ルーティンはその者の調子を安定させる。生活リズムと言ってもいい。それらは一定のパフォーマンスを維持するためにも最適解なものであり、黒璃がこれまでも維持してきたものだ。
平日休日関係なく、季節にも天候にも左右されることなく、黒璃は同じ時間に起きていた。寝起きが良く、脳も朝からよく働く。
そんな黒璃にしては珍しく、異常ともとれる事態が起きていた。
「……」
寝起きから気怠さがあった。脳もぼんやりとしていた。
熱はない。風邪ではなさそうだ。
「……なんで?」
そんな事態であっても、黒璃の中では二の次になった。それよりも気になるのは、
宝石の如く色鮮やかな赤い瞳が、寝起きの黒璃を純粋に真っ直ぐ捉えている。
寝起きの顔を見られる恥ずかしさはほとんどなく、それよりも気になるのは今の状況だった。黒璃の言った「なんで?」は、「なぜ寝顔を見ているのか」ではなく、「なぜ同じベッドにいるのか」だった。
(おれの部屋、か。……昨日おれソファで寝たよな?)
そう。自室のベッドはディアトに譲った。黒璃はリビングにあるソファで寝た。「このソファ、背もたれを倒せてベッドになるから」と言ってディアトに見せ、気まずさも何も感じる必要はないと説き伏せたのだ。
それなのに起きたら自室にいた。どう移動したのか記憶にない。2夜連続で記憶がない。
「移動させた」
真剣に考えていると、背中から答えが飛んできた。振り向くと、体を起こしたディアトが何でもないように無表情でいる。
「移動させたっていうのは?」
「家主をソファで寝させるのはどうかと思って。昨晩は平行線になりそうだったから、寝るのを待って、その後運んだ」
「なるほど」
経緯は理解できた。手段は少し想像しづらい。黒璃とディアトの体格差からして、担いで移動させられるとは思えない。
「重いとは思わなかった」
「そうなのか」
脳でも覗いているのかと言いたくなるぐらいに、ピンポイントな答えが出てきた。
その体のどこにそんな力があるのか。一般常識から外れた事実に、不思議と驚きがない。昨夜のこはくが良い例だからだろう。彼女はあの細腕で黒璃を物理的に死に近づけた。
「そういえば熊谷さん、魔人がどうとか言ってたけど」
「くまがいさん?」
「昨日の女の子の名前……というか名字。熊谷こはくさん」
「そう。……魔人なんて初めて呼ばれた」
「じゃあいっか」
週明けにこはくから直接聞けばいい。
”魔人”という呼称がディアトを指していることは、黒璃もディアト本人も分かっている。しかし何故その呼称なのか。根本的な理由は分からない。
そもそも話の流れからして、黒璃はディアトが裏世界とやらから来たと思っていたが、本人からその話は出ていない。不確かなことを前提にすることを避けるため、可能性の1つとして考えるように切り変える。
「もう1つ聞きたいんだけどさ。服ってどうやって調達してる?」
それとは別に昨日から気になっていたことではある。手荷物を一切持っていないディアトが、なぜか私服も寝間着も持っている。正確には着替えている。しかも洗濯物は出していない。
ごく当たり前な黒璃の疑問を、
「自作」
ディアトは一言で晴らした。
昨晩には人生観に影響が出そうな出来事があったのに、黒璃は戸惑いも悩みも見せることなく日常に戻っている。
ディアトと共に朝食を食べ、家の掃除が終わると出かける準備を済ませる。今日は彼女に町案内をすると決めた日だ。その予定を遂行するため、玄関の鍵も閉めるとディアトと共に町に繰り出す。
「魔法って便利なんだ?」
「……そうみたい。わたしにとっては当たり前のことだったから」
「逆に言うと魔法を使わない生活は不便?」
「不便……でもあるけれど、新鮮」
「なるほど」
新鮮に感じている分には、まだ楽しめている方なのだろう。不便であっても不快ではない。ストレスを感じていないのであれば、同居人としてひとまず安心だ。
黒璃は改めてディアトの服装を見た。初めて会った夜。そして昨日はシンプルなワンピースだった。柄も模様もなく、肌を隠せる”服”になっているのならそれでいいだろうと言わんばかりのもの。
それが今日は違う。柄も模様もないのは変わらないが、上はシャツと上着で下は膝丈の青いスカート。黒のハイソックスで素足は隠されている。靴はスニーカーだ。
「?」
