死ねないなら生きていくしかない。生きていこうと決めた。
私が新しく着任した鎮守府は海軍の施設を再利用した建物で町外れの場所に建っていた。埃を被っている古びた建物でかび臭い臭いがした。
執務室に入ると海軍の将校服を着た一人の青年が椅子に座って本(鎮守府運営のマニュアルだと思う)を読んでいた。痩せた青年士官だったが彼がここの司令官なのかもしれない。彼は私に気づくこともなく本を読み続けていた。
声のかけ方に迷った。下手に出るのは舐められそうで嫌だ。だけど、高圧的に出過ぎて揚げ足を取られるのも困る。
少し考えたが、少し強めの口調で声をかけることにした。
「アンタが司令官?」
本を読んでいた彼がビクッと反応して顔を上げた。
「えっ……?」
「聞こえなかった? アンタが司令官かって聞いてるんだけど」
「あ……ああそうだ……えっと……君が叢雲かな?」
彼がオドオドとしながら、返事を返した。
「ええ、そうよ」
「提督の青崎だ。よろしく……」
「よろしくお願いするわ」
正直に言って不安を感じた。司令官は体が細いし、気が弱いのかオロオロとしているように見える。こんな人が上司で大丈夫だろうか?
「早速だけど、鎮守府の現状を教えて」
「えっ現状?」
「インフラが通っているのかとか備品は足りているのかとか色々あるでしょ? もしかして、何も確認してないの?」
「すまん……」
マズイと直感が言った。
私がいた鎮守府の提督は私が教わる立場だったこともあるが一人で仕事ができる人間だったし、私が何かを聞くと必ず明確な答えが返ってきた。それなのに、目の前の人は基礎的なことすらできていない。
「今、すぐに確認するわよ。アンタも手伝いなさい」
「あ、ああ……」
彼との慌ただしい一日が始まった。
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「あー、疲れた!」
その日の夜、仕事が終わった私は自室の硬い布団に突っ伏した。
何もかもがズタボロだった。鎮守府は電気は通っているものの水道管は腐っているし、どこもかしこも埃塗れだし老朽化してる場所も多い。
それに、司令官の使えなさには怒るを通り越して呆れるしかなかった。あの人は鎮守府運営のことが何にも分かっていない。何をするにもマニュアルを見ようとするし、施設の役割について一々私に聞いてくる。小学生に授業をしてる気分だった。
私から指示された物を数えたり、荷物を運ぶような単純作業は真面目にやってくれるけど自分から動くことはまずない。何もかも私の言いなりでどちらの立場が上なのか分からなかった。
こんな人で大丈夫だろうか? いや、無理だ。司令官のしの字も分からないような人に命を預けるなんて私はできない。たとえ、後方の任務がメインになるとしても今の状態だと絶対に無理だ。
「何もかも私がやらなきゃか……」
独り言を呟いた。
人にものを教えるのは不安だけど、やっていくしかない。幸いなことに彼は真面目ではあるみたいだし、人間的にもそこまで悪い人ではなさそうだ。弱気なこともあって素直に私の言うことを聞いてくれそうだし、そこまで悪い結果にはならないはず。敵前逃亡のことも彼は知らないみたいだし、尚更都合がいい。
少なくとも、一度も褒めてくれなかったあの女のようなヘマはやらないつもりだ。仕事ができれば評価するし、それが本人に伝わるようにする。それだけで変わるはずだし、私のようにはならないはず。
いずれにしても彼には頑張ってもらわなければならないし、私も居場所を確保するために頑張らなければならない。
頭の中に浮かんでくる不安を押し殺して私は目を閉じた。
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その日から新しい司令官との日々が始まった。分かっていたことではあったが、彼は要領の悪い人間で何をするのにも私の指示が必要だった。秘書艦経験があって本当に良かった。
やることはいくらでもあった。鎮守府の日々の業務以外に掃除や町への挨拶をしなきゃだったし、上への連絡もある。艦娘が私一人だけだったから出撃とかはなかったけど忙しいことには変わりない。前線にいた時とは違ったベクトルで忙しく、疲れる日々だった。
何もかもがダメな司令官だったけど一ヶ月ぐらいしたら少しはマシになってきた。多少は私に聞かなくても手が動くようになったし、彼もやるべきことが分かるようになった感じがした。
