死兆星の彼女   作:粗茶Returnees

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2話

 

 川津高校は良くも悪くも生徒の自主性を重んじる校風だ。他校に比べれば校則も緩いだろう。

 授業をちゃんと聞けとか、備品を壊すなとか。そういった当たり前のことが定められている。それ以外はほとんどない。授業中に読まないのであれば、漫画等の貸出の場として学校を利用することも認められている。

 そんな学校の生徒会室に、昼休みにも拘わらず生徒会長の西園寺克也(かつや)は来ていた。悲しいかな。また仕事が増えたらしい。

 

「クソ真面目ね、西園寺」

 

「ああ? 熊谷(くまがい)か。珍しいな。何のようだ」

 

 左手をキーボードに走らせ、右手で食事を取る。器用な社畜は来訪者を確認した後、視線を戻して作業を続けた。ちなみに黒璃(くろあき)には学食代を手渡しておいた。

 作業に追われているその姿にこはくは感心した。なにも馬鹿にはしているわけではない。貴重な昼休みを削ってでも、任された仕事に取り組む不器用な真面目さは、少しだけ尊敬できる部分もある。責任感の強い人間にこはくは好感を持てる。自分もそちら側の人間だからだ。

 

「西園寺ってたしか波期くんと仲良かったわよね」

 

黒璃(くろあき)か? 長い付き合いだな。小学生からの……って、そこは熊谷も似たようなものか」

 

 小中高と同じ人間は、この学校では珍しくもない。地元に1つしかない高校なのだから当然である。こはくは小学校が別だが、中学からは克也や黒璃と同じだ。しかし、だからといって全員と仲がいいかは別の話。

 現にこはくは黒璃のことをほとんど知らない。克也とは高校で2年連続同じクラスだが、黒璃とは中学を含め一度も同じクラスにはなっていない。

 

「黒璃がなんかしたか?」

 

 そう聞くのは、熊谷こはくという少女を知っているから。彼女は容姿が優れている。スタイルもいい。モデルになれると誰もが信じている。

 だがそれは外見上の評価。内面を知ると誰も彼女に言い寄ろうとしない。性格が悪いのではない。はっきりとものを言える少女だからこそ、言い寄った男は皆撃沈したし、少し強引にいこうとすると過剰防衛が行われる。  

 

 ”花の見た目の爆弾”。

 

 それが最終的な彼女の評価だった。もっとも、彼女からすれば言いがかりもいい評価ではある。

 ともあれ、克也は警戒する。黒璃が何かこはくの気に触ることをしたのなら、生徒同士の面倒事を最小限に抑えたい。

 

「ちょっと彼のことが気になってるのよ」

 

「ッ! ゴホッゴホゴホッ……!」

 

 衝撃的な発言に思わず克也はむせた。食事中でもあったため、胸を叩いて詰まった食べ物を胃に落とし込んでいく。

 克也のその反応に、こはくは不機嫌そうに眉を釣り上げる。

 

「失礼じゃない?」

 

「驚きもするだろ! どういう風の吹き回しだ!? 病気か!? お前みたいな人間が急に」

 

「本当に失礼じゃない?」

 

 「こいつぶん殴ってもいいわよね」と物騒な発言は聞かなかったことにし、克也は少々考え込んだ。

 なぜこはくが黒璃のことを知りたいのか。「気になって」という言葉の真意は何なのか。

 ヒントも何もない。真っ当に考えれば「ついに春の到来か」となるところ。だが目の前にいるのは熊谷こはくである。だから余計に克也は困惑した。

 

「黒璃の何が知りたいんだよ」

 

「んー。内面かしら。どういう人間なのか」

 

 もしかしたら、もしかするのだろうか。僅か数%の可能性が生まれるのだろうか。それを頭の片隅に起きつつ、克也は自分なりの黒璃像を思い浮かべる。

 

「あいつはまぁ、変な奴だよ」

 

「変?」

 

「人付き合いは良い。面倒見も良い。他人を下げるようなことは言わない」

 

「身内びいきでもしてる?」

 

「してねぇよ。多少は色がついてるかもしれないが、黒璃はわりと良い奴なんだよ」

 

「わりと、ね。で、あんたの言う変なとこは?」

 

 今のところ高評価続きだ。それこそ、この機会に友達自慢でもしてるのかと言いたくなるぐらいに。

 

「なんつーか……、感情が変なときあるんだよ。あーいや、感情が変というか、感情面か?」

 

「何が言いたいのよ」

 

「感情を置き去りにしてることがあるんだよ。泣かないし」

 

「男の子って泣くのを恥だと思ってる生き物じゃないの?」

 

「極端だな」

 

 言いたいことはわからないでもない。実際、そう感じている思春期真っ只中の高校生男子もいる。もしかしたら、大半がそうかもしれない。

 それはさておき、克也が伝えたいのはそういう話ではなかった。

 

「あいつの場合、何があっても泣かないんだよ。どんだけ悲しくなっても、感動しても」

 

「そういう人間も世の中にはいるでしょ」

 

「身内に何があってもだぞ?」

 

「……」

 

「それに黒璃は、ガキの頃から怒って喧嘩することはなかった」

 

「……平和主義って話でもないわけね」

 

 話の流れからそうじゃないと察する。

 

「ああ。喧嘩はしてたんだよ。ただ、自分が怒ったから喧嘩する、なんて流れは一度もなかった」

 