黒璃の視線に気づいたディアトが視線を上げて黒璃に合わせた。
「昨日までとは違う服になってるのは、なんでだろうって思っただけ」
無言の質問に素直に答えると、ディアトは視線を戻す。信号が点滅し始めたため、2人は無理に渡ることはせずに止まる。
信号を待っている車も他人もいない。人によっては急いで渡りそうな場面だが、2人の考えは似通っているのだろう。
「テレビでいろんな人がいたから。作ってみただけ」
「好みに合う服装の人がいたってことか?」
「違う」
「じゃあオリジナルなのか」
感心したようにかけられた言葉にディアトは静かに頷いた。ディアトの服はシンプルだ。服屋に行けば同じような組み合わせもできるだろう。だが彼女の口ぶりからして、彼女がテレビで見た人たちはこの組み合わせを誰もしていない。ディアトの感性で生まれたものになる。
「センスいいな」
「……ありがとう」
率直な感想を素直に受け止めた。落ち着いた声色だったが、センスを褒められたことに喜びを感じている。嬉しい気持ちが表に出ることはなかったものの、ディアトの足取りが僅かに軽くなるなど見え隠れはしていた。
町案内をするといえど、まずは生活していく上で欠かせない場所の案内から始まっている。最初の目的地は家から最も近いコンビニ。徒歩10分程度の距離。近いとも遠いとも言い難い絶妙な距離だ。
「スーパーよりは近いから、何かとこっちの方が使うことになる」
食材を買い込む日にはスーパーに行くのだが、それは基本的に週に1回。それも学校の帰りに寄る方が何かと都合がいい。
そんなわけで、飲み物や軽食を買うとなるとコンビニ利用となる。
黒璃とディアトは共同生活をしているが、まだ3日目である。お互いの知っていることは少ない。そして会話もそんなに多くない。雑談というものが2人の中ではあまり起きない。
まずディアトからの話題提供はなく、黒璃もきっかけがないと話し始めない。例えば一緒にテレビ番組を見てる時とか。もしくは予定の確認だとか。
「……」
特に話題を掴めない住宅街を歩いているため、必然的に2人の間の会話が減っていく。無言で並んで歩くだけ。
それなのに2人の中で気まずさは生まれない。その逆もない。安心感が生まれることも、居心地の良さが生まれることもない。可もなく不可もなく、”無”がそこにあった。
「……。どうしたの?」
隣を歩いていると、ディアトは何度かちらちらと視線を感じた。それを投げかけると、黒璃は意外そうに目を見開いた。ディアトの問いかけにではなく、無意識のうちにディアトを見ていたことに。
「いや……。なんだろ」
「?」
「なんでもない」
「……」
赤い瞳がじーっと黒璃を見つめる。誤魔化すなと言いたげなその視線に黒璃は頭を悩ませた。
無意識の行動に動機を問われても答えようがない。仮に理由が出せたとしても、それは後付に過ぎない。どこか言い訳じみているというか、後ろめたいことを隠しているように見えなくもない。黒璃はそう感じて、何か話題を見繕うことにした。
こはくに関わることはこはくから聞けばいい。ディアトの話は本人が言うまで深く掘り下げる気はない。ともなれば、さっきの話題か足がかりになる。
「魔法で服を作れるって話だったけど、変身もできたりするのか?」
「変身?」
「例えばまったく違う体格になるとか」
「可能か不可能かで言うと可能」
「へー」
迷宮送りになりそうな事件も作れそうだと感心していると、またもやディアトの視線が黒璃を捉えて離さない。失言はなかったはずだと己を振り返っていると、意外な発言が出てくる。
「変えてほしいの?」
「え?」
「見た目。変えてほしい?」
「そういうつもりではなかったんだけど。というか、可能って話を聞くと魔法を使える人たちの本当の姿がわかんなくなってくるな」
もしかしたらこはくも違うかもしれない。学校一のスタイルを持つあの美少女も……、同校の男子たちの夢を壊すのはやめておこう。黒璃は浮かんだ可能性をそっと消した。
「わたしは変えてない」
「あ、そうなんだ」
「うん。でも変えてほしいなら……、変えてもいい」
そっと自身の胸に手を当て、赤い光を灯しながらディアトは言い、
「なんで? かわいいんだし変える必要ないだろ。むしろ完全な変装できるのに本当の姿でいてくれてるのは、ありがたいよ」
黒璃がその案を否定した。
