夏油傑と“妖怪”たち   作:にわとり肉

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カッポンと響く音:3

 夏油は己の頭が茹で上がったかと思ったが、自身の冷静さを見失うほど彼はまだのぼせていなかった。

 

「のぼせトンマンの言う通りじゃ…… さぁ座れ、若人よ。ともに、我慢の先にある栄光の景色を見ようではないか」

(なにそれ)

 

 我太郎も、まるでそれが良いことかのように夏油を促す。ちょっと怖くなってジバニャンの方を見たが、彼は我関せずと言外に表しているかのようにアヒルのおもちゃとぷかぷか浮かんでいた。こんな時に猫らしく、と夏油は少し恨みがましく口をつぐんだ。

 すると、そんな彼を今更案じたか、我太郎は少し眉尻を下げて笑う。

 

「まぁ、どうしてもと言うのなら強要はせぬ。我慢道とは己との闘い。いつか我らと並ぶ領域に達することを待っておるよ……」

「へっ…… それは違えぜ我太郎の爺さんよォ」

 

 その瞬間、割り込んで制止をかけた低い声があった。

 ピクリと眉を動かした夏油をチラリと見て、顎を上げて見下すのぼせトンマンは、カッポンと口癖を口走る。

 

「我慢もできねえ()()()がそいつさ。そもそもこの土俵にすら上がれねえのよ」

「……」

 

 明らかな嘲り。明らかな侮辱。それを聞いて、夏油は――

 

(……まて、まて。なんでイラついてるんだ)

 

 いまだに平静を保てていた。

 大体なんで嘲られなければならないのか。そもそも我慢道なんて入門した覚えもなければ入門する気もない。完全に別世界の話に目くじら立てるほど余裕のない人間じゃないはずだ。そう夏油は自分に言い聞かせて熱い息を深く吐き出した。

 

「……あー、わかった、わかった。なら一つ…… アンタらは人殺しとか、そういうのはしないんだな?」

「馬鹿なことを言うな。わしは我慢道を人に伝えるために生きているのだ」

「人間は好きだぜぇ! 昔はよく我慢対決で遊んだもんだ! ……ま、オメーみたいな弱腰はあんまり好きじゃねーけどよ」

 

 ピクピク眉を震わせ、眉間を揉んで再びため息を強く吐いた夏油は、少し重たい身体をゆっくり湯から引き上げた。

 

(付き合ってられるか…… これから巡回もあるんだぞ)

 

 その飛沫がかかり、ニャニャ……と唸ったジバニャンは、立ち上がった夏油の影を落とした肉体を見て、のんびりとアヒルを回収して猫掻きで浴槽のへりへと向かう

 そんなジバニャンを見ながら、夏油は片足を上げて浴槽から床にあげ――

 

「おい人間、マジに逃げるのか、カッポーン」

「これ、のぼせトン――」

「爺さんは黙ってろや。……なあおい」

 

 その静かな水音をかき消す轟音があたりを支配した。振り向かずとも、夏油は後ろでのぼせトンマンが立ち上がったことを悟っていた。

 そんな夏油の背中へ、のぼせトンマンは巨大な握り拳を勢いよく突き出す。その勢いに弾かれた水弾は、夏油の均整に整った肉体美の前に砕けて消えた。

 

「言ったよなァ、オレは子豚の時からここでたくさんの人間と我慢対決をしてきた…… この爺さんもその1人さ」

「……」

「誰1人として、オレとの勝負を避けるやつぁいなかったぜ。そして、皆、魂燃やしてオレと渡り合ったモンさ…… アイツらこそ、“漢”だった」

 

 片足を浴槽につけたまま、夏油は動きを止めていた。ジバニャンはそんな夏油を訝しんで見上げつつも、両手でぽりぽり背中を掻いてあくびをした。

 

「“漢”なら! ふっかけられたケンカ買うモンだろうが!! テメーの魂汚されて怒らねえ、何もしねえ奴はただのタマなしだ!! なあ人間!!!」

「……」

 

 のぼせトンマンはぶるぶると震える拳を垂れた胸の前へ持っていき、ぎっと歯軋りを鳴らす。腕を組み、ただ湯に浸る我慢我太郎は目を伏せ、ジバニャンはいい加減退屈になり始めている。

 のぼせトンマンは手を突き出し、まるで手を差し出しているかのようにして、吠える。

 

「――オレたちと我慢対決をしろ!! “漢”見せろ! 夏油傑……!!!!」

 

 ――のぼせトンマンの豚骨スープ激った熱い言葉。それは、確かに夏油の背中を焼いたのか。

 夏油はのぼせトンマンに振り返った。

 その表情は――

 

「……すまない。わからない」

「かっっっ」

 

 つめたかった。

 

 そして、夏油は最も容易く、名残惜しむかけらも見せずにもう片足を湯から引き上げ――

 

「――ぶばあはあはあ!!!!! ちょっとォォ!!! 少しは私への配慮ってモンを……!!! って豚の呪霊ぃぃ!!?!?」

 

 刹那、お湯の水面が爆ぜて白い影――ウィスパーが霞の中へ飛び出し、激昂するや否や、のぼせトンマンの眼前で震え上がった。

 当然、目の前を飛び交う羽虫のような同族に、のぼせトンマンは眉間の皺を増やす。

 

