魔法はおおよそ万能だ。アニメや漫画で描かれるようなことは、ほぼすべて実現可能なのだ。世界共通のルールとして、”可能だが行使してはいけない魔法”も定められている。現代医学では治せない者への魔法での治療とか、自然環境を変えるような大規模な魔法とか、歴史を変えるような時間遡行とか。魔法使いが現代に溶け込むためにも、そうやって定められてきた。
逆に、使用可能な魔法のノウハウは遠慮なく共有されている。教本だって存在する。魔力行使の大前提。基礎とされるものがステップ1。属性を帯びるものがステップ2。ステップ3以降は各分野で規模や専門性が変わってくる。ある意味においては、禁忌魔法は最上位の位置付けでもある。
(なんでこんな山に飛ばしたのよあの魔女)
熊谷こはくは、ステップ1で止まっている魔法使いだ。ステップ2である地水火風の属性を扱えない。魔法に属性を帯びさせることができない。落ちこぼれと言われても反論ができないのが現実だ。
「あれ? 1人なんだ。もっと来ると思ってた」
「私1人で十分なのよ」
川津町の北にある山は、その昔城が建てられていた山である。山という地形を活かし、何層にも広く城郭を築いていた。
その名残が現代にも残っており、こはくと誠治が相対しているこの場もその一角だ。城址公園として一般的にも使われている。舗装もされ超簡単な登山にもなるため、地元の幼稚園や保育園の遠足先として使われがちだ。
「引き篭もってただけの魔人なんて、わざわざ複数人で当たる必要ないでしょ」
「安い挑発だなー。なんで潜伏してるかとか考えないんだ?」
「興味ないわよ。とっととあちら側に返してあげる」
「お姉さんにできるとは思わないな」
こはくの足元が揺れる。すぐにそこから離れると、直後には地面が針状に形を変えて突き上がっていた。
「さすがに簡単には串刺しにならないか」
「なめすぎ」
誠治の直上から10の弾丸が降り注ぐ。それを誠治は見向きもせずに防いだ。風に揺れる葉のように、すべての弾丸の機動を反らしている。
「なめすぎなのはそっちだよ。これくらいじゃ、勝負にもならない」
期待外れもいいところだと溜め息まで出た。あるいはその溜め息は、別の誰かに向けたものかもしれない。
だが、こはくからすればこれは想定済み。真っ向から勝てるとは微塵も思わない。あらゆる手段を使って勝つ。対ディアト用に考えていたことを、良くも悪くも今回に流用できる。
「余裕ぶっこいて足元掬われなさい!」
自分の身長よりさらに大きい魔弾を射出。
(これは目くらましか)
それを誠治は難なく相殺し、魔弾の向こう側にこはくがいないことを確認した。予測が当たったことを理解した瞬間に周囲を警戒。左右と背後から迫る何十もの魔弾も捌くと、地面から飛び出てきたこはくの拳に飛ばされた。
「やるじゃん」
「チッ。全然ダメージ入ってないか!」
拳は届くが、ダメージにはなっていない。誠治が張っていた不可視の鎧を、わずかに超えただけだ。
こはくの中で情報を更新。魔力で不可視の鎧を作っているなら、それを超えるようにさらに魔力を集束。一点突破を狙う。
「女の人が地面から飛び出てくるとは思わなかったな。汚れとか気にしないんだ」
「そんなの気にしないわよ。汚れなんて落とせばいいんだから」
魔力の運用方法も調整。奇襲はできない。せいぜいが目くらましから仕掛けるやり方。身体能力を向上させながら、勝ち目を探るために動く。
熊谷こはくにできるのは、結局数がしれてるのだから。
(あのバカが来る前にケリをつける。どのみち長引いたら不利なのはこっちだし)
この場に到着する前に黒璃へ送ったメッセージを確認した。読んで納得したならそれでよし。読んでなくてもそれはそれで、病院に行った可能性が高いからそれでよし。