騙そうと思えば騙し続けられる条件下だったのに、それをせずに生活している。その事実は同居人として信用度が高まるものだ。
「……ありがとう」
「ん? むしろお礼を言うのはこっちだと思うんだけどな」
「ありがとう」と言おうとすると柔らかな指が口の前に立てられた。どうやらディアトからするとそれは違うらしく、受け取れないようだ。
それを汲み取ったから目的地に行こうとジェスチャーすると、無事に伝わったようでディアトの手が離れる。
(かわいい……。かわいい……)
コンビニの近くまで来れていると話す黒璃の横でディアトは、言われたことを胸の中で反芻させていた。
(そうなんだ)
いつも無表情な彼女だが、感情は人並みに持っている。
だが僅かに早まる鼓動には気づけていない。
現代のコンビニとは便利なもので、飲食物はもちろん、雑誌や事務用品など手広く物を売っている。小さな雑貨屋と言えなくもない。
そのコンビニの中で、黒璃のお気に入りは買い食いのしやすい商品だ。肉まんや唐揚げと言った、コンビニのカウンターで売られているアレら。学校帰りに克也と買い食いした時からハマった。
「おいしい」
「だろ」
それをディアトにも買ってあげると、彼女も気に入ったようだ。骨なしフライドチキンを早いペースで食べ進んでいる。口を広げて頬張ることはしないものの、小鳥の食事を早送りしているかのようにさくさく食べている。
「黒璃か?」
「ん?」
コンビニ前で食べていると、聞き馴染みのある声がした。そちらを見ると、ラフな格好をした克也がいた。手ぶらでコンビニ来ているところを見るに、軽い買い物をしに来たのだろう。
「おはよう
「あ、ああ」
「? どうしたそんな鳩がサングラスかけたみたいな顔して」
「いやどんなだよ。裸眼だろ。そうじゃなくてだな。隣の子誰だよ」
隣の子とは、骨なしフライドチキンに夢中になっているディアトのことである。克也は面識がないのだから気になるのは当然であり、しかも海外でもなかなか見ない髪色をしている。
さて黒璃は困った。どう説明しようか悩んだ。なにせ黒璃自身素性を知らない。となれば、当たり障りのない範囲で答えるしかない。
「知り合い」
「……なるほど」
克也はぐっと堪えた。そうじゃないと言いたかったが、その言葉は飲み込んだ。黒璃は人を騙すような性格をしていない。親友である克也はよくそれを知っている。こういう時に誤魔化しともとれる発言をしたのならば、”そうとしか説明できない”ことを意味しているのも知っている。
あとは本人から聞くしかないのだが、当の本人は夢中になって食事中。克也は一番気になることを後回しにした。
「そういや熊谷には会ったのか?」
「熊谷さんとは昨日会ったよ。話があるって言われて放課後に時間合わせた」
「なるほどな。実は昨日お前がどんな奴かって聞かれてな。……まぁ、話した内容とかは聞き出したりしねぇけど、なんかあったら話せよ」
「その時は頼むよ。今はお互いに納得できるとこがないか探してるってとこだな」
「熊谷との付き合いは苦労しそうだからな」
「そうか? 周りが言うほどじゃないと思う。結構優しい人だぞ」
「お前……すげぇな」
「なにが?」
克也に「なんでもない」とはぐらかされ、黒璃はそれ以上聞かなかった。この話題を広げようにも、魔法は世間一般では知られていない。隠されているわけではないものだが、知らない人間にわざわざする話でもない。それ故にこれ以上は広がらない。
そもそも、魔法を知らず何も素性を知らない克也の中では、黒璃とこはくの話は男女関係のものとなっている。こはくが、これまで自ら特定の誰かに近づくことがなかったのも拍車をかけており、
(熊谷はこの町では知られている熊谷家の1人娘。跡取り云々の話もきっとある。どういうわけか知らないが、黒璃に白羽の矢が立った)
とまぁこんな感じになる。
実際に、熊谷家の話はこの町の話のネタになりやすい。老人会では定番だ。しかもこはくの容姿が良いので余計に話を生みやすい。克也が勘違いしても仕方がない。
「来週はよろしくな」
「家に行けばいいんだよな?」
「昼にな。詳細はまた連絡する」
「来週出かけるの?」
「克也の弟の誕生日祝いに呼ばれてる。……欲しい?」
言葉はなく頷きだけがあった。
