昔から仲の良かった女の子と終わってる関係になる話 作:トマトは後ろから呼んでもトマト
せっかく作ったのに捨てるのももったいないのでここに放流しておきます。
初投稿なのでいろいろとわけわかんないことしてるかもしれませんが、許してくださいまし。
あの時にきちんと止めておけばよかったと、男は常々考えている。
男には、仲の良いご近所さんがいた。男が中学生の頃、引っ越し先で出会った家族。つまるところ、ただの隣人。最初のうちは何の関係もなかった。年を取った年配の方なら露知らず、今どきの家族なんてそんなものだろう。
ある時男は自室で少し座高の高い椅子に座りながらギターの練習をしていた。その時、ふと窓を眺めると一人の少女が隣家の窓からそれを眺めているのを見た。その目が余りにも煌めいていたものだから、思わず手を振ってしまった。
小学生くらいに見えたその子は手を振り返した。
その時、男はふと思った。彼女もギターを弾いてみたいのかな? と。
普段なら、きっとしなかっただろう。ただ、あれはだいぶ暑い日で、クーラーも点けていなかったから少し頭がゆだっていたことをぼんやりと覚えている。
男は窓に近づき、聞こえるように大きな声で少女に言った。弾いてみる?と。
少女はそれを聞くとブンブンと首を縦に振りバタバタと下に降りて行った。
取り残された男は、今になって自分がだいぶ奇行に走ったことに気づいた。
…まぁ、やってしまったことは仕方ない。そう思い、男はギターを持って玄関に向かった。
それから、玄関にまで走ってきた女の子にいろいろな事を教え、いろんなことを教えてもらった。
彼女の名前は、斎藤 檢 (さいとう しら) であること。彼女は音楽が好きな事。土曜日のこの時間は一人で退屈な事。彼女の父親は単身赴任で一緒に住んでおらず、母親は土曜日のこの時間は仕事でいないそう。
彼女は通っている学校が少し遠く、友達と遊ぶことが出来ないのだそう。
だからあんなに退屈そうにしていたのか。と、男は思った。
『ねぇ、お兄さんはいつもこの時間はここにいるの?』
少女は、そんなことを聞いてきた。必ず暇をしているわけではないが、大体はヒマだ。と、適当に答えた。
そうすると少女は少しうれしそうにこんなことを言ってきた。
『なら、私と一緒だね!お兄さんと私、おそろい!』
男はそうだね。と、適当に相槌を打った。
男は部活もあったし、友人もいたが、彼女の言葉を否定するほど嫌味なやつでもなかった。
今にして思うとこれがシラとの初めての邂逅だったのだろう。
結果的に言えばこうして男と少女は毎週土曜日、二人だけのギターの講習会を開いていた。
まぁ、彼女にギターを教えたのだが、思った以上に筋がよく、あっという間にギターを弾けるようになってしまったが。今にして思えば、音楽全般に才があったのだろう。
当初の目的はすぐに形骸化してしまい、ただ二人で遊んでいるだけになってしまった。ただ、彼女はギターを弾くことよりも、ギターに合わせて歌を歌うことを好んだ。
男がギターを弾き、それに少女が合わせて歌う。それを彼女は好んだ。
男のギターは良くも悪くも年相応の程度だったが、少女は違った。非常に歌がうまく、彼女だけの特徴を持っていた。まだ幼く、漢字が読めない、読めても意味が分からないなどの問題はあったが、そんなものは些事だった。音楽をかじった程度の男ですら感じるほどの才が彼女には眠っていた。
そんなことを続けていくうちに、彼女の母親など自ずと知り合い、只の隣人から家族ぐるみの付き合いをする仲になっていった。
二人だけの講習会は、男が高校生に、少女が中学生になっても続いた。ただ、変わったことと言えば…
『ね、お兄さん。私ね、ボイストレーニングをするようになったんだ』
『もしかしたら、すぐにCDデビューとかしちゃうかも!』
シラは、昔よりももっと歌を歌うことに力を入れるようになっていた。
中学生になり、彼女の歌唱の才能はより顕著になっていた。
中学生とは思えないほどの歌声は中学校の音楽の先生ですら、ベタ褒めだったらしい。
まぁ、才能のない男でも気づくくらいなのだから、相当なのだろう。
ただ、友人が少ないのは相変わらずらしく、男がしょっちゅう相手をしてやっていたのは相変わらずだったが。
ただ、もう一つ少し変わったのが、シラが男に向かって料理をふるまうようになったのだ。