 その話にこはくは目を細めた。高校生の今ならそれは起きうるだろうが、克也は「ガキの頃」と言った。感情が行動に直結するような時期でも、黒璃は一度もそれがなかったのだと言う。

 喧嘩はする。だが自分の怒りは起因にならない。小さな子どもだった時から。

 

「なるほど。……それはたしかに、変な人ね」

 

「まーな。けどま、黒璃は俺にとって親友だ。話だけ聞けば黒璃を不気味に思う奴もいるだろうが、結論黒璃は変な面もある良い奴だな」

 

 そう結論付けながら、克也は自分の言葉を「違うか」と否定した。

 

「変って言い方は悪かったかもな。たぶん、感情の出し方が極端に下手なんだろ」

 

 小学生の時から、感覚的に距離感を調整して親友になっている。だから論理立てて整理することはなかった。こはくのおかげでしっくり来る結論に至れた。

 そのことに感謝しつつ「こんなところでいいか」と克也は体を伸ばしながら聞いた。その問いにこはくは考えながらゆっくりと頷く。彼女の中で波期黒璃の人物像を構築している最中なのだろう。

 こはくは黒璃のことを知らない。廊下ですれ違うとか、そういうレベルだ。知り合いとも言えない。

 それ故に判断材料は、克也から語られた情報だけ。親友とまで呼んでいる彼の情報以上の有益な話は他から出てこないだろう。

 あえて関わりの少ない人間から聞く手もあるが、変に話題にされては面倒だ。後々のことまで考えると、本当に面倒だ。

 

「んで、結局なんで黒璃のこと聞いてきたんだよ」

 

「いいじゃない別に」

 

「ギブアンドテイクを求めるのは当然だろ?」

 

 こはくが嫌そうな、それはそれは心底嫌そうな顔をした。

 馬鹿正直に話せる内容でもない。「場合によってはあんたの親友明日からいないかもしれないわね」など、とても言えたものじゃない。

 では適当なそれっぽい嘘でもつくか。見破られた時がまた面倒だ。ならば当たり障りのない範囲で、それっぽい内容を話すしかない。

 

「はぁ。うちの事情よ。波期くんのことをある程度調べておく必要があるの」

 

「あー、なるほど? いやまあ……納得し難いがとりあえずわかった」

 

「そ? 助かるわ」

 

 こはくの家、熊谷家は地元ではそれなりに知られている。記録上では戦国時代からこの町に居続けている家系。長く続いている家系ではあるが、大金持ちという話でもない。現代では具体的なことは知られていないが、由緒正しき家系ということだけは地元住民の持つ共通認識だ。

 なれば異性の素性を急に聞いたとなると、

 

(許婚的なやつか? この時代でもそんなのあるんだな)

 

 克也がそう思うのもごく自然なことだ。

 もしそうだとして、あの親友がその話を素直にのむだろうか。のむかもしれない。

 何かあれば話を聞いてやろう。

 長い髪を翻し、生徒会室から出ていくこはくの背を見ながら、克也は親友のためにそう心に決めた。

 

 

 

 

 

 

(まだ話題にはなってなかったな)

 

 すべての授業が終わり放課後。下駄箱で靴に履き替えながら黒璃は今日を振り返った。

 登校して来た時、誰も昨夜の件を話していなかった。クラス内に欠席者はおらず、隣のクラスも全員が出席していた。大怪我をした生徒もいない。

 それならば他の学年だと思っていたものの、授業の合間の休み時間も、昼休みでもその話題が2年生の間に流れてこなかった。もし大怪我以上のことだったら、遅くても帰りのHRで担任から何か話があってもおかしくはなかった。

 だがそれもなかった。なにもなかった。

 では生徒は運良く無事だったのか。そうであれば杞憂で済むなと、黒璃(くろあき)は都合のいい展望を思い描いた。

 

「波期くんちょっといいかしら」

 

「おれ?」

 

 靴を履き替えたところで、背後から女子生徒に声をかけられる。近くにいたクラスメイトたちも、何事かと視線をその生徒に集めた。

 長く綺麗な黒髪。美しく、力強い瞳。優れた容姿。

 何も知らない幸せ者なら声をかけずにはいられない。そんな女子生徒だが浮いた話は1つもない。誰も近づかない。棘のある薔薇など可愛らしい。花の形をした爆弾。熊谷こはくは集まった視線にため息をつき、視線を鋭くして軽く一瞥する。

 

「なに?」

 

「い、いや何も!」

 

「波期くんまた明日ー!」

 

 鬱陶しがっているのを露骨に見せると、周りの生徒たちはそそくさと帰路につく。残ったのはこはくと、呼び止められた黒璃だけだ。

 

「隣のクラスの熊谷(くまがい)さんだっけ」

 

「そうよ。知ってるのね」

 

「熊谷さんは有名だから。言い寄る男子生徒を軒並みなぎ倒したとか」

 

「尾ひれが付き過ぎなのよねそれ。好きで暴力なんて振るわないし、基本ばっさり断ってただけ。聞き分けの悪い輩には……わからせたことはあるけど」

 

 「それも累計で2回だけよ」と不満を顕にするこはくに、「そうだろうな」と黒璃も頷いた。

 

「波期くんは噂を信じないタイプなのね」

 

「信憑性次第かな。他クラスとはいえ熊谷さんの話題はよく聞くし、目立つし、自分の目で見た印象と乖離してる噂は信じない」

 

「なるほどね〜」

 

 克也が「良い奴」と評したのも納得だ。友達付き合いしやすい。軽く話しただけでもそう感じている。

 