骨なしフライドチキンをよっぽど気に入ったようで、ディアトは黒璃が持っていたものまで食べ始める。食べかけだろうと気にしないようで、先ほどと変わらないペースで食べている。
「仲いいんだな」
「悪くはない。今は町案内の最中で、生活に便利な場所から教えてる」
「それでコンビニか。納得」
「克也ならどこ案内する?」
「条件は?」
「この町をまったく知らない人」
「となると……、生活必需品を買う場所以外なら駅周辺じゃないか?」
コンビニを案内しているのなら、スーパーの案内もプランだと踏んでそこの言及はしていない。
田舎町といえど駅周辺はそれなりに便利だ。大型商業施設もある。
「学校の女子たちが遊びに行くのはたいていあそこらしいぞ。観光の観点から考えると湖畔公園、あとは庭園とかか。徒歩圏内は公園くらいだが」
「参考にする」
「思いつく範囲で言っただけだ。ま、頑張れよ」
「ありがとう」
若者や家族連れが出かける場所として定番なのが、『駅前の大型商業施設』。服や鞄といった定番ものはもちろん、家電製品やアウトドア用品も売られている。遊べるのはゲームセンターとボーリング場。台数は少ないが、ダーツとビリヤードもボーリング場内にある。
映画館はないため、もし観たいなら公共交通機関か車での移動が必須だ。加えて言えば、黒璃たちの地域から駅までもバスや車移動が基本の距離である。
それに対して『湖畔公園』は高齢者が多く、徒歩で行ける距離だ。時期によっては家族連れのピクニックも見かけることはあるが、日頃は静寂に包まれている場所だ。散歩コースにもなる。観光客へのアピールポイントは、湖に沈む夕日だ。
そして最後に挙げられた『庭園』。町の展望台よりさらに奥に進めばあるが、徒歩で行くには遠い。ここは四季折々の花が施設内にあり、その外に日本式庭園がある。景観の良さに定評のある場所だ。
(今日行くとしたら駅前だな)
生活する上で知っておくと便利。それが今日の案内のコンセプトだ。そこに基づくならば、3候補の中での優先順位が駅前になる。
「この後はスーパー行って、それからバスで駅前に行こうかな」
「移動するの?」
「うん。ここに来た目的はとっくに果たしてるから」
「それならチキンをもう1個買ってもいい?」
「だいぶ気に入ったな」
「美味しい」
「それはよかった。けどカロリー高いから何個も食べてると太るよ」
「え」
いつも表情が変わらないのに、不思議と黒璃はディアトがショックで固まったことを感じ取れた。その手からゴミを取り、コンビニのゴミ箱に捨てると、ディアトを連れて次の目的地へと向かった。
□
寝床問題が解決する兆しは見えない。客人であるディアトにベッドを使わせたい黒璃と、家主を差し置いてより良い寝床で寝るのは遠慮したいディアト。2人の考えは完全に平行線となっている。どちらかが折れるしかなく、そこで取ったディアトの手段が、黒璃の就寝後に移動させることだった。
だが今夜はそれを前もって止められた。夕食も入浴も済ませ、並んでソファに座りながらテレビを見ていた時に、黒璃はディアトに釘を刺した。寝ている間に移動させるなと。
(変な人)
だから今夜はディアトが移動した。黒璃が眠った時間を見計らい、リビングへと移動。ソファで寝ている黒璃を見下ろす。
魔法を使える者にとって、環境は大して影響しない。暗いのならば自分の視界に補正を掛ければいい。画像を明るくするように、自分の視界の明暗を調整すれば、日中と変わらない感覚で物が見える。
寝息を立てて眠っている家主を見つめる。見ず知らずの人間をあっさりと受け入れた変わり者。お人好しなのか、裏があるのか、ただの馬鹿か。それはまだディアトにも判断できない。
わかることは、ディアトからすれば黒璃が”変”だということ。
(あの時から……今でも、何を考えてるのか分からない)
思い出すのは初めて会った一昨日の夜。手を差し伸べてきたあの時。
衰弱していたディアトは動けずにいた。あの状況であれば、こはくも難なくディアトに勝てただろう。ディアトがいた場所──裏世界──に還すか、あるいは殺すか。どちらだろうと叶えられた。
だが現実はそうならず、ディアトに最初に遭遇したのは黒璃だった。
何も知らずに助けようとする黒璃にディアトは忠告した。危険が及ぶ可能性があることを。黒璃はそれでも変わらずディアトに手を差し伸べ、ディアトはその時助かれる唯一の手段を取った。