なんでも、将来の為になんだとか。男はそれを聞いて、とても感心した。将来の一人暮らしの為に今のうちから勉強しておくなんて殊勝だなぁ。と。
なぜか返事は返ってこなかった。
彼等の関係が変わったのはシラが高校生になってからだった。
彼女が、匿名で歌ってみた動画を動画サイトに投稿するようになったのだ。
それは、最初こそ伸びが悪かったが、とあるインフルエンサーの目に留まり、拡散された。
その後は早かった。あっという間に話題になり、彼女が高校2年生になるころにはテレビなんかでも名前を聞くことすらあった。
男は彼女の歌ってみたがバズったのをみてついにこの時が来たか、とめんどくさい古参オタクの様な事を思ってしまった。
彼女が歌を投稿するたびにマイリスに入れていた男からしてみれば、彼女がバズるのは時間の問題だと感じていたのだ。彼女にこの話をすると凄い天狗になるからしていなかったが。
シラ本人は余りにも急激な環境の変化に戸惑っているようだったが、男は一所懸命にサポートした。門外漢として出来るだけの事を手伝ってあげた。たとえ、彼女の問題を解決することは出来なくとも、彼女の不安を和らげてあげることは出来るのだから。
ただ、男は彼女を手伝うと同時に、彼女が一人でやっていけることの確信もあった。
男はシラには友達が少ないと思っていた。実際、土曜日に彼女がふたりだけの講習会をキャンセルしたことはなかったし、なんなら夜に自分の家まで飛び込んでくることすらあった。
それは全て、学校がうまくいっていないことによる反動だと思っていたのだ。
しかし、実態は違った。彼女は友人が少ないのではないのだ。むしろ多い方だった。なぜなら、彼女から教えてもらったSNSのアカウントには友人との写真がたくさん投稿されていたし、なんなら男が彼女の高校の最寄り駅に行った際、7人くらいの男女の集まりの中心にいたのを実際に目にしたのだから。それはとても眩しく、青春の輝きを放っていた。
それを目にした男は、彼女が小学生の頃とは違う事。もう自分の役目は終わりに近づいていることを悟った。もしかしたら恋人すら作っているかもしれない。それならなおの事、自分はいるべきではないだろう。少し名残惜しいが、彼女の料理の実験台から卒業する時が来たのだ。そろそろ彼女も一人暮らしを始める歳なのだから。
それに、男にもシラを遠ざけたい理由が出来た。恋人が出来たのだ。
きっかけはシラの歌だった。彼女がSNSで話題になった時、彼女の曲をイヤホンで聞いていると思ってスマートフォンから思いっ切り曲が流れているのを気づかずに歩いていたことがあった。それを指摘してくれたのが、その恋人になる女性だった。
初めは本当に恥ずかしく、死にたくなったものだが、彼女がシラの曲を話題にしてくれたおかげですぐに仲良くなることが出来た。どうやら彼女も相当最初期から聞いていた古参のようだった。もっとも、男からしてみれば彼以上の古参はいないわけだが…
さすがにそれを話題にはできなかった。シラのプライバシーもあったし。
そんな風にシラの曲を話題にして会話を深めていくうちに、なんだかいい感じになっていき…まぁ、それ以上は言わなくてもいいだろう。
そして、シラが卒業する数日前、男の大学の卒業式の日。恋人になったのだ。
彼女が高校を卒業し、男は就職して社会人になった。
シラの卒業式の日の午後、彼の家でシラはいつものように包丁を使い、野菜を切りながら男に聞いた。
『ねぇ。お兄さん。貴方はどこに住むの?確か就職で東京に出るんだよね?』
サクッ 野菜が切られる。
男は答えた。東京の端の方だと。家賃が安くて駅から遠いがそこそこいい場所だと。
サクッ 野菜がまた切られる。
シラは笑いながら言った。
『そっか~…ね。お兄さんはさ、食事大丈夫そう?自炊とかあんまりしてなかったでしょ?』
サクッ 野菜が切られる。
シラがそんなことを言ってくる。
『もし良かったら、私と…』
男は、シラが何か言っていることに気づかず、ソファーに寝ころびながらこう答えた。
問題ないと。週に3回は恋人が作って届けてくれるらしいから、と
ズチャ 野菜と一緒に、何かが切れた。
赤くて、とろみがかった液体がまな板に付着した。
『………え?』
リラックスしていた男はどたどたとシラがキッチンから歩いてくる音でふと我に返る。
どうした?そう聞こうとして、体を起こし、いつの間にか目の前に居た少女と顔を合わせた。
そこには、彼女の普段の溌剌で端正な顔とは違う、表現しがたい顔があった。