「それで何か用?」

 

「話に付き合ってほしいのよ。ある程度時間を取ることになるけど」

 

「今からっていうのは無理だな。買い物してから家に帰るっていうお使いがあるから」

 

「そう。ならその後はどう? 私は夜でも問題ないわ」

 

「門限はないのか?」

 

「ないわね」

 

「それならお互い都合がいいな。夕飯はどうする?」

 

「……食べてからにしましょ」

 

 買い物をして帰るのだから、それぐらいは認められるべきだ。もしかすれば、最後の晩餐になるのかもしれないのだから。

 

 

 

 

 

 買い物を済ませて自宅に帰る。両手にビニール袋をぶら下げ、学校用の鞄も持っているため腕はだんだんと疲労が重なる。だが自宅に到着するまでに限界を迎えることはない。この生活にはとっくに慣れている。

 

「おかえりなさい」

 

 買ったものを冷蔵庫に入れるためにリビングまで行くと、ソファに座っていたディアトからそう言われた。教室とかで言われたことはあっても、自宅でそう言われるのは随分と久しい。

 

「? おかえりなさいで、合ってるよね?」

 

「うん。合ってるよ。ただいま」

 

 反応が遅れたせいか、言い間違えたのかと確認された。何も間違っていないことを伝えつつ、黒璃は自分の反応が遅れたことに違和感を抱いていた。

 その違和感の正体は考えてもわからず、すぐに霧散したことから深くは考えない。買った食材を冷蔵庫に入れ、これから使う一部のものは台所に置いた。

 

「アレルギーとか苦手な食べ物はある?」

 

「ないと思う」

 

「ちょっと怖いな」

 

 苦手程度ならまだしも、アレルギーは洒落にならない。最悪の場合は死因にまでなるのだから、あるかないかは把握していてほしいものだ。

 秋もこれから深まりだす10月。気持ち的に温かな料理にしたい。アレルギー物質もないものとなると、それなりに絞り込むことはできる。加えて黒璃が作れる料理ともなれば……。

 

「カレーか?」

 

 米。カレーのルー。野菜。肉。アレルギー物質はない、はず。少なくとも黒璃の知識の中では、該当するものがない。

 そうと決まれば早速料理を始めよう。夕食後の予定も決まっているのだ。今日のところはカレーの具材も最低限でいい。野菜を2種類。カレーの定番である人参とじゃがいもを選抜。使わなくなった食材は冷蔵庫へ。

 

「お昼は何を食べたんだ?」

 

「……」

 

 人参の皮を剥きながら聞くも返答はなかった。視線を上げるとディアトの目と合い、何も食べていないことを察する。ディアトは表情の変化がないが、その赤い目が正直だ。

 

 目は口ほどに物を言う。

 

 この言葉に黒璃の友人たる克也は否定的だ。「分かるわけねぇだろ。言いたいことは口で言え」派である。その意見には黒璃も同意していたのだが、

 

(わかることもあるんだな)

 

 目の前にいる少女によってその考えが変わった。

 それはさておき、ディアトが昼食を食べなかったことには困ったものだ。食パン1枚でこの時間まで過ごしたというのだから、不健康もいいところだ。

 

「外に出るの嫌だった?」

 

 超がつくほどのインドア派なのか聞くと、ディアトはそれを否定した。

 

「迷子になりそうだったから」

 

「……なるほど」

 

 仮にコンビニやスーパーマーケットが目と鼻の先にあるのなら、誰だってそこに着けるだろう。しかし波期家から最寄りのコンビニまで、最短でも10分はかかる。田舎にしては近い距離だが、土地勘がない者にとっては難易度があがる。

 

(そこまで難しい道でもないんだけど……)

 

 たんにディアトが方向音痴なのかもしれない。黒璃はその可能性を考慮し、口には出さずにのみこんだ。

 

「そういえばスマホは?」

 

「ない」

 

「なんと」

 

 小学生ですらスマホを持っていても不思議ではない現代日本なのに、ディアトはそれを持っていない。

 予想外の回答ではあるが、外出を諦めたことに合点がいく。便利なGPS機能を持ち合わせていないのなら、土地勘のない地域も歩き回りづらい。この家という戻る場所があるのならなおさらに。

 

(不思議な子だな)

 

 素性も何も黒璃は知らない。名前しか知らない。

 聞くべきことも聞かない。ディアトがこの家にいる経緯も覚えていない。その時に聞いていたのかもしれないが、記憶にないのだから聞いていないのも同然ではある。

 

(まあいいか)

 

 本人が話すのならば聞く。そうでないのなら聞かない。

 黒璃はディアトに関する何かに踏み込んだ気はない。彼の中では現状がギリギリのラインだ。聞かないことで、つかず離れずの距離感を築いている。

 

「お風呂はどうする? ご飯を作ってる間に入るか、食べ終わってから入るか。お湯を貯めたかったら貯めてもいいよ」

 

「……お湯を貯める。それでご飯を食べたら入る」

 

「了解」

 

 風呂の準備はそこまで手間ではない。栓を閉じてボタンを押す。ご飯を食べてから入浴するのなら、少しでも保温するために蓋を閉じておけばいい。

 ディアトがソファから動いて数十秒後。聞こえてくる音で理解する。黒璃の考えと同じで、ディアトは蓋を閉じたようだ。

 

「そうだ。おれはご飯食べたらまた出かけるから、帰りが遅かったら先に寝てて」

 

「出かけるの?」

 

「うん。話があるって呼ばれたから」

 

