Caligula -Re:Mevius- 作:10-1 M
2016年。
かつて日本国内で爆発的に流行し、そして瞬く間に終息した
少ないながらも幾人かが衰弱死を迎え、また急死した者もいた中、罹患者のほとんどが生還した稀有な病である。
生還者は口々に「幸せな夢を見ていた気がする」と語り、その近因となったと推測されたのが当時異常に人気だったバーチャドールの
短い者で数日、長ければ凡そ六年にも及ぶ時を失った被害者や遺族はバーチャドール・μとそのコンポーザーを非難し、瞬く間に人気が低迷していった。
だが、アストラルシンドロームが終息し、事態もまた人々の記憶から薄れつつあった5年後の2021年。
消えたはずの病理は突如として再発した。
◇
:一日目
「……ランキングハ芳シクナイナ。リグレット様ノ為ニモ、モット良イ曲ヲ書カナクテハ…」
「調子が悪いのかい、マキナ」
「アア…ダガ、直グニ巻キ返セル」
友人はネットの評判に…というよりは、自身の曲を介して強まるだろうリグレットの評判が思わしくない事に悩んでいた。
彼ら楽士の役目となる、新たなるバーチャドール・リグレットの
…正確には、人間の形を取ったアンドロイドであるが。リグレットがこの《世界》を作るため楽士達にはある種特別な能力が与えられる。それは過去の前例を挙げれば、単純なものであれば作詞作曲の力。
或いは架空のキャラクターのような特殊能力を持つものもいた。
楽士達の纏め役が言うに、力を持つバーチャドールの作る世界であれば、それを与えることも可能なのだとか。
だからこそマキナはアンドロイドとして、機械の身体を望んだのだろう。現実世界に人の知能を持つロボットなど有り得ないのだから。
「ソウ言ウオ前ハ、マダ曲ヲ書カナイノカ?」
「いやぁ…中々に進まなくてね。招待された身でありながら、いやはや何とも不甲斐無い」
マキナの正論には耳が痛くなるばかりだった。
何を隠そうこの僕も楽士である。纏め役…『ブラフマン』にこの仮想世界・リメビウスに招待されたはされたのだが、5年前に一曲仕上げてから作曲など一度たりともしていないのだ。
もちろんブラフマンには作曲の腕だけを買われたのでは無い。僕がかつての仮想世界・メビウスを破壊した『帰宅部』の元メンバーであったからこそだ。
「式島」
「おっと…話をすればだ」
ブラフマンは僕を見つけ、話しかけてくる。静謐な雰囲気を醸しながらも、どこか寂しい気持ちにさせるこの『エピメテウスの塔』にあって、彼の奇抜な金仮面はどうにも上手くマッチしていた。
「単刀直入に言いましょう。侵入者です。仕事をお願いしたい」
「わかった。もとより僕の役目だ」
リメビウスは仮想の世界。だから現実から干渉する手段こそ存在しないものの、同じ仮想世界からはアクセス出来てしまう。
無論、そうならない為のプロテクトが張り巡らされていたはずなのだが…ようやくその時が来たのだろう。
「式島、貴方には強く期待しています。どうか、このリグレット様のリメビウスを壊されぬよう、原因を追求し、可能であれば解決を願います」
「ああ。任せてくれ」
そう返事をすると、ブラフマンは満足気に頷き、何も無い空間に手をかざす。そうするとそこには光が差し、扉が現れる。
それはエピメテウスの塔の外に繋がる扉。元々が楽士しか入れない空間であるこの塔は、ただ一人ブラフマンによってのみ出入口が開かれるのだ。
先程まで定例会が開かれており、また解散した直後であったが、マキナと僕だけはこうして塔に残り、雑談に興じていたのである。
もちろんと言うべきか、当然と言うべきか、マキナの話題と言えば専らリグレットの事ばかりだったのだが。
「私モ行コウ。リグレット様ヲ脅カス危険因子ガ現レヌヨウ、見回リヲシタイ」
「分かりました。では君にも頼みます」
僕達はお互いに別の場所を指定し、その通りに座標が設定され、転送される。
マキナは自身のテリトリーとなる興玉駅、対して僕は楯節学園に送ってもらったのだった。
◇
楯節学園。
リメビウスにおいて唯一の学校であり、また駅に直通しており