美しいのだが、それ以上に恐ろしい。なにか、嫌なものを感じるような顔。
シラは言う。
『ごめん、もう一回言ってくれない?うまく聞き取れなくて』
男はそれ以上に聞きたいことがあった。彼女の指からポタポタと垂れている血液について…聞こうとしたが、
『そんなことどうでもいいから、もう一回。同じこと言って』
有無を言わせぬ圧力に押され、もう一度言葉を吐いた。
恋人が作ってくれるから食事の心配はない。そういった。
その時のシラは、何かに絶望したような、全てを失ったような、そんな感じだった。
『な、んで?いつから、いつから恋人がいたの?』
彼女が体を寄せて聞いてくる。それを押しとどめつつ、言葉を返す。
ちょうど2週間くらい前だと。自分の卒業式に告白して、そこから付き合っている。と。
その後彼女は少し、いや、かなり様子がおかしくなりながら料理を手早く作って帰っていった。男にとっての最後の別れは、釈然としないまま最悪な形で終わってしまったのだ。
いや、今となってみれば、これで終わっていて欲しかった。
そう、男は常々思っている。
私にとって、あの人は核だった。
自分が歌を歌う理由だった人。いや、だった、じゃない。
まだ、自分の核にはあの人が残っているのだ。もう自分のもとから去ったのに。
いつだったろうか?私が一人で留守番をして、寂しかった時だったかな?
あの人がギターを弾いているのが見えた。私は別にギターが弾きたかったわけじゃない。
何でもいいから寂しさを紛らわせたかっただけ。
でも、あの人が私を呼んで。私はそれに飛びついた。
少し離れた小学校に通う私は少し浮いていて。他の子どもとは家が遠いからという理由で遊べなくて、毎日電車で家に帰る。そのころには5時。行きは母が連れて行ってくれるから問題はなかったけど。だれとも遊べない私は本当につまらなかった。いつも動画サイトを見て、音楽を聴いていた。難しいゲームの事とか、持ってても遊べないんじゃ意味がないから。
今になったらインターネットとかあるけど、昔はそんなのもあんまりなかったし。
そんな中、私にギターを教えてくれるお兄さんはある意味であの時の私の救世主だった。
私が歌を歌えば褒めてくれて、読めない歌詞なんかも意味を噛み砕いて教えてくれた。
…すこし、分かりづらいことが多かったけど。
中学生になった私は、インターネットが普及したこともあって、一人で浮くことはなくなった。それどころか、電車慣れしていたから他の子と外で遊んだりすることも増えた。
けど、あの人との講習会だけはいつも参加していた。あの人の前で歌うととっても楽しかったし、何より、あの人の事が好きだったから。もっとも、この時はまだlikeのつもりだったけど。
この気持ちに気づいたのは中学2年生くらいかな。他の子が恋愛について話していて、それで、この気持ちが…その、恋愛感情ってやつだったことに気づいた。
それからは、なんとか彼にもっと浸透しようと頑張った。『あの人を私なしじゃ生きられなくさせてやる~』って思って。
料理を作ってみたり、彼の前で分かりやすいラブソングを熱唱してみたり、一緒にお出かけしてみたり。…結局、彼にとっては全て…私の『予行練習』だと思ってたみたいだけど。
…私、本気だったのになぁ。
あとは、ボイストレーニングに積極的に行くようになった。彼は私に才能があるって信じて疑わなかったし、なんなら音楽の先生すら同じようなことを言っていた。
だから、母にお願いして講習を受けさせてもらった。ボイトレの先生は、私に才能がある!と、言ってくれた。歌うのは好きだったし、なにより、あの人に褒めてもらったから。
私はこの道に賭けてみようと思った。今思えば、このころが一番幸せだったのかも。
少なくとも、あの時の二人だけのコンサートが一番幸福だった。
高校生になってからは…少し大変になった。匿名で動画投稿サイトに投稿してみたら思った以上に伸びて…今までに出会った人達が言っていたことが本当なのだと気づいた。
そして、私は…大成した。いや、したというよりは、大成する道が確約されたというべきか。
高校生の時からもてはやされた私は、大学にはいかず、歌手として活動を始めることになった。私の友達も、母も、父も、皆が私を未来のスターだと言った。
でも、私は…そんな未来が信じられなくて、恐ろしくなった時があった。
いつか、声が出なくなったら? 聞いてくれている人が私に飽きてしまったら?
