日の暮れる茜色の空の下。町を一望できる丘に彼女はいた。
展望台はあれど人は彼女以外いない。それはこの町が観光名所ではないことを物語っていた。作られた当初はそれこそ大勢人が訪れたものの、それは目新しさに惹かれただけ。何度も訪れるもの好きはいない。
函館や神戸のように人気の夜景スポットというわけでもないのだ。
手入れはされていても、管理のためだけ。『作ってしまったからには維持しないとな』という義務感によるものだ。
「今夜かな」
手すりに身を預け、温かな色に染められる町を眺めながら彼女はひとりごちる。
誰に聞かせるわけでもなく。夕陽を見るのでもなく。町を見るわけでもなく。
ただ起きているから、視界に収まっているから眺めているというだけで。彼女の意識は別のことに割けられていた。
長い髪が風に揺らされ、舞い上がりそうになったスカートを手で押さえて思い出す。
「あ。着替えるの忘れてた」
考え事をし過ぎていて、今自分の服装を再認識した彼女は数秒考える。
「ま、制服でもいっか」
誰かに見られたら困るというか、面倒になることではあるが、誰かに見られる心配があるわけでもない。
強いて言えば、用を済ませた後に補導されるかもなという懸念だけ。
そうなったらその時考えるとしよう。
彼女はそう結論づけた。
□
この川津町はいわゆる田舎町だ。一概に田舎と言ってもそれは幅広いものではあるが、少し言葉を付け足すと『そこそこ田舎』な町だろう。
この町にある高校は1つだけ。別の高校に通おうと思うと電車通学は必至。私立高校はこの町にないため、町の高校のレベルに合わない者は必然的に電車通学を選ぶことになる。
そんなこの町唯一の高校は、されど在学生が多いわけではない。昨今の制度からしてクラス人数は最大40名となっており、超えればクラスが増える。2クラスなら最大80人。仮に学年が81人なら、3クラスになって教室を広々と使えただろう。
だがこの川津高校はどの学年も2クラスだった。
「自主性を重んじるって言葉便利だよな」
「生徒の創造性を活かせるから?」
「クソ真面目か」
用紙の束を今にでも投げたそうにしている友人の斜め前で、生徒会室にある駄菓子を少年は食べている。
学校で駄菓子を食べている時点で、世間一般的に真面目とは言えないだろう。しかしこの川津高校ならそうはならない。生徒会が担う作業が他校よりも多く、『糖分取らなきゃやってられねぇ!』と声が上がって認められたからだ。無論、時と場所は選べという話もセットである。
「
「そういう役職とは無縁でいたいな。それに、今日も手伝ってるんだし十分だろ」
「……まーな。そこは感謝してる」
他の生徒会メンバーは何をしているのかというと、部活だったりバイトだったりとそれぞれだ。毎週のタスクは各々こなしている。予定外のタスクは、部活もバイトもしていない生徒会長の西園寺
今日手伝った仕事──基本的に書類系が多い──は、全校生徒対象のアンケート調査の集計。生徒数が他校より少ないと言っても200枚を超える数だ。それを克哉1人にやらせるのは酷である。……といっても2人でやる量でもないのだが。
それの集計自体は終わり、あとは結果を示す資料作り。疲労による鬱憤を発散したい克哉は、「小学生レベルの簡素なものにしてやる」と背もたれに沈みながら手を動かしていた。
「もういっそ口頭にしてやろうかな。放送部に発表を丸投げするか」
「駄菓子の新作とかないのかな」
「話聞けよ!」
「聞いてるよ。言うだけ言って、最後まで自分でやるんだろ」
「……」
西園寺克哉という人間はそういう人間だ。不満があろうと引き受けた仕事は最後までやる。結果がどうであれ、とりあえずはやる。それは自分が責任を負えるようにするため。
それが、まだ17年しか生きていない彼なりの『責任が取れるやり方』というものだった。もちろん不満のある仕事だと、「やりはするけど出来栄えは期待するな」という子どもらしい抵抗が見れたりする。
友人がそういう人間だと知っている黒璃は、友人の愚痴を聞いても真に受けることがほぼない。
「あ、そうだ」
