眠い。
「ご来店感謝するよ。是非また来てくれたまえ」
来店した客に対し、笑顔を向けながら接客を行うタキオン。俺はキッチンで料理を行いながらそれを眺めていた。
タキオンがこの店で働き始めてから一ヶ月が経過した。当初はカフェが心配していたように変なことしでかさないか一抹の不安もあったがそれは完全に杞憂に終わった。
「いらっしゃい…ああ、すまない。今は店の中がかなり混んでいていね。席が空いたらまた声をかけるとも。それまでもう暫く待ってもらえるかい?」
蓋を開けるとなんとまあ完璧な接客だこと。店内の様子を常に観察しながら客の出入れの管理を行い、オーダーや料理の運び間違い等のミスは一切ない。それどころかあまりにも彼女が完璧過ぎるあまりタキオンが上司で俺がアルバイトだと勘違いされたこともあるくらいだ。
まあお陰で俺もだいぶ楽に仕事ができるようになったわけだがタキオンがこの店にもたらしたのはそれだけではなかった。
ウマ娘は顔が良い。それは全てのウマ娘に共通して言えることだ。だがタキオンがウマ娘の中でもイケメンに分類される顔立ちをしていた。そんな彼女が白のポロシャツに黒のジーンズ、黒の腰掛けエプロンをして接客を行っている。
「あ、あのタキオンさん!いやタキオン様!!サインをいただいてもよろしいでしょうか!」
「ん?ああ…構わないとも」
つまる所タキオンはめっちゃ女性客ウケが良かった。元々それなりに有名だったのも加わり、最近ではタキオンを一眼見たいが故にこの店に来店する客が後を経たない。しかもタキオン効果で知名度が上がり、取材をしたいと言い張るライターまで現れる始末。客が来てくれるのは嬉しいがそれが料理や飲料ではなくタキオン目当てなのはなんとも歯痒い所だ。
そんなこんなで大盛況な喫茶店『ヘーベル』。だが俺には一つの問題を抱えていた。
「し、ししししし失礼します!!」
端的に言うとタキオンエフェクト客が増えたことはいいが面倒な客も増えてしまった。そしてたった今訪れた客は面倒くさい客の中でも筆頭株と言わざるをえない難客だった。
「た、タキオンさん!今日もお疲れ様です!!」
「おや?デジタル君じゃないか。今日も来てくれたんだね?」
「はいいい!タキオンさんの働く姿を見るためなら例え火の中水の中草の中森の中土の中あの娘のスカートの中までも飛んでいきますとも!!!」
彼女の名はアグネスデジタル。今の発言からも分かる通りウマ娘でありながらウマ娘が大好きなやべー奴だ。彼女は本来ウマ娘と直接接することは少なく、影からお守りするスタイルを取っていたらしい。だが寮がタキオン同室でありこの店に誘われてからと言うものの、週五で通い詰めるようになってしまった。
これだけならまだウマ娘に憧れているウマ娘オタク属性の娘と捉えることができる。しかし彼女の問題点はここからが本題だった。
俺は眉間に指を当てながら彼女達の会話に聞き耳を立てる。
「ありがとうデジタル君。君の応援はいつも私の助けになってくれているとも」
「ひ、ひええええええ───」
アグネスデジタルはタキオンの言葉を聞くと血反吐を吐き散らしながら変な鳴き声を上げ床に倒れ伏せた。
これが俺が言っていた問題点。こいつは興奮状態が限界を超えると吐血しながら倒れ込んでしまう。
「わ、我が人生に一片の悔いなし…」
そう言いながら人生の幕を閉じようとするデジタルだがそうはさせない。俺は掃除ロッカーからの箒を手に持つと、デジタルのそばに近づきペチペチと反対側の先端で突っついた。
「おい。店で死ぬな。せめて路上で死ね」
「君も中々酷いことを言うねぇ」
当たり前だ。このままではうちの店で死亡事故が起こってしまったことになる。そうなればせっかく右肩上がりだった売り上げが台無しだ。
