今回の話は哲学的な描写が多めです
部屋から外に出られなくなった。叢雲に会うのが怖かった。会うと睨まれるし、怒鳴られる。荒潮がいれば庇ってくれるけど、いつもいるわけではないし、荒潮一人で全部解決できるわけでもない。叢雲を避けるために自室に引きこもるのがせめてもの抵抗だった。
荒潮には負担をかけたと思う。疲れた顔をしている時が増えたし、無理な笑顔をしていることも多かった。後に知ったことだけど、荒潮はこの時に私と叢雲の仲を何とかしようとしていたらしい。私は荒潮に甘えすぎた。
自室に引きこもり始めてから三ヶ月が経って、やっと外に出られた。この日は叢雲が長期遠征で不在な上に休みの日だった。叢雲のこと、本のこと、司令官とは話したいことが沢山ある。朝起きてすぐに執務室に向かった。
「おはよう満潮。久しぶりだな」
執務室に入ると彼と荒潮が忙しそうに仕事をしていた。忙しそうではあるけど以前見た彼と変わらない様子にホッとした。
「おはよう……」
どうしよう。ここに来る前は話したいことがいっぱいあったはずなのに……頭の中が真っ白になってしまって何も言葉が出てこない。
「満潮ちゃん、ごめんなさい。悪いけど忙しいから、後にしてもらえないかしら? 話したいことを整理してきた方がいいと思うわよ」
二人とも忙しそうだし、荒潮のいう事はもっともだと思う。少し頭の中を整理した方が良いのかもしれない。
ふと、野良猫の彼に会えていないことを思い出した。餌やりは荒潮に頼んでいたが、彼は大丈夫だろうか? 久しぶりに彼が見たいし、彼を撫でていれば何かしら話したいことが浮かぶかもしれない。
「猫に餌あげてくるわ」
「行ってらっしゃい」
笑顔で返事を返す荒潮を見てから、執務室を後にした。
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彼の空き地に行ってみたが彼はいなかった。しばらく見ない間にどこかに行ってしまったのだろうか? ため息をついてベンチに腰を掛けた。
とても暑い日だった。
空は雲一つ無い快晴で日差しが刺すように痛い。セミの鳴き声が辺り一面に響きわたっている。典型的な真夏日だった。朝早くてこの暑さなのだから、昼は地獄のような暑さになるだろう。今日が休みで本当に良かった。
忌々しい季節。朝も夜もジメジメしてて暑いし、変な虫が飛んでるしあまり良い思い出はない。私の嫌いな季節の一つだった。
「ニャー」
少し離れた場所からしわがれた声が聞こえた。
「ちょっとアンタ! 怪我してるじゃない!」
野良猫の彼は耳と背中から真っ赤な血を流していた。喧嘩でもしたのだろうか? さらに目ヤニがついていたし泥まみれだった。
どうしよう……病院に連れていかなければならないと思うけど、近くにある動物病院を知らない。司令官や荒潮に相談すれば何とかなるだろうか? でも、二人は忙しそうだったしここに連れてくるのは……
少し悩んでから考えを決めた。
「悪いけど、少し我慢しなさいよ」
彼を抱き締める。驚いた彼が大暴れするけど力づくで抑え込んでそのまま執務室に走った。
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執務室に野良猫の彼を連れていくと司令官と荒潮が大慌てで対処してくれた。偶然にも最前線の鎮守府で軍医をやっていた明石さん(応急処置の講習のために来ていた)に治療をしてもらった。
めんどくさそうな顔(明石は動物専門ではないのですがと言っていた)をしながらも彼女は治療を真摯にやってくれた。明石さんは瑞鳳のように口調は厳しいけど、医療行為にはとても真面目な人だった。
治療のことや動物病院の待ち合わせなどで時間を食ってしまった為、一連の事が終わった時にはお昼になっていた。
「満潮ちゃんって思ってたよりも行動力あるわねー」
荒潮が笑顔で呟いた。
「助けなきゃいけないって思っただけよ」
お茶に口をつけてからそう返した。
「専門家がいてくれて良かったな」
「明石さん凄かったわねー。過去には叢雲ちゃんや瑞鳳さんもお世話になったんだっけ?」