(いつかは……)
ソファベッドに身を乗り出し、寝ている黒璃の襟元を緩ませる。首筋をはっきり露出させると、ディアトはそこを優しく噛んだ。
黒璃は覚えていないが、この行為はあの夜から続いている。むしろこれが原因で黒璃の記憶が飛んでもいる。今もまだ必要な行為であり、黒璃と結ぶ可能性のある契約にも繋がる。
つまり、この行為は契約の代替行為だ。ディアトにとってはこれでよかった。今の状態なら黒璃の妨げにならず、いつだって終わらせられる。
その選択権を持っているのは黒璃だ。
「……」
たっぷり数十秒が経った。
甘噛みしていた首筋から口を離すと、ディアトはそのまま同じ布団の中に忍び込む。噛み跡が残っていないことを触って確認してから、ディアトも瞼を閉じて眠りについた。
翌朝。また同じ寝床にいたディアトに気づいた黒璃は、寝る場所について口出しすることを諦めた。
□
「良い策は練れたかい?」
「そんなすぐに練れたら人類も苦労しないわよ」
週末も作戦を練るために費やし、それでも確信を持てる案は出てこなかった。可能性を感じるものはいくつか思い浮かんだが、どれも見込みが薄い。
「魔人に集中できるならまだしも、別件もあるってのが面倒だわ」
「別件ね。どっちから手を付けるのかな?」
「情報収集が先決。魔人は厄介だけど、正体が割れてるのがまだ救いね。別件の方はまだ謎だらけだし、魔人の相手をしてる時に横槍を入れられても癪」
魔人と別件は完全に別なのか、それとも繋がっているのか。それすら分からない。まずはこの町で起こったことの全貌把握だ。
「完全に別で、勝手に潰し合ってくれたら大助かりだけど。ま、期待もできない希望的観測に過ぎないわね」
「どう転んでも構わないけれど、おもしろいものを見せてくれることを期待するよ」
「ふん。あんたの期待に応える気はないわよ。遊びじゃないんだから」
「ふふっ。それは百も承知だよ。私としては、私が出ないといけなくなるのは遠慮願いたいのさ」
「分かってるわよ」
家に住み着いている白猫は、元々はただの野良猫だ。こはくが魔女と呼ぶ相手が、白猫を介して話しているだけ。その在り方は使い魔に近いが、使い魔は生涯使役者の援助をする存在。この白猫は自分の意思で援助をすることはできない。通信端末のような扱いだ。
魔女は本来、こはくが担っている仕事をするためにこの町に来た。それをこはくが拒み、仕事を奪い取っている。傍観に徹していたかった魔女としても都合のいい話で、こはくに任せて本人は今もどこかで優雅に過ごしている。
「この町を護ってきたのはうちの家なんだから、今回もこれからもやり切るわよ」
「なら私は見届けさせてもらうよ」
白猫の様子が変わる。魔女との会話が終わり、眠っていた猫本来の意識が浮上した。再び魔女が魔法を使うまでは、こはくの眼前にいる猫は一般的な猫と同じ。かわいらしい鳴き声とともにこはくの膝に乗ると、ぺしぺしと肉球を押し付ける。
「はいはい。ご飯と水ね」
1度白猫を撫で、ソファから立ち上がると、それに合わせて猫もこはくの膝から飛び降りる。彼女の後ろをついて歩き、食事を用意されるとそれにありついた。
(調べるにしても、闇雲に動くのは論外だし。どうしたものか)
学校の昼休み。昼食を食べ終えたこはくは、自分の席で肘をつけながら今朝のことを思い返した。
思考は冷静だ。状況は見えてる。だからこそ有効な手が見つけづらい。
「熊谷さん。熊谷さん」
「……、え? ああごめん。何?」
ぐるぐると思考を回していたため、クラスメイトへの反応が遅れた。次は移動教室だっただろうかと時間割を思い出す。記憶が正しければ、次の授業はこの教室で行われる。
では何の用事だろうと視線を向けると、クラスメイトは教室のドアを指差した。開いているドアの向こうには、つい先週末に始末しようとした相手、隣のクラスの波期黒璃がいた。その姿を認めると同時に、こはくはあからさまに不機嫌顔になった。
「えっと、波期くんが呼んでるみたいだけど……」
そんなこはくに気まずそうにしながらクラスメイトは役割を果たした。黒璃に頼まれてこはくに声をかけたのだろう。2人の間に入れられた。そんな人にあたる気はさらさらなく、こはくは重たくため息をついてから席を立った。
