重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話 作:かめっくす
スマホの画面は午後四時過ぎを表示している。
カフェを出た俺たちは、キャンパス内を歩いていた。すでに五限目の講義が始まっていることもあってか、構内は落ち着いている。
「せっかくですし、大学の中を案内しましょうか」と瑠衣さんが言い出した。社会科見学にもなるでしょうしと。
瑠衣さんに先導され、大学内を見て回る。購買部や図書館、喫煙所にカフェ。各種設備が充実していた。改めて高校とはまるで別世界だ。
「ここは部活やサークル活動を行う場所ですね」
敷地の端にある建物。その前に来ると瑠衣さんが説明してくれた。
「そういえば、瑠衣さんは何か入ってるんですか。部活とかサークル」
「気になりますか?」
「まあ、気にならないと言えばウソになります」
「最初、ちょっとだけ映画研究部に顔を出してたことがあります」
「過去形ってことは、今は参加してないんですか」
「そういうことになりますね。これと言って何かあったわけじゃないんですけど。もう顔を出す理由がなくなったというか。ある時、気づいたんです」
「気づいた? 何にですか?」
「ここに映画が本当に好きな人はいないんだなって」
そう語る瑠衣さんの瞳は、寂しそうだった。
映画研究部を謳うくらいだから、皆、それなりに映画を見ているだろう。十人に聞けば十人が映画好きと答えるに違いない。
でも瑠衣さんの目にはそうは映らなかった。
見ている本数だろうか。それとも知識だろうか。分からない。いずれにしても瑠衣さんの足は遠のくことになった。
一通り施設を巡り終えると、文芸学部の校舎に足を踏み入れる。講義の行われていない空き教室の扉を開けた。
誰もいない教室内は薄暗く、ほのかに肌寒い。
瑠衣さんは扉の傍のスイッチを押し、明かりを点けた。
「ここが文芸学部の講義が行われる場所です。広いでしょう?」
開けた教室には、すり鉢状に席が配置されていた。
いかにも大学の講義室って感じだ。
「瑠衣さんは普段、この教室で授業を受けてるんですね」
「ここだけとは限りませんけど。だいたいは。ちなみに高校と違って、席は自由です」
「それはいいですね」
「ではここで問題です」と瑠衣さんは口元に人差し指を宛がう。「普段、私はどの辺りの席に座っているでしょう?」
「席、自由なんですよね?」
「だいたいの生徒は、毎回同じような位置に座っています。私もその一人です。前か中央か後ろの席か。どこだと想います?」
「……後ろから二番目辺りの席ですかね」
「その心は?」
「講義をサボるような人間は、前の方の席には座らないでしょ。かと言って一番後ろの席は座るのに抵抗があるはず」
「それで後ろから二番目の席だと」
「教室からも退室しやすいですし」
「ふむふむ」
「正解は?」
「ざんねん。外れです。正解は前の席でした」
「……それは意外でした」
前の席だけはないと思っていた。でも、考えてみればここは大学だ。自分の興味のある講義を受けられる。
「授業、そんなに面白いんですか」
「そういうわけでもありませんけど」と瑠衣さんは言う。「後ろの席だと周りの人たちの話し声が聞こえてくることが多くて」
「話し声、ですか」
「そこまで騒がしいものじゃないですよ。離れた席だと聞こえませんし。教授もいちいち注意したりはしません。
でもまあ、後ろの席に座ってると、ぼそぼそと聞こえてくるんです。否が応でもどんな話をしてるのかも分かります。
つまらない講義と、つまらない私語。どちらがよりつまらないかを天秤にかけて、前の席で講義を受けることにしたんです」
「いるんですね、この学部にも。そういう人が」と俺は言った。「勉強して、良い大学に入ったとしても。やっぱりいるんですね」
