重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話 作:かめっくす
暗い水の中に顔を沈めているみたいに息苦しかった。
ホームルームの時間。
教室では二週間後に控えた遠足の話し合いが行われていた。
行き先はクラスごとにそれぞれが主体的に決め、場所が決まったら、現地での行動は班ごとに行われることになっている。
このクラスはとある島に行くことになっていた。
最近観光に力を入れていて、花畑やグルメ、クルーズも楽しめるらしい。
班決めはくじ引きで行われた。
好きなもの同士で組みたいと声を上げる生徒もいたが、普段はあまり関わらない生徒とも話すきっかけになればと小春先生が強行した。
好きな者同士で班を組めば、確実に俺はあぶれていた。
もしかすると、小春先生は俺のために気を回してくれたのかもしれない。そう考えるのは考えすぎだろうか。
俺が入ったのは第三班だった。
クラスの中心の男子が一人に、中間層が三人。そのうちの二人は女子で、一人が男子。あとは地味な男子に俺という計六人の構成だった。
中心の男子は、普段仲の良い連中と班になれなかったことが不服だったのだろう。小春先生に対する不満を口にしていた。
そして早々に仲の良い連中のいる班の方に話しに行った。
残された班の面々は困惑していた。
いずれにしても、俺の境遇は変わらない。どの班に入ろうと友達はいない。居心地の悪さは変わらないのだから。
「どうしよっか……?」
「とりあえず、私たちだけで話し合うしかないね」
中間層の女子たちを中心にして、話し合いが行われることに。
行き先の候補を挙げ、それぞれの希望を出し合う。
「榎木くんは行きたいところある?」
気を遣ってか、司会の女子は俺に対しても話を振ってくれる。
実際、ここに行きたいという希望は特になかった。でも、どこでもいいと答えるのは投げやりな態度な気がした。
だから候補の中で適当な場所を答えておいた。
皆の意見を掬い取りつつ、何とか一通りの行き先がまとまる。ようやくトンネルの出口が見えてきたところだった。
「行き先、決まった?」
中心の男子が戻ってきた。仲の良い連中を引き連れながら。
「う、うん。何とか」
「おー。どこ?」
「こんな感じなんだけど」
行き先の書かれた紙を見ると、中心の男子が言った。
「なあ、海にしねえ?」
「え?」
「二班と行き先、合わせんの。そしたらいっしょに行動できるだろ」
海は元々の予定とは違う場所だった。
二班は中心の男子の仲のいい連中が多く在籍している。
気づいたのだろう。行き先を合わせれば、いっしょに行動できる。仲の良い連中と共に過ごすことができると。
「その方が絶対楽しいって。な?」
司会の女子も、班の他の面々も互いに顔を見合わせる。声を上げさえしないものの、内心困惑しているのは伝わってきた。
それも当然。行き先はすでに決まっていたのだ。それを後から来て、勝手に変更しようとしているのだから。勝手極まりない。
ただ、誰も反論はしない。クラスの中心の男子が相手だから。波風を立てたら、自分の立場が悪くなるかもしれない。そのまま進もうとした時だった。
「でもさっき、決まったから」
気づいたら、口を開いていた。
「後から来ていきなりちゃぶ台返しするのはナシだろ。それをするなら、最初からちゃんと話し合いに参加しろよ」
別に今の行き先に執着があったわけじゃない。
本当はどこでもいい。それこそ、中心の男子が提案した海でもよかった。
ただ、許せなかった。
後から自分の都合を押しつけておいて、班の皆の意見を踏み躙っても許されると思ってるその面の皮の厚さが。無神経さが。
無邪気にそれを行ってしまえる、邪悪さが。
「うお。いきなり喋った」