「何の用? 西園寺なら生徒会室にでもいるんじゃない?」
「それは知ってる。熊谷さんに聞きたいことがある」
「……場所を変えましょ」
小声に抑えながらざわつく教室を無視して、こはくは黒璃を連れて移動する。他に人が来ない場所となると、案外学校の中にはない。学年毎に異なる階層。職員室や保健室や食堂といった誰かが在中しやすい階。図書室や移動教室に使われる階。昼休みだろうとどこにでも誰かがいる。
「熊谷さん?」
「黙ってて」
こはくが選んだのは屋上だ。屋上に出る扉には当然鍵がかけられている。校舎内の鍵の管理は一括して職員室で行われる。そして屋上が開放されることは滅多にない。卒業写真の撮影場所の1つとして、その時に開けられるだけ。学校で最も開かれない扉が屋上への扉だ。
その鍵をこはくが魔法で開けた。開放されない扉を開放し、誰もいない場所を確保する。
「それで? 話ってなに?」
屋上のフェンスには近寄らない。誰かに目撃されるだけでも面倒事に発展するからだ。こはくも黒璃も屋上に出ただけで、自分たちが通った扉のすぐ近くで向かい合っている。
「魔人ってなんだ?」
「……あんたと一緒にいた奴のことよ」
「? 魔人って名乗ってなかったと思うんだが」
「あんたにどう名乗っていたのか私が知るわけないでしょ。……まあいいか」
こはくは腕を組み、自分を納得させるように呟いた。
魔法は隠された存在ではない。かつ黒璃はすでに足を踏み入れている世界でもある。それでいて知識はほぼ皆無。今の口ぶりからして、ディアトが裏世界のことを話していないのも想像がついた。
何も知らない黒璃に最低限でも教えたら、魔人の肩を持つという考えも変わるかもしれない。そうなれば多少は気が楽だ。
「てか、あんたよく私の前に来れたわね」
「先週末のことか? それなら気にしてない」
「いや、だから……」
「熊谷さんは良い人だからな。学校で騒ぎを起こすような人じゃないと思った」
「舐められたものね。やろうと思えば、どうとでもできるのよ?」
ここで黒璃を殺し、この学校に元々波期黒璃という人間はいなかったと工作する。そういった行いも可能であり、世界ではそういった事例も見受けられる。
「でも熊谷さんはやらない」
「……なんだか調子が狂うわね。はぁ。それで魔人のことね。察しはついてるでしょうけど、魔人は裏世界に生きてる人の総称よ」
こはくの言葉通り、黒璃の反応は特になかった。予想が的中して納得した、といったところだろうか。
「魔人って呼び方にも理由はある。魔人たちも魔法が使えるんだけど、はっきり言って魔法使いの比じゃないのよ。正面衝突すれば魔人の勝ち」
──魔力が誰にでもあるって話はしたわよね。それは裏世界も同様。みんな魔力があって、やり方さえ分かれば魔法が使える。
こっちの世界の魔法使いは、自分の魔力と大気中の魔力を合わせて使うわ。自分の持つ魔力の節約とか、効果を高めるとか、理由はいろいろ。
で、この地球で最も魔力を保有してるのは地球そのもの。何億年とこれだけの生命を支えてるのだから当然ね。魔法使いはその魔力を、地脈とか龍脈とか呼ばれるラインを介して使うこともできる。それ用の大規模な魔法を組むなり装置を用意するなりしないといけないし、あんまり現実的ではないけれど。
「それは経済的な理由もあってか?」
「なくはないけど、問題の本質は魔力の質ね」
「質? そんなのもあるのか」
「濃度と言ってもいいわ。人間の体には毒なの。例えると酸素みたいなものね。生命に必要だけど濃いと命を奪う」
──地球の魔力は強大よ。身を弁えずに扱えば使用者に相応の反動がある。だから魔法使いは、仮にそれを使うとしても細心の注意を払うわ。質を酸素に例えたけど、危険度で言えば核爆弾。扱いを間違えるわけにはいかないから、基本的に誰も手を出そうとしない。
だけど魔人は違う。裏世界にいるあいつらは、魔法使いみたいな制限がない。大気中の魔力を扱わない代わりに地球の魔力を扱う。
魔法使いと魔人の単純な魔法のぶつけ合いは無謀の極み。ダムの放水に放水車で立ち向かうようなもの。相殺なんてできず、抵抗も虚しく飲み込まれて押し切られる。
「──っとまあ、魔人の話ついでに魔法使いとの違いも説明したけど、これでいいかしら? 波期くんがどれだけ危険な存在といるか理解してもらえた?」