「らしいな」
数日前の光景を思い出した。明石さんの講習の時に叢雲と瑞鳳が彼女に頭を下げていた。二人とも世話になったのかもしれない。明石さんはそれに対して「やるべきことをやっただけです」と言っていたけど……それでも普段は偉そうな二人が頭を下げていたのは意外だった。
「本物のお医者さんって感じだったわね。満潮ちゃんはどう思った?」
明石さんの顔を思い浮かべた。無駄なことを話さずにただ淡々と目の前のことをこなす人間で口調はキツイ人……任務中の瑞鳳が思い浮かんだ。
「真面目な人だと思ったわ。だけど、瑞鳳と同じ感じタイプなんじゃないの?」
「瑞鳳さん? うーん……言われてみると確かによく似てるわねー」
「ストイックさという面では確かに似てるな」
「昨日、昼休みに医務室で医学書を読んでるのを見かけたわよ。下手をしたら瑞鳳さん以上にストイックかもしれないわねー」
瑞鳳以上という言葉が引っかかった。私は戦場の彼女以上にストイックな人間を知らない。彼女以上とはどういう人なのだろうか?
「満潮ちゃん、気になるの?」
何も言わない私の気持ちを察したのか荒潮が呟いた。
「少し……ね」
「話を聞きに行ってみたら?」
明るい顔の荒潮に何となく嫌な予感がした。
私は人と話すのが未だに苦手だ。それを知っている上でそう言ってくるという時は必ず何か狙いがある。
「無理よ」
「大丈夫よ。満潮ちゃんなら話せるわ」
嫌な予感が当たった。
こう言ったからには何がなんでも私と明石に話をさせるだろう。この手の状況は大抵の場合、それが私の為になることではあると理解している。だけど抵抗がある。私一人でどうしろと言うのだろうか?
「不安なら一緒に行ってあげるわよ。明石さんは多分、悪い人じゃないからきっと聞いてくれるわよ」
「……何をさせたいのよ」
何がなんでも話をさせるという態度に浮かんだ疑問を直接ぶつけてみた。
「満潮ちゃんにコミュニケーションの練習をして欲しいの。瑞鳳さんみたいな人と話すの苦手でしょ?」
「それはそうだけど……」
瑞鳳なんて顔も見たくない。彼女を見るだけで海に落ちたことを思い出すし、睨まれるのではないか? と身構えてしまう。真面目に仕事をするようになってからは色々言われることは減ったとはいえ、苦手なことには変わりなかった。
「瑞鳳さんとは私もあまり上手く話せないけど、仕事でのやり取りとかはどうしても必要になるし少しは話せた方がいいと思うの。明石さんは今日でいなくなるし、練習相手としても丁度良いじゃないかしら?」
確かに、瑞鳳とは仕事のことでどうしても関わるし、最低限の会話ぐらいはできた方がいいと思う。それに、明石さんは今日でいなくなるから失敗しても気にしなくて良いというのも良いと思う。覚悟を決めた。
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工廠の中は暑くて薄汚れていて、皆が忙しそうに働いていた。
明石さんが寝泊まりしてる部屋はその奥にあって錆びた赤茶色のドアで閉じられていた。開ける覚悟が決まらずに悩んでいたら、ドアが開いた。
「さっきから見てますが何か用ですか?」
そう言って出てきた明石さんは半袖半ズボンの格好で額に汗を浮かべていた。
「あ、えっと……」
荒潮が小声で「猫の件でお礼を言いに来ました」と囁くのが聞こえた。
「さっきの猫のことでお礼に……」
「あー、あのことですか。当たり前のことをしただけなので気にしないで下さい。人以外は専門外ですけどね」
明石さんは口ではそう言っていたが言葉と表情に感情を感じられなかった。ただ淡々と機械みたいに作業的に助けただけ……そんな感じがした。
「どうして、助けてくれたの?」
「質問の意図が分からないのですが……当たり前のことをしただけと言いましたよね?」
「本当にそうなの?」
「何か誤解をされているみたいですね」
私の質問に明石さんがため息をついた。
「もっと、根っこの方から話さなければいけませんね……ここで話すのもなんですし、場所を変えましょうか」
