艦娘だったあの三年にも満たないあの時を忘れられない。三十年以上生きてきたけれども、あの時が一番人間らしく生きていたと思う。あの時があったからこそ、今の私がある。
私は不幸な子供だった。父親は誰なのか知らない。母親の売春まがいの行為の結果、生まれた子供だった。
親から愛されなかったし、むしろ日常的にストレスのはけ口にされた。殴られた。食事を抜かれた。挙句の果てには真冬の外に裸で放り出されたりした。
誰も助けてくれなかったのに、生きていたのが不思議だったと思う。
私は身だしなみを整えられなかったし、コミュニケーションが下手だった。そのせいか学校では目をつけられて虐められたし成績も滅茶苦茶だった。いつも怒ってばかりで誰かが気にしてもその手を払い除けようとする。そんなひねくれた子供だった。
戦争が始まっても何も変わらなかった。むしろ、物価が高くなって待遇が酷くなったぐらい。毎日の食事が出てこなくなったし、このままでは殺されると子供でも気づいた。我慢しきれなくなり、十五歳の時に家を飛び出した。その日暮らしの生活を送り、母親みたいにろくでもない生き方をして、ろくでもない死に方をすると思っていた。だけど、十八の時に身寄りのない人間を軍に送る、いわゆる裏動員に引っかかった。
強制的な艦娘適性検査を受けたところ、私には適性があったと言われた。
正直言って嫌だった。私を取り巻く世界と社会その全てが嫌いだったし、誰が国のためになんかなるかという気持ちだった。
それでも……衣食住が保証されるという提案は魅力的だった。私は、同意があったという書類にサインをした。ただ、生きていたい。それだけの選択だった。
与えられた名前は朝潮型三番艦満潮。先の大戦の無名の艦船だった。
艦娘になってその日のうちに士官学校に送られた。制服を与えられて食事にありつけて(食事は三日ぶりだった)寝床で寝ることができた。人並みの生活が送れたと思ったけど、不安しかなかった。何をされるか分からないし、人と話せるかも分からない。ひょっとしたら、悪魔と契約をしてしまったのかもしれないとも思った。とはいえ、ここに来てしまった以上は一人で生きていくしかない。共同宿舎の硬い布団の上で目を閉じた。
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分かっていたことではあるが士官学校の日々は過酷だった。朝五時に起こされて、夜十時に就寝。加えてルームメイトは口煩い姉妹艦で年上の朝潮。喧嘩ばかりした。
教員の神通さんは美人で丁寧な口調ながらも訓練をするときは鬼教官と呼ばれるぐらい厳しかったし、他人とろくに話したことのない私は苦労した。不登校気味だったこともあって講義はさっぱり分からなかったし、当然ながら成績も(実技はそれなりだったが)悪かった。加えて性格の悪さもあって孤立しがちだった。
「満潮さん、少しいいですか?」
士官学校に入って一ヶ月ぐらいした頃、神通さんに声をかけられた。
「何?」
「満潮さんの態度は目に余るものがあります。もう少し、真面目にやれないのですか?」
心の中で舌打ちをした。
私はこの人が苦手だ。教官という立場だから仕方ないと思うが叱ってくるし、小言を言われることも多い。誰にでも平等に接するし悪い人ではないと思うが、真面目過ぎる態度が嫌いだった。
「別に私が何したって勝手でしょ? 放っておいてよ!」
「満潮さん」
神通さんが私を戒めるように呟いた。
「ここは士官学校です。決まりごとに従うのはあなたの義務です。それに、私は貴女の為を思って言っています。今は良いかもしれませんが、今のうちに学べることを学んでおかないと死にますよ?」
耳の痛い指摘だった。神通さんの言うことはその通りだと思う。だけど……
「ウザイのよ!」
これ以上、説教を聞くのが嫌でそう叫んだ。
私だって自分がおかしいことは分かってる。だけど、これ以外他人と関わる手段を知らないし治したいとも思わなかった。
「満潮さん!」
私を止めようとする神通さんを無視して宿舎に向かった。一人にしてほしかった。
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神通さんが何を思ったのかは分からない。だけど、その日以降、私によく声をかけるようになった。何かと声をかけてくるし、食事も私と一緒に食べようとする。何度も拒絶したけど、私と関わろうとしてくる。関わる人で区別しない人だったけど、私ばかり目にかけているのは明白だった。
「しつこいのよ!」
ある日、我慢しきれなくなって食事の場でそう反発した。
「いつも何なのよ!? 迷惑だって言ってるでしょ? 関わらないでよ!」
「満潮さん……」
神通さんが悲しそうな目で私を見つめる。小さく舌打ちをして目を逸らした。嫌だ。そんな目で見られたくない。
少しの間、沈黙が流れた。
「分かりました。満潮さんを気にかけるのはやめます。ですが、最後に一つ話をさせてもらえませんか?」
神通さんが震えのある声で呟いた。
「何よ?」
「私の娘の話です」