もしも…私が、ただの一発屋で…一時期話題になるだけの存在だったら?
そう考えると…声が出なかった。
家に新築した防音室で歌っていた時、声がうまく出なくなる時があった。歌えないわけじゃない。でも、声がかすれて、聞き苦しくなることがあった。不安で押しつぶされてしまいそうだった。
そんな時は、彼のもとに行った。彼は…私を励ましてくれた。…私の歌がたとえどれほど聞き苦しくとも、彼は最後まで聞いてくれた。
そして一言だけ、『とても良かった』そう言ってくれるのだ。
そうすると、不思議と勇気が湧いたのだ。いや、正確に言えば勇気が湧いたんじゃなくて…自分がどれほど落ちぶれても、この人は私を見捨てないでくれるという後ろ向きの安心感があったのだろう。我ながら単純な人間だ。
どれほど後ろ向きでも、私の不安を和らげてくれることには変わりなかった。
私の不安とは裏腹に、曲はどんどんと広まっていく。そして、名声が拡大していく。
高校生活が終わるころには、この不安はほとんど感じなくなっていた。
そして、このまますべてうまくいくのだと思い込んでいた。いや、仮にうまくいかなくとも、また彼が支えてくれるのだと。いつものように。
…だから、私は気づかなかった。自分の一番大事な核が他の誰かに奪われそうになっていることに。慢心していたのだ。彼が自分を愛してくれていると。
確かに彼は愛してくれていた。しかし、彼の『愛』は私の望むものではなかった。むしろ、最も望まぬものだった。
恋人が作ってくれるからいらない。
もう俺で予行練習をする必要はない。
シラも好きな人が出来るだろうから、そいつに振舞ってあげな。
あの言葉は…私にとって…余りにも突然で、余りにも致命的だった。
あの後、何をしたんだっけ?なんだか適当に言葉を並べ立て、すぐに帰った気がする。
ふらふらと家に戻って、自室で茫然としていて、包丁で切れた指からはいまだに血が垂れていたんだった。
あの茫然とした別れから半年後
ジリリリリリリリリリリリリ!!!!!!
男は目覚まし時計を叩き潰すようにして音を止める。
そして、無理やり体を起こし、出発の準備を始める。
男のつまらないルーティーンだった。朝の歯磨きをして身だしなみを整えたら朝ご飯は抜いて、適当にペットボトルのお茶を流し込みながら持ち物確認をする。
随分と慣れてきたなぁ…そんなことを社会人半年目のくせに考えてしまうのだ。
着替えながら付けたテレビには見知った顔と声が流れている。
本当にどこでも見ることが出来るな、男はそう思った。彼女は元気だろうか。別れの日の後、一度だけ電話でシラともう一度話したが、声からはあの時に感じた毒気は抜かれていた。もしかしなくとも男の勘違いだったらしい。
男が階段を下りながらスマホを見る。そこには恋人からの連絡に交じって、シラからの着信があった。なんだか、嫌な予感がした。この着信を返すべきでないと、返したら悪いことが起こるぞと、本能が警鐘を鳴らしていた。
だが、男は連絡を返した。 返してしまったのだ。
シラからの連絡は単純な物だった。
一緒に食事をとりたいと。男の家で。昔のように。
『ね、いいでしょ?料理の腕が落ちてないか、確認してほしいんだ』
男には恋人がいる。普通に考えて、自室に年若い女性を上げるようなことはない。
が、男がシラと歩んできた長い道のりが男の判断力を麻痺させた。
間違いなんか起こるわけがないと。彼女は自分のような男を男としてみているわけがないと。
男はそれを了承した。
『アハッ…そっか。じゃあ、住所教えて?空いてる日にそっちまで行くからさ』
男は彼女に住所を伝える。
それが、この生き地獄の扉を開くこととも知らずに。
スマホから目覚ましの音が鳴る。慣れた手つきでそれを止め、今日のスケジュールを確認する。朝以外点けることのないテレビのスイッチを入れると、テレビ番組のオープニングが始まり私の歌ったテーマソングが流れ始める。半年前にその番組の協賛の元歌ったさわやかな曲だ。
思わずチャンネルを変えてしまう。
別にその番組が嫌いなわけではない。ただ、流れていた曲が嫌いだったのだ。
私がその曲の収録をしていた日、彼は今の恋人に告白をしていた。
私が初めての仕事で緊張をほぐすために電話をかけた。その数時間後に、あの男は、今の恋人に告白をしていたのだ。