鎮守府に新人の荒潮と陽炎が着任したのは、そんな時だった。陽炎の紹介状は母だった人間からだったこともあり、不安を感じたが余計なことは一切書かれていない簡潔なものだった。
「荒潮です。よろしくねー」
「よろしく……」
顔を背けてぶっきらぼうな挨拶をした陽炎を思わず睨みつけた。何が気に入らないのか知らないけど、いくら気に入らないからって初見の相手なんだし、最低限の礼儀は守るべきだ。このガキはそんなこともできないのだろうか? 母だった人間が相手なら絶対に怒られている。
「提督の青崎だ。よろしく……」
「叢雲よ。よろしく」
自信なさげに話す司令官の話を区切って自己紹介を済ませた。こういう輩には下手に出ると甘く見られる。しっかりとした対応をするべきだ。
「二人の部屋は二階の階段を降りて右側よ。相部屋で悪いけどよろしく」
「はーい、行きましょ陽炎ちゃん」
笑顔で部屋を出ていく荒潮に陽炎は無言でついて行った。私は二人がいなくなるのを見計らってから司令官に声をかけた。
「どう思う?」
彼が私の質問にビクッと反応した。
「えっ?」
「二人をどう思ったのか聞いているの。怒らないから素直に答えなさい」
「えーと……」
少しの間、沈黙が流れた。
「荒潮はフレンドリーだし、大丈夫そうだな。だけど陽炎は苦手かもしれない。着任したばかりの時の君みたいで……」
失言をしたと思ったのか彼は慌てて自分の口を塞いだ。
「ごめん。聞かなかったことにして……」
「いいのよ別に。言えって言ったのは私だから」
昔の私……確かにその通りかもしれない。陽炎が何であんなに不機嫌なのか理由は分からないけど、何かしらの不満があるのは間違いない。今後のことを考えると放置して良い案件じゃないし、早めに解決しておくべきだ。
「司令官、今日の書類片付けて置いてくれる?」
「えっ?」
「やらなきゃいけないことができたの。悪いけど任せたわよ。アンタならできるでしょ?」
「あっ、ちょっと……!」
私を止めようとする司令官を後目に私は執務室から外に出た。
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嫌だが鎮守府のために手段を選んではいられないその日のうちに紹介状を書いた母だった人間に電話をかけた。
「はい、神通です」
受話器の向こう側から聞き慣れた声がした。
「叢雲よ」
私の一言にため息が聞こえた。
「何の用ですか? 縁は切りましたよね?」
「お宅の士官学校にいた陽炎のことを聞きたいの。捻くれてるみたいだけど、何か原因に心当たりない?」
「陽炎さんに聞いてみたらどうですか? 本人に聞いた方が早いと思いますが」
何で私が話さなきゃいけないんだ? と言わんばかりのぶっきらぼうな話し方にカチンときた。
「何かやらかしたら教育不足が原因って判断するけどそれでいいかしら? 教育不足の子供はさぞかし、素晴らしい活躍してくれるでしょうね」
「つっ……!」
沈黙が流れる。受話器の向こう側から怒気を感じた。
「……断言して言えませんが陽炎さんの義理の妹の不知火さんが原因の可能性があります。陽炎さんは優等生でしたが彼女よりも優秀な不知火さんに嫉妬してました。それに、陽炎さんは前線志望です」
少し時間が経ってから彼女の声が聞こえた。
何となくではあるけども話が分かった。要するに陽炎は妹へのコンプレックスを拗らせているわけだ。加えて、前線志望だったから後方送りなのも不満だったのだろう。
「なるほどね。感謝するわ」
プツンと音がして電話が切れた。
得た情報は少なかったけど、それでも現状を認識するには十分だ。相手が昔の私となるなら解決は簡単。一度、徹底的に負かして後悔させればいい。前線送りを望んでいるらしいけど、今のまま行っても必ず前線の不条理に飲み込まれて戦死するに決まっている。その意味でも一度、失敗を経験させた方がいい。
大きな失敗をさせた上で飴と鞭でしつければ優等生らしい真面目な子になるはずだ。
陽炎の実力を測るために少し時間を置く必要はあるけども解決は可能だと思う。司令官を説得したり、陽炎の様子を気にするような仕事が増えたのは憂鬱だけど、秘書艦として仕方の無いこと。
いずれにしても陽炎には頑張ってもらわなければならない。鎮守府のためにも私のためにも。