「危険性はともかく、知識は得られたよ。ありがとう」
「……」
直接の被害を被らなければ、その危険性もわからないものだろう。魔法を使えない人間なのだから、差というものもあまりピンと来ていないことが推察される。
それでも何か言ってやりたくなるのは仕方ないことで、こはくが眉をぴくぴくさせながら言葉を選んでいく。その選び抜いた台詞を言ってやろうとするも、それより先に黒璃からまた質問が届いた。
「魔人のことはどうやってそこまで分かったんだ?」
「え?」
「いや、だから、魔法使いって魔人と交流はしてないんだろ? それなのにどうやって魔人のことを調べたんだ?」
遥か昔に裏世界に追いやった。そこからずっと魔法使いは、裏世界から来る生命を追い返すなり退治するなりしてきた。
その話が本当で昔からずっと続いているのなら、どのようにして魔人のことを調べたのか。交流がないのなら調べようがないはずだ。
「……裏付けがされたのは、科学技術が向上してから。魔人がこっちに来ることは稀にあるから、その時に計測して確かめたって論文があるのよ」
「裏付けってことは、それより前から提唱はされていたってことか」
「そう。魔法使いの中にも天才とかはいてね。普通の魔法使いでは向こうに行けない。それだけの技量も出力もないから。でも一部の天才たちはそれができる。自力で裏世界に行くし、自力で帰ってくる」
裏世界に渡る全員が生還できるわけではないが、そこまでの仔細は省略する。
「ダヴィンチは有名でしょ?」
「万能の天才の?」
「そう。魔法でも天才で、科学の向上の前にダヴィンチは理論を打ち立てて証明はしてた」
世界のいたる場所で、いろんな時代に天才が現れては姿を消した。歴史にその名が刻まれた者もいれば、人知れず表舞台から消えた者もいる。
「日本だと卑弥呼とか安倍晴明とか。晴明は日本史上唯一裏世界に行って裏世界の情報を仕入れて帰ってきた人間ね」
無論記録上での話ではあるが。安倍晴明の何よりの偉業は記録に残したことだろう。実物を持ち帰りもした。それにより日本でも裏世界のことが事実だと知れ渡ったのだから。
「へー」
「……興味なさそうね」
「あまり話の凄さが理解できてない」
「まあいいわ。元の話から逸れちゃってたし」
こはくは自覚のないまま残念そうに眉を下げた。これまで魔法のことは誰にも話してこなかった。必要性のなさと誰も信じないだろうという予測もあったからだ。
しかしこはくは、自分で思っている以上に魔法のことを好んでいる。誰だって好きな分野の話ができるのは嬉しいもので、こはくも珍しく僅かに熱が入っていた。それ故の小さな落胆。黒璃はそれに気づきながらも触れなかった。本題からズレているのと、昼休みの残り時間を考慮してのことだ。
「魔人が凄いってのはわかった。質問なんだが、過去のその天才とやらに魔人が紛れていた可能性は?」
「さあ? 可能性としてはあったんじゃない?」
「そうか」
「……何が言いたいのかしら?」
「魔法で姿を変えることが可能って聞いたからさ。こっちの世界に紛れて生活してる魔人もいるんじゃないかと思って」
「可能性で言えばなくもないけどあり得ない、と言わせてもらうわ」
絶対にないとは言えない。過去のことは記録からしかわからないし、現在だって世界のどこかにそういう魔人もいるかもしれない。だが、こはくはあえてあり得ないと言った。
「魔法使いって、魔法が使えるからと言っても普通の人間と大して変わらないのよ。脅威となりうる存在は怖い。要は臆病なの。だから世界中で徹底して排除するか、裏世界に追い返す」
特に日本は世界的に見てその気質が強い。過去には鎖国するにまでいたった民族だ。時代は変われど、継続するものはある。
「それとも何? ”実はおれが魔人です”って言いたい?」
「その発想はなかった」
「……」
どうにも自分とは感覚がズレている。嫌いとは思わないが、合うとも思えない。ある意味”知り合い”という距離感を誰よりもうまく保てそうだ。
そんなことを思っていると、昼休みの終了5分前を告げるチャイムが学校全体に響いた。これ以上の長話はできない。
「魔法関連のことを聞かれるのはいいけど、面倒事は起こさないで」
「起こすつもりはないんだけどな」
屋上から校舎内へと戻っていくこはくの背に言葉を返しながら、黒璃はこはくの言葉の違和について考えた。
