茜達の秘密部隊での任務が始まります。
ケイヌーキ城の静寂は、不吉な予兆を孕んでいた。
執務室で副官から告げられた事実は、茜達の胸に冷たい怒りを呼び起こす。
「市議会とミアット太守が攻撃を承認しただと? リクスート司令官の不在を狙ったのか」
モリスが低く唸る。
彼の拳は怒りに震えていた。
「ナルワ卿め……。名声欲しさに軍を死地に追いやるとは」
トーマが忌々しげに吐き捨てる。
リリーベルは何も言わなかったが、その瞳には凍てつくような殺意が宿っている。
彼女の指先は、無意識に腰の短剣の柄をなぞった。
隙さえあれば、あの傲慢な男の喉笛を掻き切ってやりたい。
ラスクからの封書を開封すると、そこには悲痛な叫びが綴られていた。
茜達がケイヌーキを去ると、市議会は帝国軍の部隊が大軍から離脱したという知らせを受けた。
慎重な対応にうんざりしたケイヌーキ指導部は、
ナルワ卿に促され、勝利を掴むためケイヌーキに軍の出陣を要求した。
リクスート司令官が西方へと軍を率いて出陣している間、ミアット太守は攻撃を承認した。
ナルワ卿とその息子が攻撃を指揮し、ラスクは彼らの部下となっている。
彼らは、ケイヌーキの西30マイルにあるシチャレ川の交差点、
パイモン泉付近で帝国軍を待ち伏せする計画を立てている。
「パイモン泉……。急ぎましょう、彼らが全滅する前に」
茜の言葉を合図に、四人は馬を飛ばした。
四人がシチャレ川の交差点に近づくと、立ち上る黒煙と鉄の臭いが風に乗ってくる。
ケイヌーキ軍が待ち伏せしていたはずの場所は、今や地獄と化していた。
圧倒的な数の帝国軍が、壊滅しかけたケイヌーキ兵を蹂躙している。
「退路を確保します! 負傷兵を逃がしてください!」
茜が鞭を構えながら叫ぶ。
インクウォーターの小川を越えてくる負傷兵達の背後に、帝国軍の騎兵が迫る。
リリーベルが風のように地を駆ける。
帝国兵の懐に飛び込むと、流れるような動作でショートソードを二度閃かせた。
一撃が喉元の隙間を深く貫き、鮮血が噴き出す。
「邪魔だ」
冷徹な声と共に、リリーベルは返り血を拭いもしない。
続いてトーマが前進し、倒れかけた帝国兵Bに掌を向ける。
「ド・ハンズ・ラ・カリ・デ・ポク・ド・カリ!」
ルーンの詠唱と共に、緑色の毒ガスを噴射する。
兵士は喉を掻きむしりながら馬から転落し、絶命した。
モリスは帝国兵Aに斬りかかるが、重厚な鎧が火花を散らしてロングソードを弾き返す。
「硬いな!」
反撃の太刀筋をリリーベルが身を翻してかわし、モリスの鎧もまた敵の連撃を寄せ付けない。
後方で茜が聖印を掲げ、帝国兵を凝視する。
「ラ・フェル・ラ・トニト・デ・イス・ド・ポプル!」
不可視の圧力が大気を震わせ、帝国兵の全身を鋼のように硬直させた。
兵士は目を見開いたまま、石像のように動きを止める。
「動けないなら、ただの的だな」
リリーベルが麻痺した帝国兵に肉薄する。
無防備な急所へ二度の刺突を完璧に叩き込み、一瞬で息の根を止めた。
トーマは返す刀で帝国兵へ毒の霧を浴びせる。
「ド・ハンズ・ラ・カリ・デ・ポク・ド・カリ!」
苦悶する敵兵へ、すかさずモリスのロングソードが追い打ちをかける。
刃が鎧の隙間を裂き、肉を削ぐ。
逆上した帝国兵が茜へジャヴェリンを投げつけるが、
彼女の鎧が虚しく音を立ててそれを弾き飛ばした。
「cadre sacre!」
茜が天を指すと、黄金の炎が帝国兵を包み込む。
聖なる光に焼かれ、兵士は泥の中に崩れ落ちた。
そして、リリーベルが影のように背後へ回り込み、その背中にショートソードを突き立てる。
急所を抉る二撃が、敵の戦意を完全に断ち切った。
仕上げはトーマが担い、至近距離から最後の一噴射を浴びせた。
「ド・ハンズ・ラ・カリ・デ・ポク・ド・カリ!」
毒を吸い込んだ帝国兵が糸の切れた人形のように倒れ伏し、周囲に静寂が戻った。
白樺の木立を抜け、パイモン泉のほど近く。
前方から激しい蹄の音が響き、12名の騎兵が砂塵を巻き上げて南下してきた。
彼らの鎧はへこみ、泥と返り血で汚れている。
だが、その中にはっきりと、ブルーメホーデンの優美な装飾鎧を纏ったラスクの姿があった。
彼の背には、相乗りしてしがみつくナルワ卿の姿もある。
ラスクが茜達を見つけると、ラスクは馬を止め、息を切らせて叫んだ。
「アカネ殿! 戻ってくれ、ここはもう危険だ。
ケイヌーキの部隊は帝国軍の圧倒的な増援に遭い、追撃を受けている!」
「そんな……。私達は戦います。後ろにはまだ負傷した兵士達がいるのでしょう?」
茜が武器を構えようとすると、ラスクは激しく首を振った。