「ともだち?」

 

「いや、顔見知りかな。遊んだこともないし、そもそも全然話したこともない」

 

 友達でもない相手に夜に会う。怪しさしか感じない話にディアトも訝しみ、ほんの僅かに眉を寄せて黒璃を見つめる。

 

「どうして行くの?」

 

「本当は放課後に話を持ちかけられたんだよ。でも買い物もあったから、後回しにさせてもらってる」

 

「……話だけ?」

 

「だと思う。今日中に帰ってくるよ」

 

 ディアトの目を見ると、なんとも読み取れない視線をしていた。心配をしているわけでも、不満を抱いているわけでもない。しかし無でもない。黒璃にはわからない何かを彼女は抱いている。

 

「……そう」

 

 ディアトはそれを明かすことなく、話を区切って台所に入った。

 

「手伝ってくれるのか?」

 

「簡単なことなら」

 

「助かる」

 

 踏み込まずに受け止める黒璃のやり方は、言葉を選ばずに言うとディアトにとって都合がいい。

 それでも、この甘い環境にいつまでもあぐらをかくつもりはなかった。話さなければいけないことは多く、それをいつ、どう話すかを考えている。

 

「明日以降の予定って決めてる?」

 

「……」

 

「決まってなかったら一緒に出かけないか?」

 

「なんで?」

 

「この町のことあんま知らないんだろ? だから町案内をする」

 

 言葉通りの意味で、それ以外に含まれてるものはない。強いて言えば「明日の昼はそれで外食にしよう」という考えだけ。

 言動の100%が誠意という人間も案外珍しい。純粋、素直。周囲からそう評される人間であっても、なかなか100%にはならない。そういう考えを持つディアトにとって、黒璃は難しい人間に思える。

 ディアトは数秒考えてから小さく頷いた。黒璃の言う通りで、町のことを何も知らない。どうするにせよ、知っておいて損することもないのだ。

 

「町案内って言っても、観光名所もないから地味だけど」

 

「大丈夫。……明日はよろしく」

 

「うん。よろしく」

 

 

 

 

 

 

「……屋敷……か。屋敷だよな?」

 

 こはくから指定された住所に行くと、広い敷地の家があった。表札には『熊谷』の文字があり、ここがこはくの住む家だとわかる。

 屋敷と聞くと日本式の建物が想像されやすく、洋館と聞くと西洋式の屋敷が想像されやすい。そのどちらとも言えない建物に黒璃は首を傾げていた。

 敷地を示す塀は日本式。門はフェンスだからここだけ洋式。そこから見える建物はレトロな洋館で、離れにある建物が日本式。どちらかに染まり切ることなく、両方が存在している空間。一般的に言ってカオス。芸術家も顔を歪めるだろう。

 そんな空間も黒璃からすれば「不思議空間」でしかない。

 

「着いたならインターホン鳴らしなさいよ」

 

 その不思議空間の住人である熊谷こはくが、玄関から出てきてため息まじりに言う。

 こはくは黒璃の家を一方的に知っていたため、そこから自分の家までにかかる時間を計算できていた。そろそろ着いてるだろうと思い、窓から覗いてみたらドンピシャだった。ぼーっと立っている黒璃が見えたため、インターホンを待たずに出てきたのである。

 

「でかい家だなって思って見てた」

 

「和洋折衷どころか和洋乱立の家だけどね」

 

「いいんじゃない?」

 

「何代も前の夫婦が喧嘩した結果らしいけど。ま、住めば都ってところね」

 

 門の鍵を開け、黒璃を入れると門を閉じて鍵をかける。夜風に揺れる髪を抑えながら、こはくは自宅へと黒璃を招く。

 

「てかなんで制服のままなの?」

 

「待っててもらってたわけだし、着替える時間は省こうと思ってね」

 

「それぐらいの時間待つわよ。私そんな短気じゃないし」

 

「こっちの都合だよ」

 

「ならいいけど」

 

 待っている側だったこはくは、制服から私服へと着替えを済ませている。気の入れたような服ではなく、ちょっと出かける用のラフな私服だ。おしゃれは好きだが今夜はそういう気分でもない。長い髪も纏めずに流している。

 年頃の女の子なら、そういった気の抜いた格好を同じ学校の人間に見られたくないと思いそうなところだが、こはくはそこを気にしなかった。

 

「そこに座っておいて」

 

 リビングへと案内し、ソファに座るように促す。経緯はどうあれ招待した身だ。礼儀としてお茶くらい出す。

 それを待っている間、黒璃は指示通りソファに腰掛け、部屋の中を軽く見渡した。他人の家をあまりじろじろと見るのも失礼な話であるため、見る範囲は首を回して見える範囲だけだ。

 内装は外装と合っていて洋式。玄関で靴を脱ぐようになっていたのは、日本人として譲れないラインの表れか。

 

「珍しいものでもあった?」

 

「ある意味珍しいものだらけかな。一般家庭では見ない内装とか、デザインされた家具ばかりだし」

 

「時代に合ってないって意味でもね」

 

 あえて言わなかったことをこはくが放った。そこに反応しなかった黒璃をこはくは小さく笑い、コースターを2枚テーブルに敷いてそこにコップを置いた。物を乗せていたトレーを元の位置に戻すと、空いている席に座る。黒璃とは斜めになる位置関係だ。

 黒璃は貰ったお茶を一口飲むと、コースターにコップを戻してこはくに視線を向ける。それが話を始める合図になった。

 