それを確認しようとしたら、黒璃は既読だけつけていた。この数日で何度か行ったやり取りでは必ず返信をしていた。既読だけつけるのはなかった。
腕を怪我したから返信しなかったのか。それはないとこはくは断言する。短な付き合いしかないが、波期黒璃という人間はそうじゃないとわかっていた。
(治療が必要なくらい怪我したら、普通こっちに来ようなんて思わないでしょ)
バカに言ってやりたい文句がある。しないといけない説教もある。そのためにも、こはくは早急に終わらせようと集中力をより高めた。
(ギアを上げる)
速度が上がる。常人では目が追いつけない領域に達する。その速度で誠治の周囲を移動しながら、魔弾を何発も射出する。
「全力が見たいな」
魔弾を防ぎながら誠治も反撃。撃ち出されていた魔弾が軌跡となっているのだから、そこから計算して進行方向に仕掛けてしまえばいい。誠治のその狙いは正しく、反撃として出した魔法のタイミングもドンピシャ。木々が薙ぎ倒されるほどの威力が通過した。
「甘いわよ!」
バキバキと音を鳴らしながら倒れていく木々の反対から、魔力をこれでもかと一点に集めたこはくの飛び蹴りが入った。
今度は先程より手応えがあり、蹴り飛ばされた誠治が何本もの木を貫通していく。
「属性を使わなくても、あんたを追い返せるならなんでもいいのよ」
「属性? ああ。そっか。こっちの人たちそんな風にしてるんだ。ほんと、馬鹿げてるな」
飛んでいった方向。夜の山の暗い空間から、けろっとした様子で誠治が出てきた。服についた汚れを手で払うと、そのついでにこはくに向けて手を縦に振った。
「っ!?」
突風がこはくを押し潰す。ダウンバーストのような強さを、個人に向けて集束し押し付けている。その圧力にこはくは堪らず地に片膝をつけた。意思の強さが消えない目で、見下してくる誠治を睨みつける。
「こっちの人たちがそうやって”無駄なこと”に取り組んでるなら、もう待つ必要ないじゃん」
「あんた……! まさか斥候……!」
「教える義理ある?」
「くっ!」
「敵を前にしてるのに甘いよね。堂々と前から来るし。頭を使いなよ。7年前の人たちもそうだったけど」
「7年前?」
「馬鹿ばっか」と呆れて言った誠治の声は届かなかった。その前の発言が、こはくに大きく引っかかった。時期の話しかされていないのに、嫌な予感が走った。ゾッと寒気が走り、呼吸が早くなる。
「似てるし、年齢的にもお姉さんってあの2人の子どもだよね」
「なにを……言って……」
「うん? だから、会ったことあるって話。甘い対応して死んでいったよ」
人に道を聞かれたかのような軽い反応だった。特に印象に残ってることもない。出来事を覚えているのは、こっちに来て初めての戦闘だったからだ。
冷めた様子の誠治とは反対に、こはくは沸々と内側から怒りが募っていく。
「つまり、あんたが」
「殺したね。これの前の体で」
「殺す」
押し付けてきていた風を魔力で吹き飛ばす。こはくは左手を頭上に伸ばし、一筋の光を空へと放った。日が沈み、夜に染まっている空に琥珀色の光の線が伸びた。
「お?」
誠治はそれを見ることにした。何をしてくれるのかと期待しているのだ。今後魔法使いの存在が本当に警戒に値するものなのか。それともそれは杞憂に過ぎず、好きに動いていいのか。その判断材料になることを期待している。
「経路生成。収束開始」
空へ、天へと伸びるその光は目印だ。その光はただの指標であり、そこに周囲の魔力が吸い寄せられていく。森羅万象。あらゆるものから魔力が一点に集められる。地面から、草木から、大気から、そして宇宙からも。
細かった光がみるみるうちに太くなる。集まっている魔力量を物語り、一定の量に達すると光が短くなった。そのまま使うと地形を崩壊させるからだ。
