しくじった。
もののみごとに
ああ、くそ、畜生、ちくしょうめ。やはり無慈悲に身ぐるみ剥いどきゃよかったか。
柄にもなく、どうせ似合いもしないのに、体裁ぶって仏心を発揮したのが運の尽き。合理に徹しきれなんだツケがすなわちこのザマか、――と。
血達磨の
脳裏によぎるは、礼拝堂の片隅にて死んでいた、清げな女の衣装一式。
あれを奪って着ていれば、きっと今ごろの展開はよほど様相を異にした。だしぬけに開始を告げた殺し合い、わけのわからぬ闖入者との闘争も、ずっと有利に進められたに相違ないのだ。
外に出て、吊り橋渡って多少開けた空間へ、神像たたずむ広場へと。そこで「何か」に襲われた。名状し難いそのモノが、世人の口には「接ぎ木の貴公子」の名で以って、
――なんだこの、正気を疑う冒涜は。
初見はただ、嫌悪感のみが支配した。
前代未聞の怪物の余りに異様な風体を、むりやり既存の概念に当て嵌めてゆくとするならば、さしずめ巨大な蜘蛛であろうか。牛二頭ぶんは
黒い腕があった、
白い脛があった、
黄色い肘があった、
偉丈夫の腿があった、
老婆の指があった、
幼子の踵があった、
クローディアの動体視力は、それらをいちいち識別できた――
「ッ……!」
じんじんと、腫れた如くに後頭葉が痛みだす。
まさに視覚の暴力だった。悪夢の中から飛び出した、否、よほど病的な想像力の持ち主でもない限り、夢寐にも描けぬ醜怪である。
こんなのが蔓延っているならば、狭間の地は、導きは、黄金律は、確かに壊れているのであろう。
メッセージの真実を、クローディアは今こそ思い知らされた。
感傷に浸る暇もなく、異形の暴威が押し寄せる。
(生半可な旅にはならぬ、なるまいと、覚悟の前のつもりだったが――!)
しかし、さりとて、いくらなんでも、最初の一歩を踏み出してからものの五分もせぬうちに、こんなやつが降って来るなど完全に想定の範囲外。
あちらの獲物は大剣二本に大盾一つ、それにもちろん大質量の
対してこちらはどうだろう、ほとんど全裸に木の棒ひとつの有り様で、どうして
不利と呼ぶのも生ぬるい、この戦力差を覆せたなら、金魚が鰐を喰らうことすら可能となるに違いない。
彼我の隔たりはそれほどまでに、圧倒的なものだった。
「このきたならしい腐肉がァァ――ッ!」
が、ふしぎなことが起こった。
善戦したのだ、クローディアが、素寒貧の褪せ人が。
まったく未知との遭遇にも拘らず、変則極まる異形の動作、攻撃に、なぜか一切、幻惑されず。
ここしかないという刹那、絶妙な間隙を縫い当てて、適宜棒を差し込んでゆく。
地雷原でタップダンスを踊りつつ、足元に目もくれていないのに、ずっと無事でいるような。間一髪を当たり前に繰り返す、見ようによっては接ぎ木の貴公子なぞよりも、遙かにおかしい、常軌を逸した挙措だった。
センスとしかいいようがない。
当て勘、直感、勝負勘――。
闘争に纏わるあらゆるセンスが神懸かって冴えているのだ。
本人もそれを自覚していた。
だからこそクローディアとしては、臍を噛まずにいられない。
(この際、贅沢なぞ言わん! 鎧でなくとも構わない、盾を欲しがったりしない! しかしせめて、ああせめて、布子一枚さえあれば、胸糞悪いこの汚物、必ず殺しきれように――!)
ここまでやって、
こうまで出来て、
それでも尚且つ死ぬのは自分の方なのか――と、見えてしまっている故に。
口惜しくて辛いのだ。
無念に骨まで焦げるのだ。
クリーンヒットは一発もない。
あったらその場で終わってる。これはそういう闘いだ。直撃打は浴びていないが、しかし異形が飛んだり跳ねたり
その微細な石塊が、しかしクローディアの露わな皮膚を濡れ紙みたく破くのだ。
「貴公子」レベルの膂力となると、もはやそれらは礫などという生易しいモノでなく、散弾と呼ぶに相応しい。
真皮を抜けた肉の奥、筋線維にまで喰い込んで、身体の機能を妨げる。
とめどもなく血は流れ、醞醸された腥風は、気付けばむせ返らんばかり。
(
如何に思考の高速化を図れども、空回りでは意味がない。
少しづつ、少しづつだが確実に、じりじり追い詰められてゆく。真綿で首を締められるとはこのことか。
全裸で殺し合う不利が、文字通り痛感されていた。
(あの
加えて準備を怠った、やるだけやった挙句の果ての劣勢ではないもどかしさ。「あのときああしていたならば」という悔恨は心理的な枷となり、ここぞという場面に於いて
そして破断の限界は、ごくあっさりと訪れた。
「ぁ――」
ぞぶり、と。
重く湿った音がする。
冷たい刃が無遠慮に臓腑を貫く不快感。
重力が、急に五倍になった。いや違う、こっちの力が抜けているのだ。
息ができない、逆流した血が喉仏に詰まってる。
みるみる
(その
そして、だからこそ彼女の中の激情は、最高潮に燃え立った。
(今のうちに
沸騰しながら渦を巻く、
(復讐は、いずれ、必ずするぞ)
応報に余人の手は借りぬ。
図体ばかりでかいダニ、この腐りかけのクズ肉を真実ゴミに変えるのは、自力で以って完遂すべき使命だと。
強く、強く心に刻み――クローディアの一切は、ふたたび闇に堕とされた。
…大丈夫よ、トレント。まだ、助けられるわ
やっと見つけたのだから
この人はきっと、エルデンリングを求める
…黄金律をはずれても
…。
……。
…………。
馬の嘶きを、聴いた気がした。