中心の男子はおどけたように驚いてみせた。
「榎田くん、喋れたんだな。地蔵か何かかと思ってた」
「ちょっ、地蔵は言い過ぎでしょ」
傍にいた中心の女子が笑いながら言う。
「ていうか、名前、榎田じゃなくて榎木だから。あれ? 榎本だっけ? あたしら、一年の時から同じクラスだったから」
中心の女子が「ねえ?」と俺に同意を求めてくる。同意を求められたけど、俺はそれに反応を返すことはしなかった。
「マジ? 全然覚えてなかったわ」
俺は彼らのことを覚えていた。
島田に瀬戸。
授業中につまらないことを言っては、つまらない連中と笑い合っていた。
「三班は行き先、決まった?」
小春先生が教壇から尋ねてくる。
「海でいいよな?」
中心の男子は班の面々に同意を求める。
班の皆は、その勢いを前に頷くことしかできなかった。
結局、行き先は海に決まった。
「これで決まったね」
黒板に書かれた行き先の一覧を見て、小春先生は言った。
小春先生が話している途中に、中心の男子は何かつまらないことを言った。茶々というか冗談みたいなことを。
つまらないことに、つまらない連中が声を上げて笑っていた。
他の生徒たちも合わせるように笑っていた。あるいは合わせているのではなく、本当に面白いから笑っているのかもしれない。
俺は笑わなかった。面白くないから、笑わなかった。面白くないのに笑ったら、自分の中の何かが死んでしまう。だから、笑わなかった。
「おい、直樹。榎木くん真顔だぞ」
「もしかしてさっきの根に持ってる? ごめんな?」
と中心の男子はわざとらしく謝ってくる。皆の前で粒立てることによって、冗談みたいな雰囲気にしようとしているのか。
俺は応えなかった。
いいよと言うこともなければ、根に持ってないとも言わず、作り笑いを浮かべることもせずにただ無言を貫いていた。
くだらないな、と思った。
つまらないことを言う奴も、それに同調して笑っているつまらない連中も、周りの全員が心底くだらなくて堪らなかった。
俺には皆が、まるで宇宙人のように見えた。
いや、違う。
地球人なのは皆の方で、俺だけが宇宙人なのだろう。
☆
「何かあったんですか?」
夜。厚い雲が月を覆い隠した日のベランダ。
会話の流れが切れたところで、瑠衣さんがふいにそう尋ねてきた。
「……そう見えましたか?」
「はい。私、エスパーですから。全部お見通しなんです」
瑠衣さんはタバコの煙を吹かしながら、冗談めかしたように微笑みを浮かべる。手元の灰皿に短くなったタバコを押しつけると。
「解決はできなくとも、話せば楽になることもありますよ」
「本心は?」
「面白そうだから、話を聞きたいだけです」
「正直すぎる」
思わず苦笑する。でも、心地良い。
「エスパー相手に隠し事はできませんね」と言うと、俺はこの前の班決めの時に起こった出来事について話した。
そして明日が遠足当日なのだということを。
「なるほど。それで憂鬱というわけですね」
「丸一日、苦行が続きますから」
普段の学校の時は、授業中以外は一人でいられる。けれど、明日は班行動。強制的に皆と行動を共にしなければならない。
考えるだけでも、気が重くなる。
「なら、明日は映画を観ませんか?」
「……はい?」
「明日の予報は雨なので、私も大学をお休みする予定だったんです。だから、いっしょに私の部屋で映画を観ましょう」
「遠足をサボるってことですか」
「行きたくなければ、行かなければいい。簡単なことじゃないですか?」と瑠衣さんは名案かのように指を立てながら言う。
それは笑ってしまうくらい簡単なことだった。
でも今の今まで選択肢になかった。いや、実際には思い浮かんではいたけれど、無意識のうちに除外していたのかもしれない。
授業をサボるのはまだしも、校外学習はサボれないと。それをしてしまえば、もう完全にクラスの輪には混ざれないと。
