重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話   作:かめっくす

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古本と誕生日

 お昼時だったこともあり、喫茶店で昼食を食べることにした。

 俺はナポリタンを注文し、瑠衣さんはモンブラントーストを注文した。トーストの上にたっぷりのモンブランが掛けられている。

 見ているだけで胸焼けしそうだ。

 モンブラントーストを食べ終えると、瑠衣さんはタバコの箱を取り出す。この喫茶店は喫煙可能だった。俺に断ってから、火を点ける。

 

「タバコって、そんなに美味しいんですか?」

 

 ふと気になって、バカみたいな質問をする。

 

「試しに吸ってみますか?」

「いや俺、未成年ですから」

「結斗くんは今、いくつなんでしたっけ」

「先月で十七になりました」

「それはそれは。おめでとうございます」

「どうも」

「盛大にお祝いしましたか?」

「特には。気づいたらぬるっと過ぎてました」と俺は言う。「誰かから祝って貰うようなこともありませんでしたし」

「この時期が誕生日の人は、お祝いされづらいかもしれませんね。新学期になってまだ日も浅いですし」

「瑠衣さんはいつなんですか? 誕生日」

「十二月です。葉月なのに」

「八月がよかったですか」

「うーん。どうでしょう。葉月で八月生まれだとちょっとあざとすぎる気もします。両親がその月を狙って仕込んだ感が出ませんか?」

「考えすぎのような。でも瑠衣さんは夏より、冬の誕生日の方が合ってますよ」

「不健康そうだから?」

「実際、不健康でしょう。ばかすかタバコ吸って、酒も飲んで、昼にモンブラントーストを食べてるんだから。健康的なわけがない」

「ふふ。耳が痛いです」

 

 瑠衣さんはまるで耳が痛くなさそうに言う。

 

「でも、じゃあ、あと三年ですね」

「え?」

「結斗くんがタバコを吸えるようになるまで」

 

 瑠衣さんは短くなったタバコを灰皿に押しつけると、頬杖をつき、ふっと微笑みかけてくる。俺よりもいくつか大人びた表情で。

 

「二十歳になったら、アパートのベランダでいっしょにタバコを吸いましょう。私が結斗くんにタバコの味を教えてあげます」

「それは」と俺は一瞬言葉を詰まらせた後に言った。「楽しみですね」

「でしょう?」

「でも、三年後もまだあのボロアパートにいるつもりですか?」

「ダメですか?」

「そういうわけじゃないですけど。俺にどうこう言う権利はないし」

「まあでも、地震でも起こったら倒壊しちゃうかもですね」

「その前に瑠衣さんが倒れてる可能性もありますし」

「なら、健康に気を遣わないといけませんね」

 

 そう言いながらも、瑠衣さんは何食わぬ顔で次のタバコに火をつける。煙を吸うと、気怠げな薄笑みと共に吐き出す。

 喫煙は間違いなく身体に悪い。健康のことを考えるのなら、即刻止めるべきだ。でも俺は止めてほしいとは思わなかった。

 瑠衣さんがタバコを吸う時の退廃的な雰囲気。白く細い指。物憂げな表情。それら全ての所作に心を奪われているのだから。

 

 喫茶店を出ると、しばらくあてもなくぶらぶらと歩いた。

 目的地のない、知らない街の散歩。

 どこかに着いてもいいし、着かなくてもいい。ただ無為に過ぎていくだけの時間が心地よかった。

 

 やがて一軒の店の前で瑠衣さんは足を止めた。小さな古書店だった。

 外に出されたワゴンの中には一冊十円で古い小説が売られていて、狭い店内を埋める棚にはびっしりと古本が陳列されていた。

 

 どちらともなく古書店に吸い寄せられていた。

 

 出先に本屋があれば、とりあえず入ってみる。俺がそうであるように、瑠衣さんもまた同じ習性を持っているのかもしれなかった。

 

 投げ売りされたワゴンの中の古本を物色し、店内にも足を踏み入れる。

 奥に座っていた店主のお爺さんが、こちらに一瞥を寄越す。が、すぐに興味を失ったかのように老眼鏡をかけ直すと、手元の新聞に視線を戻した。

 

