塊――ウィスパーはマンタ型呪霊の背中へ手を伸ばし、ぐっと這い上がりながら苦しそうに声を上げる。
しかし、集中状態に入った夏油を前に、その言葉は無音に等しい。
4、5メートルはあるかというサメ頭の周りを旋回するマンタ型呪霊の背にようやく登り切ったウィスパーが見上げた先には、唇を固く閉じて敵を注視する夏油の表情があった。
「スグル君! ここからどう立ち回るんでうぃすか! お手伝いできることがあればなんでもして見せるでうぃすよ!!」
張り上げられただみった声にようやく気づいた夏油は、一瞬足元の白いシルエットに目をやった後、すぐにサメ頭へ目線を戻した。
「……えっ、ああ、今は一番近くにいる呪霊をこちらに向かわせている。彼らに陽動をさせ、その隙に――」
「
「は?」
今なんと言った。
足元を見ると、そこに白いシルエットはなく――
考えるまもなく、夏油は目線を元のサメ頭の方へ戻し、
「うぃぃぃいすぅぅう!!! 封印を解いてくれたお礼ここで返――」
――ばくっ。
白い玉っころみたいなシルエットが、サメ頭の開かれた口の中に吸い込まれるように飛んでいった。
(……喰われた! ……喰われた!?)
しかし、この局面において夏油は心配よりも興味が勝った。
それは、ウィスパーが先ほど言っていたこと――
『たまに意思疎通が取れるような呪霊もいるでうぃすが、そういうのは大抵
(
――グルルルオオオアアァ!!!!
サメ頭の勝鬨の咆哮が上がり、瓦礫と大気を打ち震わせる。呪力はより充実し、筋を浮き上がらせて全壊した民家から、とうとう人のような両足を踏み出した呪霊は、両腕がなく、隆々とした上半身とは裏腹に貧弱な下半身を屈め、
――ドシャアッッ!!!
大地を砕き割り、飛び上がる。
(……)
夏油は親指で額を掻き、
「――
刹那、真っ黒な空が歪んだ。
そして、空気を断ち切る音の後、暖かな飛沫が漆黒のキャンパスに散らばって――
「……はー」
『……グガっ!!??』
サメ頭の横の脇腹に、巨大な鷺の呪霊の、2メートルはあろうかという嘴が深々と刺さっていた。
夏油を噛み砕こうとした顎の動きが一瞬鈍り開きっぱなしとなり、
その絶好のチャンスを逃す彼ではなかった。
「……!!!」
マンタ型呪霊を少し前に傾け、サメ頭の開きっぱなしの口に射程を定める。両足に呪力を集中、固定しさらに、引き絞った右腕の先にも青い呪力の奔流をたぎらせる。
そして、夏油の身体は、弓から放たれた矢の如く飛び出し――
「――シッ……!!!」
――ズドオッッッ!!!!!!
サメ頭の後頭部が膨らみ、限界に達する――
――ドッパアアッッ……!!
弾け飛ぶ筋肉、紫色の血潮が雨のように瓦礫へ降り注ぎ、ついで、
ほう、とため息をついた夏油は、背中から地面へ落ちていたのを流麗に体を翻し、綺麗に地面に着地してみせた。
(派手にやりすぎた上に…… )
黒い煙を上げ、蒸発していく肉片の中へ進んだ夏油は、物憂げな表情であたりを見回す。
あの白い玉っころの姿はどこにも見えない。
「本当に、一緒に消えてし――」
「――やりましたねスグル君!」
「はっ!?」
と、思いきや。真横から、あのふざけたような声が響き、夏油は咄嗟に身を引いた。
そんな夏油の反応もいざ知らず、初めから何もなかったようにして浮かんでいる彼――ウィスパーは、誇らしげに胸を張ってうんうんと頷く。
「私とスグル君の連携あっての勝利でうぃすよこれは! いやぁ私たち相性がいいのかもしれないでうぃすねぇ!」
「えぇ……? そうなの……? そうなのか……」
夏油の中にあった勝利の達成感と、一抹の寂寥感は消し飛び、彼の表情は再び呆れと困惑に満ちる。そんな夏油の前で、ウィスパーはフラフラと踊るように飛びながら、しばらくの間自画自賛を続けていた。
そんな彼らを、黒い煙が立ち込める美しい星空が、優しく撫でるように照らしていた。
◇◇◇
「ふぅむ、ここがスグル君のお家でうぃすか!」
「あんまり大きな声…… あぁ、そういえば呪霊だったっけ」
三日月が西へ傾いた頃、夏油は自宅の窓の前へ戻ってきていた。無論、彼の傍には真っ白なモチモチボディ、ウィスパーの影も追いかけてきていた。
まだまだ静寂が支配する中、夏油が自宅の敷地に飛び入る音があたりに響く。
サクサクと芝を踏み締め、ウィスパーを伴って2階のバルコニーへ飛び移る……
「……」
「……」
あれ? と、思わず呟かなかった自分を夏油は褒めた。隣を振り向くと、うぃす? と声を出すウィスパー。
(……結局コイツ、どうなんだ? 安全なのか?)
パチパチと瞬きし、うぃすうぃす? と手を振って目を見えてくるか確認してきている彼。
しかし、いい奴に変わりはないし…… と、夏油は苦悩し――
(……まぁ、直ちに人に危害を加えるやつではないか)
夏油はそう思うことにした。決して、早く部屋に戻って寝たいからとか、そういうことではなく、自分とウィスパーの良心を信じた判断であった。
そうして、1人と1匹は、庭から平然と2階のバルコニーへ飛び込んだ。