次の日、いつものように執務室に向かうと司令官と満潮の楽しげな声が聞こえた。
「おはよう」
私が執務室のドアを開けると、先程の声が嘘のように静まり返った。
「あっ……叢雲……おはよう……」
司令官が挨拶をしたが相変わらず満潮は私に挨拶もせずにソファーに座った。「出ていけ!」と言いたいのを必死になって堪えていつもの席に座った。
「叢雲……昨日は、その……」
司令官の言葉を無視して仕事に手をつけた。
彼は何が悪いのか分かっていないだろうし、根本的に悪いのは私だ。それに、形だけの謝罪を聞く気にもなれない。
ピリピリとした空気の中、時間だけが過ぎていく。ふと、時計を見ると満潮が参加する遠征任務三十分前の時間になっていた。
「満潮、そろそろ動きなさい」
「は?」
時計を見た満潮が呟いた。
「まだ、三十分前じゃない。何で動かなきゃいけないのよ?」
「軍隊で三十分前行動は当たり前。そんなことも分からないの?」
「何よそれ!」
満潮が怒鳴り声を上げた。
「叢雲、そこまで厳密にならなくても……」
「アンタは黙ってなさい! 満潮、やる気のない貴女は分からないかもしれないけど、軍隊ではそれが当たり前なの。分かったなら、早く準備をしなさい!」
満潮が舌打ちをしてソファーを立った。
「あら?」
執務室から出る満潮とすれ違うように荒潮がやってきた。
「何かあったの?」
「遠征三十分前になったから準備しろって言っただけよ。荒潮、貴女も準備した方がいいんじゃないの?」
「そうね……」
少しの間、考えるような様子を見せた後に荒潮は満潮を追いかけるように執務室から出ていった。
執務室の中は私と司令官の二人きりになったが業務以外のことで話すことはなかった。
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「叢雲ちゃん、一緒にいい?」
その日の昼休み、一人でカレーを食べていたら荒潮に声をかけられた。
「好きにしなさい」
「失礼するわねー」
荒潮が私の横に座った。荒潮が声をかけてたということは何かしらの意図があるのだと思う。だけど、荒潮は何も言わず時間だけが過ぎていく。
「満潮はどうしたのよ?」
周囲に満潮の姿が見えないことに気づき、その事を聞くことにした。
「満潮ちゃんなら用があるって……」
「あの糞ガキ!」
思わずスプーンを投げて立ち上がった。
「待って! 叢雲ちゃん!」
「だっても待ってもないわ!」
執務室に向かおうとしたら、食堂の入口で私のことを驚いた顔で見つめる満潮が目に付いた。
「アンタ! 何やってたのよ!?」
「何って、猫に餌あげてただけよ!」
「嘘言うんじゃないわよ! アイツに会いに行ってたんじゃないの!?」
「行ってないわよ!」
満潮に言い返そうとしたら荒潮が割って入った。
「叢雲ちゃん、落ち着いて!」
「落ち着けって……あっ、ちょっと何すんのよ!?」
荒潮に手を取られて近くの空き部屋に引きずり込まれた。
「何すんのよ!?」
「叢雲ちゃん、深呼吸しましょ」
今すぐにでも満潮を問い詰めたいけど、落ち着けと言う荒潮の言葉にも説得力がある。
私は軽く深呼吸をすると少し気持ちが落ち着いた。
「それで……何なのよ?」
「叢雲ちゃんが信じてくれるか分からないけど、満潮ちゃんは本当に猫に餌をあげてただけなの。倉庫の近くに住み着いた子がいるんだけど、その子が心配で毎日世話してるの」
嘘はついていないと思う。荒潮は人をからかうことはあっても、嘘をつくような子じゃない。信じるしかないと思った。
「謝れとは言えないけど……これ以上、満潮ちゃんを怒らないで欲しいの……」
満潮に非が無いなら私から怒る理由はない。
「……分かったわよ……」
「それと……もう一つ聞いて欲しいんだけど……」
荒潮が少し間を置いた。
「満潮ちゃん、過去にDVを受けていたの」
「DV?」
「母親に虐められていたのよ。普段はあんな風に見えるけど、本当は臆病で優しい子なの。叢雲ちゃんのことも何で怒るのか分からないって怖がってたわ」
親から虐待を受けていたのは私も似たようなものだ。満潮には満潮の傷があるのかもしれない。悪いことをしたかもしれないと思った。
「謝れとは言えないけど、満潮ちゃんのことも少し落ち着いて見て欲しいの」
鐘が鳴った。昼休みの時間は終わり。私は黙って、空き部屋のドアに手をかけた。
