今まで以上に肉体的にも精神的にも過酷な日々だった。朝五時からの秘書艦任務は絶対だった。それ以外にも司令官への報告や出撃後の補給の管理等やることがかなり増えた。秘書艦になる前ですら寝る暇が無いぐらいに忙しいと思っていたのに、今はそれ以上。
秘書艦をやっていた母は部屋に戻ってくると気絶したように寝ていたけど、私も同じ生活になってしまった。
旗艦として出撃するのが嫌だった。ただでさえ、最古参という立ち位置で期待されているのに旗艦となれば尚更だ。私について行けば大丈夫、何かあっても私が何とかしてくれる……皆、そんな目で私を見てくる。旗艦の危険度の低い任務遠征だけだったのが、二週間もすると大丈夫と思われたのか最前線の戦いも任されるようになった。
他の子とろくに話すことが少なかったのもその状況に余計に拍車をかけた。寡黙でプライドは高いけれど仕事はできる人……そんな目で見られていたと思う。
当然ながら私はそんな人間ではない。出撃する毎日が怖かった。命のやり取りをする時は逃げたかった。だけど、弱い所は誰にも見せられない。弱さを隠すために強気で振る舞う日々が続いた。
何かが起きて正体がバレることに怯える毎日だった。高層ビルの屋上で綱渡りをしているような気分だった。
誰にも話せずに夜中に一人で泣いて明日に絶望する日々。化けの皮が剥がれたのは秘書艦についてから一年以上経った時だった。
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偵察機で発見された少数の深海棲艦を撃破する。ただそれだけの簡単な任務のはずだった。
だけど、現地についてみるといたのは海を埋め尽くす程の数の深海棲艦……。
目の前のことが信じられずに頭がフリーズした。今思えば引く一択だったと思う。あまりにも敵が多すぎたし、鎮守府まで戻って立て直すべきだったから。
だけど、当時の私は疲労で頭がどうかしていた。相手が深海棲艦の最弱の個体であるイ級ばかりだったからいけると思ったのかもしれない。攻撃命令を出した。
艦隊は初めは善戦したもののあっという間に数の差で包囲された。傍から見ればオオカミの群れに襲われる羊のような光景だったのかもしれない。
周囲が囲まれているのを見てようやく死が目の前に迫っていることに気づいた。周囲は戦いながらも私に指示を求めてくる。
目の前で一人の艦娘に魚雷が命中した。負傷した彼女に数十匹のイ級が群がり牙を剥く。一斉に襲いかかられ、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がった。
心臓が狂ったように動いている。目を離したのに見るのをやめられない。助けなきゃいけないと思うけど体がついていかない。彼女を襲っていた一匹のイ級がゆっくりと私に視線を向けるのが見えた。次は私の番……
この瞬間、私の中の何かが壊れた。
「逃げなきゃ……」
私は背を向けて走り出した。
後ろで誰かの声が聞こえたけど無視した。立ち塞がるようにイ級が目の前に来たから当てずっぽうに砲撃をしたら運良く当たった。怯んだ隙にイ級の脇を抜けた。
包囲網を突破し、後ろを振り返ることもなく私は無我夢中で走り続けた。
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どうやって帰ったのかは覚えていない。気がつくと執務室にいて、司令官が苛立ちを隠さない表情で私を見つめていた。
「何をしたのか分かっているな?」
「……はい……」
口から出た言葉は自分の声とは思えない程の小さな声だった。
「お前のせいで艦隊は壊滅だ。生きて帰ってきたのはお前を含めても三人だけだぞ」
「……申し訳ありませんでした……」
出撃した半分が帰ってこなかった……全部、私の責任だ。どうして、あんなことをしてしまったのだろうか? どうしてやれると思ったのだろうか? 自己嫌悪で気が狂いそうになる。
「敵前逃亡もしたらしいな。軍事裁判ものだぞ」
軍事裁判と聞いて背筋が凍った。
「最悪、死刑ってこと……?」
「当たり前だ」
心臓を握り潰されたような痛みを感じた。
「お願いします! 軍事裁判だけはやめて……!」
呼吸が乱れて苦しい。気がつくと頭を下げていた。
「何でもします! 秘書艦任務でも深海棲艦をいくらでも殺すから軍事裁判だけは……」
「仮にも敵前逃亡をしたやつの言う言葉か? 誰がお前を信用するんだ?」
「そんな事言わないで……! 死にたくないの! 何でもするから……お願い!」
生まれて初めて土下座をした。惨めだった。私の中の何もかもが粉々になってるのを感じる。
だけど、それでも生きたいその一心だった。
「……顔を上げろ」
「……はい……」
「これから先、逃げずに自分の義務を果たすことを誓えるか?」
「はい、誓います……!」
彼は小さくため息をついた。
「上が後方に新しく作られる鎮守府の経験のある初期艦を求めている。それで分かるな?」
後方の鎮守府の初期艦になれ。私は彼の言いたいことを察した。
「はい……」
「話は終わりだ。詳しいことは明日話す。後は好きにしてろ」
「失礼します……」
執務室を後にした。
朦朧とする意識の中で廊下を歩いた。
途中、私を見かけた二人の艦娘がひそひそと噂話をしているのが見えた。言っているのは多分私の悪口だと思う……
顔を背けて見ないようにした。
なんとか自室に戻った。
手のひらを爪を立てて握りしめると鋭い痛みを感じた。生きてはいるらしい。立っていられなくなり、ベッドに寝転んだ。
これから私はどうなるのだろうか? 一応、許されたと言っても地獄が終わったわけではない。これからも地獄は続く。
瞼が重い。もう嫌。何も考えたくない。
目をつむり、闇の中に意識を投げた。
