五日目に初めての出撃を経験した。旗艦は叢雲で艦隊には前線に従軍経験のあるベテランの瑞鳳がいた。
正直に言って私は瑞鳳が苦手だった。何を考えているのか分からないし、訓練や任務がない暇な時はいつも酒に浸っている。何かを抱え込んでいるような気がしたけど本人は何も話さないし、人付き合いも悪い。ベテランだけあって実力はあるし、訓練の監督をすることも多い。訓練の成績が悪かったり、サボってばかりの私はかなり嫌味を言われた。彼女がただただ怖かった。
「ねぇ、そこのフレンチクルーラー」
遠征の帰り道に彼女に声をかけられて体がビクッとした。フレンチクルーラーというのは私の髪型のことだ。
「何よ?」
「もっとちゃんと警戒してくれる? いくら、制海権が確保されてるからって深海棲艦が出ないわけじゃないんだけど」
「警戒しろって、どうしろって言うのよ!?」
口にしてしまった自分の言葉と瑞鳳のため息に心の中のアラートが鳴った。
「前ばかり見てないで周囲も見ろって言ってるんだけど。基本中の基本だけどそんなことも分からないの? 少しぐらい自分で考えたら?」
「何様のつもりよ!?」
瑞鳳の煽るような言い方に思わず声が出た。
「何様? 当たり前のことを言ってるだけなんだけど? 普段の訓練を真面目に受けてないから分からないのは自業自得でしょ?」
「黙れ!」
頭にカッと血が上り彼女を殴った……はずだった。私の拳は空を切り、そのままバランスを崩して頭から海上に落ちた。
凍るように冷たい海水の感触が全身に走る。息ができなくなって、慌てて手足をバタバタさせていると強い力で背中から引き上げられた。
「何やってんのよ!?」
私を引き上げたのは叢雲だった。
「二人ともいい加減にしなさい! 仮にも遠征中よ。喧嘩するなら帰ってからにしなさいよ!」
「何か悪いことした? あの子が勝手に転んだだけなんだけど?」
「瑞鳳は黙ってなさい!」
叢雲は瑞鳳を怒鳴った後に海上に立たせた私を睨んだ。嫌な予感がした。
「アンタはアンタでもっと真面目に訓練に取り組みなさい! 普段サボるからこんなことになるのよ! いくら後方だからって冗談抜きで死ぬわよ。死にたくなかったら、自分の役目をしっかりやりなさい」
私の「はい……」という小声の呟きも聞かずに叢雲が私に背を向けた。凍えそうなぐらいに寒いし、辛いし何もかもが最悪の気分だった。
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その日の昼休みに私は人気の少ない廊下で泣いた。瑞鳳が嫌味を言うのは当然だ。叢雲が怒るのも当たり前。何もかもが私の責任だ。なんで、当たり前のことが当たり前にできないんだろう? どうして素直に謝れないんだろう? 私は私が大嫌いだった。
「……満潮、大丈夫か?」
大人の人の声がした。顔を上げると心配そうな顔をしたこの鎮守府の司令官がいた。彼と話すのは着任した時以来だった。
見られたという恐怖心を感じた。
「何でもないわ」
「あっ、待て……!」
彼の前から全力で逃げた。
我ながら馬鹿だと思う。話せば何か変わったかもしれないのに。彼が受け止めてくれたのかもしれないのに。この世から消えてしまいたいと真摯に思った。
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その日の夕方、野良猫がいたあの場所に行くとむすっとした顔をした彼がいた。
「相変わらず不機嫌そうね」
猫缶を開けて彼の近くに置いた。彼はいつものようにそれをガツガツと食べ出す。中身を食べ終わった彼は私の近くに座った。
「相変わらず、貴方は自由でいいわね」
私の一言に彼は気に入らなさそうな顔をしてそっぽを向いた。
野良猫との関係は続いていた。彼は気まぐれで会ってくれる時とくれない時がある。彼がいなくてへこむ時はあったけど、私に似ていると思うと放っておけなかった。餌付けをしてるだけだけど、今の彼は鎮守府唯一の友人……だと思いたい。
「自由……か……」
ふと、哲学的な考えが浮かんだ。
私は生存本能で家出した。家出をしたあとは自由だったが、寒くて飢えて孤独な辛い日々が続いた。世間一般は自由を望むことが多いけど、本当に自由は良いことなのだろうか? 鳥になって空を自由に飛びたいなんて思想が馬鹿らしく感じる。
艦娘になって飢えと寒さからは解放された。それ自体はありがたいと思うし、そうしたから生きていられたのだと思う。だけど、それ故に艦娘としての規律や義務に縛られて今もこうして苦しんでいる。
自由も束縛も苦しいという意味ではどちらも同じなのではないだろうか?