しばらくの間チクタクという時計の針と、黒璃が貪り食べる駄菓子の音だけが聞こえていた生徒会室で、一通り作業を終えた克哉は声を発した。
それが呼びかけだと付き合いの経験から黒璃は察する。
「来週の土曜がちょうど弟の誕生日なんだけど、遊びに来てくれないか?」
「あー。弟の誕生日か。そういえばそうだった」
「相変わらず人の誕生日を覚えるの苦手だなお前」
「数字は難しい」
「わからんでもない。まぁそれでだな。
「そういうことならお邪魔するか」
週末で誕生日とあらば、家族水入らずで過ごしそうなものの、主役の願いとあっては断れない。何より克哉がここで誘っているのだから、両親からの了承あっての頼みだろう。
「誕生日プレゼントは何がいいんだろうな」
「そこは用意しなくていい。誠治にも言い伏せてある」
「なるほど」
誕生日プレゼントはあくまで家族から。そういうハウスルールになっているらしい。そこをこじ開けられるのは、恋人の特権だそうだ。
もっとも、誠治はまだ小学生。異性との付き合い云々の話はなく、克哉もいない。その特権が行使されるのはまだ先になるようだ。
「よし。
「ここまで待ったから最後まで待つよ。もう終わりだろ?」
作られた資料が印刷されていく。それを所定の位置に貼りだせば作業終了。生徒会室の鍵を職員室に返せば帰路につける。
この後の予定もないのだ。数分の誤差は気にならない。
「終わりっちゃ終わりなんだが、顧問と話すこともあってな」
「それなら帰るか」
「そうしてくれ」
生徒会顧問は雰囲気の柔らかいお爺さん先生だ。この学校で卒業し、この学校で就職している。同じ学校に同じ先生が赴任し続けるのは、私立ならばあり得るも公立では異例中異例。理由は『教員不足兼赴任したがる先生がいない』という後ろ向きなものだった。
顧問にとっては願ったり叶ったりらしく、利害は一致していた。
この学校への想い入れ、愛は誰よりもあるだろう。生徒から親しまれてもいる。1つだけ残念なのは、話が長くなりがちなこと。
授業はまだしも、放課後にその傾向は見られやすい。克哉調べである。
「それじゃあまた明日」
「おう。またな。今日の礼は明日の昼飯ってことで」
「楽しみにしてる」
直接的な金銭のやり取りは発生しない。この2人はいつもこうだ。ご飯を奢るか、程度によっては飲み物を奢ったり、コンビニの菓子だったり。
そんなわけで黒璃は明日の昼飯代が浮いたことに気分を良くし、1人校舎をあとにした。
川津高校の立地はそう悪くはない。歩いて1分のところにバス停があるからだ。徒歩や自転車で来れる生徒はそうして、ある程度離れた場所に住んでいる生徒はバスを利用する。
黒璃は徒歩通学だ。家が近いわけではないので、自転車通学を周りから何度も勧められたが徒歩を選んでいる。
歩くことが好き。ただそれだけの理由だ。
(晩飯どうしよう)
明日の昼は決まったようなもの。それよりも考えるべきはこの後の食事。
料理を作るという選択肢はない。料理はできるが今日は食材がない。外食は確定。悩んでいるのは、どの店にするかという点だった。
駅前に行けばチェーン店もあるが、徒歩で行くにはそれなりの距離がある。家と同じ方向にある店に寄るか、あるいは現在地周辺か。
(たまには冒険してみようか)
つまりは、今まで行ったことのない店。
黒璃は早速スマホの地図アプリを開いた。
ひとり暮らしをしている波期
(値段のわりに美味しかったな)
夜風にあたりながら、ある種の自由人である黒璃は、利用した店の感想を心の中で呟いていた。
値段が安かったという意味ではない。安くてもワンコインを超えるメニュー群。高校生にとっては本来高いと感じる値段だろう。
それでも味は文句なし。なんならもう少し値上げしてもいいのではと感じたほどだ。
「ん?」
「気まぐれをさらに重ねて散策をしよう」などと考え、黒璃は坂道を上ってる真っ最中。
その道の先には広場と展望台しかなく、人気の夜景スポットでもないこの場所に基本人はいない。日も沈んだこの時間ならばなおさら。
本来ならそうだった。
「──」