「どこにでもいると思いますよ。たとえ東大に入ったとしても。卒業して、どんなに良い会社に就職したとしても。頭の良さとそういうのは、関係ありませんから」
それを聞いて思い出す。
酒袋のことを。これまでに出会ってきた同じような連中のことを。
しばらく滞在した後、電気を消して空き教室から出た。
スマホの時刻表示を見る。もうすぐ講義の終わる時間になる。キャンパス内が人混みで溢れかえる前に退散しようと歩いていた時だ。
「お、瑠衣さんじゃないすか」
無遠慮に声を掛けてくる男がいた。
服装には見覚えがなかったが、その顔には見覚えがあった。
酒袋だった。
☆
そういえば、と思い出す。ここは経済学部の校舎のあるキャンパスだ。アパートへの近道を選んだのが仇になった。
「キャンパス内で会うことあるんすね。いつも喫煙所にいるから、てっきり喫煙所の妖精なのかと思ってましたよ」
「えーっと……」
「あ、さては俺の名前、ど忘れしてます? 酷いなー。櫻田っすよ、櫻田。こんな稀代のイケメンを忘れるなんて」
酒袋は軽快に笑うと、そこでようやく俺の存在に気づいた。気づいた瞬間、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「つーか、え? なに? なんでエノっちがいっしょにいるわけ?」
「お隣さんなんです。アパートの」
瑠衣さんが俺のことをそう紹介する。
「あー。エノっち、一人暮らしなんだっけか」
「……そうですけど」
「ははーん。さてはお前、瑠衣さんの住所を突き止めて隣に越したな? ストーカー行為は犯罪だって知ってるか?」
「そんなことはしてないです」
「バカ。冗談に決まってるだろ。ノリだよ、ノリ。お前がマジになったら、俺がスベったみたいになるだろうが」
酒袋はそう言うと、俺の傍にやってきて背中を叩く。そして瑠衣さんの方を向き、笑みを浮かべながら続けた。
「瑠衣さんすみません。こいつ、つまんない奴で」
「いえ」
「こいつ、バイトの時もミスばっかで、いつも俺がフォローしてるんすよ。この前なんかとんでもないやらかしをして――」
酒袋は得意げに俺のバイトの失敗談を話し始める。いかに俺が仕事できないか。それをいかに酒袋がフォローしてきたか。
後者は嘘だが、前者は嘘じゃなかった。俺は仕事ができる方じゃなかった。よくミスをしてはお客さんや同僚に呆れられていた。
だからこそ、瑠衣さんには知られたくなかった。この人の前でだけは、惨めな自分の姿を隠していたかった。
止めてくれ。 もうそれ以上、喋らないでくれ。
酒袋が笑いながら俺の話をし続けるのを、その場に立ち尽くして聞いていた。話が続く度に自分が削られていくように思えた。
瑠衣さんの顔を見ることができなかった。
「そういや、夏になったらインターンがありますけど。瑠衣さん三回生ですよね? どこに行くのか決めてるんすか?」
ようやく満足したのか、酒袋がそこで話題を切り替えた。
「いえ。今のところはまだ」
「マジすか。俺は二回生ですけど、インターン行きますよ。企業名は――」と酒袋がその後に出した希望の会社名はその業界ではトップの会社らしかった。
俺が詳しかったわけじゃない。酒袋が自らそう語ったからだ。
「先輩がいるから、紹介して貰えるんですよ。俺、顔広いから」
それからも酒袋は勢いよく話し続けた。
色々と手を替え品を替え、婉曲的な言い回しをしていたが、とどのつまり彼が言いたいことはいつも一つだけだ。いかに自分は優秀なのかということ。
実際、酒袋は優秀だった。
バイト先では店長の信頼を得ているし、インターン先も業界トップの企業。毎日飲み会に精を出してはいるが、単位も落としていない。
たぶん、就職活動もそつなくこなすのだろう。
就職活動に限らず、人生も。
酒袋の持って生まれた性格は、能力は、この世界で生きるのに適している。社会の上層を目指すことのできる素質がある。
少なくとも俺よりはずっと。