「私、古本屋さんが好きなんです」

 

 棚から取り出した古本を手に取りながら、瑠衣さんが言った。

 

「安く買えるからですか?」

「それもあります。最近出たばかりの本が古本で安く売られてたら、宝物を掘り当てた気分になりますから」

 

 瑠衣さんは子供っぽい口調でそう言うと、

 

「古本を買うと、たまに前の持ち主の痕跡を見つけることがあって。ページに書き込みをしていたり、気に入った文章にマーカーを引いてあったり。そういう時、ああ、この本を楽しんでる人は私以外にもいたんだなって、灯りを見つけたような気分になるんです」

「瑠衣さんも書き込みするんですか?」

「付箋を貼る時はたまにありますけど、書き込みはしないですね。でも、ミステリ小説に書き込みをして古本に流したい欲はあります」

「犯人の名前にマーカーを引いて、ネタバレをするとかですか」

「いえ。犯人じゃない人に犯人だって書き込みをしておくんです。そうすると犯人はこの人なんだって先入観に囚われて読み進めることになりますよね。種明かしをされた時、とてもびっくりすると思うんです」

 

 愉しそうにそう語る瑠衣さんに、俺は思わず笑ってしまう。

 

「いい性格してますね」

「よく言われます」

 

 普段は大人っぽいのに、時々、びっくりするくらい茶目っ気のあることを言う。まるで掴みどころがない人だと思う。

 

「でも、それだと読んだ人の反応は見れなくないですか?」

「確かに。じゃあ、友達とか知り合いに渡さないとですね」

「読み終わった後、関係がこじれそうですけど」

 

 その後、俺たちはそれぞれ店内を見て回った。

 古本の独特の匂いがする。嫌いじゃない。

 ふと棚から視線を外すと、瑠衣さんはレジの前にいた。何か買っている。気になったので店を出た後に尋ねてみた。

 

「この小説は、私が一番好きな作品なんです」

 

 瑠衣さんは買った古本を胸元に掲げる。

 知らない作品だった。

 

「中学生の頃に初めて読んで、それから何度も読み返してます。私は基本、読み終えた本を読み返すことはないんですけど、この本だけは文章を諳んじることができるくらい読み返していて。今のアパートに引っ越す時にも持ってきました」

「思い入れがある作品なんですね」と言った後、尋ねた。「でも、もう持ってるならどうしてまた買ったんですか?」

「それは後のお楽しみです」

 

 瑠衣さんはもったいぶるように、口元に指を当てて微笑む。

 その答えが分かったのはアパートに帰った後だった。二階の廊下、部屋の前で別れようとしたところで呼び止められた。

 

 少し待っているように言われ、廊下で待つこと数分。自分の部屋から出てきた瑠衣さんは俺に一冊の本を差し出してきた。

 

「はい、どうぞ」

 

 それはさっき見せてくれたのと同じ小説だった。

 でも、古本屋で買ったものじゃない。

 瑠衣さんが元々持っていたものだと分かった。

 

「これを俺に?」

「少し遅くなりましたけど、誕生日プレゼントです」

 

 瑠衣さんはにこりと微笑む。

 

「高価なものじゃないですけど。きっと楽しめると思います」

「いえ、そんな。ありがとうございます。嬉しいです」

 

 お世辞じゃなかった。本心だった。

 

「ちなみに書き込みはしてないので、安心してください」と瑠衣さんははにかむ。さっきの話に絡めているのだろう。

 

 その言葉を聞いて心の中で反論する。

 そんなことはない。むしろ書き込みやマーカーがあった方が良かった。

 

 瑠衣さんの考えていることや、思ったこと。お気に入りの文章。書き込みやマーカーを通して彼女の思想や感性に触れたかった。

 

 ほんの少しでもいい。

 瑠衣さんのことをもっと知りたかった。

 

 

 翌日の朝。一日ぶりに学校に登校した。

 