俺は心のどこかでまだ、期待をしていたのかもしれない。
学校に、教室に。あるいは世の中に。
馴染むことはできないって、分かってたはずなのに。
「まあ、考えておいてください」
「……分かりました。考えておきます」
言いながら、内心、もう答えは出ていた。
☆
夜が明けても朝が来たと分からないくらい、雨だった。
カーテンを開ける。
厚い雲が空を覆い隠していた。糸を引くように、銀色の雨が街に降り注ぐ。薄暗い部屋に跳ね返る雨音が聞こえる。
昔から、雨の日が好きだった。閉じている感じが安心した。
俺は着替えて部屋を出ると、隣の部屋のインターホンを鳴らす。少しして、開錠する音と共に扉が開かれた。瑠衣さんが顔を覗かせる。
「おはようございます」
「どうも。今日は早いですね。起きるの」
「雨の日は調子がいいんです」
瑠衣さんはそう言うと、尋ねてくる。
「もう学校には連絡したんですか?」
「さっきしました。熱が出たから休むって」
電話に出たのは他学年の先生だった。
熱が出たから今日は休みます。俺がそう申告すると、あっさり受理された。
授業日ならまだしも、まさか遠足をサボるとは思っていなかったのか。あるいは他学年の生徒の素行には興味がなかったのか。どちらでもいい。
どちらにせよ、俺は今日、遠足をサボった。それは変わらない。
「ふうん。発熱ですか」
瑠衣さんは顎に手を置いて、くすっと笑う。
次の瞬間、伸びてきた彼女の手が、俺の前髪を上げていた。
え、と思った時には、彼女のおでこと俺の額が触れ合っていた。
蠱惑的な瞳と作り物めいた顔立ちが、すぐ傍にあった。
「ふむ。三十八度五分。確かにこれは休まないといけませんね」
瑠衣さんがたっぷりと茶目っ気を含ませながら言う。
もちろん、そんなわけがない。俺は至って健康だった。でも今、体温計で測ったらそれくらいはあるかもしれない。
実際、顔が熱かった。
「さあ、中にどうぞ。珈琲でも入れますよ」
開いた扉から、部屋に招き入れてもらう。
この前は紗希さんといっしょだった。でも今日は違う。完全に二人きりだ。それを意識すると妙に緊張してきた。
「砂糖とミルクはいりますか?」
「なくて大丈夫です」
ブラックで飲みたかった。
少しして、マグカップを両手に持った瑠衣さんがやってくる。
「はい、お待ちどおさまです」
「ありがとうございます」
マグカップを両手で受け取る。黒い液体の水面に、自分の顔が映っている。
「来客用のカップ、ちゃんと用意してたんですね」
「紗希ちゃんに買えって言われたんです。面倒だから買わずにいたら、紗希ちゃんが自分で持ち込んできました」
「じゃあ、これは……」
「ナイショですよ」
瑠衣さんは唇に指を当てた。そして雨音を聞きながら、窓の外に視線を向ける。
「雨だと遠足は中止になるんですか?」
「雨天決行らしいですよ」
でも、海に行くことは叶わなくなるだろう。
クラスメイトを従わせることはできても、自然を従わせることはできない。それを思うと少なからず胸が空く思いがした。
「今日は何の映画を観るんですか?」
「今日はつまらない映画を観ます」
「つまらない映画」
「正確には、世間的にはつまらないとされているけど、私はそこまで悪いものじゃないと思っている映画ですね」
瑠衣さんは「むしろ、結構お気に入りかもしれません」と付け足した後、俺を諭すようにその先を続けた。
「本来なら、結斗くんにとっての今日はゼロ点の一日でしたから。どんな映画を見せたとしてもそれよりはマシかなと」
「そういうことですか」
苦笑が漏れる。
「いいですよ。観ましょう」
受けて立つことにした。
瑠衣さんといっしょに映画を観る。それがどんなに面白くなかったとしても、学校の皆と過ごすよりはずっと良い。