「当てれるのかな?」
「……」
「おっと?」
誠治の体が固定される。身動きが取れなくなり、こはくが集束させた魔力をただ見上げる。拘束を解こうとしても、誠治の予想よりも遥かに強固な拘束だ。分析して解くよりも先に、こはくの攻撃が届くだろう。
熊谷こはくはたしかに使える魔法が限られている。基礎しかできない。だが、できることに関しては誰よりもずば抜けていた。
この規模の集束はこはくにしかできない。魔人相手に足止めとして機能する拘束も、それを作れる魔法使いは限られる。
(このお姉さん──)
「死ね」
ちょうど誠治に届く大きさにまで凝縮された魔力が振り下ろされる。密度が増した分威力も高まっている攻撃だ。
誠治の体を優に覆う光の柱。
着弾すると目標地点を中心にドーム状に爆発が発生する。大地が震え上がり、弾けた光は夜闇を琥珀色に染め上げた。轟音が鳴り響き、直径20mを超える硝煙が立ちのぼる。
「はぁはぁっ!」
息が上がる。肩が大きく上下し、疲労感がドッとのしかかる。
今の一撃は見た目に反して繊細な制御が必要だった。寄りべとしていた自分の魔力に、地上から空までの魔力を集めて一本に纏める。それを少しも無駄にせずに圧縮し、100%のままぶつけた。
魔力効率はいいが、集中力と神経を大きく使う技だ。加えて、それを直撃させるために誠治を自力で足止めしていたのだ。疲労という形で反動は来る。
(どこまでダメージ入ったか)
避けられてはいない。自分の魔力光で見えなくなる寸前までは視界に捉えていた。回避不可能のタイミングだ。
だが防御を張られていてもおかしくはない。頭に血が上って直情的に行動してしまった。魔法使いと魔人の、大前提としての違いを失念してしまっていた。
こはくにとって本当の意味での初めての魔人戦だ。冷静さを失うと知識を活かせない。
深呼吸を繰り返し、息を整えながら頭を冷やしていく。無謀な挑戦などしない。戦術を組み立て直し、次に繋げる。
「今のは素直に驚いた」
「……!」
今ので倒せるとは思ってない。誠治の生存には驚かない。こはくが驚く理由はそこじゃなかった。
徐々に晴れていく煙の先。その奥から漂う重厚な圧。
「まさか……!」
「思ってたより厄介だし。お姉さんにも今日死んでもらおうか」
□
舗装された道を進む。坂を、階段を、山を登っていく。
夜の帳が下りた町を背に、人工的な明かりから離れていく。街灯が減り、比較的原始的な暗さに足を踏み入れていく。
ここに来る道中から。目的地に近づくほど不自然なまでに人が減った。車すら通らなくなった。音もない。夜鳥も虫も鳴かない。動物がまったくいなかった。
そういった処理を施しているのは、魔人との戦闘に関わる気がない魔女だった。魔人と対峙してしまえば、こはくにそこまでの余裕はない。周囲への気遣いなど足枷に過ぎない。そこを汲み取っての判断だ。
「……いる」
「うん。じゃあ、行ってくる」
まだ視界には捉えていない。城址公園まではもう少し登らないといけない。
人気はなく、音もない。手がかりはなくとも、ディアトはこの先を察して黒璃に伝えた。それを疑うことなく頷いて足を進める。止まる必要も、そのつもりもない。
その公園は荒れていた。小隕石でも落ちたのかと言いたくなるクレーター。薙ぎ倒されている周囲の木々。数少ない街灯はどれも折れ曲がり、不規則に点滅を繰り返していた。
「あ。黒璃兄ちゃんだ。怪我させたのによく来たね」
点滅する明かりの中心に誠治はいた。昼間に会ったときと同じ格好。違いは服が汚れているくらいだ。
黒璃は一度誠治を見るも、視線はすぐに別に移った。前方で仰向けに倒れている彼女に。
「な、んで……」
「熊谷さんは寂しがり屋らしいから」