 昨日サボったこともあって、教室に入る時には少し後ろめたかった。入り口の扉と廊下の境目に分厚い膜があるように見えた。

 けれど、気にしているのは俺だけで、教室は何ら変わりなく回っていた。サボったからと咎められることもなければ、心配されることもなかった。授業を受けていない分のツケもすぐに返すことができた。一回サボったくらいでは、大して進まない。

 

 昼休み。購買でカツサンドを買ってから、特別棟の裏手に向かう。細くて狭い、周囲に雑草の繁茂した人気のない場所。

 果たしてそこには先客がいた。小春先生だった。

 

「はあ~~っ……」

 

 校舎の壁に背をつけ、尻を浮かせて座りながら、ため息をついている。

 

「あ、榎木くん。来たんだ」

「他に行くところもないですから」

と俺は小春先生から少し距離を取って座る。

「随分と大きなため息をついてましたけど」

「うん、まあね。社会人だからね。ため息の一つや二つも出るよね」

 

 社会に出るのが嫌になるな、と思った。

 俺はそれ以上の深入りはしないつもりだった。

 けれど、小春先生はちらちらとこちらを物欲しそうに窺い見てきた。

 その目が訴えかけていた。話を聞いて欲しいと。心を読める能力者じゃなくても、十人いれば十人が察知できるほど分かりやすかった。

 仕方がないので、訊くことにした。 

 

「……また他の先生に面倒なことでも押しつけられたんですか」

「あ、聞いてくれる?」

「まあ、聞くだけなら」

「実は今、クラスの子から相談を受けてるんだけどね」

「はい」

「それでちょっと困ってるというか、要するに恋愛相談なんだよね」

「恋愛相談ですか」

「そう。好きになった男子がいるんだけど、どうすれば仲良くなれるか、私のアドバイスが欲しいって言われて。

 せっかく頼ってくれたことだし、ぜひ力になってあげたいからね。あれこれアドバイスをしてあげたんだけど」

「いいじゃないですか」

「問題は、私に恋愛経験がないことなんだよね」

「はあ」と俺は曖昧な相槌を打った。どう反応していいか分からず、何も言っていないのと同じ言葉を口にする。「そうなんですか」

「ないよ。全くもってない。皆無。絶無」

「別にいいんじゃないですか」

「榎木くんがよくても、相談者からするとよくないでしょ。恋愛経験ない人間からのアドバイスなんて机上の空論でしかないし」

「相談者の生徒は知ってるんですか」

「何を?」

「小春先生が恋愛経験ないってこと」

「知らない」と小春先生は言った。「むしろ、経験豊富だと思われてる」

 

 小春先生は、教室にいる時は明るくて生徒からも人気の先生だ。きっと学生時代も充実していたと思われている。当然人並み、あるいはそれ以上に恋愛経験もあると認識されるのは自然なことだろう。

 

「じゃあ、正直に言えばいいんじゃないですか」

「いやいや。二十四歳にもなって恋愛経験がないなんてことがバレたら、クラスの陽キャの子たちに下に見られちゃうじゃん」

「見られますかね」

「見られるよ。きっと」

「案外、うぶで可愛いって好評かもしれませんよ」

「女子が女子に言う可愛いの言葉は、自分より格下認定した相手にしか言わないから」と偏見強めな持論を展開してくる。

 

「先生ってのはね、生徒に舐められたらおしまいなんだよ。円滑にクラスを運営するためには経験豊富の陽キャと思われてた方がいいの」

 

 それは以前にも口にしていた。

 小春先生の中では確信があることなのだろう。

 

「でも、恋愛経験がないくせに経験豊富みたいなフリしてアドバイスするのは、その子を騙してるみたいで罪悪感があるというか」

「その心労でため息をついてたわけですか」と俺は言った。「というか、みたいじゃなくて騙してますよね。実際」

「う……。言っとくけど、罪悪感があるだけで、アドバイスは有用だから。前に相談してくれた子は、意中の相手とちゃんと付き合えたし」

「だったらいいじゃないですか」

「でも報告受けた時、ちょっともやっとしちゃったんだよね。あ、この子、もう私よりも先に進んじゃってるじゃんって。

 で、今度はキスってどのタイミングですればいいんですかとか聞かれて。いや、一回もしたことないっての。こっちはそれ以前の段階だっつーの」

 

