「私を待たせるなんて、いい度胸してるわね──雨宮第三席?」
博麗神社の境内で、仁王立ちして待っていた霊夢。
気が立っているようで、非常に落ち着かない様子だ。
「嫌味ったらしく言うなよ……嫌だったら断ってもいいって、お前が言ったんだろ?」
「ふーん? へー?」
霊夢は目を鋭くして、龍牙を睨みつけた。
「
「……あのなぁ、誰もそんなこと言ってないだろ?」
「言ってるようなもんよ!」
「……はぁ」
誤解を解こうにもすぐ否定されてしまい、龍牙は思わず溜息をついてしまう。
「──あ! あんた今『めんどくさこの女』って思ったでしょ!」
「オモッテナイデス」
龍牙は目をそらす。
実のところ結構思っているが、口は災いの元だ。
下手に刺激せず、穏便に済ませようとしたが、龍牙は嘘が下手である。
火に油となってしまった。
「だいたい、私の何がそんなに嫌なのよ!」
別れたくないとごねる彼女のようになってしまっている霊夢。
さっさと本題に入りたいところだが、この状況では入れそうもない。
龍牙はどうしたものか、と頭を悩ませる。
嘘をつく方が後々めんどくさいと考え、龍牙は、正直に断った理由を話すことにした。
「──いいか、霊夢。俺が副隊長を断ったのは、実力と経験が足りないからだ。決して、お前の隊が嫌だからとか、そんな理由じゃない」
「……ほんと?」
手応えあり。
気分はさながら、恋愛ゲーム。上手くことを運べば機嫌が直り、下手なことをすれば機嫌は悪くなる。
霊夢の機嫌を直すため、龍牙は慎重に話を進める。
「霊夢には、幻想郷に来てからずっと世話になってんだ。副隊長として、お前のことを支えてやりたい気持ちもある」
「龍牙……」
「お前のことを支えるために、もう少しだけ副隊長の何たるかを学びたいんだ──藤原副隊長のもとで」
ぴきっ。
「……あれ? 霊夢さん? 顔が仁王像みたいになってますけど──ちょ、まっ、落ち着け!」
ひたひたと、左右に揺れながら霊夢は龍牙の方へと近づく。
さながら襲い来るゾンビのように近付いてくる霊夢に、龍牙は恐怖を感じて背筋を凍らせる。
「妹紅といい、美古都といい、少しづつ女の影が増えてくわね……次は慧音かしら……?」
「いやそもそも、ここ自体男の人口が少なすぎるっていうか! 女の影つったって、別に彼女達は俺を好いてる訳じゃ──」
「──問答無用!」
霊夢は、龍牙の死覇装の襟首を掴むと、前後に激しく揺さぶった。
龍牙の視界が、洗濯機で回されているかのようにグワングワンと揺れる。
「あばばばばばばば!」
言葉にならない叫び声をあげる龍牙。
「居候をやめた瞬間に、女に手を出すなんて……っ! 最低の破廉恥野郎!」
「勘違いすんなっ! 何もしてねぇって!」
「嘘おっしゃい!」
弁解をするも、霊夢が聞き入れる様子はない。
視界が揺れ、このままでは今朝食べたものが出てきてしまう、その時だった。
「──おいおい、痴話喧嘩か〜?」
博麗神社の本殿がある方角から、飄々とした声が飛んできた。
霊夢は龍牙を揺らすのをやめ、声のした方へと目を向ける。
龍牙も揺れる視界の中、声のした方を見据えると、本殿の屋根に瓢箪を持った少女の姿があった。
「い、伊吹副隊長……痴話喧嘩なんてそんな可愛いものじゃないことくらい、見て分かりませんかねぇ……」
十一番隊副隊長・伊吹萃香。
郷廷十三隊随一の武闘派集団、十一番隊の副隊長を務める彼女は、比喩ではなく〈鬼〉である。
頭に生えた角と、人智を超えた身体能力がそれを物語っていて、常に酔っ払っているため、誰も素面の彼女を見たことがない。
暇さえあれば博麗神社に遊びに来て、酒を飲んでは帰る彼女と龍牙は面識があり、戦い方を指南してもらっている。
妹紅に次いで、龍牙にとっては師匠と呼ぶべき存在でもある。
「鬼の喧嘩に比べたら、大したことないねぇ」
「よっ」と声を上げながら、少女は屋根を降りた。
上機嫌な足取りで、こちらの方へと近付いてくる。
──この人が不機嫌なところなど、見たことないが。
「その辺にしてやったら? 霊夢」
「い、伊吹副隊長ォ……」
助けを求める子犬のように、目をウルウルさせる龍牙。
普段は酔っぱらいが過ぎるため、龍牙には「めんどくさい」と思われているが、今回ばかりは天使を見るような目で萃香の助けを求めていた。
「萃香、甘やかしちゃダメよ。女を
「それもそうだ、ははは」
龍牙の脳内で、天使は一気に悪魔へと変貌する。
「ははは、じゃねぇよ! 何笑ってんだ角ガキ!」
「そうかそうか、龍牙は私と斬り合いたいんだな〜?」
萃香と呼ばれた少女は、背中に背負った刀に手をかける。
龍牙はギョッとして、両手を挙げて降参のポーズをとる。
萃香とは打ち合いの経験がある龍牙。結果は五十三戦零勝五十三敗。
清々しいほどの負けっぷりだ。
「アンタとやったら気が持たないっすよ」
「ははは、分かってるじゃん、龍牙」
萃香は龍牙の背中をバシバシと叩く。
龍牙は「いてっ」と声をあげる。
「アンタの力で叩いたら、骨折れるだろやめろ!」
「ははは、龍牙は面白いな〜」