話題が切り替わったことでようやく、瑠衣さんの表情を窺い見ることができた。
瑠衣さんの目は、喫煙所で見たものと同じだった。無機質で、醒めていた。表面上は一応繕っていたけれど、俺には分かった。
酒袋はそのことに気づいていない。気づかずにずっと話し続けている。
ふと思う。
喫煙所での瑠衣さんの醒めた冷たい目を見て、俺は珍しいなと感じた。普段は見ることのない目をしていると。でも、そうじゃなかったのかもしれない。
本来の彼女の目は、こっちの方だった。
「あの、そろそろ良いですか?」
やがて、痺れを切らしたように瑠衣さんが切り出した。
「おっと。長々とすみません。あ、そうだ。週末にパーティーがあるんですけどよかったら遊びに来ません? さっき言ってた先輩も来るんで、紹介しますよ。瑠衣さんなら絶対気に入られると思います」
「いえ。遠慮しておきます」
瑠衣さんは誘いを断ると、俺に視線を向ける。
「結斗くん。帰りましょうか」
酒袋をその場に残して、瑠衣さんは歩きだそうとする。
俺は後を追う。
すると、その時だった。
瑠衣さんは歩きだそうとして、ふと、何かを思い出したように足を止めた。
振り返る。
「櫻田さん、でしたっけ?」
「は、はい!」
「一つ勘違いしてるみたいだから、教えておきますけど」
振り返った瑠衣さんは、微笑みを浮かべていた。夜風のように柔らかく、三日月のように冴え冴えと冷たい。そんな表情で。酒袋に向かって告げた。
「結斗くんは面白い人ですよ。少なくとも、あなたよりはずっと」
「え」
「それでは、さようなら」
面食らった顔の酒袋を置き去りにして、瑠衣さんは今度こそ踵を返して歩き出す。酒袋が後を追ってくることはなかった。
門を通り抜けると、大学の敷地を後にする。
しばらく歩きながら、俺は空気を変えるために自分から何か口にしようとして、結局は出来なかった。
言葉を発した瞬間、堪えきれなくなるような気がした。
瑠衣さんの前で、酒袋に踏み台にされたことも。瑠衣さんに庇われたことも。何もかもが堪らなかった。そんな俺の心中を察してだろうか。
「面白かったですよ、結斗くんの失敗談」
長く沈黙が続いた後、ふいに言葉が降ってきた。瑠衣さんだった。
「……正直、知られたくなかったです」
「私の接客の時は普通でしたよね?」
「瑠衣さんはいつもタバコ一箱だけですから」
それはさすがに失敗のしようがない。
「でも、私としては安心しました」
「安心?」
「結斗くんは学校でも、バイト先でも浮いてることが分かって」
「別にすすんでそうしてるわけじゃないですよ」
「そうなんですか?」
「一応、馴染もうとは努力するんです。挨拶したり、話しかけられたら返事をしたり。最初の方はそれなりにやっていけます。でも時間が経つごとにボロが出てきて、バイト先だと仕事もできないし、気がついたら群れから孤立してる」
今までもずっとそうだった。
小学生の頃も、中学生の頃も、高校生になった今も。そしてバイト先でも。最初は良くてもいつの間にか腫れ物になっていた。
擬態しようとしても、時間が経てばバレてしまう。
「世の中の皆は、上手く自分の色を周りに合わせられる。カメレオンみたいに。俺も同じようにしようとするけど、出来ない。俺だけがずっと、違う色をしてる。でもそれは綺麗な色なんかじゃなくて。きっと不気味な色をしてるんです」
だから、見抜かれる。見抜かれて、距離を置かれる。自分たちの仲間じゃないと。同じ種族ではないのだと。
「結斗くんは皆と同じ色になりたいんですか?」
「昔はそう思ってました。でも、今はもうなくなりました。なれないだろうし、なったとしてもしんどいだけだろうから」
「ふふ。正直ですね」
「……ダメだと思いますか?」
「さあ、どうでしょう?」
ただ、と瑠衣さんは言った。
「私としては、結斗くんが不気味な色をしていてくれると、群れの中からすぐに見つけることができて助かります」