そもそも関係ないように振る舞っているタキオンだが専らこいつはデジタルで遊んでいる節がある。今回もデジタルは尊死(仮)ことをわかっていながらも敢えて臭いセリフを吐いたのだろう。その証拠に口が三日月のような形になっている。
俺はタキオンにジト目を送るがこいつにそんな物が効くわけがない。タキオンはただクツクツと笑うだけだ。
俺はため息を吐きながらデジタルを叩き起こすことに専念した。
◆
「いやはや…本当に申し訳ないです…」
デジタルが尊死(仮)してから十五分後、ようやくデジタルは目を覚まし今はカウンター席でしょんぼりと平謝りをしている。
まさかAEDを使用する羽目になるとは……前までは箒で叩き起こすか大量の目覚ましを耳元に置いて盛大に鳴らせば飛び上がったんだが…どうやら尊死(仮)の状態が深まってきているらしい。本当に尊死するのも時間の問題だな。
「んで?今日はどうするんだ?」
「むふふ…今日のメニューは決まっています!オムライス一人前で!」
鼻息を荒げながらデジタルは告げる。俺は「はいよ」と返すと材料を調理台に並べた。
今回使用するのは米にハムに卵、コーン、グリーンピース、バターに塩胡椒、ケチャップだけだ。
まずはじめにハムを一口サイズに切りフライパンにバターを入れて溶かす。バターが溶けたらハムとグリーンピース、コーンを入れ、バターに馴染むようによく炒める。次に米と塩胡椒、水を入れ炒める。炒め終わったら中身を端に寄せ空いたスペースにケチャップを入れ酸味を飛ばす。酸味が飛んだケチャップを混ざり合わせたらケチャップライスの完成だ。
次に作るのはケチャップライスを包むふわふわ卵。別のフライパンにバターを入れて溶かした後にかき混ぜた溶き卵を広げる。卵液が固まったらゴムベラで上下に動かす。半熟状態になったら一旦火を止めケチャップライスを投入する。再び火を付け卵がフライパンから離れるようになったら火を止め、広げたサランラップの上に置く。最後はサランラップで卵が包まるように上手く包み込み皿に乗せ、ケチャップを上からかければ───
「待った。仕上げは私がやろうじゃないか」
出来上がりという所でタキオンが待ったをかける。
「……なんだよ?」
「そう睨まないでくれたまえ。いつも来てくれるデジタル君に私からのささやかなお礼をしたいだけさ」
凄い嫌な予感がするのは俺だけだろうか?
「くくく…そう不安がらなくてもいい。するのはただのお礼だからね」
そう言うとタキオンはケチャップがかかっていないオムライスの乗った皿を勝手に持ち出した。
「お待たせデジタル君」
「あ、ありがとうございます!!」
デジタルは赤べこのように首を上下に振るう。
「いやいやお礼を言いたいのはこちらの方さデジタル君。これは私からの気持ちだ。しっかりと受け取ってくれたまえ」
そう言うとタキオンはケチャップを持ちオムライスの上に何やら描き始める。
「さあ。召し上がれ」
「こっ、こここここここれはあああああ!!?」
タキオンが描いたのはケチャップで描かれた大きなハートマークだった。
……ここはメイド喫茶かなんかか?
「ああああ…くぁw背drftgyふじこlp;@:「」」
あっ、まずいなこれ。またデジタルが気絶しかけている。早急にAEDを用意せねば。
「こなくそ!!!!!!!」
だがデジタルは俺がAEDを取り出そうと背を向けかけたところで気絶するのを耐え抜いた。
「せっかくタキオンさんが作ってくれたオムライス!!それを無碍にする気かアグネスデジタル!!!」
いや作ったの俺な?あいつ仕上げという名の余計なことしかしてないからな?今だって手で口を抑えながらニヤついているからな?