工廠から食堂に向かった。荒潮は途中で別れて(ごめんなさいと謝られた)しまい、食堂の中は私と明石さんの二人だけだった。
荒潮無しで大丈夫だろうか? 不安を感じながら私は明石さんの向かい側の席に座った。
「質問をします。満潮さんは自分の存在意義について考えたことがありますか?」
この人は急に何を言いだすんだ? と思って明石さんの質問に首を傾げた。だけど、この質問については読書や司令官と荒潮との会話で考えたことがある。
「あるわよ」
「どうなりましたか?」
「生きる意味なんて無い。だけど、それに抗う為に生きる……そんな感じだわ」
「なるほど。カミュの哲学ですか」
司令官が持っていた哲学の話でそんなのがあった。明石さんが言っていたカミュというのはその本の作者のことだ。
私は彼の思想に共鳴したし、正しいと思っている。
「で、アンタはどうなのよ?」
「質問に質問で返して申し訳ありません。カミュを読んだことがあるならペスト(作者はカミュ)は読みましたか?」
「読んだわよ」
「それなら話が早いですね。昔、私はリウー医師に憧れてたんです」
ペストはオランというアフリカの小都市を舞台にした話だ。話の中で人類はペストに圧倒され、翻弄される。その中でも登場人物はそれぞれの抗い方をしてこの厄災に抗おうとする。そんな話だった。
明石さんが言っているリウー医師はその作品の主人公にあたり、多くの死者や不条理に飲まれつつも医師としての義務感で一人でも多くの人を救おうとする人間だ。
「彼を目指して医者になりました。一人でも多くの人を救いたくて紛争地帯に行きましたし、何年か前のパンデミックの時も最前線に立ち続けました。でも……人を助けるって想像するよりも本当に大変なんです。全ての人を助けられるわけじゃありませんし、場合によっては選別も必要になります。安楽死を行ったこともあります……」
そう呟いた明石さんの声に悲しみを感じた。少しの間、沈黙が流れた。
「傷ついた人を見るのが嫌になりました。切り落とされた手足や、内臓が露出した人を見るのが嫌になりました。でも、嫌になろうが倒れようが患者は次々と運ばれてくるんです……私は弱いから耐えきれませんでした……」
明石さんの体は震えていた。彼女の目から一筋の涙が落ちるのが見えた。
「耐えきれないから自分を殺したんです。どんなに辛くても何も感じなくなりました。医療は目の前の負傷者を必死になって助けて、助けようのない人を切り捨てる作業になりました。そのうちに作業は使命になり、私の存在意義になりました。明石という艦娘になったのも何かの使命だと思っています。私は人を助けることでしか生きていられないんです……」
明石さんの話を私は黙って聞くしか無かった。この人は壊れてる。壊れてるからこそ、機械的に人を助けようとする。
明石さんが誤解と言っていた意味がやっと分かった。彼女は善意で野良猫の彼を助けてくれたわけではない。彼女自身が自分を助けることで縛っているからこそ助けただけだ。彼女にとって傷ついた何かを助けるのは息をするのと同じように当たり前のこと。ただそれだけの話だ。
彼女に同情した。そして、使命感だけで生きる生き方に敬意を感じた。
「すみません、感傷的になり過ぎましたね……」
明石さんが涙を拭くと先程とは変わって無表情に戻っていた。
「ありがとう……」
口から自然に出た言葉を意外に感じた。何も考えずに誰かにありがとうと言ったのは生まれて初めてだった。
私の生涯を大きく変えた出会いだった。
野良猫はこのまま動物病院の職員に引き取られた設定となっています
現代編は必要は必要だと思いますか?(よろしければ投票した理由を一言で良いのでコメントにお願いします)
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いる
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いらない
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どちらでもいい