一部に作者の実体験を含みます
終戦前の一ヶ月、私は艦娘としての活動をほとんどできなかった。いや、人としての生活すらできていたのかも怪しい。
毎日、不規則な時間に寝て起きて引きこもるだけの日々。食事とトイレに行く時以外はずっと布団の上にいた。
毎日が嫌だった。体は動かないし、食事の味もしない。ただ、外からたまに聞こえる話し声が私を馬鹿にしている気がして怖かった。
そして何よりも、荒潮に仕事を全て押し付けている現実が辛かった。私を止める直前、荒潮は高熱を出して療養中だったはず。動けたのは解熱剤で誤魔化して動けていたからにすぎない。
日に日に弱くなっていく食事を届けに来る荒潮の声を聞くのが嫌だった。何もできずに荒潮を傷つけてばかりの私自身を直視してる気がして嫌だった。
私が引きこもっている間、司令官は会いに来なかった。荒潮が止めたのだと思う。司令官に会えないのは寂しい気がしたけれども、良かったとも思う。会ったところで話なんてできないだろうし、拒絶してしまっただろうから。
ある日のこと。昼食を運びに来た荒潮の声がしなかった。落とすような大きな音で食器が置かれた後に早足で遠ざかる足音に違和感を感じた。
夕食も荒潮の声がしなかった。食事を置いて、足音が早足で遠ざかろうとする。
何故かは分からない。私にはドアの向こうにいる人物が満潮の気がした。
「満潮?」
足音が止まった。
「荒潮はどうしたの?」
少しの間、沈黙が流れた。
「死んだわ」
満潮の言葉が信じられなかった。
「えっ?」
「アンタのせいよ。アンタが勝手なことをしたから……! アンタが代わり死ねば良かったのに!」
満潮の気配が消えた。
私のせいだ。私が代わりにやれなんて言ったから……。あの時、荒潮の手を振り払うべきだった。
満潮の言う通りだ。あの場で荒潮の手を振り払い、私は一人で死ぬべきだった。
一人で死ねば荒潮も死なずにすんだし、他の誰かを傷つけなかったのに……
どうして? どうしてこんなことしかできないの?
人に迷惑をかけるくせに死ぬこともできないクズみたいな人間。すぐに死ぬべきだ。だけど、体が動かない。視界が濁って涙が流れる。
死ぬことすらできない人間。その事実が嫌でしかない。もう、何もかもが嫌だ。私自身もこの世界も……
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どれぐらい時間が経ったのだろうか? 目が覚めた。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。カーテンの隙間から陽の光が中に差し込んだ。
私の死を止めていた荒潮はもうこの世にいない。何をしても誰も引き止めないし、むしろ喜ぶかもしれない。当然だ。何もできない嫌われ者の穀潰しがこの世から消えるのだから。
体は動く。死ぬ為の準備ぐらいは出来ると思う。
もう、終わりにしよう。
一人で決意した。
どうやって死ぬかを考えていたら、部屋の中の鏡が視界に入った。今の私がどんな顔をしているのかと思い覗いてみたら、一ヶ月前と何も変わらない私が目の前にいた。
鏡の中の人間が笑った。馬鹿馬鹿しい。誰も気づかれないわけだ。むしろ、気づいた荒潮が異常とさえ思える。気が済むまで笑った。
足に何かが触れた。艤装の主砲だった。これで頭を撃ち抜けば全てが終わるだろう。私はそれを手に取った。
久しぶりに触った主砲はやけに重く冷たく感じた。弾は入ってる。今すぐにでも実行できるだろう。主砲を右手にはめて頭に当てて……
何かが膝の上に落ちた。荒潮の作ったお守りだった。そういえば、荒潮が本当に辛い時になったら開いてと言っていた気がする。
馬鹿馬鹿しい。こんなもので何とかなるなら、私は今、死のうとしていない。だけど、何が書かれているかは少し気になる。どうせ死ぬのだから最後ぐらい見ても良いのかもしれない。
頭から主砲を下ろしてお守りを手に取った。
「ふざけんじゃないわよ!」
中を見て思わずお守りを紙ごと投げ捨てた。
お守りの中の紙に書かれていたのは 「提督に全てを打ち明けて、甘えてきなさい。大丈夫、提督なら全て受け入れてくれる」 といったものだった。
司令官が許してくれる? 冗談じゃない。彼ほど私に失望した人間はいないはずだ。今更、どうしろと言うのだろうか?
彼を愛する気持ちは今でも変わらない。抱き締めて欲しいし、受け入れて欲しい。あの時の関係に戻りたい。だけど……そんなこと起きるはずがない。
司令官を失ったあの時から私は何も変わらない。むしろ、酷くなった気さえする。何もできなかった上に荒潮まで殺した。私は今すぐにでも消えなければならない人間だ。許してくれるはずがない。
でも、もし許してくれるとしたら……?
