茜達はティマー・ネシィを連れて、無事にケイヌーキへ帰還した。
街の指導者達はネシィを客人として歓迎し、
彼女は即座に軍の顧問としてガルバ帝国軍の兵器に関する助言を始めた。
しかし、戦火は着実に街へと迫っていた。
ケイヌーキ城の司令官執務室。
窓の外ではどんよりとした雲が低く垂れ込め、
カエイスウン地域特有の霧雨が石造りの壁を濡らしている。
リクスート司令官は、机の上に広げられた詳細な戦略地図を指先で叩いた。
その視線の先にはフォチュン川の北岸、ルラーメ村から東に9kmほどの地点に印がついている。
「……折り入って頼みたい任務がある」
リクスートが顔を上げ、茜達の顔を順番に見据えた。
その表情は、いつになく険しい。
「我が軍の斥候二名が消息を絶った。
彼らは川の北岸にある『白樺の見張り所』で敵軍の動向を監視する任務に就いていたのだが……
定時連絡が途絶えてから、既に丸一日が経過している」
「二名も、ですか……?」
茜が不安げに問い返すと、リクスートは重々しく頷いた。
「ああ。あの一帯は白樺の木立が密集しており、
土地の者にしか分からぬような隠し見張り所になっている。そこが露見したか、あるいは……」
司令官は言葉を切り、拳を握りしめた。
「現在、ガルバ帝国軍は軍勢を分散させ、
このケイヌーキを近隣の都市から孤立させようと画策している。
もし見張り所が敵の手に落ちていれば、我々は北西の動きを完全に封じられる事になる。
二人の安否を確認し、可能であれば救出してほしい。
最悪の場合でも、彼らが掴んでいたはずの偵察記録だけは持ち帰ってもらいたいのだ」
トーマが地図を覗き込み、距離を計算する。
「ケイヌーキから北西に30km……。急いでも到着までに時間はかかりますが、
放置すれば敵の包囲網が完成してしまうという事ですね」
「その通りだ。他ならぬ君達に頼むのは、これがただの行方不明ではないと考えているからだ。
……戦火は刻一刻と近づいている」
「分かりました。すぐに向かいます!」
茜の決然とした言葉に、リクスートは短く「頼む」と応じた。
一行は必要な装備を整えると、霧雨に煙るケイヌーキの門を抜け、
白樺の木立が待つ北西の空の下へと駆け出した。
白樺の白い幹が霧の中に延々と続く光景は、
どこか幻想的でありながら、同時に底知れぬ不気味さを漂わせていた。
リクスート司令官の命を受け、茜達は行方不明となった二人の斥候を追って、
この広大な木立へと足を踏み入れていた。
「……おかしいですね。見張っている場所はこの辺りだと聞いていたのですが」
茜が周囲を見渡しながら不安げに呟く。
湿った落ち葉を踏みしめる音だけが、森の静寂に響く。
探索を始めてから、すでに三時間が経過していた。
「焦るな、アカネ。敵も愚かではない。簡単に見つかるような場所に拠点は作らぬよ」
モリスがロングソードの柄に手をかけたまま、低く鋭い声で窘める。
その直後、先頭を行くリリーベルが、ぴたりと足を止めた。
リリーベルの鋭い鼻が、風に乗ってきた微かな異変を捉える。
「……鉄の臭い。それに、汚い体臭がする」
リリーベルの先導で茂みを掻き分けた先、
視界が開けた場所で、茜達は言葉を失う惨状を目の当たりにした。
野営地の中央、一本の太い木に、一人の男が残酷な手つきで縛りつけられていた。
ケイヌーキの制服は血と泥で汚れ、その顔は苦痛に歪んでいる。
二体の帝国兵が、まるで見世物でも楽しむかのように、
笑いながら槍の先で男の脇腹をなぶっていた。
「……ひっ、あ、あああ……っ!」
斥候の喉から、掠れた悲鳴が漏れる。
そのすぐ傍らには、もう一人の斥候が横たわっていた。
だが、彼は二度と声を上げる事はない。
その体は既に冷たくなり、物言わぬ骸となって地面を赤く染めていた。
「なんて事を……! 丸腰の相手に、こんな……!」
茜が激しい怒りに肩を震わせる。
「……救いようのない外道どもめ。成敗してくれる!」
モリスが抜き放った刃が、木漏れ日を反射して鋭く光った。
しかし、トーマだけは冷静に、頭上の不自然な枝の揺れに目を凝らした。
「待て、罠だ! 上に誰か潜んでいるぞ!」
その警告と同時に、上空から殺気を孕んだ影が舞い降りてきた。
「お前の命はない!」
リリーベルが即座に反応した。
狩猟の証をエリート兵に刻み、ショートボウを放つ。
一本の矢が敵の肩を深く貫いた。
反撃に出た帝国兵がトーマを襲い、鋭い刃で彼を切り裂く。
さらに木から飛び降りたエリート兵が、毒を塗ったダガーをトーマの急所に突き立てた。
「うぐっ!」
トーマは激痛に顔を歪めるが、強靭な精神で毒を跳ね除ける。
「若造に手を出すな!」
「cadre sacre!」
モリスがロングソードを豪快に振り抜き、エリート兵の脇腹を裂いた。
茜が聖なる炎を呼び出すが、エリート兵は身を翻してこれをかわす。
残る帝国兵が茜に斬りかかるも、彼女の鎧が硬い金属音を立てて刃を弾き返した。
「敵は近い。ならば、これで!」
リリーベルが弓を落とし、二振りのショートソードを抜いてエリート兵を刺し貫いた。
絶命したエリート兵が最後っ屁に酸の液を撒き散らす。
茜、トーマ、モリスがその飛沫を浴びて苦悶の声を上げるが、