思い付きが正しいのか悩んでいると彼が立ち上がって伸びをした。
「行くの?」
私の声掛けに彼は私の方をチラリと見た。そして、ニャッと小さく鳴くと背を向けて、草むらの中に走っていった。
「貴方は強いわね」
私は彼が見えなくなるまで彼を見送った。
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数日後、私は皆が訓練をしている真昼間なのにも関わらず鎮守府の廊下にいた。無断で訓練を抜け出したことに罪悪感を感じながら窓から外を見つめた。きっかけは、瑞鳳に嫌味を言われたこと。すみませんと一言言えば良かったのに、反発して飛び出してしまった。瑞鳳は呆れたのか何も言わなかった。
皆は頑張ってるのに私だけ……。こんなんだから白い目で見られるんだ。誰も助けてくれないのは当たり前。怒られるのも当たり前。呆れられるのも……
自分がどこまでも嫌になった。どうして当たり前のことができないのだろうか?
「何をしているの?」
後ろからした声に、体がビクッとした。私が苦手な秘書艦の叢雲だった。
「何よ!?」
「それはこっちのセリフよ。射撃訓練はどうしたの?」
「別に……私が何したって勝手でしょ!?」
彼女がため息をついた。マズイと私の中のものが警告音を鳴らす。怒鳴り声が飛んでくると思っていたが、叢雲は何も言わずに私を見つめた。
「いつまで抱え込むつもりなの?」
心臓を鷲掴みにされたような感触が走った。
「はぁ!? 何言ってんのよ!?」
口が勝手に動き強がりを叫ぶ。嫌な汗が背中を伝った。
「あまり抱え込み過ぎると壊れるわよ。潰れる前に誰かに相談しなさい」
間違いない。私の考えは叢雲にバレている。心の中のものを見られた怖さに大声で否定することすらできなかった。
「抱え込んでなんて……」
「私に話しにくいなら司令官か荒潮にでも話せばいいじゃない。二人とも今、執務室にいるわよ」
壊れる前に話せ。そう言われた気がした。認めたくない。だけど、叢雲が言うことは正しい。それに、二人なら私の中の物を受け止めてくれるかもしれない。二人に話すべきなのだろうか……?
迷いの中で彼女に背を向けた。叢雲が私を見る冷ややかな瞳が嫌だった。
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執務室の前に立った。ドアを開けるか迷う。秘書艦はいないと思うけど、入る覚悟が決まらない。
どうしようと迷っていると執務室のドアが開いた。
「あら? 満潮ちゃん?」
咄嗟に逃げようとしたけど、荒潮に腕を掴まれた。
「何よ!? 放しなさいよ!」
同じぐらいの年とは思えない力で掴まれていて、ビクともしなかった。
「丁度良かったわー。お茶会にしようと思ってたんだけど、叢雲ちゃんが居なくなっちゃったから丁度人が足りなかったの。一緒に飲みましょ」
「やめなさいよ!」
私の抵抗も虚しく、執務室に引きずり込まれてしまった。
執務室のソファーに無理矢理座らせられた。何をされるか分からず、震える私の目の前でお茶会の準備は整えられていく。
「たしか、戸棚に羊羹があったわよねー? 食べちゃいましょ」
「そうだな……他には何か……」
お茶会というのが即興的なものであることにすぐに気づいた。二人とも戸棚をガサガサと探っているし、スムーズに事が運んでいかない。
「あっ、いいもの見つけたわ。これにしましょ」
どこからともなく荒潮が透明なパッケージに入った銘菓らしき菓子を取り出した。
「叢雲のお気に入りのやつだぞ……大丈夫か?」
「後で言っとけばいいわよー。それに、これ私も食べてみたかったの」
私を無理矢理引き止めて何か企んでるのではないだろうか? もしかして、叢雲もグルで……? 悪い妄想ばかり浮かぶ。
不安しかない私の態度は無視され、十分程してようやく、テーブルの上に銘菓らしい菓子(白餡の菓子だった)と羊羹と緑茶の入った湯のみが三つ並んだ。
用意が終わると荒潮が私の横で、司令官が私の向かい側に座った。
「満潮ちゃん、食べましょ?」
食べられるわけがない。何か変なものが入ってるんじゃないのか? と疑ってしまう。本当は羊羹なんて何年ぶりか分からないし、白餡の菓子も食べてみたい。
だけど……心の中の警戒心がそれを許さなかった。
「私の、ならいいかしら? 半分にするから好きな方をとっていいわよ」
荒潮が彼女の分の羊羹を爪楊枝で半分にして私の前に置いた。
大丈夫ということなのだろうか? だけど、手をつけるのはやっぱり怖い。手をつけずにそれを見つめ続けた。司令官と荒潮が菓子に手をつけずに私だけを見ている視線が嫌だった。
「食べないなら私が右半分をもらうわね」
埒があかないと思ったのか荒潮が半分にした羊羹の右半分に爪楊枝を刺そうとした。
「あっ……」
「どうしたの?」
しまったと思った。荒潮が手をつけた羊羹は少し大きめだったけど、体がつい反応してしまった。
その日暮らしの時の意地汚さがこんな場面で出てしまった。何をやってるのか……私は馬鹿だ。
「もう半分をもらうわね」
私の気持ちを察したのか荒潮は左半分の羊羹に爪楊枝を刺して口の中に入れた。
「美味しいわー。あら? もしかしてこれって来客用だったかしら?」
「そうだな……」
「悪いことしちゃったわねー」
来客用の羊羹!? なんでそんなものを私に? 二人の会話が信じられなかったし、理解できなかった。本当に私なんかがいいのだろうか?