腸が煮えくり返りそうだった。いや、実際に煮えくり返ったかもしれない。
なにより、彼にとって、私の相談が恋人の告白の前の適当なイベントとしてしか認識されていないことが何よりも不愉快だった。
やめよう。そう思いテレビの電源を切る。
朝っぱらから不愉快な気分になりたくはない。まだ、芸能界に入って半年なのだ。
やらねばならないこともある。仕事は順調に軌道に乗り始めた。
お金も順調に溜まっている。ただ、それ以上に、大事なものを取り戻さねばならないのだから。そんな気持ちになってはいられない。
スマホから通知音が鳴る。もしやと思い見てみると、そこには『大事な物』からの着信があった。
思わず顔がにやける。
朝の不愉快な気分は吹き飛び、私はこれから起きる未来に思いを馳せずにはいられなかった。
男は疲れながらアパートの階段を上る。鍵を開け、適当に荷物を投げ捨て風呂を沸かす。
今日もつかれた。
少し休もうと思い、ソファーに身を投げ、目を閉じた瞬間、部屋のチャイムが鳴った。
また宗教勧誘かな。
男は内心そんなことを思い、舌打ちをしながら扉を開ける。そこには、昔とは違い、嫌味のない高級感を感じさせる服装で、マイバッグに食料品をたくさん詰めた、斎藤 檢が立っていた。
『久しぶり、お兄さん』
恋人でもない女性を部屋にあげる。それなのにもかかわらず、男に動揺は見えない。男からしてみれば家族の様な人なのだ。間違いを起こすことは…万が一くらいにはあるかもしれないが、起きることはないと確信していた。
女性の方も特にドキドキしているようなそぶりは感じない。
上着を脱ぎ、エプロンを取り出しながら、余りにも自然に、自然すぎるくらいにキッチンへと入っていく。
男の方はと言うと、特別何かを話すようなこともなく、もう一度ソファーに座りなおす。
しかし、せめて服装くらいは直すかと思い、シラの視界から見えない場所で部屋着に着替える。
シラのような高級感のない、やっすい服をみて、男はなんだか自分が滑稽に思えた。シラは長く、艶めきのある髪の毛をポニーテールに纏めて、エプロン姿に身を包んでいた。
先ほどの高そうな衣服はいつの間にか脱いでおり、エプロンの下は昔と同じような安い、けれど親しみを感じさせる服装だった。
というより、昔男がシラにあげた古着ではないか?あれ。
男はそんなことを思ったが、思い過ごしだと思うことにした。余りにも思い上がりが過ぎると、罰が当たりそうだ。
そうして久しぶりに出てきた彼女の料理は思っていた以上によくできたものだった。
昔の、シラが中学生だったころに比べてびっくりするほど成長を感じて、男は涙が出そうになる。
思わず、男の口から言葉が出てしまう。娘の成長を見守るお父さんになった気分だと。
ギリッ。
歯ぎしりの音が部屋に小さく響く、しかし、テレビの音でかき消されて男には聞こえない。
『…お父さんって言うには、少し年が近すぎるんじゃない?』
思わず、シラがそんなことを言ってくる。
それに男は笑って返した。
じゃあ、妹だ。
その時、少し彼女の纏う雰囲気がとても刺々しくなったように感じた。
男はそういった機微に鈍かったから、その程度しか感じなかったが、もし聡かったならば、きっと空気が凍り付いていただろう。
『…はぁ、いいから。食べてよ。その後は評価をつけてもらうからね』
分かった分かった。男は、適当に相槌を打って、黙って食べ始める。シラも少し深い呼吸をしながら食べ始める。
その時、テレビの歌番組が始まった。20分ほどのシラの特集が組まれていた。
そこには、当たり前だけどシラの姿が映っていて。男にとって聞きなじみのある音楽が聞こえてきて。おもわず、語りたくなってしまう。
今の恋人との馴れ初めを。シラのおかげで結ばれたのだと。
シラが音楽活動を始めたおかげで、彼女の歌がきっかけで、ここまで行けたと。
それを、語り始めてしまう。
今の恋人と出会ったきっかけを、あのBluetoothの話から。
告白に至るまでの経緯を、彼女が歌ってくれたラブソングが、男に重なって、今の恋人をデートに誘う勇気をくれたこと。
そして、男の卒業式に、シラの初めての収録の日に、相談してくれたことで。
自分よりも若い彼女が頑張っているのなら自分も勇気を出さねばいけない!そう一念発起して玉砕覚悟で告白できたこと。