「バッ……かはっ! げふっけふ!」
気の抜ける台詞に文句をつけたかったが、それはできなかった。体は起こせず、口から赤い血が飛び出る。
それもそのはず。彼女は頭からも血を流しており、腹部が大きく抉られていた。まだ意識があるのも、死んでいておかしくないのに声を出せるのも、残っている魔力を回復に回しているからだ。誠治からすれば延命措置に過ぎないが、熊谷こはくに「諦め」の文字はない。
「おれ”竜”って初めて見た」
こはくを瀕死にさせたのは誠治ではない。直接手を下したのは、今もなおこはくの眼前にいる白銀の竜だ。
巨大な翼に、2本の足と手を持つ。大きな爪は鋭く、コンクリートでさえ難なく裂ける。大人すら飲み込める程の口には、鋭利な牙が並んでいた。翡翠の眼は乱入者の黒璃を捉えて離さない。既に標的として睨んでいた。
「この町に竜なんていたんだな」
「オレがさっき呼び出したんだよ。実験した時にいることには気づいてたから」
そのさっきというのが、こはくの渾身の一撃が放たれた時だ。誠治は自分の力で防ぐよりも、竜を召喚する方が確実だと判断した。
この竜は裏世界に生存する竜とは一線を画す存在だ。魔法だろうと兵器だろうと、白銀の竜の前では塵に等しい。
それを召喚した誠治が余裕を見せる。黒璃たちに勝ちの目はないと踏んで、冥土の土産として語りだす。
「地球に魔力がある話は知ってる?」
「らしいな。地球のエネルギーが魔力って言い換えられてるんだろ?」
「その認識でいい。地球の魔力は充満することがあって、それが一定の形を持って可視化される現象がある。その例の1つがこの竜」
「魔力の塊か」
「そういうこと。エネルギー体だから知性なんて持ち合わせてない。だからオレたちがその力の使いどころを示す」
地球の魔力を扱える魔人だからこそ可能な芸当だ。そして魔力の塊なのだから、魔法使いにとっても最悪の存在である。
白銀の竜の在り方は、こはくの技と方向性が似ている。どちらも魔力の塊だ。違いはその総量や密度だ。それも圧倒的に、遥かに次元が違う。この白銀の竜は”地球が生んだ奇跡”と言えよう。
そんな相手に魔力での勝負はいよいよ話にならない。魔人にはまだ勝ち目を見出だせるが、白銀の竜といった高次元の存在相手には無理だ。1%もありはしない。
召喚された時点で敗北は確定していた。
「そんなのはどうでもよくて。その竜、熊谷さんから早く離れてくれない?」
「このお姉さんを殺したら離れるんじゃない? あ、黒璃兄ちゃんはオレが殺るよ」
「だから、どうでもいいって」
白銀の竜に知性はない。話が通じない。
黒璃は竜へと向かって歩き始め、現象に近いはずの白銀の竜が反応した。虫の息になっているこはくを放置し、黒璃へと体を向け苛立ち見せるように尻尾を地面に叩きつけた。
白銀の竜は人間より遥かに大きい。クジラに並ぶ大きさだ。片手1つで大人を潰せる。かつて地球上にいた恐竜を彷彿させる。視覚的にも圧は強く、訓練された兵士であっても足が竦む。
そんな存在に睨まれても、黒璃は淡々と歩いていた。脚は震えず、目も逸らさず、呼吸が安定している。
「おい」
誠治が白銀の竜に声をかける。手を出すなと。
「待っ……! ごほっ!」
嘆願するようなこはくの声も、傷の深さで遮られた。
敵わないなりにも抵抗したこはくは知っている。白銀の竜の性質。その真髄を。
体すら持たず、魔力の塊が形を成しているアレは異常だ。物理は通じない。海に石を投げようと何も変わらないのと同じだ。そして魔法もほぼ通じない。理論上は手段が存在するが、個人レベルではどうにもならない。
魔法で盾を作ろうと、白銀の竜の爪はすり抜けて相手に突き刺さる。
だからこはくは、黒璃に逃げてほしかった。
(波期くんのあれは機能しない……!)