□
この町の湖畔公園は夕暮れ時が最も人の集まる時間だ。湖に浮かぶ小さな島と、沈む夕陽が重なる僅かな時間がその理由である。
とはいえ、それを見に来る地元住民は、高齢者か小さな子どもを連れた保護者が大半だ。若者は観光目的で他の地域から来た者が多い。
その湖畔公園の端に、絵画の如く溶け込む少女がいた。座れるように設計されている段差に腰掛け、コンクリートに当たる小さな波の音を聞き取る。切り離された空間のように周囲には人がおらず、少女は夕焼けを独占していた。
「ここ気に入った?」
その芸術的空間に臆することなく、黒璃はその少女──ディアトの隣に寄って声をかけた。
「……そうだね。温かい」
ディアトは視線を夕陽から外さず、感じたことをそのまま言葉にした。
川津町の秋の夕暮れはどちらかと言えば寒い方だ。日の温かさを感じなくもないが、日中の方が明らかに強い。ディアトの言う「温かい」は、光景そのものへの言葉だった。
「季節が変わると、夕陽が島と重なって見える位置も変わるんだけど。人によって別れるんだよ。同じ場所から見続ける人と、同じ景色を求める人と」
「どっち派?」と聞きながら黒璃はディアトの隣に腰掛けた。2人の間には子ども1人分の空きがある。近いとも遠いとも言えない距離。
「たぶん前者。違ったら違ったでいいかも」
「おれもそっち派かな。何年も見てるからってのもあるけど」
「お気に入り?」
「そうかも」
意識はしていないし、見たところで感動を覚えることもない。黒璃にとってこの景色は、特別な意味を持つわけではない。
年々変わるものと変わらないもの。身近なものでその違いを感じられるのが、ここの景色というだけだ。
「今日は制服か」
「作ってみた。どう?」
黒璃に見えやすいようにと立ち上がり、ディアトは体を正面に見せた。ディアトの着ている制服は、黒璃の通っている川津高校のものに近い。テレビで得た知識と黒璃の着る男性用の制服から、女性用のものをイメージして作ったようだ。
紺色のブレザーはボタンをかけておらず、その下の白いシャツと赤いネクタイがよく見える。スカートはブレザーと同じ色。ハイソックスで素肌のほとんどは隠れていた。
「似合ってると思う」
「ん」
その返しはディアトの中で何点だったのか。低くても合格ラインではあったのだろう。座り直したディアトの位置は、先程より10cmほど黒璃に近くなっている。
ブレザーの色合いが暗めであり、夕陽に照らされているのも相まってディアトの白い髪がより美しく見える。ディアトは一房だけが赤くなっている髪を触りながら、視線に気づいて黒璃と目を合わせる。
日本人に多い黒髪と黒い瞳。自身の白い髪と赤い瞳とは何1つ欠片も重ならない。
「どうしたの?」
「いや……。熊谷さんから魔人のことを聞いたんだけどさ」
「うん」
「熊谷さんの言う魔人っていうのは、裏世界に住む人たちのことを言うらしい」
「……それで?」
「熊谷さん曰く、魔人は地球のエネルギーを使って魔法を行使できるらしい」
「それなら、わたしは魔人の定義に当てはまらない」
「そうなのか?」
「わたしは地球のエネルギーを使えない」
「……なるほど。……初めて君自身のことを聞いた気がする」
名前以外は知らなかった。追加情報を貰えたのは、それくらいには信用を得られたと思っていいだろう。
「気づいてると思うけど、わたしは向こうから来た。そこは合ってるよ」
「生まれも向こう?」
「うん」
「向こう生まれの向こう育ち。でも魔人とは違う、か」
「……どうする?」
「? どうとは?」
「わたしのこと」
見た目は現実離れをしていて、創作の世界から引っ張ってきたような容姿だ。そういう意味では、見た目通りこちらの人間とは違う存在である。
今まではディアトのことが不明のままだった。裏世界側の人間だろうという推測をしてても、確定まではしていなかった。それで黒璃が居候を許しているとディアトは思っている。
つまり質問の意図は、居候を続けさせるか追い出すか。どちらにするのかというもの。追い出してしまえば、こはくにも狙われなくなる。
「これまで通りだよ」
ディアトの質問の意図を理解した上で、黒璃は迷わずに言い切った。
「家を出たくなったらその時出たらいい」
「……うん。ありがと」
「どういたしまして」