神通さんが話したのは娘とのわだかまりや後悔の話だった。神通さんには一人娘がいて、できる子ではあったがプライドが高くて他人を見下す癖があり性格面に問題があった。加えて、軍人の家系の女子(神通さんは男の子を産めなかったことがコンプレックスだったらしい)ということもあって一度も認めてあげたことがなかった。
二人の間のわだかまりの弊害は戦時中に爆発し、最終的には縁を切ることになった。縁を切った理由は娘が敵前逃亡をしてしまったというもの。家の名誉を守るための決断だったが神通さんはその時のこと(娘に「産まれて来ない方が良かった」と言われたらしい)を未だに後悔している……そんな話だった。
自業自得だし、今更後悔するなんて自分勝手過ぎると思った。だけど……嫌だったけど神通さんにほんの少しだけ同情した。
「その話が何なのよ? 私をその娘の代わりにしてたってわけ?」
「そう……かもしれませんね」
返す言葉が無かった。
神通さんの後悔は本当のことなのだと思う。目がそう言っているし、震えていたのだから。だけど、私を代わりにされても困る。私はその子を知らないし、代わりになんてなれるわけがない。
食事は終わったし無言で席を立った。
「満潮さん」
神通さんが呟いた。
「何よ? 話が終わったならいいでしょ?」
「辛いことがあったら相談に来て下さいね……」
返事を返すこともなく、私は食堂を後にした。
私が思う以上に神通さんは不器用な人なのかもしれない。どう接すれば良いのか分からずに失敗して、娘には「産まれてこなかった方が良かった」なんて言われて……
私も同じだ。人とどう関われば良いのか分からないし、強気に当たってしまうことが多い。その態度が人を遠ざける原因だって分かってるはずなのに……ほんの少しだけ、神通さんに親近感を感じた。
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その日から神通さんと少しだけ話をするようになった。話をするとは言っても、分からないことがあったり日常で困ったことがあった時に聞きに行くだけのもの。彼女の言うことも少しは聞くようになったけど、今までとあまり変わらない関係だった。
一年にも満たない士官学校での教育はあっという間に過ぎ卒業の時期となった。私の場合は成績不調だったが戦時下特有の繰り上げ卒業だった。卒業の数日前、神通さんに眺めの良い防波堤に呼び出された。
「話って何よ?」
「いよいよですね……」
冷たい風が吹いて神通さんの髪を揺らした。
「卒業のこと?」
「はい……満潮さんが生きて帰って来られるか心配です」
ため息をついた。未だに私を娘と重ねているらしい。そんなことされても困るし、私が期待に応えられるとは思えない。何もかもができる実の娘が認められなかったのだから尚更だ。
「私なんかよりも他の子のことを心配しなさいよ。私よりもできる子ならいくらでもいるでしょ?」
「本来なら、そう……あるべきですね……」
神通さんが震えた声で呟いた。
「士官学校の教員として間違っているかもしれません。教え子によって区別するなんてありえないことです。ですが……」
神通さんはそれ以上、言葉を続けなかった。言えなかったのだと思う。お互いに何も話さずに風の音と波の音だけがする。
立場に縛られ過ぎな人だと思った。前々から思っていたことだけど、神通さんは立場を大切にし過ぎている。
「何で、そんなに立場にこだわるのよ? 好きにすればいいじゃない」
そんな皮肉が自然と口から出た。
何でこの人がそんなに立場にこだわるのか分からない。規律に縛られなければもっと楽に生きられるのに、どうしてこの人は行きづらい生き方をしているのだろうか?
「……私にはそれしかありませんから……」
少しして神通さんが呟いた。
「どういうこと?」
「私も娘と同じように女だからという理由で下に見られてきました。その中で人一倍努力したからこそ認められ、夫にも恵まれました。規律を守ってきたからこそ今の私があります」
……言いたいことは何となく分かった。要するにこの人は自分の自制的な生き方と今の生き方を同一視してるわけだ。昔の自分と今の自分は違うはずなのに……馬鹿馬鹿しいと思った。
「理解できないわ」
「そうですか……」
また、沈黙が流れた。風の音と波の音と海猫の声しかしない。いい加減、寒くなってきたし部屋の中に入りたい。話を切ることにした。
「話は終わり? 寒いから部屋に戻りたいんだけど」
「満潮さん……!」
神通さんが振り絞るような声で呟いた。
「私は何人も教え子達を送り出してきました。戦死した子もいます……必ず生きて帰ってきて下さいね……」
何も返さずに神通さんに背を向けた。
彼女と話すのはこれが最後になるのかもしれない。生きて帰ってこれないのかもしれない。だけど、生きて帰ってこれたのなら……顔ぐらいは見せてあげて良いかもしれない……
この時の会話が神通さんと交わした戦時下での最後の会話となった。終戦まで彼女と会うことは無かったし、連絡も向こうから手紙を何通か送られてきただけだった。当然ながら数日前に神通さんの夫が戦死した事は知らなかったし、神通さんが叢雲の母親だということを知ることはなかった。
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