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新しい鎮守府に着任するまでに一週間かかった。
その間、司令官に指示されたように後方の基地や鎮守府を行き来したが、どの鎮守府でも一人でいた。誰かに見られると敵前逃亡の前科者と奇異の目で見られた気がした。誰かと会うのが嫌だった。指定された部屋の中に引きこもる日々が続いた。
三つ目の鎮守府で母と再会した。現地の司令官の指示で応接室で待機していると母が部屋に入ってきた。
「久しぶりですね。葵」
「……久しぶり」
私を本名で呼ぶ母にどう返すか少し迷ってそう返した。
母が机を挟んで私の向かいに座った。久しぶりに見た彼女は少し痩せたように感じた。目の下にはクマは無かったけど、私を睨むような目付きをしている。服装は士官学校の教官のもので整ったものだった。
「敵前逃亡をしたと聞きましたが本当ですか?」
真面目な顔で話す母にいきなり本題かと心の中で思った。
母には会いたくなかった。何を言われるか分からないし、親子喧嘩のようなことをして仲直りもせずに別れている時点で会いたくもない。母と私を合わせようとしたここの司令官を呪った。
「正直に答えなさい」
はっきりと話す彼女に大人しく話すしかないことを察した。
「はい……しました……」
呟いた瞬間、全身がドッと重くなるのを感じる。私の言葉に母は大きなため息をついた。
「そうですか……」
見ていられなくなり、視線を逸らして下を向いた。次の言葉は何なのか。知りたいけど知りたくない。理性は否定的な言葉が飛んでくると言っている。母の口調は私を怒るときのものだったし、普段の彼女なら絶対に私を怒るから。だけど、死線で私を助けてくれた母さんを信じたい。
祈るような気持ちで彼女の言葉を待ち続けた。
少しの沈黙の後に母さんが口を開いた。
「夫と話し合いましたが葵、貴方とは縁を切ります」
期待はあっさりと裏切られた。
やっぱり……だ。少しでも信じた私が馬鹿だった。今も昔もこの人は私を娘として見ていない。あの時、助けてくれたのも軍人としてだ。
肩がガックリと落ちる。だけど、直後に湧いてきた感情は怒りだった。握りしめた手の平に爪が食い込む。吐き気に近いものを感じた。
何も言わない私に彼女は無言で席を立ち、私に背を向けた。
「ねぇ」
「何ですか?」
振り向いたクズに最後に思いっきり言ってやろうと思った。
「何で私を産んだの? 何で子供が女だって分かったなら、堕ろそうとしなかったの? アンタのせいで……アンタのせいでずっと苦しいのよ!」
「つっ……」
目の前の人間が少し苦しそうな顔をした。
「こんなことになるなら産まれて来ない方が良かったわ! アンタもその夫も死ねばいいし、こんなクソみたいな家、ぶっ潰れればいいのよ!」
こんなことを言ったって何になるわけでもない。目の前の人間は何も感じないだろうし、負け犬の遠吠えぐらいの捉え方しかしないだろう。
母だった人間は無言で私に背を向けて部屋を後にした。
静寂が訪れる。
「ハハハッ」
何故か笑いが零れた。
何がおかしいのか分からない。止めたいと思うけど止まらない。一人きりの部屋の中で私は笑い続けた。
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次の日、私は許可を取って鎮守府から外に出た。
外は雲一つない良い天気だったが、吹く風は強く凍る様に冷たかった。
夢遊病みたいにぼんやりとした意識の中でふらふらと歩く。途中何人かの艦娘とすれ違ったけど無視した。誰が私をどう見ても今の私にはどうでもいいし、関係なかったから。
海に面した高い崖まで行って足を止める。下を覗くと波が崖に打ち付けて白い泡が出るのが見えた。
ここから身を投げれば全てが終わる……
「つっ……」
死を意識すると急に心臓がバクバクと必死になって動きだした。息が切れて呼吸が不規則になる。体が必死になって生きたいと言っているようにも感じた。うるさい、黙れ! と心の中で叫んだけどそんなことはお構いなしに体は動き続ける。
母だった人間との会話を終えた日、一晩考えた後に私は死のうと決意した。
生きている意味が無いし、誇れるものもない。私は何もできず、無価値で誰にも相手にされないたった一人の人間。
これからどうやって生きていけばいいのか分からないし、生きていこうとも思えない。地獄の底で苦しんで生き続けるなら死んだほうがましだ。
だけど……いざ死ぬ段階になってみたら体がすくんでしまう。臨死体験をしたあの時のことを思い出して怖いと思ってしまう。
どれぐらい時間が経ったのか分からない。私は生きている。私は死ねなかった。
「何で……よ……」
目から落ちた涙が地面に黒い染みを作る。
死のうと思っても体が拒否してしまう。怖いという気持ちが勝ってしまう。頭の中では身を投げるべきだって分かってるはずなのに、どうしてもそれができない。
私は死ぬことすらできない臆病者……誰にも必要とされていないし、何も出来ない人間。生きる価値なんてない。惨めに生きるぐらいなら死んだ方がマシなのに……どうして……?
しゃがみこんで両腕に爪を立てた。鈍い痛みを感じる。だけど、痛みを感じるということは私は生きている。それだけは事実。
冷たい風が吹き荒れる中、泣いた。周囲には誰もいない。私は一人だった。
現代編は必要は必要だと思いますか?(よろしければ投票した理由を一言で良いのでコメントにお願いします)
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いる
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いらない
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どちらでもいい