リリーベルだけは華麗に飛んで回避した。
「……cadre sacre!」
茜は酸の痛みに耐えながら聖なる炎を放ち、帝国兵を焼き払った。
その瞬間、帝国兵の体は石へと変わり、不気味なガスを放出して砕け散った。
リリーベルのショートソードが残った帝国兵の急所を的確に捉えた。
致命的な一撃を受け、最後の敵も石化して崩れ去った。
生き残った斥候を救出すると、彼は息も絶え絶えに報告した。
「帝国軍は……軍勢を分散させ、この一帯の共同体を孤立させようとしている。
ケイヌーキを……孤立させるつもりだ」
茜達は斥候を保護し、無事にケイヌーキへ送り届けた。
指導者達はこの貴重な情報に喜び、一人あたり100ゼニーの特別報酬を授与した。
次なる任務は、避難民から報告のあった東の農場の調査だった。
荒らされた農場では、一体の帝国軍兵士が六人の傭兵を訓練していた。
「最後の試験だ。この愚か者どもを片づけて、帝国軍での地位を勝ち取れ!」
兵士の命令を受け、傭兵たちが一斉にモリスへ襲いかかる。
数に押されたモリスは数ヶ所の傷を負うが、
その隙にリリーベルがショートボウで帝国軍兵士の眉間を射抜いた。
指揮官を失った傭兵達は、恐怖に駆られて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
兵士の遺体からは200ゼニーと、
邪神ルネブリエの印が刻まれた黒いチェイン・メイルが見つかった。
さらに、不穏な書簡も見つかった。
『ハイマスターは、力のないならず者ではなく兵士をお求めだ。
相応しくない者は処分せよ。これすなわち邪神の御意思なり』
茜達は戦利品を山分けし、それぞれ50ゼニーを手に入れた。
数日後、サバズーツク境界付近で旅人が襲われたとの報が届く。
東へ30km、道が川と交差する場所で茜たちが目にしたのは、
横倒しになった二台の無惨な荷馬車だった。
「……酷い。どうしてこんな酷い事が」
茜が悲痛な声を上げると、モリスが低い声で応じた。
「略奪の跡ではないな。ただの殺戮じゃ。……許しがたい」
「待て、敵の跡が見つかったぞ」
リリーベルが地面に残された鉤爪の跡を発見し、南の森へと一行を導く。
そこには帝国魔導師が率いる野営地があった。
「この地を荒らした不届き者には成敗いたす!」
モリスがロングソードを抜き放ち、戦闘の火蓋を切った。
「ラ・トニト・ラ・ロタ・デ・ニイス・ド・カリ!」
リリーベルと茜が魔導師に攻撃を集中させるが、
魔導師は不気味な呪文を唱え、茜とトーマの足元に雲を呼び出した。
吐き気を催す黄色のガスが視界を遮る。
しかし、リリーベルの放った矢が魔導師の心臓を貫いた。
魔導師の体は瞬く間に縮み、爆発して消滅した。
残された帝国兵達は集団でモリスに斬りかかる。
モリスは何度も石化ガスを浴び、体が徐々に重く硬くなっていく感覚に襲われた。
「うおぉぉ! まだ動けるわい!」
「ラ・イグニ・ラ・オシ・デ・ポク・ド・イグニ!」
モリスは不屈の精神で石化の呪縛を跳ね除け、
トーマの放つ五本の火炎光線が帝国兵の群れを焼き尽くした。
激しい消耗戦が続いたが、茜の聖なる炎とリリーベルの精密射撃、
そしてトーマの冷気魔法が最後の一人までを石像へと変えて粉砕した。
戦いの後、奪われた120ゼニーと60日分の保存食、そして漂う光の水晶を回収した。
水晶は魔法に詳しいトーマが預かる事になった。
街へ戻る途中、茜達は疲弊した小規模な部隊と遭遇した。
「……ネシリワドさん!」
それは、ルラーメで別れた岩の傭兵部隊の生き残りだった。
傭兵団のうち、無事に敗走できたのはネシリワドと数名の兵士だけだという。
「アカネ、君達が生きていてくれて嬉しいよ。街で仕事を見つけたいんだ。司令官に紹介してくれないか?」
茜は快く了承し、彼女達をケイヌーキへと導いた。
休息の間もなく、ラスクが新たな急報を持ってきた。
南東36kmにあるラトゥア前哨基地が帝国軍に占拠されたという。
指揮を執るのは、あのイコザだ。
しかし、彼女の部隊は経験不足だった。
「リリーベル、君の出番だ。警報を鳴らさずに門を開けてほしい」
イコザの提案に、リリーベルは自信満々に頷いた。
「任せてくれ。潜入なら私の得意分野だ」
草地の中にずっしりと構える石造りの砦、ラトゥア。
リリーベルはギリギリだったが、正確に敵兵の数を20名と見積もった。
モリスが帝国軍の鎧で変装して注意を引き、
その影でリリーベルが猫のように音もなく壁を登った。
中庭では帝国兵達が焚き火を囲んでいたが、彼女の存在に気づく者はいない。
リリーベルは速やかに門の巻き上げ機へ辿り着き、
静かに鉄の帯で補強された重い門を開け放った。
門が開くと同時に、待機していたイコザの部隊が雪崩れ込んだ。
不意を突かれた帝国軍は混乱に陥り、掃討作戦は短時間で完了した。
「見事な働きだった。まずは休んでくれ。勝利の報告は私が書いておこう」
イコザは満足げに笑い、茜達に休息を勧めた。
一帯の脅威は去っていないが、茜達の活躍によって、
ケイヌーキは確実な反撃の足がかりを築きつつあった。
今回の任務に要した時間は、正確に三時間二分であった。
この話のストックも溜めたいのに忙しくて忙しくて……。