「大丈夫。叢雲ちゃんならできるはずよ」
「ありがとう」
荒潮にそう返して執務室に向かった。
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勝手な誤解で満潮を傷つけたのは私が悪い。それに、彼女も私と同じ傷を負った人間なのかもしれない。
今の私は満潮に謝れないと思う。お互いに分からないことだらけだし、ろくに話し合えてすらいないのだから。だけど、時間をかければ分かり合えるのかもしれない。
そう思っていた。だけど、執務室のドアを開けてその想いは粉々に打ち砕かれた。
「何でアンタがここにいるのよ!?」
執務室で司令官と満潮が二人で話をしていた。
「何でって、午後は何もないからいいじゃない!」
「黙れ!」
満潮の胸倉を掴んだ。
「アンタは出禁よ。二度と顔を見せないで」
「何で……何でそんなに虐めるの……?」
満潮の目に涙が浮かんだ。
「何がそんなに気に入らないの? 私が何か悪いことした……!? 悪いことをしたなら謝るから言ってよ……!」
胸倉を掴む手を緩めると満潮が泣きながら立ち上がった。
満潮は何も言わずに泣きながら執務室から出ていった。
(何をしているの?)
満潮の姿が消えて少しして、頭の中の何かが呟いた。
(馬鹿なの? なんで分かり合えると思ったの? 周りに当たり散らすだけのアンタができるわけないでしょ?)
うるさい……! 私だって悪いのは分かってる。自分が馬鹿なのも分かってる。だけど……
自分の中の声を押し殺していたら司令官が席を立った。
「どこに行くの?」
執務室を出ていこうとする彼を止めた。
「満潮を見てくる」
彼の言葉に椅子を蹴り飛ばした。
「あの子のことがそんなに大事なの!? 私よりもあの子が大切なわけ!?」
「いや……そういうわけじゃ……」
「もういいわ! 好きにしなさいよ!」
執務室を飛び出した。彼が私を呼ぶ声が聞こえたが無視した。
今はただ、一人になりたかった。
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この日以降、私は司令官と仕事のこと以外であまり話をしなくなった。毎日、オドオドする司令官を見ると心が傷んだけどやめられなかった。
満潮を見ると睨む癖がついた。私が睨むと満潮は顔を青くして小動物のように怯える。悪いことだと理解して、何度もやめようとしたけどやめられない。
荒潮の話をあまり聞かなくなった。荒潮は何度も拗れてしまった人間関係を正そうと私に声をかけてくれた。だけど、失敗して状況がより悪くなるのが怖くなって受け入れにくくなってしまった。
周りが皆、敵に見えた。私と満潮の間に何かがあったのは誰が見ても明らかだったし、司令官との不仲も噂された。毎日が辛かったし、仕事が終わって部屋に戻ると一人で泣いた。
ストレスで寝不足になって、不機嫌になって、また大きなミスをして、周囲が噂して……その繰り返し。私は急速に消耗していった。
陽炎の義理の妹の不知火が着任したのはそんな時だった。
無表情で顔に火傷の痕のある少女……。不知火の初印象は怖いの一言だった。目に生気が篭っていないし、何を考えているのか分からない。陽炎の手紙で復讐の為に破滅的な行動をとる狂人と聞いていたが、予想以上だった。
これが私の母だった人間が求めた理想の軍人像なのだろうか? とてもではないが、私はこうはなれないと思う。
いざとなったら私が体を張って司令官を守らなければならなくなるかもしれない。だけど、体は震えていて動く自信が無かった。
大丈夫、不知火を呼んだ目的は彼女にとって大したことじゃないはず。そう言い聞かせて逃げたい気持ちを堪えた。
「不知火です。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」
「君が不知火か。噂は聞いているよ」
「何が目的ですか?」
司令官の言葉に違和感を感じたのか不知火の表情に小さな疑問符が浮かんだ。
「君にしか頼めない事があるんだ。それが終わったら明日にでも鎮守府に返すよ」
「何ですか?」
「瑞鳳に会ってくれないか?」
「瑞鳳にですか?」
不知火を呼んだのは瑞鳳が心配だという司令官の我儘だ。荒潮も彼に賛成していた。私は、リスクの高さから反対したけども受け入れてもらえれなかった。