目覚めてすぐに、僕は教員用ロッカーの前に立ち、靴箱から上履きを引っ張り出した。ロッカーの陰に転送された都合で誰の目にも見えない位置であったのが好都合だった。
後ろでは生徒委員会の会長を務める
それを尻目に僕は職員室の扉を開き、席に着くと、自分のPCを立ち上げた。
「おはようございます、式島先生」
「ああ、おはよう」
顔にノイズの走るNPCに適当な挨拶を交わし、リメビウス中の防犯カメラを確認する。
世界に侵入者が現れたというのはブラフマンの談であったが、具体的な状況を知らない事にはどうしようも無い。だからこその、カメラ確認である。
例えば現実から入ってきた存在は、権限を持つものが見ればどのような状態かを意図的にステータスに直して見れる。例えばゲームのように。
だから、ブラフマンから…正確にはその主となるリグレットから間接的にその能力を賜っている僕の役目こそ、リメビウスの監視と治安維持だった。
尤も治安維持の部分に関しては、マキナとの協働ではあったが。
「…どこにも異常は見られない? いや…ブラフマンが何かしらの方法で感知したんだ、あの強固なプロテクトを破る手段を持つ存在がいるはず。特定を……だが、いや……どうするべきだ…」
独り言を繰り返して状況整理をしながら、目を各所に巡らせる。しかしそれにも限界が来たようで、時間切れのチャイムが学校に響く。次の授業の予鈴である。
成果が出ない以上は拘っていても仕方がない。高等部の先生という立場もある以上、すっぱりと諦めて一限目を受け持つ二年生の教室に向かう。
そこには
「おはようございます、先生」
「ああ、おはよう。それでは世界史の授業を始めようか」
NPCも含めて全ての生徒が揃っていることを確認し、教科書の指定ページを開かせた──。
授業が終わり、生徒達が次の授業までの時間を各々適当に過ごす中、ほとんどの生徒の中でも一等真面目な
「式島先生!」
「ん…天吹さんか。どうかしたかい?」
と言っても、現状は僕が彼女を一方的に知っているだけだが。
「実は……分からないところが…」
「おや、珍しいね」
「その…言い訳みたいに聞こえるかもしれませんが。最近、寝不足気味で」
睡眠時間が足りない。リメビウスにおいて時間は無限に等しい。寝ようと思えば簡単に寝られるし、そもそもリメビウスの住人は夢を見ないように
にも関わらず、茉莉絵は寝不足気味と言う。
そこには間違いなく、世界を壊そうとする何かが介在しているはず。
「寝不足なら、病院にかかってみるかい?病理は心理的なものから来る事も多い、総合病院ならきっと原因もはっきりすると思うよ」
「はい、そうします。 …あっ、すみません、分からないところなんですけれど……」
「おっと、そうだったね。 ……ああ、ここか。中世ヨーロッパはとにかく長大で複雑だからね。その分読み解くと楽しくもあるんだけど……ほら、例えばここは───」
ちょっとした小話、雑学を織りまぜながら授業の範囲を教えていたが、やがて予鈴が校舎に響き渡ると、僕達は顔を見合せて小さく笑いながら、お互い小走りになって自分たちがいるべき場所に戻った。
その日は結局、何も異変らしい異変は見つからなかった。
諦めて自宅へと戻り、最早何年もの付き合いにもなる馴染みのプレイリストを開き、イヤホンを耳に取り付けた。
一番最初に流れてきたのは、希望の中で人生の悲観を謳ったカギPの『ピーターパンシンドローム』だ。
若き少年は、これから自身を待つ世界に希望を持っていた。だが世界の広きを知り、自分の住む世界は狭かった事を理解した時には、少年は誰でもない一人の、普遍的な誰かでしかなかった。
理解してくれる人が欲しい、誉めてくれる人が欲しい、抱きしめてくれる人が欲しい。
カギP……響鍵介が心の中に秘めていた想いの発露を、デバイスの中のμは可愛らしく、そして書き手の意を汲むように歌い切ってみせた。
「μ、俺はまだ帰れそうにないよ」
そう独りごちたところで、ピーターパンシンドロームは終わりを告げ、次の曲目がいつものように彼女の口から告げられ、可愛らしい歌が始まった。
トラックが二巡ほどしたあたりから、僕の意識は霧散していた。
◇
:二日目