「話を始める前に1つ聞くわね」

 

「あ。その服似合ってるね」

 

「へ? あ、うん。ありがとう。じゃなくて」

 

 相手の服装を褒めるのは大事。克也から言われていたことを思い出して実践したが、どうやら本題前の話はそのことではなかったらしい。

 こほんと咳払いを挟んでこはくが口を開く。

 

「波期くんって宇宙人を信じるタイプ?」

 

「宇宙とかSF好きの人ほどじゃないけど、宇宙人はどこかにいるんだろうなって思ってる」

 

「なら十分ね」

 

「なにが?」

 

「世界が1つじゃないって話」

 

「……へぇ」

 

 驚くのでもなく、疑うのでもなく。黒璃はこはくの言をそのまま受け止めた。

 その反応を受けてこはくは数拍間を空けたが、克也から「変なとこある」と聞いていたのもあって話を続けられた。

 

「わかりやすさ重視で言うと、裏世界ってとこね、そっちはそっちで文明を築いてるって話よ」

 

「ほうほう」

 

「そういう話なんだけど、時折こっち側に来る生物がいるのよ。それの対処が私の役割。これは代々うちがやってることね」

 

「なるほど。ファンタジーって実在したのか」

 

「事実は小説より奇なり。世界中の神話とか伝説、伝承も元ネタがあるってわけ」

 

「科学者が匙を投げそうな話だ」

 

「波期くんみたいに、裏世界を知らない人たちはそうでしょうね」

 

「実物を見ないと信じない人も多いんだろうな。……神話も元ネタあるってことは、竜とか大蛇とか」

 

「そういうこと」

 

 間髪入れずにこはくが頷いた。現実離れしたエピソードも、ゼロからのでまかせではないらしい。

 

「そうなってくると」

 

「人類は()()()()()()()を裏世界に追いやれたってことよ」

 

「そうなるよな」

 

「最低限の知識を共有したところで本題に入るわね」

 

 黒璃がこの話を完全に信じたかはどうでもよかった。相手の納得具合はこはくにとって関係ない。本題を話すためにはどうしても必要な知識だったから伝えただけだ。

 

「私の仕事は裏世界の生物がこっちに来た時に対処すること。そいつが死ぬ前に帰るならそれでいいし、最後まで抗うならこっちも最後までやる」

 

「最後までってのは……殺すってことか?」

 

「そうよ。見逃すのはあり得ない。こっちに影響が出てからじゃ遅いのよ」

 

「影響って例えばどんな?」

 

「環境の変化ね。こっちの事情でも同じでしょ? 外来種の存在が、在来種の生活に害を及ぼす。絶滅の憂き目にあうことだってあるじゃない」

 

 文字通り世界規模の話だ。他国の生物が自国に来て環境を破壊する。それが別世界の生物がこちらの世界の生物に影響を及ぼすという話。

 実感の湧きにくい話を、やはり黒璃はそのまま受け入れた。「そういうものか」と丸呑みすることで、こはくの話を先に進めさせていく。

 黒璃のそれは、こはくにとってありがたいことではある。話が早いのは時間の節約になる。そうなるのだが、こはくは次の話の内容も相まって目尻を吊り上げた。視線が強くなり、黒璃を睨みつける。

 

「そういうわけだから、あんたの家にいるやつを大人しく差し出しなさい」

 

「ん?」

 

「匿っているのはわかってるのよ」

 

「盗撮でもしてる?」

 

「ある意味監視カメラみたいなものは、この町全体にあるわね」

 

 こはくが壁に指をさす。それに従って黒璃は壁にかけられている川津町の地図を見た。1か所にだけ赤い光が灯っている地図を。

 

「さっきは言わなかったけど、魔法も実在するのよ。時代に沿って数は減ってるけど、私も魔法使いの1人。うちは代々この町の担当なの」

 

「担当ってことは、組織的なものなのか」

 

「世界全体のね。それは今はよくて、魔力ってのは全生物が持っているものなの。魔法から離れて世代交代が続くと、生まれてくる子どもたちの魔力も少なくなるけどね」

 

 魔法というものが生活から完全に消えた現代において、魔力が少ない人間は非常に多い。もはや魔法使いが絶滅危惧種なまである。

 それは決して悪いことではないとこはくは思っている。魔法は便利だが科学も便利だ。魔法の訓練を積むことなく、ワンタッチで手間を省略できる時代だ。魔法使いが減るのは自然な流れだと理解している。

 

「波期くんの家は魔法離れが早かった家なのかしらね。全ッ然魔力を感じれないから、魔法使いデビューは諦めて」

 

「それは残念だ」

 

 淡々と返されたものだから、本気で残念がっているのか分かりづいなとこはくは心の中で呟く。

 

「話を戻すわよ。現代は魔力の少ない人がほとんど。けど裏世界はそうじゃない。必ず一定値以上ある。だから町全体に魔力探知を張っておけば、その地図みたいに反応を追えるってわけ」

 

 加えて裏世界からこちら側に何かが来る時の前兆。それを探知する結界が地球規模で展開されている。これにより魔法使いは相手の来訪に備えることが可能になる。

 壁の地図上にある赤い光は1つだが、青い光なら他にもある。それで来訪者かどうか判別しているのだろう。地図全体が光っていないのは、魔力が一定量以上ないと反応しない仕組みだからだ。

 

「で、波期くんはどうする気? 大人しく差し出すなら見逃すけど、反対するなら相応の対応をさせてもらうわ」

 