誰かの声が聞こえてきた。人がいると思っていなかった黒璃は、その声を聞き取れていない。この時間に人がいるのは意外だと思いながら、そのまま坂道を上りきった。
「……?」
街灯を挟んで奥に人がいた。薄暗がりではあったものの、そこにいた人物の服装に見覚えがあった。
「どういうこと……?」
その呟きは黒璃には聞こえず、
「あ」
次の瞬間にはその人物が展望台から飛び降りていた。どこからどう見ても自殺もの。ただし頭からではなく、勢いよく身を投げ出して。
展望台の手すりに寄って真下を見るも、得られる情報はない。そこにあるのは暗闇。等間隔に配置されている街灯の明かりが丁度ないせいだ。
「……」
この展望台へは一本道だが、途中までは二本ある。一本は展望台の下を通り、もう一本は別道から坂道に合流する。
黒璃が来た道はその別道の方。帰る時はまたその道を通ろうと心に決めた。
「制服……」
それはともかく、つい先程見えた服は間違いなく制服だった。それもよく見覚えのあるもの。具体的には同じ高校の制服。それも女子用の。
彼女が無事なのかどうか。どちらにせよ、明日は話題が持ちきりになるだろう。噂話は広まりやすい。
「……」
聞き取り調査とかあったりするのだろうか。アンケートとかしそうだな。また作業を手伝うことになりそうだ。
なんて考えながら、ここでのんびりと時間を費やす気にもなれず、黒璃は踵を返した。
「誰?」
踵を返して、いなかったはずの誰かに思わず疑問が漏れた。広場の数少ない灯りの下。スポットライトさながらに照らされているのは、右の一房だけが赤色に染まっている黒髪の少女。
気づかなかっただけ? それはありえない。浮かんだ可能性を黒璃は即否定し、その異常を認知した。
彼女の服、黒のワンピースはところどころが破れ、加えて血がついている。整った顔や白い肌が曝け出されている腹部にも。
「誰?」
もう一度。今度は無意識ではなく意識的に聞いた。それ以上に気にすべき事があるはずなのに、黒璃の中での優先順位は”少女が誰なのか”だった。
見た目の印象からして年はそう変わらないと感じた。
「……」
少女は口を閉じたまま。表情も変わらない。
ただ、赤い瞳からは意思が感じられる。
黒璃は少女としばらく視線を交わし、それから歩み寄って手を伸ばす。
どこからどう見ても、誰が見ても、何か事件が起きているのは明白。それくらいは黒璃も承知していて、それでもそこに片足を突っ込んだ。
だってまぁ、この場面で見捨てるという選択肢は彼の中で存在しない。
少女は黒璃の顔を見つめ、静かにその手を取った。
□
「あれ?」
いつも通り自分のベッドで目を覚ます。目覚まし時計には頼らない生活。体内時計は優秀で、起床時間は5分もズレることはない。
そこは良いのだが、黒璃は体を起こして首をひねった。
”自分はいつ家に帰ってきたのだろうか”
どうにも記憶が曖昧だった。辿ってみて思い出せるのは、昨日の夜に外食をしたこと。そこから気まぐれで展望台まで歩き……。
(そういや誰か飛び降りてたような)
同じ高校の制服を着ていた彼女はどうなったのだろうか。あいにくと顔を見たわけでもない。誰かはわからないが、生死どちらにせよ学校に行けば噂話で時期にわかるだろう。
それは一旦置いといて。その後に出会った少女。気にすべきは彼女だ。
「ん」
誰かに出会ったのは覚えている。その容姿の記憶が曖昧だ。さらに加えて、その後どう家に戻ったのか覚えていない。いやまあ、徒歩以外の手段はないのだが、そういう話ではない。
黒璃は自分の服装を確認し、寝間着に着替えてあることを認識する。風呂にはたぶん入ったのだろう。そうでありたい。そうであれ。
酒で記憶が飛ぶ人もこういう感じなのだろうか、などと考えていたところで、黒璃は聞き流していた声に遅れて反応する。
自分の隣で。整った顔を無防備に見せて眠っている少女。
首の付け根あたりまでの長さの白い髪。右の一房だけが赤色に染まっていた。
「誰?」
奇しくも昨晩と同じ反応。そしてまた返事はない。
黒璃は考えることをやめ、静かにベッドから下りる。乱れた布団をかけ直してやり、音をたてることなく荷物と制服を抱えて部屋を出た。
(髪白だったっけ?)