起きた時には、スマートフォンのバッテリーは既に電池切れだった。もちろんリメビウスという世界において不便の一切は解消されていて、都合の良い事にひとたび充電用のプラグを差せばバッテリーは最大まで回復する。
以前の
毎朝のルーチンであるそれらを終えてしまえば、ゆすいだ口元をタオルで拭いながら鏡を見ているのは、冴えない世界史の教師、式島 律だ。
その後はキッチンに立ち、適当に買っておいたウインナーを焼いて皿に載せれば、何の変哲もない朝食が出来上がる。
自炊というほどよく出来たものでこそないものの、健康を心配してくれたμの言葉があってか、最近はしっかりと食事を摂るようにしている。
…惜しむらくは、ここが仮想世界・リメビウスであり、現実の世界では僕や楽士を含むリメビウスの住人たちはみんな
それでも味覚は本物に限りなく近い。米粒も残さず喉に通すと、冷蔵庫からおっす緑茶を取り出して紙コップに注ぎ、一息に飲み干した。
はあ、と息が零れる。
出勤しよう。
◇
電車を降り、改札を通せば、すぐそこが学校だ。楯節学園は中高一貫校であり、高等部の手前に中等部校舎の入口がある。
僕が受け持っているのは高等部の世界史であり、本来であれば中等部にはさほど用は無いのだが──。
「おはようございます、先生」
「うん、おはよう、月島くん」
声変わりをして間もないだろう、中等部三年生の月島 劉都だ。もちろん彼が現実世界でも中学三年生であるという確証は無いのだが、リメビウスにいる限りは彼は中学生であり、同時に僕の教え子である。
教え子とは言うものの彼は異常なレベルの天才で、僕が教えられる範囲など殆ど存在しない。物覚えが異様に良く、教えた事をすぐに吸収してしまうからだ。そうでなくとも学ぶ意欲も強いため、中等部どころか高等部を含んでも学園一の天才だと言ってよい。
「月島くんは将来の夢は決めたかい?」
「俺は…まだ、決められてないです。先生はどうして教師になろうと?」
「僕が? …そうだね、昔から僕は友達が少なくてね。輪にも溶け込めず、一人で孤立してた。先生になる前はプログラマーでね。そこでも独りで、でもある男が根気よく話しかけてくれた。僕は彼を体良く使ったのにもかかわらず、だ。 それで気付いたのが、僕は彼のような人間になりたかったという事だ」
月島くんは口を挟むことなく、僕の話を傾聴する。
「彼の真似をしてみたし、彼らしく振舞ってみた。ただ、それは失敗した。当然の結果さ、人は他者を完全に模倣することは出来ない。だから僕は、僕なりの方法で彼らしくあろうとした。
彼はチーフプログラマーだった。上に立つ存在だった。僕も彼のように上に立ち、人を導いてみようと、そう思ったんだ」
懐かしい話だ。もう五年も前になる。月島くんはそれを聞き終え、口を開く。
「…前職がプログラマーって、教師とは随分かけ離れていますけど。何故教師を? 人の上に立ちたいのならその部門のチーフなり社の役員なり、目指せる場所はあったはず。わざわざ教鞭を執る事もなかったのでは?」
「そうかもしれないね。でも僕は不器用だったから。短絡的に思い浮かんだのがそれしかなかったのさ」
「…そういうものですか?」
「ああ」
よくわからない、と言いたげな表情を浮かべる月島くん。そのまま更に続きを話そう…と思ったところに予鈴が鳴ってしまう。
引き留めてすまないね、と一言残せば、彼もまたこちらこそと頭を下げて中等部校舎へと入っていった。僕も授業があるし、疎らに教室の外で駄弁っていた生徒達も教室へ入っていく。
さあ、教室に行こう……そう思った直後だった。
「追ってきてるか!?」
「今のところは見えん! ギン、急いで駅に───」
「──ぐあっ!?」
曲がり角から走ってきた二人の生徒にぶつかられてしまい、僕は後ろに大きく倒れてしまう。
「やっべ……す、すみません先生! 僕達体調が悪くて早退しなきゃなんで! 早く行こうぜ
「…すみません!」
「ボサッとしてるな、ハンシン!!」
背中を強かに打ち付けた痛みを我慢しつつ、二人に言う。
「ま、待ってくれ…そんなに元気なのに、体調が悪いのかい…?」
「あ、えーっと、それは……と、とにかく時間が無いんスよ! 事情は明日説明するんで、今は───」
…二人?
