YAMA育ちの佐藤 作:木が三つで森
拳を握る。それが、彼にとっての戦闘の合図だった。
その日を生きる為の、明日へと命を繋ぐための一瞬の交差。
毛皮を、肉を、骨を。一撃を持って叩き潰す。ただそれだけ。
倒れ伏した毛皮の主を見下ろして、彼は両手を打ち合わせた。
春夏秋冬。四季のある国、日本。しかし、人の手が入る事の無い誰も知らぬ秘境の地で生きる彼にとってそれらは決して意味を成さない。
教養が無い訳ではない。言語を介さない訳ではない。それらは、彼が幼少の折に育ての親であった老爺より学んだのだから。
仕留めた毛皮の主を背負って、下草を避けつつ彼が向かったのは小屋。
丸太を利用したログハウスだったのだろうソレは、しかし碌な手入れもされておらず、苔むして鳥の糞に混じっていた種が目を出して緑色となっている。
扉代わりの皮を下げた入り口を潜り、薄暗いその中には文明の色など何一つ見受けられない。
彼は、毛皮の主を入り口傍の解体スペースに置くと、その足で真っすぐに部屋の最奥へと向かった。
そこに置いてあるのは、一枚の板。
太陽が西へと没して、月を見上げ、東の空が白んだら彼はこの板に一つずつ傷をつける事になっている。
それは、老爺との約束。彼が森の養分となった時から丁度、3653本目の傷。
この日は、彼がこの
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佐藤太郎。今時、市役所などの書類手順書などの名前欄等でしか見ない様な名前。
白いシャツに、黒のズボン。足元は、草履。雑踏に紛れながらも、彼の雰囲気は何処か異質な空気があった。
「ふむ……ここが、都会か」
周囲から少なからず視線を向けられているのだが、佐藤は気にした様子もない。いや、視線其の物には気付いている。だが、ここでも老爺との約束があった。
暴力を振るうな。
上記の一点に尽きる。
暴力は、いけない事だから。命を脅かされた訳でもなければ、腹が空いている訳でもないので、佐藤は見られた程度で何かをする気は無い。
問題は、これからの事。
老爺に山を下りる約束をしたが、ではどうするか。彼が立ち尽くしているのも、偏にその先の展望が無かったからだ。
佐藤に出来る事など高が知れている。
とにかく、どこかに行こう。そう決めて歩き出し、
「すみません、少しお時間宜しいでしょうか?」
声を掛けられる。その方向と声色の質から、自身へと掛けられたのだろう、と佐藤は振り返った。
そして、覚える違和感。
「……?」
「突然に申し訳ありません。実は、ただいまあちらの方で献血へのご協力を求めている所でして」
佐藤が自身の抱いた違和感へと答えを探している間に、声を掛けてきた男性はそう言って自身の後方、広場となっている場所に停車している一台の大型車を手で示した。
赤十字のマークが刻まれたバスのような車だ。数人が出入りしているのも確認できる。
チラリとその車両を一瞥した佐藤は、改めて目の前の男性へと視線を戻した。
「どこかで、会った事があるだろうか?」
「え?………いいえ、ないと……思いますが…………」
「そうか。なら、気のせいだろう。献血とはいったいどんな事をするのだろうか?」
「お受けいただけるんですね!でしたら、こちらへどうぞ。係りの者が説明いたしますので」
「ああ」
特段相手からの害意も無かった事から、佐藤は大人しく男性の後をついて歩く。
これが運命の分岐点。
舞台は山を経て、街を経て、そして雪山へ。
*
下界というものは、随分と変わっている。それが、山を下りた佐藤の抱いた感想だった。
山を下りて、その日の内に受けた献血。何やらあったらしく、自分に声を掛けた男性が興奮気味にまくし立ててきて、話の内容は一割も理解できないままにあれよあれよと
白いシャツに、黒いズボン。それから草履。雪景色にはそぐわない格好だが、雪の降る山中では上半身裸で腰蓑一丁という自殺志願者のような格好でも問題が無かった佐藤にとってはどうという事もない。
寧ろ、この快適に調整しつくされた無機質な空間に居心地の悪さを覚える。
連れて来られたものの、何をする訳でもない。
指示も無く、意味もなく、言ってしまえば数合わせ。
佐藤にとってそれは特別興味を惹かれる事ではなかった。そもそも、目的意識を持って行動しているのではなく、単に約束だから山を下りただけなのだから。
そんな彼だが、この不思議な施設にやって来て、交流を得た相手もいる。専ら、その一人と時間を潰している事が多かった。
無機質な廊下を進み、辿り着く扉。
取っ手などは無いが、扉の枠組みの右側辺りにパネルがあり、そこに手をかざすとエアロックの外れる音と共に扉が開かれた。
「ん?やあ、佐藤君。来たね」
「ああ、ロマニ」
「それ、言い難くない?ボクが言うのもアレだけどさ。ロマンで構わないんだよ?」
「?お前は、ロマニ・アーキマンだろう?」
不思議そうに首を傾げる無表情の少年に、ロマニ・アーキマンは苦笑いを浮かべた。
佐藤太郎。日本人で、マスター候補の一般人枠としてスカウトを受けてここフィニス・カルデアへとやって来た少年。
だが、と内心でロマニは思う。
というのも、この佐藤太郎。その経歴が不明も不明。年齢や身長体重といった基本項目はカルデアへとやって来てから行った身体測定で把握されたが、それだけ。
何なら、戸籍も無かった。文字通り、何も無い少年なのだ。
(良い子、ではあるんだけどねぇ)
世間一般の常識に疎く、オマケに敬語のけの字も無いが悪人ではない。無機質だが、無情ではない。
そして、甘い物が好き。
「今日は、ボクお勧めの大福だよ。お餅の中に餡子とクリームが入ってるんだ」
「いただこう」
いそいそと椅子の一つに腰掛けて、佐藤はどこかソワソワとしながら受け取った包みを見下ろした。
彼が山に居た頃は、こんな甘味を味わう事は無かった。はちみつなどの自然物を時折得る位か。基本的に、血の味か或いは山肌から採掘した岩塩。採集した山菜類から香辛料擬きを採集する位。
ロマニに勧められるままに、どら焼きを食べた時の衝撃と感動は、佐藤にとっては色濃い記憶として脳に焼き付いていた。
「はい、お茶。粉がついてるからそれだけ気を付けてね」
「ああ」
袋を開け、掌に収まる程度の和菓子を取り出した。
指で摘まめば、張り付き防止のための片栗粉が指先を白く汚す。
大口を開けて、しかし一つ思い直してから佐藤は開いた口を少し小さくして大福へと齧り付いた。
歯を通して伝わる軟らかさ。周囲を包む餅の皮が破れて餡子に届き、更にその中に包まれたクリームが餡子とはまた違う甘さを下へ届けてくる。
「…………」
(うわぁ、花でも飛びそうな雰囲気。気に入ったみたいで良かった)
何も言わずに目を閉じてもぐもぐと咀嚼する佐藤の雰囲気に、ロマニは内心でお気に入り、と大福の項目にチェックを付けた。
件の少年は表情こそ変わらないが、食事をする時には雰囲気が変わる、というのは一部カルデアスタッフの共通認識。
彼ら彼女らの中には、激務のストレス発散に佐藤に美味しいものを食べさせる、という行動に出る者も居たりする。
かくいうロマニも、この穏やかな時間を気に入っているのだ。
例えソレが仮初の中での、薄氷の上にある平穏であろうとも。
騒乱は目前に迫っていた。