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一ヶ月の間、陽炎には訓練や遠征等の後方任務をやらせた。
普段は真面目に働いているように見えるが顔には不満が浮かんでいるし、同室の荒潮ともあまり話をしない。 空き時間はずっと体力作りのトレーニングや自主練をやっている。彼女の態度からかなりの努力家であることが分かった。私も司令官も荒潮も彼女のことを真面目と評価したけど、陽炎自身はそれを嬉しく思う様子はなかった。
こんな鎮守府から直ぐに抜け出して一刻も早く前線に立ちたい。そんな気持ちに囚われているように見えた。
陽炎は頑張っていたが、戦場を知らない子供にしか見えなかった。前線で戦い方を学ぶなんて死と隣り合わせだし、あの子が長生きできるとは思えない。私と同じように壊れるか戦死するかのいずれかだろう。初期組の中で最優秀だった私が一年も経たないうちに壊れたのが良い証拠だ。
間違いなくあそこは人が生きていける環境ではない。陽炎が後方に送られたのは、悔やむべきではなくむしろ幸運なこと。それがわかっていない。
元々考えていたことではあるけど、個人演習で分からせるという方針は正しいと思う。司令官は乱暴過ぎると反対したけども、他にいい方法があるの? と聞いたら黙った。
幸いなことに訓練を見ている感じだと優等生らしい成績を出すけど動きに癖がある。それを咎めれば容易に勝てるだろう。
陽炎を個人演習で分からせると司令官からも了承をとったその日のうちに私は彼女に声をかけた。
「陽炎、ちょっといいかしら?」
「何か用?」
遠征終わりの陽炎が不機嫌そうに呟いた。
「個人演習をしない?」
「個人演習?」
「私と一対一で砲雷撃戦をするの。使う弾は模擬弾だし、死ぬ可能性は無いから安心しなさい」
「やる意味あるの?」
何か狙いがあると気づいたらしい。すぐには乗らない彼女の目の前に餌をぶら下げることにした。
「戦いたいんでしょ? 勝ったら一つだけ何でも言うことを聞いてあげる。その代わりに負けたら聞いてもらう。それで、どうするの? 受けるの? 受けないの?」
安い挑発と思ったのか陽炎の表情に不快感が顔に見えた。だけど、罠だと思っても食いつかないわけにはいかないだろう。この手の人間はそういうものだ。過去の私がそうだったから。
「受けるわよ!」
舌打ち混じりに陽炎が叫んだ。
そこからは何もかも私の思惑通りだった。陽炎を一方的に負かせた上で弟子にするという大義名分で従順な部下にすることができた。
拗れさえ消えれば陽炎は優等生らしい良い子だった。私のいう事は素直に聞くし、彼女なりに必死になって頑張ろうとする。前線にいた頃の生活リズムをそのままやらせていたけども彼女が必死になって頑張るから私もつい熱をもって指導をしてしまった。
今考えると、陽炎を使える駒にしたかっただけなのにやりすぎたと思う。司令官や荒潮からも無理させ過ぎなんじゃないのか? と言われることが多かったが、訂正するのが面倒で陽炎の為と言って押し通した。
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「叢雲、少しいいか?」
陽炎の更生に成功してから二週間ぐらいした時、執務終わりに司令官に声を掛けられた。
「何よ」
「叢雲って酒は飲めるのか?」
「それって、誘ってるってこと?」
図星だったらしく、彼がビクリとした。
「あ……えっと……普段頑張ってる君を労いたいと思って……」
誘いに乗るか迷った。司令官の言うことだから嘘はないだろうし、私との距離を縮めたいとでも思っているのだと思う。私としてもアルコールは嫌いじゃない(最前線にいた頃によく飲まされた)し、丁度飲みたいと思っていた。だけど、ただ彼の誘いに乗るというのは面白くない。何か譲歩を引き出せないだろうか?
「自分のおごりでいいから……」
考えていたら司令官の方から口にしてくれた。彼のおごりというのであれば悪い話ではない。
「いいわ。アンタのおごりなら付き合ってあげる」
「ありがとう……」
彼の顔が明るくなった。
感謝されることに変な感じがしたが、司令官のおごりであることには変わりない。遠慮なく注文しようと思った。
居酒屋の個室に入ってビールで乾杯した。サシ飲みが始まってからはお互いに無言だった。私は自分から切り出す気が無いし、提督は何も話さない。私を労うという話はどこにいったのだろうか?