「君がいた鎮守府の元ルームメイトで戦友なんだろう? ここに来た当初は真面目に働いていたんだが……二ヶ月したぐらいだったかな……急に酒に溺れたんだ。今の彼女は誰が話しかけても話を聞いてくれないし、話そうともしない塞ぎ込んでいる。だけど、元戦友ならば、と思ってね……」
不知火が何かを察したように小さくうなずいた。元戦友だけあって瑞鳳の傷を知っているのかもしれない。
「瑞鳳を立ち直らせる保証はありませんがそれでもよろしいのですか?」
「ああ、構わない」
「承知しました。今の瑞鳳はどこに?」
「工廠に瑞鳳と付き合いのある若い整備兵がいるはずだ。手間をかけるが彼に聞いてくれ」
不知火が執務室を後にした。
「どう思った?」
不知火がいなくなったのを見計らって司令官に声をかけた。
「怖い……な。君は?」
「同じよ。いざとなれば守らなきゃいけないって思ってた」
「そうか……ありがとう……」
小さな彼の声に少しだけ救われた気がした。
司令官と私の関係は壊れてしまったのかもしれない。だけど、艦娘としての義務は果たせた。そのことに小さな誇りを感じた。
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終戦の一年前は多忙だった。
この時期は人類が深海棲艦に全面反抗を開始してそのまま押し切った時期に当たる。本来、後方がメインの私達も前線に引っ張り出されることが増えたし、それに比例してこなさなければならない仕事も増えた。
当然ながら司令官や満潮との仲を気にしている余裕は日々の仕事で手一杯で余裕なんて無くなった。ストレスが溜まって周囲への当たりがキツくなった。仕事のミスも増えた。
司令官はオドオドしなくなった。代わりに私の態度に苛立つようになった。
満潮は顔を出さなくなった。いつも部屋に引きこもっていて任務の時だけ表に出てくるようになった。
荒潮にもかなりの負荷をかけていた思う。疲れた顔をしていたし、高熱を出して倒れていた。
総じて色々なものが壊れる条件は整っていたと思う。戦争が終わる一ヶ月前にそれは起きた。
「なぁ……いい加減にしてくれないか?」
遠征任務の失敗で満潮を怒鳴りつけて泣かせた直後に司令官が呟いた。いつもとは違う声に嫌な予感がした。
「何よ?」
「最近、どうかしてないか? 疲れてるのは分かるけど、いつもイライラしてるし満潮には強く当たるし、何がしたいんだ? そんなに満潮が気に入らないのか?」
司令官の口から出てきた満潮の名前に怒鳴りたい気持ちを必死になって抑えた。
「……ミスをしたから叱っただけよ。指導の内でしょ?」
「叱るにしても、言い方があるんじゃないのか? たしかに昔の君は凄かった。陽炎を説得したし、君無しだと鎮守府は回していけなかった。だけど今は何なんだ? どうかしてるぞ」
……そんなこと言われなくても分かってる。だけど……
「……あの子を庇うつもり?」
「……そうだな。おかしいのは君だ」
ボールペンを机に叩きつけて蹴り飛ばした。書類が床に散らばる。
「叢雲! 落ち着け!」
「もう、いいわよ。私なんかいらないんでしょ? あの子の方が大切なんでしょ? 確かに私はキチガイよ。何もできない癖に傷つけてばかりで何の価値もない人間。邪魔なんでしょ? だったらいなくなってやるわ!」
司令官が呼び止めるのも聞かずに執務室から外に出た。
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鎮守府を飛び出し、なんの宛も無いまま外を歩いた。
時間が経つにつれて気持ちは落ち着いてきたけど、代わりに何もかもを失ったという事実を突きつけられた気がした。
終わった。ついさっき、私自身は無価値だと私自身が証明した。もう鎮守府にはいられない。いても迷惑なだけだし、誰も私を受け入れてくれない。
何もかも私自身がまいた種。私が悪い。私さえいなければ……
目に付いた近くの防波堤に向かった。出撃の時に何回も見た場所。ここにしよう。
防波堤に座って空を眺める。良い天気だった。空から照りつける太陽が恨めしかったけど、今の私は焼かれるのがお似合いなのかもしれない。
今の私には何も無い。艦娘としての価値も人としての価値さえも。
何の為に生まれてきたのだろう? 家の為に? 苦しむために? 何もかもを失う為に?