そうだったような、違ったような。
思い出そうとしても思い出せず、考えても答えは出ない。
波期黒璃の家はごく一般的な一軒家だ。2階建てで、洗濯物が干せる程度の小さな庭付き。車のガレージはあれど、現状は無用の長物。
自室は2階。そこから1階へと移動し、リビングに荷物を置いて先に制服に着替える。それからテレビを付けて、ニュースを聞きながら朝食の準備。
テレビから聞こえてくる限りでは、昨夜の彼女に関する話はない。他県で事故があったとか、誰かが賞を取ったとか、政治がどうとか。幅広く、散発的な情報ばかり。
(生きてはいるのかな?)
もし亡くなっていたら、「娘がまだ帰ってこない」とかで両親が心配して警察に連絡しているだろう。楽観的に考えたらこの論理だ。
実際には、昨日の今日でまだニュースに取り上げられていないだけなのかもしれない。その可能性もまた十二分にある。
(昼飯を考えなくていいのは楽だな)
すべては学校に行けばわかること。学校と言えば今日は昼飯を
苺ジャムでも塗ろうかと冷蔵庫を開け、お茶も取り出す。
「はむ」
テーブルに戻ると、目を離していた数秒の間に白髪の少女がテーブルについていた。小さな口で食パンを齧っている少女と目が合う。
「……何も塗らないとそんな美味しくないと思うけど」
そう言って黒璃は持っていた苺ジャムの瓶をテーブルに置き、バターナイフも渡す。
聞くべきことと、言ってもいい文句は口から出ず、自分用の食パンをもう一度トースターで焼き始める。その間に少女の分のコップも出してお茶を注いだ。
「ジャムは好きじゃない?」
少女はバターナイフを手に持ってじっと見つめている。黒璃の質問には答えなかったため、黒璃は他のものを用意するのはやめた。少女の手からバターナイフを取ると、食べかけの食パンに苺ジャムを代わりに塗る。
「…………ありがとう」
澄んだ綺麗な声だった。無表情ではあるものの、言葉に感情が乗っていないわけではない。機械的な話し方でもなかった。
しばらく待ち、焼けた食パンをトースターから取り出す。黒璃は今度こそ朝食にありついた。
登校するまでの時間。いつもならテレビ番組を流して時間を潰すところ。今日はそのルーティンが崩れる。
「あれ? 名前聞いてたっけ?」
自分が存ぜぬ間に共に一夜を過ごした相手に確認する。もしかしたら昨夜に名を聞いていたかもしれないし、まだ聞いていなかったかもしれない。曖昧な記憶ではどちらだろうと変わらないわけだが。
「ディアト」
赤い瞳を黒璃に向け、少女は答えた。出会ってから数時間。ようやく会話が成立した瞬間でもある。
「おれは波期
「…………」
ディアトの表情は変わらず、しかし視線が伏せられたことで何か考えているのは読み取れる。「訳あり、というやつか」と黒璃は呟き、詮索まではしないようにと自分の中でラインを引く。
「家出……みたいなもの」
「なるほど。家出なら学校も行かないよな?」
「学校は行ってない」
「そうなのか。じゃあそこは気にしなくていいんだな」
黒璃の言葉にディアトは静かに頷いた。
もっと気にすべきことはある。例えば、両親は探しているのではないかとか。昨夜のあの血は何だとか。
川津町は田舎町だ──あるいは田舎町じゃなかったとしても──ディアトは目立つ。染髪ではない天然の純白の髪。一部だけ赤い髪。これも天然に見える。
それだけでも目立って話題になりそうなものを、加えてディアトの容姿は端麗だ。スタイルも整っている。
それなのに黒璃は一度もその話題を聞いたことがない。この町の人間じゃない可能性が高い。
そんな少女を前に黒璃は、
「お昼はどうする? おれは学校で食べれるけど、今冷蔵庫の中ほとんどないよ」
怪しさ満点なのをわかっていて尚、それを無視した。
「コンビニで何か買う?」
「コンビニ……、そうだね。そうする」
黒璃の中では優先度が違った。
そもそも登校前だ。時間は足りない。
「今所持金はどれぐらいある?」