 裏世界から来たものは徹底して対処されている。世界各国それだけは共通しており、もう1つある共通のルールが裏世界側に手を貸す者への処罰だ。記憶の書き換えなど行われない。そんなに優しくない。決まっているのは、『殺害する』ということ。

 こはくが露骨に敵意を剥き出しにしているため、黒璃も察することはできていた。どうやらそれだけ危険なことだったらしいと。

 この話がわかったところで、納得できるかはまた別の話になるわけで、

 

「現状そんな危険には思えないんだが」

 

 とりあえず対話を試みてみた。

 

「共生できるなんて馬鹿なことを考えないでちょうだい。山から出てきたクマと生活できる? 無理なのよ。あんたに今被害が出てないのは、ただの気まぐれに過ぎないわ」

 

「気まぐれ、か」

 

 そうなのだろうか。そうかもしれない。

 こはくの言葉を今度は咀嚼してみた。ディアトのことを黒璃は理解していない。昨晩出会い、今朝少し話し、ここに来る前にも少しだけ話した。トータルでも半日どころか3時間にも満たない短な時間だ。その僅かな時間しか共に過ごしていない。

 それが気まぐれによる生存だという意見も、納得できる見方ではあった。

 だが、黒璃はディアトを引き渡す気にはなれなかった。昨晩の記憶は薄いが、彼女は憔悴しきっていた。何かがあった。今日話した時も、思うところはあった。

 何よりも、

 

「まあでも、明日一緒に町中を散策することにしてるから、熊谷さんの要求は呑めないな」

 

 ディアトと交わした約束を反故にはできない。

 

「……は?」

 

 黒璃のその返しは、完全にこはくの予想から外れていたものだった。引き渡すか、あるいは「世話できる」とかそっち系での的外れな意見を言うと思っていた。

 だが黒璃の答えは「明日の予定あるから共々見逃せ」というもの。予定を決定事項として話している。

 

「あんたふざけてる?」

 

「真面目だけど」

 

「……そう。拒めば自分に被害が及ぶことも理解して言ってる? もう一度だけ聞いてあげるわ。差し出す気はある?」

 

「熊谷さんって優しいんだな」

 

「っ。答えなさい!」

 

 黒璃の言葉に反発するようにこはくは立ち上がった。奥歯を噛み締め、黒璃の顔の前にかざされた手のひらには魔力が込められている。こはくの名の通り、瞳の色と同じ琥珀色の弾が形成された。

 こはくが引き出そうとしている言葉はわかっている。黒璃が協力の姿勢を見せれば、今後もこれまで通りの生活が送れることも理解している。

 

(それでも)

 

 黒璃も立ち上がり、身長差が故に視線を下ろしてこはくの目を真っ直ぐ見た。

 

「熊谷さんの要求は呑めない。ありがとう。いろいろ教えてくれて」

 

「っっ! こ、の……っ!」

 

「おれの方でもいい案がないか考えてみる。また学校で」

 

 魔法という未知のものを目前にして。魔弾という脅威に晒されておきながら。

 黒璃は臆することなくこはくの横を通り抜けた。「お邪魔しました」と一言添え、部屋から出ていく。

 

「ふふふ。彼おもしろいね」

 

 やり場のなくした魔弾を霧散させるこはくに、入れ替わりで入ってきた白猫が話しかけた。黒璃の前に姿は見せなかったが、会話はすべて聞いていたらしい。

 こはくは見るからに不機嫌な顔で、他人事を楽しむ白猫を睨んだ。

 

「キミが躊躇うなら、手を貸してあげようか?」

 

「余計なお世話よ。家の中だったから見逃しただけ。後始末が大変になるもの」

 

「ふふっ。そういうことにしておいてあげよう」

 

「……ふん」

 

 事情を話せば穏便に済むと思っていた。そうなってほしいという希望もあった。

 17歳という年齢で、人殺しになりたいとは思わない。しかも同じ学校に通う生徒だ。温情くらいかけたい。

 この先の人生で、もしかしたらその時は来るのかもしれない。だがそれは今ではない。そう思っていた。

 それでも、こはくの期待した展開にはならなかった。ならばここからは非情になるしかない。川津高校に通う熊谷こはくとしてではなく、この町ひいては世界の平穏を守る魔法使いとして。

 

「チャンスはあげた」

 

 足元にいる白猫にではなく、こはくは自分に言い聞かせていく。そうやって意識を切り替えた。

 

「逃しはしないわ」

 

 急ぐことなく、普段通りの歩調でこはくは部屋を出ていく。

 これが熊谷こはくが初めて臨む殺人だ。

 

 

 

 

 

 熊谷こはくがその決意を固めている一方で、波期黒璃は熊谷家の敷地の中で佇んでいた。

 何も殺されるのを待つためではない。死ぬつもりはない。帰ろうとしたら、不思議な力により門が開けられなくなっていたからだ。魔法の存在を聞かされたおかげで、「これも魔法の力か」と納得できたものの、知らなければ故障を疑っていただろう。

 帰るために人様の家の塀を登ることも考えたが、こちらも魔法で出られなくされていた。

 

(閉じ込められてるよな)

 

 話し合う前からなのか、つい先程そうされたのか。真相は知る由もないが、知ったところで何も変わらない。

 

(熊谷さんは優しい人だな)

 

 門の取っ手に触れようとしたら、棘が出現して防がれた。塀を登ろうと近づいても同じだった。

 わざわざ「閉じ込めました」と視覚的に示してきたのだ。違う仕組みにしてしまえば、近づいただけで黒璃が死ぬこともあっただろうに。

 