黒璃本人が把握していなかった自動防御。あれも意味をなさずに貫かれる。
そんなのは見たくなかった。
変わっているところがあろうとも。調子が崩されようとも。話している時間はどこか楽しかった。打算も下心もない。家柄も見ない。ただの1人の熊谷こはくを見てくれていたから。
「やめて……」
掠れた声は誰に届くこともなく消えていく。誠治の指示も届かず白銀の竜が動き出す。
図体に反して俊敏な動きをする白銀の竜が、目にも止まらぬ速さで迫る。視覚情報は意味をなさない。見た目からは想像もつかない現象だって起きる。
常人である黒璃が反応できるわけもない。白銀の竜が動き出している刹那の時間。その目はまだ白銀の竜がいた場所を見ている。
1秒あればお釣りがくる。0コンマの世界で白銀の竜は口を大きく開け、鋭い牙が少年の体に向かっていく。
こはくが気づいた時には、白銀の竜はその
「っ!」
「はぁー」
それぞれ異なる反応だった。
こはくは言葉を失い、誠治は長めの溜め息をつく。
2人が目にしたのは──
「なにこれ?」
五体満足で立っている黒璃の姿だった。
波期黒璃は何も特別な人間じゃない。身体能力も頭脳も平均と大して変わらない。分野によって得意不得意がある。一般的な高校生と同じだ。
こはくすら見えない速度に、黒璃が反応できるわけがない。黒璃はただ歩いていただけで、その黒璃の体に白銀の竜の牙が突き立てられた。
その次の瞬間には、”白銀の竜の頭が消失していた”。
「まあいいか」
「……ほんと、気味が悪いなあ」
頭を失った白銀の竜が、光を放ちながら頭を再生させた。それに伴ってかサイズが一回り小さくなる。
知性もない。本能もない。そもそも生命体ではない。そのはずの白銀の竜が黒璃を警戒している。無闇に動くことをやめ、口に魔力を滾らせていく。
「炎とか吐きそうだな」
その予想は的中した。魔力で生成された炎が吐き出され、黒璃の身を包み込む。
熱さを感じなかった。恐怖もなかった。黒璃は炎の中を進んでいき、白銀の竜の頭に手を伸ばす。その手を噛み切ろうと口が閉じられるも、黒璃の手に触れた部分が消失。その消失部分を補おうと自動で形の再生が始まり、また体の大きさに変化が生じていく。
黒璃は理屈を欠片も理解しておらず、わからないままに懐に忍び込んだ。謎を解き明かすつもりもない。知識が足りないのだから、考えても仕方ないと割り切っている。
(竜の心臓ってどこなんだろ)
まずこの白銀の竜に心臓があるのか。黒璃はそれすら知らず、胸部に手を差し込んだ。
筋力もなく、魔力の補助もない。本人ですら意表を突かれたような顔して、結果的に差し込むことになった手を横に振り抜いた。
「ーーーーーッ!!」
人の耳には聞き取れない音だった。その咆哮が何を起因にしたものなのか。黒璃だけでなく、こはくにも不明だ。
その謎を残したまま、白銀の竜が形を留めることもできずに霧散していく。無数の銀の光の粒が揺れながら空へと消えていく。
「黒璃兄ちゃんはさ、わかっててやってる?」
「いやまったく。勝てそうだと思ってたら、予感以上の結果になった」
「そんな感じなんだ。もう1つ聞くけど、黒璃兄ちゃんって恐怖心ないの?」
「恐怖?」
「こっちの世界にいない大型生物を目の当たりにして、何も感じなかった?」
正確には生物ではないが、外見は仮想生物のそれだ。物語にしかいないようなものがそこにいた。それを前にしてなぜ平然としていられるのか。誠治は黒璃を探るために切り込んでいく。
「恐怖が何か、おれにはわからないな」
「……そういう感じか」
黒璃の回答から可能性をいくつか思い浮かべ、現実として起きたことと照らし合わせる。そこから波期黒璃が何かを推測し、正解に近づいていく。
先んじて言うと、こはくは認識が間違っていた。
波期黒璃の体に施されていたものは、黒璃を守るための防衛機能ではない。そんな生易しいものじゃない。
「イカれてるよ。感情を剥がしてそれに成るなんて」