萃香は高らかに笑い、龍牙をコケにする。
強くなったら絶対にボコす、と龍牙は心の中で誓った。
「そんなことより霊夢、こんなとこでボサっとしてていいの〜?」
萃香の言葉で霊夢は我に返る。
同時に、龍牙の襟首を掴んでいた手を離した。
やっとの思いで解放され、龍牙は安堵の溜息をつく。
「そうだぞ、さっさと本題に──ん?」
自由になったのも束の間、今度は後襟を掴まれ、気付いた時には踏みしめていた地面が遠く離れていた。
「ちょ、霊夢さん! くっ、首が!」
「行ってくる!」
「お〜」
もがき苦しむ龍牙を余所に、霊夢は出発する。
徐々に遠くなっていく二人の後ろ姿を、萃香は手を振って見送った。
*
後襟を掴まれたまま、龍牙達は空中を飛行していた。
最初の数分は「離せ」ともがいていた龍牙は現在、電池の切れたおもちゃのように静かになっていた。
「霊夢、さっきの話の続きだけど」
「なによ」
霊夢はぶっきらぼうに返事をする。
「副隊長に指名されたときは、その……」
「なに?」
「……嬉しかったんだ」
「──」
「一番支えてくれた人間が、今度は俺に支えてほしいって寄りかかってくれることが。俺はまだ未熟……だけどこんな俺に期待を寄せてくれたお前を──」
「……もっ、もういい! もう、怒ってないから……」
龍牙に、霊夢の表情を見ることはできない。
彼女の言葉を信じるしかなかった。
「……ところで、いつ離してくれんの?」
「──あ、忘れてた。ごめんごめん、途中から完全に無意識だったわ」
飛行するのをやめ、霊夢は龍牙の後襟から手を離す。
二度目の自由を得た龍牙は、コキコキと首を鳴らした。
「はぁ……やっと解放かよ。首輪するみてーに襟首掴みっぱなしにしやがって。俺は犬かっての」
「言い得て妙……いっそのこと、
「ウチでバイトしてみる? みたいなノリで言ってんじゃねーよ」
「──お手」
「やらねーよ!」
霊夢が差し出した手を、龍牙はぴしゃっとはたいた。
はたかれた霊夢は「ちぇっ」とつまらなさそうにした後、野良猫のような目で、じーっと龍牙を見つめた。
「どんだけ見つめてきてもやらないからな?」
「──ちっ」
「なんの舌打ちだ! ホントに舌打ちしたいのは、襟首掴まれたまま三十分以上空中浮遊させられた、俺の方だ!」
軽く言い負かされ、霊夢は悔しそうに前に向き直す。
「あ、おい、待て。そもそも、どこに行くんだ?」
「ばかなの? 死ぬの? 勘の悪い男ね。話の流れを読めないのかしら?」
霊夢は呆れたふうな顔をして振り返り、前方の山を指差した。
「妖怪の山に決まってるじゃない。話をつけに行くのよ」
「例の神社の件な。まぁ、気をつけて行ってこいよ、それじゃ」
「待ちなさい!」
霊夢は、帰ろうとする龍牙の腕をガシッと掴んだ。
「どこ行くつもり?」
霊夢はひやひやとした声で訊ねた。
「どこって、帰るんだよ。まだ書類仕事が溜まってんの」
「そんなもの後回しにしなさい。私と一緒に、妖怪の山に戦争を仕掛けるのが先よ」
「……今、なんて?」
「──戦争よ」
「あーっ、聞き間違えであってほしかった。こいつ今、ハッキリ
龍牙は、腕を離してもらおうと、ブンブン振ったり、引っ張たりするなどしたものの、霊夢の方が力が強いのか振りほどけないでいた。
しばらくするとまた、充電の切れたおもちゃのように大人しくなった。
「だいたいなぁ、妖怪の山って言ったら、九番隊の管轄だろ? 入るには正式な手続きがいるし、無論、侵入はご法度だ。霊夢みたいに隊長職なら分かんねーけど、俺みたいなヒラが侵入したなんてバレたら、クビもいいとこだぞ……」
ここ数ヶ月で詰め込んだ幻想郷についての資料を思い返し、龍牙はげんなりしながら言った。
──九番隊。
妖怪の山の守護(と正式ではないが、隊長のゴシップ新聞の発行)を生業としている隊。
妖怪の山の守護、とは言ったものの、妖怪の山の中では決して立場は高くはなく、隊長ですら妖怪の長には頭が上がらない程。
だが、統率力は高く、妖怪の山全域を含めれば、幻想郷最強勢力という言葉に過言はない──
「やっと第三席まで来れたんだ。こんなところでクビとか勘弁だね。職を失ったら無一文だぞ、俺は」
「大丈夫よ。その時はちゃんと、首輪をして飼ってあげるわ」
「だからその犬扱いをやめろ!」
「はいはい、吠えないの」
機嫌の悪いペットをなだめるように霊夢は言った。
「だからっ──まぁ、いいや。ともかく、今回ばかりは協力できねーよ。どうしてもって言うんなら、あの
「魔理沙のこと? 嫌よ。なんかやらかして、トラブルを起こすのが目に見えてるわ」
「戦争しに行く奴がトラブル云々を心配するのは、本末転倒なのでは……?」
返す言葉もないのか、霊夢は目をそらすと「ゴホン」とわざとらしい咳払いをした。
自分がトラブルの火種になるのは、自覚しているようであった。
「まぁ、龍牙の心配も
霊夢は懐に手をやると、中から狐の仮面を取り出した。
それを見て、龍牙は何かを察する。
「お前、まさか……?」
「そのまさかよ。アンタは今から──平和戦士・イナリマンよ!」