「悪いけど波期くん。死んでもらうわね」

 

「いい妥協案が見つかるのを待つのは?」

 

「無理ね。そんなの見つかってたら、とっくに人類はそうしてるのよ」

 

「たしかに。でもこれから見つかるかもしれない」

 

「それっていつ? 明日? 来月? 来年? いつになるか分からないものを待って、その間に取り返しのつかないことが起きたらどうするの? 責任取れないでしょ」

 

「それもたしかに」

 

 こはくの言い分はどれも理解できるものだ。

 神話の元ネタになるほどの、太古から続く歴史があるのだ。何千年何万年と続く歴史の中で、人類は共存の道はないとしている。

 なにより、そもそもの話として。無理だと判断したから人類は戦い、裏世界に追いやっている。黒璃の考えは希望的観測でしかなく、魔法使いたちからすれば夢物語に過ぎない。

 

「せめてもの情けとして、痛みを感じる間もなく絶命させてあげる」

 

 こはくが右手を前に伸ばす。手のひらの先に琥珀色の魔力が現れた。野球ボール程度の大きさで生み出された弾が、次の瞬間にはバスケットボールサイズにまで急速拡大。形も球状から剣へと変化した。

 

「斬られる?」

 

「首と心臓を同時にやるわ」

 

「2本に増えた」

 

 2振りの剣が宙に浮かぶ。

 2人の間は約15メートル。黒璃が全力で走っても2秒はかかる。近過ぎると黒璃は感じ、こはくを見ながら半歩足を引く。

 

「抵抗しないでくれるとやりやすいんだけど、するわよね?」

 

「もちろん」

 

「そっ」

 

 短な返しがあった直後、2振りの剣が同時に射出された。

 

(あ、しん──)

 

 黒璃は予備動作があると思っていた。ボールを投げるようなモーションでなくとも、手を振るなり指を動かすなり。こはくに何かしらの動きがあると身構えていた。

 そのためにこはくの魔法は、予想外の奇襲という最高の攻撃に化けた。意識外からの攻撃。かつ速度は優に時速100キロを超えている。

 反応が遅れた黒璃が理解したのは、自分の死だけだった。

 

 

 

「…………」

 

「……?」

 

 結果から言うと黒璃は死ななかった。寸止めなんて優しいことはしていない。こはくに殺害の意思はあり、そのために行動した。

 しかしこはくの放った剣は、黒璃を傷付けることはなかった。首を狙った1本は半ばから折れて霧散し、心臓を狙い真っ直ぐ飛んだ1本は一瞬で消えた。

 

(魔法を知らなかったのはブラフ?)

 

 今度は8本の剣を生成し、四方八方から黒璃に襲いかからせる。2撃目は偶然の奇襲にならない。だが、だからといって避けられるわけでもない。黒璃は足掻こうとするも、どの方向に進もうとしても剣が迫る。詰みの状況だ。

 

(やっぱり打ち消されてる。波期くんも魔法使いってこと?)

 

「……んー?」

 

(……いえ、波期くん本人が理解してない。なら自動(オート)

「両親に感謝するのね」

 

「どういうこと?」

 

「何者か知らないけど、とんでもないわよ。愛されてるのね」

 

「そうなのか」

 

「そうなのかって……。日頃感じてないわけ?」

 

 親の愛子知らずとはよく言ったものだ。身近にいると分からないありがたみというものはある。こはくは、それを当然と思う人間が嫌いだ。自ずと語気が強くなる。

 

「いや、親死んでるから」

 

「……あれってそういう」

 

 克也から大まかに聞いてはいたが、それが両親の死とは思っていなかった。これはこはくの想像力不足でもあり、素直に反省する。

 反省はするが、見逃す理由にはならない。

 

「なんであれ、逃さないわよ」

 

 黒璃の魔力の低さには驚かされたが、その理由も今なら納得だ。

 

(良くも悪くも彼の身体に魔法式が組まれてるってことね。存在を知らないから自力のオンオフもできない)

 

 常に自分の身体を魔法から守るように魔法式を発動させている。自分の身体にある魔力は常時放出され、貯めることができていない。それ故に本人の魔力量が、ミリほどしかないと錯覚させられた。

 

(でも、それならやり方を変えればいい)

 

 確認できている情報だけで言えば、あくまで対魔法の守りだ。別手段ならいくらでもある。例えば刃物。

 

(ナイフなんて持ち歩いてないし、包丁を他人の血で汚すのも嫌だし。ま、道具に頼るまでもないわね)

 

 こはくは魔力を自分のために使う。黒璃の親が仕組んだような、外側に向けたアーマーとは逆。体の内側に魔力を回し、身体能力を飛躍的に向上させる。

 

「えっ!? 消え、だっ!」

 

「やっぱり物理は通る!」

 

 人を殴り殺すのは嫌だった。そんなこはくの取った手段は、絞め技による殺害。  

 初撃だけ黒璃の頭を殴ることで脳を揺らし、鈍くなったところを後ろから腕を回して首を絞める。背に張り付くことで、完璧な形でバックチョークを決めることができた。

 

「ぐっ……うっ!」

 

「悪いわね。苦しまずにってのは無理だったわ」

 

「せ、なか……」

 

「? 背後に回るのが卑怯とでも言いたいの?」

 

「あたっ、てる」

 

「…………」

 

「ゔっっ!」

 

