「あやや、椛は負けてしまいましたか」
些か心配していなさそうな声色で、目の前の女──射命丸文は呟いた。霊夢は勿論、文も、目の前の敵と相対するのに必死で、向こうの戦況など把握していなかった。
気付いた時には大爆発が起きており、爆風の中からボロボロの二人が落下していくのを見て、決着がついたのをようやく知った。
「こっちの相棒もボロボロだったし、勝ったなんて言えないわよ」
などと言いつつも、内心では龍牙のことを讃えていた。龍牙の霊圧は、下手をすれば隊長格を遥かに凌ぐ代物である。その霊圧を
己の斬魄刀の名を知らず、鬼道もろくにコントロールできぬ身であれば、十分な成果と言える。
「おや、手厳しい。相棒の勝利を素直に讃えては?」
「私は甘やかさない主義なのよ。それに、あいつなら勝てるって信じてたわ」
「余程信頼しているようですねえ、
「──気付いてたのね」
やはり癇に障る女だ。
面をつけた男の正体が雨宮龍牙だと気付いていても、文はあえて指摘せずに泳がせていたのだ。目的は不明だが、ニヤついた表情は、霊夢の苛立ちを引き出すのには十分な調味料だった。
「まっ、勘ですけどね……でも、有名人ですよぉ、彼は。なんたって、席官ですらない一般の隊士があのメノス・グランデを撃退したって話ですからねえ。文屋の私が興味を持たない──なんてこと、あると思いますか?」
九番隊隊長・射命丸文は、隊長業務とは別に”
そんな文が、一般隊士風情がメノス・グランデを退けたなどという話に興味を持たないはずはない。もう既に盗撮は完了し、残るは発行のみ。真実は分からないが、既に龍牙に接触していることは確定と見ても良い。
「もし彼が雨宮龍牙だとするならば、なぜお面をつけているのか、合点がいきます。彼はまだ三席ですからねえ、妖怪の山で狼藉を働いたとなれば、郷廷十三隊を敵に回したも同然。霊夢さん、貴女と違ってね」
切っ先を霊夢に向け、文は言い放った。どうやら全て勘づかれているようだ。ジャーナリストとしての勘なのか、隊長としての勘なのか、いずれにせよ、敵に回す上で非常に厄介この上ない。
「私個人としても彼には非常に興味があるんですよねえ。せっかくだし、いくつか質問させてくださいよ」
戦いの最中だというのに、妙なジャーナリスト魂を発揮し始める文。霊夢は呆れてモノも言えないといったふうな表情をする。
「知ってることなんて何一つもないわよ。全てが解決した後に、アンタのその減らず口で直接聞きなさい!」
瞬歩で文の裏をとり、横一線に振り抜く。
しかし、手傷を負わせることは叶わず、文は霊夢の斬撃をかわしていた。
「お忘れですか! 私が郷廷十三隊・最速であることを!」
文は瞬歩を使い、霊夢を取り囲むように移動する。
裏をとられた思い振り向けば前にいて、左に来たかと思えば右にいる。郷廷十三隊・最速の名は伊達ではない。霊夢は動きを捉えることができず、文の速さに翻弄されていた。
「この、ちょこまかと……っ!」
当てずっぽうに刀を振るも、それが文を傷つけることはない。先程の龍牙と椛の戦いとは、別次元のレベルだ。
苛立ちが募り、霊夢はつい刀を大きく振ってしまう。それを見逃すほど、文は甘くはなかった。肩甲骨の辺りから血が噴き出す。
霊夢は身を翻して、刀を振り抜いた。しかし、既に文の姿はない。斬ってすぐにまた移動したようで、霊夢はまたもや背後を取られていた。
「……ちっ。蚊みたいにすばしっこいわねえ!」
「ふははは! 妖怪退治はできても、害虫駆除は苦手のようですね!」
文は更に速度をあげた。
あちこち視点を揺さぶられ、目が回ってしまいそうになる。夜中の蚊を思わせる煩わしさだ。あまりに瞬歩が速すぎるため、その場に数秒残像が残ってしまうほどの速さ。
霊夢の瞬歩は、郷廷十三隊の中でいうならば速い方だと言えるが、最速には及ばない。故に、純粋な速さ勝負であれば霊夢は分が悪いのだ。霊夢は、文の瞬歩に合わせて斬るも追いつかず、全て一歩遅れた攻撃となってしまう。
「ほらほら! そんなんじゃいつまで経っても当たりませんよ!」
文の煽り声が耳に鳴り響き、霊夢は眉をしかめる。
しかし、苛立ちの色が見える表情とは裏腹に、霊夢の脳は冷静に事を判断していた。攻撃を続けながら、思考を巡らせ続ける。