どこか遠くから来たのだと判断して聞くと、ディアトは無言で顔を横にそらした。どうやらないらしい。
「とりあえず2000円渡すよ。今日の昼飯代と、あとはおやつが食べたかったら買ってもいいし。夜の分は学校帰りに買い物してくるから、そこは気にしないでくれ」
流れるように説明し、黒璃は自室へと戻っていく。使っていない財布を机の引き出しから取り、宣言通りそこに2000円入れた。ポケットに入る折りたたみ式の財布だ。失くす心配も少ない。
それを持ってリビングへと戻り、大人しく椅子に座っているディアトへと手渡した。
「あ、そうだ。あと合鍵もか」
留守を任せることになる。昼食のために最低でも一度は外に出るのだ。防犯のためにもその時には施錠してもらわないといけない。
黒璃は自分の荷物を纏め、ディアトに玄関まで来てもらうと鍵を渡した。靴箱の上にあるいくつかの動物の置物。その内の1つであるアヒルの置物の背中は開けることができ、合鍵はそこに隠されていた。
「外に出るときは戸締まりだけよろしく」
「……わかった」
「じゃ、学校に行ってくるからまた後で」
靴を履いて黒璃は家を出る。外から施錠されたのは、黒璃の日頃の習慣によるものだろう。
「…………変な人」
初対面なのにあまりにも放任過ぎる。
ディアトはぽつりと呟いた。
□
時は昨夜へと戻る。
黒璃がディアトと出会ってからしばらく後。展望台から飛び降りていた少女は怪我一つなく夜の町を歩いていた。
(おかしい)
場合によっては死ぬ──そうでなくとも骨折等の大怪我をする──高さから飛び降り、無傷で歩いている少女もおかしいものだが、彼女の中でそれは普通らしい。
そんな彼女が何を「おかしい」と思っているのか。
ひと仕事も終えた彼女は考え込みながら自宅に帰る。
屋敷と呼んでも過言ではない広さの家。そこに彼女は住んでいる。靴を脱いで家に上がり、自室には寄らずにリビングへ。彼女は寝る時ぐらいしか自室にはいない。寝室として使っている。勉強する時は書斎を使い、それ以外のほとんどの時間はリビングで過ごす。
「難しそうな顔をしているね。何かおもしろいことでもあったかい?」
声はするが少女以外には誰もいない。いるのはソファの上に座り、器用にリモコンを操作してテレビを見ている猫だけ。
白い毛並みをし、うっすらと青い光を纏っている猫は、間違いなく少女に目を向けている。
「何もおもしろくないわよ。はっきり言って異常よ」
「ふふ。異常ね」
「なによ。なんか言いたげね」
「17年という短さ。今の役割を担ってからは7年。その短さで今日の事例を異常と呼ぶのは、なんともかわいらしく思えてね」
「私の経験がそうってだけでしょ。これまでの記録にだって目を通してるわよ。だから異常って言ってるの」
猫が話すことに驚きはない。それは初日にだけあったこと。慣れてしまえば不思議に思うことがない。
そしてこの猫が、居座ってから今まで一度も外に出ていないのに、外で起きたことを把握していることも驚かない。その非日常は、少女にとって日常だ。
「勤勉だね。それで、キミはどうするのかな、こはく?」
「やれることをやるだけよ」
こはくと呼ばれた少女、
この町を表すその地図を、赤い光がある一点だけ示している。
「居場所はわかってる。誰の家かも特定してきた。あとは明日」
「始末すると」
「相手の出方次第よ。私を殺人鬼みたいに言わないでくれる? 魔女猫」
「ふふ。穏便に済んだらいいね」
「……ええ。そうね。もし、わかっていてやってるなら」
その時は
熊谷こはくの持つ常識として、
これは彼女が決めたことではない。人類史がそうなのだ。遥か昔から続いてきている共通認識。世界のルールだ。例外はない。
こはくは猫に見られないように背を向け、苦虫を噛み潰したような顔で地図を見つめた。
赤い光に示された場所。それはただの一軒家。
確認したから誰の家かもわかっている。
隣のクラスの人間。波期黒璃の家だと。