 やさぐれる小春先生。生徒たちがこの光景を見たらどう思うのだろう。ふとそんなことを考えていると不意に矛先が向いた。

 

「榎木くんはある? 誰かとキスしたこと」

「……それ答える必要あります?」

「いいじゃん。私は赤裸々に晒したんだし。教えてよ」

「自分から勝手に脱ぎ出しただけのような」

「あ、言っとくけど、幼少期に両親からはカウントしないからね。物心ついてから中学に入学して以降で」

「……はあ」

「で、どうなの? あるの? ないよね? 榎木くんはないって答えて、私のことを安心させてくれるよね?」

 

 ないの言葉をカツアゲしようとしてくる。

 記憶の泉に石が投げ込まれる。脳裏に浮かび上がる。あの日の夜、酔った瑠衣さんが俺の口の中に舌を入れてきた時のこと。

 

「いや、まあ、そうですね」

「え、何その反応。ウソ。もしかしてあるの?」

 

 小春先生は俺の微妙な反応を捉えた。

 

「うわあ。あるんだ。ていうか、いつ? 誰と? どこで? バイト先とか?」と矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。

「話しませんよ、そんなこと。そもそもあるって言ってませんし」

 

 俺がそう逃れようとすると、

 

「ふっざけんなよぉ~。今時の高校生進みすぎだろぉ。少子化になっても、やることは皆きっちりやってますってかぁ~?」

 

 やけっぱちになったようにそう吐き捨てた。全然聞いてない。

 

「小春先生、お酒飲んでます?」

「飲んでない。素面。休みの日も十五時になるまでは飲まないって決めてる」

「結構早めから飲み始めるんですね」

 

 夕方までは待った方がいいと思った。

 教師の仕事のストレスの大きさを感じずにはいられない。

 

「そういえば、榎木くん、なんで昨日休んでたの?」

「……急ですね」

「最初に訊かれるの、嫌かなと思ったから」

「ちょっと体調が優れなくて」

「そうなんだ。だとしても、欠席の連絡くらいは入れてよ」

「すみません」

「一人暮らしなんだっけ?」

「はい」

「だったら、余計にだよ。無断欠席だと、色々と心配するから。もしかして倒れてるんじゃないかとか」

「次からは気をつけます」

「ん。分かればよし」と小春先生は矛先を収めてくれる。「授業は? 休んだ分、置いていかれたりしてない?」

「大丈夫です。今のところは」

「ま、榎木くん、成績は良い方だもんね」

 

 小春先生はそう言うと、俺のズボンのポケットから覗いていた文庫本に目を留めた。

 

「ところでその本は?」

「小春先生がいなかったら、ここで読もうと思って」

「休み時間もずっと読んでたよね」

「まあ、はい。でもよく見てますね」

「担任だからね」とおどけたように小春先生が言う。「結構年季が入ってるというか、読み込んだ形跡があるけど。何回も読み返してるの?」

「人に貰ったものなんです」

「ふうん。面白い?」

「面白い、んですかね」

「何その曖昧な反応。つまんないの?」

「そういうわけじゃないですけど」と俺は言う。「面白いとかつまらないとか、あんまり考えて読んでなかったというか」

「でも、大切なものではあるわけだ」

「え?」

「その本を読んでる時の君の顔を見て、何となくそう思った」

 

 虚を突かれて、思わず小春先生の方を見やる。

 虚空を見ていたはずの小春先生はこちらに視線を向けると、「違った?」と膝の上に頬杖をつきながら俺からの答え合わせを待っていた。

 

 本当によく見ている。嫌になるくらいに。

 

「……まあ、そうですね」

 

 自分でも言語化できてなかったものを、言語化された気分だった。

 俺にとってこの本は面白いとかつまらないとか、そういう尺度のものじゃない。たとえつまらないものだろうと、その価値は揺らがない。

 

 この本は小春先生の言うように、大切なものだから。

 瑠衣さんが一番好きで、何度も読み返したものだから。

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