「では……いざ実食!!」
デジタルは無駄に覚悟を決めながらタキオンのハートマークが崩れないように端の方からスプーンで切れ込みを入れた。
「ほぉわぁ…」
デジタルは惚けたような声を上げながら切れ目に熱視線を向ける。オムライスの切れ目からはトロミのある黄色い卵液が溶け出しており、僅かばかりの白い湯気が踊るように揺らめいていた。
デジタルはゆっくりとスプーンでオムライスを一掬いすると、口の中へと運び込んだ。
「ひにゃああ……」
デジタルはスライムになった。いや本当になってはいないがなったかのように見えるほど蕩けた表情を見せた。
「なんですかこれ…卵は外はふわふわで中はトロトロ…ケチャップライスもハムの旨味とコーンの甘さ…グリーンピースの苦味が絶妙なバランスを取り合っています…」
デジタルは味の感想を伝えながらスプーンでオムライスを発掘し続ける。
とりあえず…気に入ってくれて何よりか。
「んぐっ!?」
「ん?どうした?」
凄まじい勢いで食べ進めていたデジタルだが、急にその手がピタリと止まる。
「不味いです…不味いですよこれは」
「何が?」
俺は頭の上にクエッションマークを浮かべた。
「これ以上…これ以上食べたら…!!」
「食べたら?」
「タキオンさんが送ってくれたハートが崩れてしまいます!!!!!」
……そっすか。
「こ、これはどうするべきか…!このまま食べるのが正解?それともこの部分だけ持ち帰って家の家宝に!!」
「腐るぞ」
「腐っても良いんです!!存在していることが重要なんですよ!!!」
正直な話俺にとっては超絶どうでもいい内容だ。料理人としては食べてもらいたいところなんだけどな。
まあ本人は至って真剣に悩んでいるわけだが…
「お前本当にウマ娘大好きだな」
「はい!!ウマ娘ちゃんはデジたんが生きるための活力ですから!!」
目を輝かせながら言い張るデジタル。
生きるための活力ね…何がこいつをそこまで突き動かすのやら。まあ生きるための活力は確かに大事だ。それは子供でも大人でも老人でもウマ娘でも大差ない。そんな活力に全力投球で生きているこいつはある意味この世の中で一番の幸せ者なのかもな。
「お前はウマ娘のどこが好きなんだ?」
ふと俺は自然と口から言葉を漏らしてしまう。するとデジタルは前のめり状態になり俺に顔を近づけた。
「ま、まさか…ウマ娘ちゃんの魅力を知りたいんですか?」
「ん?まあ知りたいと言えば嘘じゃないが」
俺がそう呟いた刹那、デジタルの雰囲気がガラリと変わる。先程までは道端にいそうなクリボーのような雰囲気を醸し出していたが、今では歴戦の強者のようなオーラを纏っていた。
俺はこの時とある言葉を思い出していた。それはとある漫画に書かれていた一セリフ──オタクに推しの質問をするとやばい。
大量の脂汗が俺の肌に浮かび上がった。
「知りたいんですか!?知りたいんでしょう!?知りたいんですよね!?」
鼻息を吹かせながらグイグイくるデジタル。どうやら完全に地雷を踏み込んでしまったようだ。
「いや、やっぱり遠慮して───」
「仕方ないですね!!ならばデジたんが教えて差し上げますよ!!ウマ娘ちゃんの素晴らしさを!!」
だめだ。断ろうとしても聞く耳を持たない。こいつは今ウマ娘なんかじゃない。止まることを知らない暴れ牛だ。
俺は捨てられた子犬のような視線をタキオンに送る。だが彼女は既に他の客の相手をしていた。
タキオンの奴…!!場を荒らすだけ荒らして逃げやがったな!!!
「さあ!!ウマ娘ちゃんの素晴らしさを思う存分教えてさしあげましょう!!大丈です!!ついていけなくても無理矢理引きずってあげます!!!だから安心してください我が同士よ!!!!」
この日、喫茶店『ヘーベル』では閉店時間後であっても店内の灯が消えることはなかった。
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