頭の中にそんな考えが浮かんだ。馬鹿馬鹿しいと思う。妄想の類にしか感じられない。でも……彼と話す機会はもう無いのだから最後の話し相手としては良いかもしれない。
部屋から出て執務室に向かった。
執務室の前に立った。最後に見たのはどれぐらい前なのだろうか? 何も変わらないはずなのに久しぶりに見た執務室のドアは妙に無機質に感じた。覚悟を決めてノックした。
「誰だ?」
中から彼の冷えた声がした。
「私よ」
「……叢雲?」
彼が少し驚いた声で呟いた。
「入ってくれないか?」
無言で執務室のドアを開けた。
執務室の中は彼一人だった。エアコンが壊れているのかとても暑い場所だった。司令官は荒潮の戦死で眠れなかったのか眼を真っ赤にして椅子の上に座っていた。
「大丈夫……なのか?」
何も言わなかった。言えなかったという方が正しかったのかもしれない。今から私がすることは醜い甘えと言って良い。九割九分失敗するし、大声で罵られるかもしれない。
だけど……
「司令官」
「どうした?」
「司令官は私のこと愛してる?」
彼の顔に驚きが浮かんだ。
「愛してるに決まってるだろ」
無理に嘘をついているように感じた。
「嘘つかなくていいわよ。本当は嫌なんでしょ? 私なんか邪魔なんでしょ? 私さえいなければって思ってるんでしょ?」
「何を……」
目から涙が流れた。
「いいのよ別に。アンタが幸せになるなら私じゃなくても。満潮だっていいし、他の子でもいい。私なんか捨てていい……だから……!」
「叢雲!」
彼が駆け寄って私を抱き締めた。
「そんなこと、言わないでくれ。僕は君が好きだ。君だがらいいんだ」
私が聞きたかった言葉。それがやっと聞けた。司令官は私を愛してくれている。ただそれだけが嬉しかった。彼の言葉に涙が止まらなかった。
「ありがとう……」
私は震える声でそう呟いた。
気持ちが落ち着いてから司令官に全てを話した。満潮に嫉妬してたこと。司令官が取られるんじゃないかって不安だったこと。司令官が満潮を気にするのが嫌だったこと。怒るのをやめたいと思ってもやめられなかったこと。自殺しかけた時、荒潮に止められたこと。荒潮の戦死を知って自殺しようとしたこと……
司令官は気づけなかったことを謝りながら私の全てを受け入れてくれた。受け入れた上で絶対に裏切らないと約束してくれた。
もう一度、生きてみようと思った。
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終戦前一週間だけ秘書艦をした。陽炎に荒潮が戦死した手紙を書いたり、深海棲艦の攻撃に対処したりした。
終戦の数日前の空襲で瑞鳳とできていた整備兵が戦死したのを見た。ベッドの上の彼を見て瑞鳳は泣いていた。ストイックな軍人の彼女が泣いている光景は意外に感じた。私は司令官と繋がりを回復できたのが幸運だったのかもしれない。
終戦の日、私は終戦宣言を聞いてから自殺しかけた防波堤に向かった。司令官にそこに向かうように言われていたし、満潮もそこに来ることを知っていたから。
満潮は防波堤に腰をかけながら波が打ち付ける海を一人で眺めていた。
「何よ? 嫌味でも言いに来たの?」
「言わないわよ」
彼女の横に腰を掛けた。
しばらくの間、沈黙が流れた。ただ、波の音とウミネコの鳴く声だけがする。
話したいと思うけど、言葉が出てこない。
「何か話しなさいよ」
我慢しきれなくなったのか満潮が呟いた。いい加減、話すべきだと思う。
「……虐めて悪かったわね……」
覚悟を決めて口にした。
「何よ今更……!」
怒り口調で満潮が呟いた。
「嫉妬してたのよ。司令官が取られるんじゃないかって怖かった。本当にごめんなさい」
暑い日差しの中、防波堤に波が打ち付ける音がした。
今の私は満潮の言葉を待つことしかできない。許されないなら許さないでしょうがないと思うし、その件で満潮のことを悪くいう気はない。だけど、言葉を待っているこの時間が怖い。静かに時間だけが過ぎていった。
「分かったわよ……」
どれぐらい時間が経ったのだろうか? 満潮が呟いた。
「そこまで言うなら許してあげるわ」
彼女の一言に心のつっかえが取れた気がした。
「ありがとう……」
満潮は黙って海を見つめているが足を動かしている。何か話したいことがあるのだろうか? 直接聞くのも野暮だと思い、彼女の言葉を待った。
「……私も話さなきゃいけないことがあるわ」
長い沈黙の後に満潮が呟いた。
「何?」
「ごめんなさい」
唐突の彼女の謝罪に首を傾げた。
「どうしたの?」
「死ねって言ったことよ。荒潮に叢雲のことは責めないでって言われてたのに……」
何のことが思い出せなかったけど、話を聞いていくうちに荒潮が死んだ直後のことであることに気づいた。荒潮の戦死の理由は疲労が重なったのと戦場で満潮を庇ったことだったらしい。
満潮に暴言を吐かれても文句を言えないと思っていたし、謝られることでは無いと思う。だけど、満潮が謝るというのであればその謝罪は受け止めるべきだと思う。彼女の謝罪を受けることにした。
「いいわよ。気にしてないから 」
「本当に……?」
満潮が不安そうな声で呟いた。
「覚えてないのよ。あの時、誰かに荒潮の死を責められたことは覚えてる。それが原因で自殺しかけたけど……」
「自殺!?」
満潮の顔から血の気が引いた。
「ごめんなさい……! 本当にごめんなさい! 謝るから……お願いだから、死なないで!」
「大丈夫よ。今は落ち着いてるから、死んだりしないわよ」
満潮が落ち着くまでしばらく時間がかかった。口はキツイけど、本当は優しい子だと荒潮から何度も聞いていたがその通りなのだろう。悪いことをしたと思った。
「そろそろいいわね」
話が終わって、満潮が立ちあがり私に背を向けた。
「これからどうするつもりなの?」
私の質問に彼女は足を止めた。
「分からない。だけど、私は私の生き方をするわ」
満潮が自分の生き方をすると知ってホッとした。荒潮が生きていた頃の満潮は司令官や荒潮にベッタリだったけど、今の彼女は自立できている。それが嬉しかった。
「そう……頑張りなさいよ」
「叢雲も司令官と幸せに……ね」
防波堤にはただ海猫の声と波の音だけが響いていた。
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