もはやすばしっこいの域を超え、尋常ならざる速度で飛び回るこの蝿を、どう落としてやろうか。
ハエたたきと同じように捕まえようとしても、軽々と避けられて反撃を受けてしまうだろう。思案を巡らせる中、霊夢はある一つの結論に辿り着いた。
──いや、別に無理して捕まえようとしてしなくてはよいのだろうか。
文の先程の発言を思い出す。
『害虫駆除は苦手のようですね!』
霊夢は文に悟られないよう少しだけ口角を上げる。
──成程。害虫駆除とは言い得て妙。
蝿を捕らえる作戦を思い付いた霊夢は、しばらく同じ攻撃を続けた。文はニヤつきながら攻撃を避け続けている。
霊夢には、自身を捕らえる速度はないと判断して、侮っているのだ。いまにそのニヤつき顔を成敗出来ると思うと、思わず笑みが溢れてしまいそうだが、策があることを悟られてはいけない。
あくまで無策であるかのように、必死に喰らいついているかのように顔をしかめた。
霊夢が隊長職に就き、およそ一年半。
十三番隊の隊長は代々、博麗の巫女が務める掟になっている。先代の巫女が引退し、霊夢は十四歳という若さで隊長へと昇進。彼女の才能は凄まじく、歴代最強の呼び声も高かった。
斬・拳・走・鬼、全ての水準が高い彼女に、唯一足りないとされているもの。それは、若さ故の経験不足。才に恵まれているからこそ修行を怠り、才に恵まれているからこそ苦戦を知らない。いわば、まだ花咲く前の蕾。
それが分かっているからこそ、文は侮っていた。驕りではなく、確信に似たなにか。霊夢に、自分に追いつく術はないと。自分に勝つ策はないと。
──それが油断であるとも知らずに。
「──なっ!?」
突然、文の動きが空中で止まった。少々、飛ばし過ぎてしまったか。
文は一度態勢を整えようと、後退する。
──否、後退できなかった。
空中で、磁石にくっついてしまったかのように、身動きが取れなくなってしまったのだ。瞬足と言っても過言ではない速度で動いていた五体が、急に動かなくなり、文の表情に焦りの色が滲み出る。
「なんだ……っ! 何が起こっているっ!?」
文は現在、
「……一体何をしたんですかッ!?」
「分からないっていうなら、教えてあげるわ」
霊夢がそう言うと、文を捕らえている何かが出現する。
「なっ──これは”
文を捕らえていたのは、破道の十二”
蜘蛛の巣のように張り巡らされた霊圧で、対象を捕らえる鬼道である。
「──正解。”
──縛道の二十六”
対象を霊圧で覆い、見えなくする鬼道。
つまり霊夢は、攻撃を続けながら”
言うまでもなく、高等技術である。
「さて、害虫は捕まえたことだし、後は駆除するだけね」
霊夢は目を瞑り、人差し指と中指を立てる。
「──血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ」
「くっ──こんなもの……っ!!」
文は”
「雷鳴の馬車・糸車の間隙・光もて此を六つに別かつ」
「二重詠唱……っ!?」
さあっと文の顔が青ざめる。
「蒼火の壁に双蓮を刻む、大火の淵を遠天にて待つ」
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
文は力づくで”
──が、既に遅い。
「縛道の六十一”
霊夢の指先から光が放たれ、文は六つの光に胴体を突かれ、またもや身動きが取れなくなる。今度は、掌を上下に突き出す。
「しまっ……!?」
「終わりよ、コウモリ天狗っ!! 破道の七十三”
霊夢の掌から、眩い閃光が放たれる。
文に向かって放たれた強力な破道は、被弾した瞬間に大爆発を起こした。煙が舞い上がり、辺りを覆い隠した。
白目を剥いて地面へと落下する文。
それを見て、霊夢は自身の勝利を確信した。
「──龍牙」
先の戦いで落下した相棒を探そうと、目線を下に向ける。
するとそこには、ある顔馴染みの少女が、龍牙のことを治療していた。彼女は霊夢の視線に気がつくと「こっちは任せて」と言わんばかりに、親指を突き出した。
霊夢も「そっちは任せたわよ」とアイコンタクトを送る。
かくして、文に勝利した霊夢は、守矢神社へと歩みを進めるのであった。