「無茶だ! 敵は数百を超えている。
今は一刻も早く東の退却地点へ向かい、負傷者の護衛に力を貸してほしい。
彼らには君達の助けが必要だ!」
ラスクの背後で、ナルワ卿は虚空を見つめたまま、まるで魂が抜けたように呆然としていた。
茜達は渋々、負傷者の護衛に向かうのだった。
9km東の退却地点に辿り着いた後、ラスクは苦渋の表情で惨状を説明した。
「ナルワ卿が、敵の増援に気づかぬまま無謀な攻撃命令を出したのだ。戦況は一瞬で崩壊した。
我々指揮官が撤退を命じて大勢を逃がしたが……小ナルワの部隊が突破された。
彼はもう、生きてはいないだろう」
ナルワ卿は息子の死を知らされ、何も語らずただ震えていた。
幸い帝国軍の追撃は止まり、ラスクは部隊に休息を命じた。
茜達もまた、重苦しい空気の中で束の間の眠りについた。
翌朝、ラスクは茜達に先遣を頼んだ。
「生存者は私がまとめ、西から来るリクスート司令官の軍勢と合流する。
君達は先に街へ入り、太守にこの事態を伝えてくれ」
茜達がケイヌーキの門に辿り着くと、
そこには閉ざされた落とし格子の前で騒ぎ立てる市民の群れがあった。
「頼む、立ち去ってくれ!」
「一体何があったんですか?」
叫ぶ門番から事情を聞くと、
一時間ほど前にブルーメホーデン騎士団を名乗る一行が街に入り、城へ向かったという。
「騎士団……? ブルーメホーデンが、何故今になって?」
モリスが不審げに問いかけると、街の男が怯えたように答えた。
「先導していたのはリヴィウスという男だ。だが、見たんだ……。
彼らの鎧は酷く変色し、まるで墓の中から掘り出したような煤と錆にまみれていた。
今の騎士様は、あんな汚れたものを着るのかい?」
「いえ」
門番は茜達の顔を知っており、即座に入城を許可した。
茜達は胸騒ぎを覚えながら、静まり返ったケイヌーキ城へと急いだ。
中庭には人影がほとんどなく、回廊の傍に重装備の騎士が二名、彫像のように立っていた。
掲げられた旗には薔薇の紋章が鮮やかに描かれている。
しかし、リリーベルはその鎧の継ぎ目にこびりついた灰と、不自然な沈黙を見逃さなかった。
「……死んでいる。この人達は、生きていない」
茜達が大会議場に足を踏み入れると、そこには地獄が広がっていた。
扉の前の衛兵は死体となって折り重なり、テーブルの上には血まみれの議員達が伏している。
そして上座では、太守ネヨシ・ズックミーゴが自らの椅子に串刺しにされ、
その胸からは一本のロングソードが貫通していた。
「なんて酷い事を……!」
茜が絶句する中、太守の隣に座っていた男が、大仰に立ち上がった。
「ごきげんよう、友人達! 私こそは騎士リヴィウス。
あらゆる虚飾と髭用ワックスを携えた本物の英雄が、今まさに来るところだ。
……おっと、君たちはここの連中よりも上手に感情を抑えてくれよ?」
リヴィウスは冷笑を浮かべ、足をテーブルに乗せた。
「騎士……? お主、それでも騎士か!」
モリスの激昂を柳に風と受け流し、リヴィウスはお喋りを続けた。
「実際には騎士団など来ないさ。だがそう言えば門を開けてくれる。
私は帝国軍には仕えていない。
私の主……カーラン卿こそが、さらに大いなる力に仕えているのだ。
主は今、カビ臭い旧友との用事を済ませに地下へ行っているよ」
リリーベルが耐えかねて矢を放つと、リヴィウスは霧のように逃げ出した。
その直後、誰もいなかったはずの部屋の隅から、歌手のリーダラが現れた。
「急いで」
エルフの女性は青ざめた顔で粉々に砕けた扉を指差した。
「城の地下には、あの昔の騎士が手にしてはならない秘密が隠されているわ」
リーダラが忽然と姿を消した後、茜達は紫色の光が漏れる隠し通路を発見した。
砕けたレンガの向こうには、地下墓地へと続く急な階段が伸びていた。
ここはかつて、ブルーメホーデンの騎士達が聖なる使命を終えて眠る神殿だった。
特に深く葬られているのは、古の騎士アノズ・スクロード。
彼は“大変動”の数年前、空中都市を地上へ戻すという使命を帯び、
そこでゴールド・ドラゴンを殺した人物だった。
ドラゴンの血を浴びて錆び果てたデルブレウの鉾と共に眠る彼の墓所は、
今、最悪の男によって暴かれようとしていた。
階段を下りる茜達の脳裏に、かつてこの地を統治し、愛に狂い、
神々を裏切ってデス・ナイトへと堕ちたゼイン・カーランの不吉な伝説がよぎる。
紫色の光がパチパチと爆ぜる音と共に、地下墓地の冷気が一行を包み込む。
茜達は、呪われた歴史の決着をつけるべく、暗がりの奥へと足を踏み入れた。
次回は墓地探索となります。