「なっ!?」
「なるほど。わからない理由はそれだったのか」
驚愕するこはくとは対象的に、黒璃は誠治の発言に納得していた。これまでの生活の中で、なぜ自分は他の人のように怒ることがないのか。悲しむことがないのか。楽しいとは何のか。答えを得ることを諦めていた、何も感じない原因。それがようやく得られた。
魔法は感情にも左右される流動的なものだ。感情は内から生まれるものであり、魔力もまた同様である。ある程度の影響は受けることが判明しており、強い感情ほどその傾向も大きくなる。怒りに任せた攻撃が威力を増すのもこのメカニズムだ。
「感情の対価。本来どの生命体にもあるものが、人為的にないものになってる。そうなるとその体は魔力を求めて周囲から集めようとする」
魔法での攻撃が通らないのは、防がれるからではない。餌を丸呑みするように、黒璃の体が吸収しているのだ。
「常時その状態だから、白銀の竜にとっては天敵。魔力の塊だから、黒璃兄ちゃんが触れるだけで終わり」
白銀の竜が”地球の生んだ奇跡”だとしたら、波期黒璃は人間が生み出した”宇宙の癌”だ。その気がなかろうと、存在自体がこの世の摂理に叛逆している。
「気になってくるのは、黒璃兄ちゃんが吸収した魔力がどうなってるか。その体には貯まらないみたいだし」
「貯まらないから倒せたのか」
「そういうこと」
水を吸い上げるポンプがあったとして、吸い上げられた水は必ずどこかへ行く。タンクに貯蓄されるか。それとも決められた場所に流れていくか。なんにせよ、吸い上げただけで完全に消えることはない。
その理論から考えれば、波期黒璃が接触した魔力も必ずどこかに存在する。貯められているのか。ただ別の場所に飛んでるだけなのか。そこまではわからない。
わかっているのは、魔人である誠治は黒璃という存在を許容できない。この世界で生み出された世の歪み。特異点だ。一切の躊躇も慈悲もなく消す。
本能が告げる使命を遂行する。
「黒璃兄ちゃんも、お姉さんも。今夜死んでもらう」
魔力は意味がない。日中に襲撃した時と同じように誠治は刃物を取り出して構える。白銀の竜にとって天敵だろうと、誠治からすると雑魚だ。万が一も起きない。抵抗できるこはくも虫の息。残っていた魔力で回復しても、あの致命傷はこの短時間では治せない。
鬱陶しく横槍を入れられても面倒だ。誠治は先にこはくの様子を確認しようと目を向ける。
「あんた、なんで?」
「頼まれたから」
目に入ったのは、一部だけが赤くそれ以外は白い髪に染まっている少女の姿だ。誠治に気づかれずにこはくと接触し、致命傷だった彼女の傷を治している。抉られていた腹部さえ元通り。こはくは多量の出血による倦怠感があるのみで、他に後遺症も傷もない。
「黒璃兄ちゃんの奥の手? さすがに考え無しで来なかったか」
「誠治……中のお前が元いた世界に帰るならそれで丸く収まる」
「オレの体はもうこれだから。帰るならこの体で帰る。でもさ、今さら帰るわけないだろ」
「残念だ」
投げられた刃物が赤い光に破壊される。黒璃へと投げられたそれを、こはくの側にいたディアトが阻止した。
その行為1つで構図が出来上がる。誠治は最初にディアトを討つ必要があると順序を改め、ディアトは黒璃をまた狙った誠治を敵として認識した。
「──ッ」
ディアトの赤い瞳が妖しく光る。
瞬間、誠治の周囲が飛んだ。
目に見えないほど薄められた魔力が空気砲のように放たれ、それを誠治が弾いた。1秒の間に20発。崩れる足元から誠治が跳んで離れ、返しに放った
「髪を染めてるこっちの人かと思ったら、そうでもなさそうだ」
誠治の着地に合わせて空が轟く。見えていた星空は雲に覆われ、城址公園の真上で渦巻いている。
そちらには目もくれず、ディアトが手を横にないだ。その動きに合わせて魔力の刃が放たれる。音速を超える凶刃。鉄だろうと容易く切断するそれを、誠治が横にずらしてやり過ごす。誠治の頬を掠め血を流させたその凶刃が、後方の木に当たる前に消失した。