 自然と腕に込める力が増した。

 非情になろうと意識しても、こはくは殺人経験がない。裏世界の生物を相手にするのとは違うのだから、簡単に非情になれるわけもない。完全に無くすことはできないこはくの良心。素の部分。それが年頃の少女の反応をこの状況でも引き出していた。

 指摘されれば意識してしまう。スタイルがよく、同級生より大きめな胸が、黒璃の背に押し当てられているのは事実。ふつふつとこみ上げる羞恥心を誤魔化すべく、こはくは魔力を腕力へと集中して変換させていく。

 

「死になさい」

 

 殺す理由が増えたために、本人も驚くほど声が冷たい。

 こはくの腕を引き剥がそうと藻掻いていた黒璃の手から、次第に力が抜けていく。もう数秒で意識を断ち、そのまま文字通り息の根を止められる。

 

「何してるの?」

 

「っ!?」

 

 声が聞こえた瞬間にこはくは黒璃から離れた。その直後に白い魔力光がこはくの頭があった場所を通り過ぎる。

 

(魔弾じゃない。あれもうビームよね)

 

 一応の配慮をされたのか、家の壁には当たらなかった。修復の必要がないことにこはくはひとまずほっと息をつき、現れたその存在に冷や汗もかく。

 結界があっさり突破された。それだけでも相手の技量が伺え、さらには今の一撃で魔法の強さも理解させられる。

 

「あんた……まさかそんなやつ匿ってたの!?」

 

 飛びかけていた意識がぎりぎりで戻り、「げほげほ」と咳き込んでいる黒璃に怒鳴るように聞いた。

 やっぱり黒璃は何もわかっていないようで、呼吸を整えながら首を傾げていた。その黒璃に歩み寄った乱入者は、黒璃の家に住み込み始めたディアトだった。

 

「大丈夫?」

 

「すぅー、はぁぁ。うん、なんとか。ところでなんでここに?」

 

「……気になったから」

 

 町の地理に詳しくない且つ、黒璃の行き先を知らなかったディアトだ。こはくに見せられた地図によればつい先程まで家にいたはず。それなのに今ここにいるのは何かしらの手段を講じたのだろう。このタイミングで割り込んでこれたのも、そういうことだと伺える。

 熊谷家の敷地に張られていた結界は、内部の状況を外に漏らさないためのもの。相手を閉じ込める役割もある監獄だ。

 それでもディアトはタイミングよく入ってこれた。それはつまり、こはくの知らない手段で情報を得ていたことになる。この結界がディアトの前では通用しない。

 

「魔人を匿うなんて……正気の沙汰じゃないわね……!」

 

「正気だぞ」

 

 むっと顔を顰める黒璃に対して、その反応はこっちがしたいものだとこはくは内心で文句を言う。

 

(……落ち着け。無知だからこうなっただけ。彼を責め立てても意味ない)

 

 深呼吸し、冷静に自分に言い聞かせる。黒璃が無知であるが故に、どんなことをしでかしているか理解していないのだと。

 

「どうするの?」

 

 白髪の少女が1歩前に踏み出して問う。

 こはくは相手の動きに細心の注意を払い、頭をフル回転させた。

 

(会話が成立するのはありがたいわね)

 

 実力差は理解している。その上で相手が会話を試みているのは、ありがたい状況だ。問答無用で攻められたら、こはくは自分の命を守れるとは思えなかった。

 

「目的は何?」

 

「目的? 彼を連れ帰ること」

 

「この町にいる目的よ」

 

「……答えるつもりはない」

 

 数秒考えた後、ディアトは素直に答えた。同時にこはくに対する興味もないと、無表情ながらに目で語っている。それをこはくが読み取れたかはともかく、黒璃には伝わっている。

 

「……ここまでね」

 

「ん?」

 

「今日のところは引き下がるわ。波期くんの家にいたやつの正体も知れたことだし」

(策を練らないとこっちが死んじゃうし)

 

「なんか命拾いしたっぽいな。まあいろいろあったけど、また学校で」

 

「……どういう神経してるのよ……。あー、それとそこの魔人」

 

「わたしのこと?」

 

「ええ。あんたら魔人は必ず私の手で始末するから」

 

「そう」

 

 ディアトが踵を返し、それに続いて黒璃も門へと歩いていく。「お邪魔しました」と定番の挨拶まで添えられ、こはくは僅かに気を削がれた。

 

 

「はぁぁぁ。仕切り直しね」

 

「ふふふ。おもしろいことになってきたね」

 

「何も面白いことなんてないわよ。情報を整理する必要も出てきた」

 

「そうだろうね」

 

 波期家にいたのは、通例通り裏世界の生物だと思っていた。近現代になってからというもの、出現するのは動物系ばかり。伝説になるような竜やユニコーンといった大物は現れていない。

 そうだったというのに、今しがた判明したものはその大物ともまた違った。魔法使いたちが「魔人」と称する存在。その1人だ。

 

「必要なら応援を呼ぶかい?」

 

「いらないわよ。あんたの手も借りない。単純な力比べなら勝てないけど、やりようによっては倒せる」

 

「ふふっ。それが叶うなら、私としても楽で助かるよ」

 

「ふん。やってやるわよ。必ず……!」

 

 白猫が手伝うという選択肢はないらしい。それは今に始まったことでもない。何年も前に2人の間で話し合われた結果、この形に収まっている。

 こはくは不要になった家の結界を解き、建物内へと入っていく。爪が食い込むほど、拳を強く握りながら。

 

 

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