涙が頬を伝った。自己偽善の汚い涙。今の私にはそんな価値さえないはずなのに……
もう終わりにしよう。
これ以上、傷つくのは嫌だし誰かを傷つけるのも嫌。私の為に皆の為に私は死ななければならない。
自殺しかけたあの日、私は死への恐怖が勝ってしまいそれができなかった。だけど、今ならできる。罪深い存在として生まれてしまった人間のできる最後の義務なのだから。
覚悟を決めて立ち上がった。体が震えて怖いと叫んでいるような気がする。体の震えを無理矢理押さえ込んで私は……
「待って! 叢雲ちゃん!」
急に後ろから、抱きつかれた。
「離しなさいよ!」
「嫌! 死んでも離さないわ!」
声の主は荒潮だった。彼女は熱を出して療養生活中だった。医務室の前を通った時に見られたのかもしれない。
「ほっといてくれる!? 死ななきゃいけないのよ! 邪魔しないで!」
「いいから……! 落ち着いて……!」
長い時間、取っ組み合いのような形になったが荒潮があまりにも意固地で最終的に折れたのは私の方だった。
「何なのよ……? 何で邪魔するの? 一人で死ぬんだからほっといてよ……!」
「ほっとけないわよ……! 叢雲ちゃん、お願い。生きて……! 周りの大切な人が死ぬのはもう嫌なの……!」
泣きながら叫ぶ荒潮に彼女の過去が頭をよぎった。
荒潮は初恋の人を戦争で亡くしている。むしろ、死んだその人に会えるかもしれないから艦娘になった経緯だ。死に場所を求めていると言ってもいい。故に誰かの死を恐れるし、私を必死になって止めようとした。そんな所なのだろう。
私にとっては余計なお世話でしかないが。
「ほっといてよ……居場所なんて無いし誰も認めてくれない。アンタだって本当は邪魔だったって思ってるんでしょ?」
「思ってないわよ! 叢雲ちゃんが生きてるだけでいいの……。叢雲ちゃんの仕事は全部私がやるわ。秘書官任務もやるし、出撃もする。皆の面倒も見る。サボっててもいいし、部屋に引きこもっててもいい! だから……!」
小さく舌打ちをしてから下を向いた。
私は死ぬことすら許されないらしい。何が起きても、生きろと言われる。手を振り払うことは簡単だ。だけど……
「分かったわよ……」
「え?」
「アンタが私の役目を変わってくれるなら、生きててあげる。でも、何もする気はないから……責任は負いなさいよ」
「ありがとう……!」
泣きながら話す荒潮に強い罪悪感を感じた。
今すぐに死にたい。生きたくなんかない。だけど、それさえも許してもらえない。生き地獄という言葉が相応しいのかもしれない。
嘔吐感すら感じる感情の中、私は部屋に戻った。
その日の夜、荒潮から彼女手製の小さなお守りを渡された。本当に辛い時に開けてほしいと言われて渡されたそれをタンスの上に置いた。
こんなものは気休めとしか思えない。荒潮がどんな意図で私にこれを渡したのか知らないけど、開けることはないだろう。
体が鉛のように重い。何をする気にもなれないまま布団の上に寝転び目を閉じた。今はただ、眠りたかった。
現代編は必要は必要だと思いますか?(よろしければ投票した理由を一言で良いのでコメントにお願いします)
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いる
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いらない
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どちらでもいい