「環境破壊はよくないってテレビで見た」とはディアトの言である。
1つの手が通じないのなら、次は数を増やしてみよう。ディアトが開いた手を前に出す。誠治の周囲一帯、四方八方に魔力のランスが展開する。100を超える数を前に逃げる術はない。
「へー?」
ディアトの手が閉じるのと、地面が隆起するのは同時だった。誠治を囲うように地面が動きドームを形成。一斉に動いたランスの悉くがそこに突き刺さり標的に到達しない。物騒なサボテンが出来上がると、その数のランスがそっくりその数で投げ返される。
生成したのはディアトだったが、今の一瞬でランスがハッキングされている。ランスを解いて魔力を回収することは叶わない。試みたら容赦なく貫かれる。どんな生物でも1発で絶命させられる。
「あぶないよ」
ディアトは文句をつけて目を光らせた。
避ければこはくに刺さる。下手に逸らすと黒璃が死ぬ状況だ。それを考慮し、自分に返されているランスの機動をさらに変えた。ランス同士で相殺させながら、しれっと黒璃へと向けられていたものも迎撃。
そうしている間に誠治を囲っていたドームが開き、その中から攻撃を構えている誠治が顔を覗かせる。
「これはどうかな?」
手のひらサイズにまで圧縮された空気がディアトに撃たれる。空圧は順次放たれていたランスを巻き込みながら突き進み、より凶悪な一撃へと昇華された。
ディアトは両手を伸ばし、向かってくるランスと同数をさらに生成。迎撃しながら白刃取りの要領で空圧の弾を挟んで破壊した。
威力は消され、強風だけが吹き抜ける。乱れた髪とスカートを整えながら、ディアトはどうしようかと初めて考える。
「同郷とは驚きだよ、お姫様」
「私は姫じゃない」
「……?」
ディアトの返答を受けて誠治は首をひねる。自分の記憶と今得た情報が食い違った。
それがどういう意味なのか、誠治はディアトを細かく観察して答えに近づく。
「へー。あっちはそうなったか」
裏世界から離れて7年。持っていた情報は古くなり、情勢を知る術もない。故にディアトとの会合は、誠治にとって非常に大きい意味を持つ。
「何が平和主義だか。”こんなの”を作り出してたら、そりゃあ崩壊もする」
「……」
「何の話だ」
「もしかして黒璃兄ちゃんは知らない? 何も知らずに連れてきたの? それとも、認識でもおかしくされてる?」
「おかしく……。……」
誠治の言葉にいささか考えさせられた。
心当たりがないとは、言えなかった。なぜか靄がかかっている記憶は何日もある。その時の会話は何だったのか。何が起きたのか。黒璃は思い出せない。
「やっぱり。じゃあ、魔法使いのお姉さんも手のひらの上ってわけだ」
(私も?)
「だってそうだろ? ソレが黒璃兄ちゃんを裏で誘導して、お姉さんは黒璃兄ちゃんを疑わない。そしたら一番うまく立ち回れる」
「ちがう」
「違わないだろ。それならなんで黒璃兄ちゃんを騙してる? 欺いて、利用して」
「ちがう」
「何も違わないだろ。人間の真似なんてしちゃってさ」
「ちがう……! わたしは……!」
「キメrっ、と危ない。お姉さんなんで邪魔するかな。親切心で言ってあげると、ソレは徹底的に消すべき存在だよ」
「ご忠告どうも。当然対処するわよ。あんたをぶっ飛ばした後でね」
「やれやれだ」
体に力が入ることを確かめたこはくは、宙に魔弾を漂わせながら誠治に接近。牽制を加えながら距離を詰め、ある程度近寄ると魔力を集束し砲撃。誠治はそれを盾で防ぐも、勢いに押されて後方へと飛んでいく。
こはくはそれをすぐには追わずに、成り行きを見守っていた黒璃に話しかける。
「波期くん」
「なに?」
「話したいことも聞きたいことも文句もたくさんある」
「時間がかかりそうだな」
「そうね。だから、別日でもいいからあとで必ず時間を作りなさい」
「わかった」
「それと」
「うん」
「来てくれてありがとう。嬉しかった」
