「はっ……!?」
唐突に目を覚ますとそこは、気を失う前までいた森ではなかった。辺りは霧で覆われており、数歩先がどうなっているのかすら把握できない程視界が悪い。人の気配は無く、何とも不気味な場所だ。
──これが死後の世界ってやつなのか
もしそうであるとすれば、気にかかるのは襲われていた少女の事だ。突如降ってきた刀のおかげで、あの化け物を退けることは出来た。その直後に気を失ってしまったため、その後の事は分からないが、恐らく誰かしらに保護されているはず。
そうなると、今気にかけるべきなのは、自分の置かれている状況の方だ。人間が死んでしまった場合、三途の川を渡り、閻魔様の裁きを受け、天国が地獄のどちらかに送られるのが言い伝えだったが、やはり生きている人間に死後の世界を想像する事は不可能だったらしい。しかし、霧に覆われた何も無いこの場所が、いわゆる
──散策してみるか
散策とは言うものの、周りの状況が把握できない程に霧は濃い。何が起こっても対応できるように、慎重に歩を進めることにした。
一歩目を踏み出した直後に、違和感に気付く。
その瞬間、前方に誰かがいることを察知した。化け物の時の様な嫌なオーラは感じないが、咄嗟に身構える。
「──目覚めたんだ」
聞こえてきたのは少女の声。それも、幼い声だった。
辺りを見回すも、姿どころか影すらも見えない。しかし、敵意を感じない声色に安堵し、警戒を緩めた。
「天使のお迎えってやつか?」
「否。何かを勘違いしている」
機械的な口調で彼女はそう言った。
「ここは龍牙の精神世界。貴方の心を映し出す鏡のようなもの」
彼女の言う事が本当であれば、どうやらここはあの世ではないらしい。そうなってくると、ここがどこなのか、そして彼女は一体何者なのか、益々疑問に思えてくるが、自分がまだ死んでしまった人間ではないという事実に何より安堵した。
「
変わらない声色で淡々と彼女は言った。
幻想郷に来てまだ1日も経っていないが、今までの常識を全てひっくり返されるような出来事が起き、不安を抱えている事は自覚していた。
彼女の言葉に嘘は無いと判断し、話を続ける。
「それで、君は一体誰なんだ?」
「私? 私の名前は▇▇」
聞き逃した訳ではない。
何かを言っているのは耳で理解できる。だが、
「──やっぱり」
困惑している龍牙に気付いたのか、彼女は残念そうに言った。
「どういう事なんだ?」
「私は貴方の力。でも、龍牙は今、私を必要としていない。故に、名前を知る事ができない」
「力? 必要としていない? それはどういう……」
「いずれ私を必要とする時が来る……目覚めの時間」
彼女がそう言うと、突然強烈な眠気に襲われた。
「待ってくれ! まだ聞きたい事が!」
「大丈夫。龍牙が私を必要とする日は、そう遠くない」
眠気に抗う事が出来ず、龍牙はゆっくりと目を閉じた。
「ん……んん」
「──龍牙? 龍牙!」
龍牙に駆け寄る少女の声が聞こえた。聞き覚えのある声、それが霊夢のものだと龍牙は気づく。
着ていた制服は脱がされており、霊夢達と同じような袴を着ている。身体には包帯が巻かれており、どうやら治療を受けたようだ。
龍牙はゆっくりと身体を起こす。
「くっ!?」
さすがにまだ完治していないようで、この動作だけでも鋭い痛みを感じた。
「まだ完治してないんだから、動いちゃダメよ!」
そう言って彼女は龍牙の身体を支える。
「悪いな……治療は霊夢が?」
「えぇ、森で倒れている所を見つけて保護したわ」
「そうか、ありがとう。助かったよ」
「ほんっとうに心配かけさせて! 着いてみれば虚はいないし、何故か刀は持ってるし……」
「──そうだ!! あの女の子は!?」
龍牙は、霊夢の両肩を掴んで慌てて尋ねた。
「ちゃんと保護したわ。今は人里に戻って安静にしてるはずよ」
「そっか……良かった、本当に」
少女の無事を聞いて、肩の力が抜けてしまったのか、龍牙の目から涙が溢れ出す。
「ちょっ、ちょっと! なんで泣いてんのよ!」
「いや、安心したら、何か止まらなくなっちゃって」
袖口で涙を拭うも、とめどなく溢れ出てきてしまう。
──くそっ、いい歳して女の子の前で泣くとかみっともねぇ
そう思い、何とか止めようとするも、涙は止まらない。
すると突然、霊夢が龍牙を抱き寄せた。予想だにしなかった出来事に驚き、龍牙が離れようとするも、霊夢に頭を撫でられ力が抜けてしまい、彼女に身を預けた。
「──優しいのね、龍牙は」
龍牙の頭を撫でながら霊夢は言った。
今までの、少々棘のある声色とは違い、優しさに満ちた声に、更に涙が溢れ出る。
「……怖かったんだ。見た事ない化け物がいたし、あいつの攻撃は凄い痛かった。それでも、何とか女の子だけでも助けなきゃって」
龍牙はぽつり、ぽつりと語り始めた。
霊夢は微笑みながら彼の言葉に耳を傾け、時折相槌を打ち、落ち着かせるように彼の頭を撫で、その話を聞いていた。
その姿はまるで、甘える我が子に愛を持って接する母のようであった。
一頻り泣きじゃくった龍牙は、もう大丈夫と言って霊夢から離れた。
「その、なんだ。恥ずかしいところを見せちゃったな」
「別に気にしないわよ」
「そ、そうか」
年下に泣きじゃくってしまった事を恥ずかしいと後悔している龍牙と、何故彼を抱き寄せ、あまつさえ頭を撫でるなどという行為に及んでしまったのか、先程までの自分の行動を省みて、赤面し顔を逸らす霊夢。二人の間に気まづい空気が流れる。
「え、えっと……私着替えてくるわね!」
この雰囲気から一刻も早く逃れようと、霊夢はその場を後にした。かくいう同じ事を考えていた龍牙は、安堵の溜息をつく。
少し空気を入れ替えようと襖を開け、外の様子を伺う。空は清々しいほどの青に澄んでいた。夏の日差しが差し込み、龍牙は思わず目を細める。
──夏は嫌いだけど、今日は気分が良い
龍牙の活躍を祝うかのように、蝉の鳴き声がこだました。