「満潮ちゃん」
荒潮が私の右手をそっと握った。
「食べていいのよ。満潮ちゃんの分だから」
食べるしかないみたい。おとぎ話じゃあるまいし、半分だけ毒が入ってるなんてこともないはず……覚悟を決めた。
残りの羊羹に爪楊枝を刺す。大した抵抗も無く、爪楊枝は羊羹に刺さった。私はそれを震える手で口の中に運んだ。
「美味しい……」
上品な甘さの羊羹だった。甘味自体が久しぶりだったから体に染みた気がした。
「美味しかった?」
荒潮からの問いかけに小声で「うん」と呟いた。
「満潮ちゃんの分も食べていいのよ」
そう言われて私の目の前の分を食べようとして手が止まった。本当に大丈夫なのだろうか? この期に及んで疑心を捨てきれなかった。
「食べられない?」
荒潮が私に優しく囁いた。
「少し食べて。そうしたら……」
「いいわよ」
荒潮が私の目の前の羊羹を五ミリぐらい切り取って口の中に入れた。大丈夫だと思う。
荒潮が食べるのを見てから、私も残りの羊羹を食べた。美味しい羊羹だった。変なものが入ってると無駄に疑った私が馬鹿だったみたい。夢中になって食べたせいか、羊羹は一瞬でお腹の中に消えた。
残った羊羹は司令官の取り分一つだけ。銘菓の菓子もあるし、何も入ってないと思うけど今は羊羹が食べたい。自然と司令官の羊羹に目が行った。
「食べるか?」
少しして、私の視線に気づいたのか彼が呟いた。
「えっ、いいの……?」
「食べたいなら、あげるよ。無いならまた買えばいいからな」
彼から羊羹を受け取って食べた。羊羹ばかり食べていたから口の中が甘ったるかったけどそれでも美味しい羊羹だった。
食べ終わるのと同時に視界が歪んだ。
「満潮ちゃん、大丈夫?」
荒潮に声をかけられて涙が流れていることに気づいた。
「なんで……なんで優しくするの?」
自然に声が出た。
「私なんかなんもできないのに……捻くれててばかりいて迷惑ばっかかけて……皆、大嫌いなはずなのにどうして……?」
「満潮ちゃん」
荒潮が私を抱き締めた。
「大嫌いなんかじゃないわよ。私も提督も貴女の味方よ。だから、安心して」
生まれて初めて人の前で大泣きをした。泣く私を荒潮は抱き締めて、頭を撫でてくれた。
初めて人の前で素直になれた。
「満潮ちゃん、辛かったわね」
「うん……」
服で涙を拭いた。
私は今までにあったことを全て話した。DVを受けていたことも虐められていたことも、その日暮らしの生活を送っていたことも……。荒潮も司令官も私の話を一言も責めずに聞いてくれた。それが嬉しかった。
「……私、ここにいていいの?」
「いいわよ。嫌なことがあったら、執務室に来てもいいし、いつでも相談に乗るわよ?」
「自分でも良ければ……」
「……ありがとう……」
未だに本当に信じていいのか迷う気持ちはある。だけど、今はこの人達を信じたいと思った。
現代編は必要は必要だと思いますか?(よろしければ投票した理由を一言で良いのでコメントにお願いします)
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いる
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いらない
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どちらでもいい