これまで見たことのない花のような微笑みだった。同級生たちが見れば驚きのあまり腰を抜かすだろう。それくらい熊谷こはくという少女は、誰に対しても壁を作ってきていた。その壁が取り払われ、奥に隠れていた少女らしさが顔を見せている。
黒璃はそれに言葉が出ず、ただただ頷くだけだった。それを見てこはくは小さく笑うと、意識を切り替えて気を引き締めた。魔力を全身に回して、誠治への追撃のために森の奥へと跳んでいく。
「……」
残ったのは戦闘についていけずに見ていた黒璃と、怯えた様子で震える目を黒璃に向けているディアトだけ。
ディアトは表情が変わりづらいだけで、感情がないわけじゃない。普段は表に出にくいだけだ。一定ラインを超えてしまえば、今のようにわかりやすく様子に出る。
「っ……」
何か言おうとして、開いた口からは何も声が出ない。ディアトは口を閉じて目も逸らすと、子供のようにその場にうずくまる。
静寂の中、荒れた地面を歩く。砂利の音がやけに大きく聞こえた。黒璃はディアトの正面まで歩くと、黙ったまま目の前に腰を下ろしる。
何も言わずに地面に座り込み、未だ雲に覆われたままの空を見上げる。雷が発生していなくとも空が明滅する。町全体に届くほどの広範囲の光。黒璃はそれを理解していないが、時が経つにつれてそこに貯まる魔力が増えている。
「話したくないなら話さなければいい」
「……」
「これまで通りだ。居場所も全部好きにしたらいい」
「……わたしは……普通の人と違うよ?」
「大事なことか? おれもある意味人外に片足突っ込んでるぞ」
感情がないことを”普通ではない”とするのなら黒璃もそちら側だ。そうじゃなかったとしても、波期黒璃はそういうことを気にしない。好きに生きることを重視している。良くも悪くも拘りのない人間だ。
「おれのことを気にしないでいい。どうしたいかで決めていい」
「違う……。わたしがそうしたら、あなたはもっと普通の人から離れる」
「だから、気にしなくていいんだよ」
「わかってない。……死ねなくなるよ? わたしが”死”を握ることになる」
「それでいい」
「なんで……。なんでそんなこと言うの?」
言葉を交わしている最中に、黒璃はディアトの体が透け始めていることに気づいた。
普通じゃないのはその通りだろう。体が透ける人間など、魔法を除けばこれまで1人もいない。
幽霊だと思う人もいるだろう。気味悪く感じる人もいるだろう。”普通”というものは人々に安心感を与えるものなのだから、そこから外れてしまえばそうなる。
その存在を黒璃は許容する。あっていいと思っている。
「おれはもう、とっくに受け入れてるから」
朝起きれば「おはよう」と挨拶を交わす。
学校に行く時に「言ってきます」と言えば「行ってらっしゃい」と返ってくる。
家に帰れば「ただいま」と「おかえり」の挨拶がある。
一緒にご飯を作って、一緒に食べて。
夜寝る時に「おやすみ」とお互いに言う。
それは一般家庭では当たり前の光景だ。その当たり前が、ディアトが家に来たことで初めて生まれた。
波期黒璃の人生にはなかった家での言葉のキャッチボール。黒璃はそれを悪くないと感じていたのだ。この当たり前があっていいと、そう思えた。
だから何でも受け入れる。ディアトと共にいることで、そこにどんな代償があっても構わない。
立ち上がると、いつかの夜のように黒璃は手を伸ばす。
「選べばいい。おれからは1つだけだ。もしいいのなら、これからも一緒に暮らそうディアト」
その名を呼ばれ、ディアトの体の透過が止まる。
ディアトが目を丸くし、言葉を詰まらせながら緩やかに手を伸ばしていく。
心臓の音がやけに煩かった。ほんのりと顔が熱くなるのを感じる。
「っ……本当に……?」
「本当に」
「
「一緒に長生きできるならいいな」
「ばかだよ。……でも、ありがとう」
2人の手が重なり、半透明になっていたディアトの体が元に戻る。
今日この時をもって、波期黒璃は死神と契約した。