「黙ってないで何か話しなさいよ」
十分ぐらいして我慢しきれずにそう声をかけた。
「あっ、すまん……」
やっと司令官が口を開いた。この人は何もかも私が言わなきゃダメなのだろうか?
「陽炎の件……ありがとうな」
彼が小さく息を吸ってしてから呟いた。
「やるべきことをやっただけよ。別に感謝されることじゃないわ」
司令官の言葉に小さな罪悪感を感じた。陽炎のことは解決すべき問題だったし、半分ぐらいは私のためにやったことだ。結果的に鎮守府や司令官の為になったとはいえ、感謝されるようなことではない。
「いや、君のおかげだよ。自分だけじゃ陽炎を更生するのは無理だったし、鎮守府が滅茶苦茶になっていたかもしれない。改めてお礼を言わせて欲しい。ありがとう」
司令官の態度に内心ため息をついた。彼としては私のおかげという形にしたいらしい。本音を話すのは不可能だし、ここは素直に受け取っておくフリをするのが良いかもしれない。
「そこまで言うなら礼として受け取っておいてあげるわ」
また、沈黙が流れた。
私としては話すことは無いし、司令官も何も話そうとしない。ただ二人で酒を飲んで頼んだ料理を食べる時間が続いている。
せっかくのおごりなのだから高めのものを飲もうとビールを飲んだ後は日本酒を飲んでいたが彼も私に合わせて日本酒を飲んでいた。彼が酒を飲むペースはかなり早い。私が一合の半分を飲む間に彼は二合頼んでいた。彼の飲み方はただ飲むのが早いだけではなく早く酔いたい、という感じがする。
「いつも、頼りない司令官でごめんな」
二合目の徳利が空になり、追加の日本酒を頼んだ時に司令官が呟いた。
「何よ急に?」
「いや……普段、君に頼っていてばかりで悪いと思ってな……」
司令官が落ち込んだ様子で呟いた。
彼の愚痴話が始まった。司令官は何もできない人間で、愛国心と周囲の人間を見返したいという思いで提督を目指した。だけど、士官学校の成績はズタボロで提督になれたのも合格者数が少なかった際の繰り上げというほとんど運だけのもの。提督になってから何か変わるかと思えば現実は私無しでは鎮守府の運営すらろくにできないという現状。何もできない自分に嫌気が指している……そんな話だった。
正直、周囲に認められないという点で同情する面はあったけど聞くに絶えないものだった。彼がダメな人間というのは初日で分かったことだし、私に愚痴られても面倒としか思えない。酒は進んでいたから、適当に相槌を打ちながら早く潰れてくれないかと心の中で思っていた。
「できないならできないなりに頑張ってるならいいでしょ? なんでそんなに気にする必要があるの?」
「結果を残せていないなら意味が無いだろ? 努力の基準も分からないし、結果だけが全てなんじゃないのか?」
彼の目から涙が落ちた。面倒くさくてしょうがない。私に何を言って欲しいの? 私が肯定してくれるとでも思っているの? だとしたら、相談相手を間違えている。酔いが回ってボンヤリしてきたし、早く切り上げたい。
「はいはい、いい歳した大人が泣かないの。今がダメでもこれから頑張ればいいんだし、開き直りなさいよ」
口にして気づいたが自分の言葉に反吐が出た。とてもではないが一ヶ月前に自殺衝動に走っていた人間の言っていい言葉ではない。自分の言葉に強い嫌悪感を感じた。
「すまん……いつもありがとうな叢雲……」
彼の愚痴が止まった。彼の私への言葉は感謝するもので、いつもならそのまま流すけどこの時は不思議と嬉しさを感じた。
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それからしばらくは何もかもが私の思い通りだった。陽炎は私に従順だったし、提督は私に逆らわない。荒潮も私をからかう時はあったけど言うことは聞く。遠征や護衛任務ばかりで深海棲艦と交戦する機会もない。鎮守府は事実上、私の独裁体制だった。
だけど、それもそう長くは続かなかった。その場その場を繕っていけば人は騙していられるもの。そして、嘘に嘘を重ねていけば綻びが出てきてある日突然爆発する。
当時の私はそんなこと知らないし、何もかもが上手くいくと思っていた。自分が臆病なことを忘れていたし、トラウマを持っていたことすら頭の中に無かった。私は私が思っている以上に大馬鹿者だった。
現代編は必要は必要だと思いますか?(よろしければ投票した理由を一言で良いのでコメントにお願いします)
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いる
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いらない
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どちらでもいい