確かに目の前にいるのは二年生の…
だが、僕は確かに三人目の声を聞いた。
「ちょ、ちょっと待って。今の女の子の声は? 君達二人しかいないが…」
「…え?」
「聞こえてる……のか?」
「そーなったら話は別だ! 逃がすなよギン!ハンシン! ソイツもキィの声が聞こえてるんだ!」
それは、どうやら聞こえてはいけない声だったらしく。だがそれを話してしまった僕は、二人の生徒に腕を組まれてしまう。
「連行だ!」
「えぇ〜……すみませんね、先生。ちょっと無理矢理ですけど、絶対納得できるんで!」
「ま、待ってくれ、授業が…!!」
「すみません、先生…どうか私達を信じてください…!」
佐取さんの頼み込むような言葉と切実な表情に押され、僕はつい抵抗の力を緩めた。それを彼らは納得と捉え、腕を離してくれた。
「わかったよ、君達について行けば色々説明してくれるんだね?」
「約束するっスよ! よし、行こうぜ!」
能登くんの言葉に佐取さんと僕は頷き、走った。
改札口を抜けた先の駅には、随分と華美な車両が止まっていた。白を基調として、赤と青のラインで彩られた、まるでイベントの為に用意されたかのような意匠だ。
それに駅の電光掲示板には、いつもなら津長方面行と映るはずのそこにはデフォルメされたキャラクターの笑顔が湛えられていた。
「うぇ…悪趣味な電車だな。見たことないや……」
「ええい、乗れ乗れ!!」
声に背を押されるように僕達は電車に乗り込んだ。そうして、やがて電車はどこへ行くとも知れずに出発する。普段なら、なんちゃら方面どこそこ行き、なんて車掌がアナウンスするはずのそれは全く無く、僕達は目的地のない車両に乗ってしまった。
しかし、二人を追求する役目もある。表向きは教師として、だ。
「さて、訳を聞かせてもらうよ。学業を疎かにした上、教師である僕を付き合わせたんだから、何か相応に納得できる理由があるんだろう?」
腕を組み、生徒達にじっと視線を向ける。特に顔を背ける佐取さんに対して圧を強める……瞬間に、その胸から少女の顔が現れた。ごく自然に出てきたそれに僕は一瞬理解が追いつかず、そして理解した時、絶叫を上げて後ろに倒れ込んだ。
「うわあぁぁっ!?」
「ええい、驚くな! キィはオマエを仲間にしようと思ってるんだぞ!」
「な…仲間?」
顔だけを覗かせた少女…キィは非現実的な事に(もちろんここは現実では無い)佐取さんの身体からその身をそのまま出して見せ、僕の顔をまじまじと見つめてきた。
「ん〜? ……どっかで見たな、オマエの事」
「僕をかい? それは…心当たりがないな。僕は君の事を知らないのだし」
キィは尚も僕の顔を見ては俯き、何かを思い出そうとしている。その姿に僕も思うものがない訳では無い。白を基調とした華美なドレス、腰部に備えられた翼のような意匠、肩から提げるように誂られた青いサイドラインと青いセンターラインの帯は、10年前のバーチャドール・μにそっくりでもあった。
μは、人を疑う事を知らなかった。性善説の究極系とでも形容するべき純粋さを持っていて、どんな悪人だろうと、都合の良いことを吹き込まれればすぐに善人だと思い込んで受け入れてしまった。
だから
「あ゛ーーーーーっ!!!!!」
「うわっ!! …な、なっ──」
僕が彼女に思いを巡らせていた時にキィは叫んだ。意識外の攻撃によって思わず驚いてポールに背を打ってしまう。
キィは僕から何かを思い出したのだろう。一人でうんうんと頷いては僕の顔を見てニヤ…と口許を歪ませている。
「ははーん…やはりなー…キィはめっちゃラッキーなのかもしれん…」
彼女は僕のことを見て
「改めて自己紹介をしてやろう、
「…え?」
μの、後継作だって?
言葉を飲み込んですぐは、理解が追いつかなかった。
何故なら、五年前のアストラルシンドローム事件終息後、世間のμに対する逆風を受けてバーチャドール開発部門は規模をかなり縮小させられたし、主力プログラマーだった
そのせいで、思考パターンの書き出しなどを大人数で行わなければならないドール開発は向こう数年不可能だろうと目測していたからだ。
だが、現実はそうではない。
俺よりも優秀なプログラマーが来たのか。それは定かでは無いが、μの汚名を挽回するべく新しいバーチャドールを作り上げた。そしてそれがここにいる。
「…μ、の……こ、後継…子ども、なのか…?」
どうにか捻り出した言葉は、だが自身でも信じ難く、目の前の
けれど、キィは俺の目をじっと見つめて言葉の続きを待った。俺はもう、何を言うかも考えられないまま、後ろに生徒がいることも気にせず、膝を折ってしゃがみ込み、キィの顔を見た。
目の色も含め、大まかには違うものの、細かい部分や雰囲気、何より彼女譲りの
「嘘、だ。 あ、あり、有り得ない……。だって、μは、俺に……話しかけて、く、くれなくな、なって…!」
また、昔のように吃りながら、言葉を捻り出す。けれど、俺をキィは優しく撫でてくれた。
「それは違うぞ、リツ。
父。
それは、
何も言えなくなってしまった俺の後ろで、二人は…佐取さんと能登くんは驚き叫んだ。
本作の式島律くんはアニギュラとODの良いとこ取りです。詳しい部分は次回で本人の口から語る事でしょう。顔は律です。
2主人公は女の子です。名前は佐取さん。部長と呼ばれることになるので苗字のみ設定しています。名前は…着くかも。
リメビウス(Re:Mevius)
リドゥではない。後悔しやり直したあとの姿ではなく、メビウスと同じ理想の姿の形を取っているため。
キィ
μの子ども。正確にはμを制作した会社のバーチャドールであり、μを開発したスタジオの後継作となる。
μ
11年前の2010年に発売され、爆発的人気を誇った初代バーチャドール。
リグレット
μの人気が落ち切ったあと、徐々に頭角を現した正体不明のバーチャドール。