そういったことを、テレビをまっすぐに見ながら、音楽に浸り、思い出しながら語り終わる。
だから、ありがとう。お前がいてくれたから、俺は。
男がそう言って、シラの方に振り向いたら。
何もない、空虚な目で、シラが男の首に手を伸ばしていた。
部屋に上がり込む。
なるべく自然な感じで、違和感は決して出さず。
昔と同じ。いつも通りに。
彼の部屋に今の恋人との写真があるのを見て、破壊衝動が沸き上がる。
ダメ。抑えないと。
今すべきことは、そんなことではない。彼を自分のものにしないといけない。まだ早すぎる。
少なくとも今日は、彼の家にこれからも入り浸る理由を手に入れるだけ。
それ以上は求めてはいけない。拒絶されてしまったら、一巻の終わり。
それだけは避けないといけない。だから、襲い掛かるなんてもってのほか。
そうやって自分に言い聞かせながら、後ろ手に髪を結ぶ。彼は長い方が好きだと言っていたから伸ばした髪の毛。昔は結ぶの大変だったけど、もう慣れてしまった。
部屋着に着替えた彼が、エプロン姿の私を見て、似合ってると笑いながら言う。
その下に着てきた彼の古着を見ても、何も言わなかったけど。
私には分かる。あれは見て見ぬふりをしてるだけだって。別に指摘してくれたっていいのに。
『別に、半年前までいつも見てたでしょ?』
少し微笑みながら、そんな風に気さくに返事を返す。
彼は、そうだったな。と適当に返して、リビングに行った。
私はリビングの彼を眺めながらキッチンに立つ。
料理は丁寧に、だけど少しだけ荒っぽく、改善の余地を残しておく。
誰が食べても、何かが足りないって思う味。完璧な味にはしない。
ここに来るためには理由がいるから。建前が必要だから。
それを意識しながら、料理を作る。
彼は、テレビをつけて、眺めている。私がいるんだから構ってくれたっていいのに。
そんなことを思いながらも、口には出さない。めんどくさいと思われたくなかったし。
そうして、出来上がった料理を彼に出す。
彼が開口一番、お父さんの気分とかほざくから、思わず歯ぎしりしてしまう。
彼は気づいていなかったから良かったけど。本当に気を付けないと。
じゃあ、妹だな? 彼が言う。
こいつ…家族扱いをやめろって言いたいんだけど。
自分の雰囲気が否応なしに鋭くなっていくのを感じる。彼が鈍くてほんとに助かった。もし、事務所の人にこんなふうになっているのを見られたら一発アウトだ。
食べるように促す。この話を続けていたら、頭が苛立ちで沸騰しちゃいそう。
そんな時、彼が点けていたテレビから歌が流れ始める。
あぁ、そう言えば、あの収録の歌番組。今日が放送日だったっけ。
そこには、私の姿が映っている。テレビに映っている私を見ている彼を見ると、なんだか嫉妬してしまう。
本物がここにいるんだから、こっちを見たら?
そうやって、口に出そうとした時だった。
俺、この曲好きなんだ。この曲があるから、今の俺があってさ。
そんなことを彼が語り始める。
なんだろう。猛烈に嫌な予感がする。
絶対に聞かないほうがいい。本能的に感じる。
聞いてくれるか?俺と今の恋人の馴れ初め。 彼が言う。
そんなものは聞きたくない。聞けば、絶対に頭がおかしくなる。
止めようとしたけど、なぜか言葉が出なくて。彼が話を続ける。
今の恋人と出会ったきっかけが私の歌ってみた?
は? なら、私が動画を出さなければ出会いはなかったってこと?
私のラブソングを自分と重ね合わせた?
は? あれは、私が自分に重ねて歌ったものだよ? 貴方は想いを受け取る側で…
決して貴方が重ね合わせるために歌ったものじゃないよ?
…あの相談が…勇気づけた???
なら、ならさ…あの時、私が相談をしなかったら告白はなかったってこと??????
全てが、裏目になっていた。
彼の為に歌った歌は、彼自身が私から離れる理由になり。
彼との絆を感じるための相談は、関係を断つ刃になって。
私の歌が、私の歌う理由を奪う原点だった。
もう、抑えがきかなかった。最後まで聞いた時点でよく耐えたほうだと思う。
私を止めるはずの理性すらも、もはや何もいわなかった。
ただ、本当に、ありがとうと言われることだけは、どうしても耐えられなくて。
私は、彼の首に手を伸ばし。
思いっ切り彼に襲い掛かった。