「アァ!? なんだこの()()()()はァ?」

 

 夏油とは違い、ウィスパーは自分の名誉に敏感であった。

 

「――ぁあんですってえ!? 私が木端!? 私はウィスパー。そこにおられる夏油傑くんの完全完璧な執事兼友達をこなすパーフェクトな呪霊でうぃすよ!!?!?」

 

 ホントニャ? と頭にハテナを浮かべながら、いよいよひとりシャワー台へ歩き始めたジバニャンをよそに、我慢我太郎、のぼせトンマン、そして夏油の瞳はウィスパーへ集中していた。

 のぼせトンマンは呆気に取られたようにした後、はん! とニヤついた。

 

「そいつを支える? そいつの友達ィ? へっ! 程度が知れるぜ。じゃあオメェはやっぱり腰抜けだ。木端呪霊だ…… 主の器も測れないんじゃあーよ!」

「……アナタねぇ、さっきからそれ、スグル君に言ってるんでうぃすねぇ!?」

「だったらどうだってんでい! カッポーン!!」

 

(ウィスパー……)

 

 普段はすべすべもちもちな体に血管を浮き上がらせ、のぼせトンマンに臆せずメンチを斬り合う姿。夏油がそんなウィスパーを見るのは初めてであった。

 ――同時に、胸の中にちくりと痛む感覚。

 

「――主人の侮辱!! この私が許しませんッッッ!!!! とおおおぅ!!」

 

 ウィスパーは弾丸のように打ち上がり、天井ギリギリで制止する。ギリギリと細く鋭角に、引き絞られた先にいるのは、ニヤニヤと手をゴキゴキ鳴らして待ち構えるのぼせトンマン。

 それが何を意味するか。夏油の制止は一手、遅れていた。

 

「撤回しなさぁぁぁぁい!!!! ぶっ――」

 

 ――ベチンッ……!!!

 

 まさしく白き矢となってのぼせトンマンの頭上をかち割らんと迫ったウィスパーを受け止め、弾く。

 それを可能としたのは、のぼせトンマンが用意していたただの()()()()

 

「そんっ……なっ!!?」

「……よっわ。話にならねえカッポーン」

 

 空を落ち、デコピンで大きく凹んだ腹を隠しながら、ウィスパーは己の敗北を悟った。

 せめて、のぼせトンマンの舌を丸出しにした顔を睨みつけ――

 

「やっぱ、()()()()()ってこったな! がっはっはっは!!!!!!」

「――!!!」

 

 ウィスパーは、その豊かな表情を消した。

 

 ウィスパーは己の名誉を重んじている。しかし、それよりも優先したいものが無いわけではない。

 それは、たとえば()()()()()――

 

(ごめんでうぃす、スグル、君…… 汚名、返上…… できな、かっ、た……)

 

 無表情の目から涙をこぼし、音もなく落下していくウィスパー。彼の行き着く先にあるのは無様にも地べたなのか。

 

 ――ふぁさ。

 

 ウィスパーは疑問を覚えた。

 なぜ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 冷たい地面ではなく、大好きな暖かさと脈動を感じる……?

 うっすら目を開けると、答えは単純明快。

 

「す、()()()()っ……!!!!?」

「……」

 

 敬愛する主人にしてともだちが、愚かで無様な自分を優しく抱き留めてくれたから。

 しかし、それは今のウィスパーにとってはあまりに罪深いこと。

 

「スグル、君…… 私は……」

「いい。喋るな」

 

 己の弱音に被せるように離れた夏油の言葉は、優しく、苦しそうに震えていた。

 

(あぁ、スグル君。私のために……)

 

 そして、ウィスパーは夏油の腕の中でぐったりと力尽きた。

 

 ウィスパーを静かに床に安置し、夏油は立ち上がる。

 

「我慢勝負、受けるよ」

 

 一言、夏油はそう言い放ち、力強く振り返る。

 眉間に深く皺を寄せ、皮膚がうっすら赤く染まった拳を掲げ、夏油は湯に浸かっていないにもかかわらず、()()言葉を吐いた。

 

「我慢とかなんとか知らないが、ともだちが侮辱されたまま引き下がるわけにはいかない」

 

 ――叩き潰してやる。

 

 のぼせトンマンが醸すジャンキーで暴力的なオーラとぶつかり合う、夏油の冷徹で静かで、それでいてナイフで突き刺されているような痛みを伴うオーラがぶつかり合う。

 

「少しはマシな顔つきになったなァ」

「僕が勝ったら、ウィスパーへの不当な評価を取り消してもらう」

「カッ、勝ってから言えっての!」

 

 ――しばらくして、どうにか汗を自分で流し、シャワー台からスッキリした様子で戻ってきたジバニャンは、そういえば、と夏油と豚呪霊がなんかバチっていた円形の浴槽に目をやった。

 

「……」

 

 なんでせっかく出たのにまた入ってるのか。なんでウィスパーが無造作に打ち捨てられているのか。

 ジバニャンは心底面倒臭そうに耳を倒し、周りの空気が集まっていきそうな圧力を放つ戦地へ、二又の尻尾を引きずりながら足を向けた。




 おくれた!
 終わらせようとしたらもっと文字数が伸びて一話の量じゃないので分割。次こそ終わる、はず。

 【夏油傑と“妖怪”たち】解釈バトル会場

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