瑠衣さんはテレビの前のプレーヤーにDVDを入れる。
「DVDなんですね」
「サブスクで観られない映画って、結構あるんですよ。そういうのはDVDを探して購入しないと観られないんです」
瑠衣さんは部屋の明かりを消した。
カーテンの閉め切られた部屋は、小さな映画館になる。
テレビが小さいから、画面を観ようと思うと距離が近くなる。
前には炬燵が、背にはベッドの側面が。そして隣には瑠衣さんが。俺たちは互いの肩が触れ合うくらいに身を寄せ合う。
ほのかにタバコの匂いがする。朝、吸ったのだろうか。俺にとって、このタバコの匂いは瑠衣さんの匂いだった。
「知ってますか? カップルは映画を観ながら乳繰り合うそうですよ」
「そうなんですか?」
「キスをしたり、身体をまさぐり合ったりして、盛り上がってきたら途中で映画を観るのをほっぽり出して行為に及ぶらしいです」
「でも、俺たちはカップルじゃないですよね?」
「付き合っていなくても、男女であればそういう雰囲気になり得るかもですよ。ちなみに結斗くんは今の話を聞いてどう思いましたか?」
「映画と本気で向き合えよと思いました」
作品を何かの出汁として利用するな。
「全くです」と瑠衣さんも微笑んだ。そしてリモコンの再生ボタンを押す。
小さなテレビ画面に映像が映し出される。
そこからの百分弱は、まるで永遠のように感じられた。
世間の評判通り、お世辞にも面白いとは思えなかった。
脚本は稚拙だし、俳優の演技も上手いとは言えない。演出も荒いし、キャラの行動原理もよく分からないままに話が進む。
お金を払って映画館で観ていたら、怒り出す人がいてもおかしくない。人によっては最後まで観ずに損切りするのが正解と断じるかもしれない。
俺もそうかもしれない。
けれど、瑠衣さんは違った。
途中でふと表情を覗うと、彼女はテレビの画面を見つめていた。その目は大学の喫煙所で見た醒めたものとは違っていた。
楽しそうに映画を観る瑠衣さんの横顔を見て、良いなと思った。
世間の声や評判に惑わされない。つまらないとされているものの中にも、自分にとっての面白いものを、大切なものを見定めることができる。
瑠衣さんの目には、他の人が見えていないものが見えている。俺はそんな瑠衣さんの瞳に映る景色を見てみたいと思った。
それはいったい、どんな光景なのだろう。
上映が終わると、瑠衣さんが俺に感想を尋ねてくる。
「どうでしたか?」
「正直、面白くなかったです」
俺が素直にそう述べると、瑠衣さんはとても愉しそうにしていた。瑠衣さんが愉しそうにしているのを見ると、俺も愉しかった。
「では、どんどん行きましょう」
その後も次々につまらない映画を観た。
終始退屈で、時間の流れが悠久のようだった。普通なら苦痛に感じるところだけど、俺はそうは思わなかった。このままずっと終わらなければいいと思った。
二本目を見終え、昼食を挟んでから三本目を見る。
それは本当につまらない映画だった。
序盤から中盤、終盤に至るまで完璧なまでに稚拙だった。砂を噛むような、という言葉がこれほど当て嵌まるものもない。
でも、とあるワンシーンが胸を打った。
鬱屈とした主人公が、感情を爆発させて暴れ回るシーンだった。
自分の人生の終わりと引き換えに全てを破壊し尽くそうとするが、その壮絶な覚悟を鼻で笑うかのように、すぐに呆気なく取り押さえられてしまう。
本人としては真剣で、人生のクライマックスだと思ってるのに、映画自体の稚拙さも相まってか外から見るとただつまらなくて、空回りしているだけに映る。
カタルシスも何もない。見る人の大半にとっては、ただ面白くない映画。
でもその空虚さが、やるせなさが、何だか妙に胸に刺さった。たぶん、他の人が見ても同じような気持ちにはならないと思う。
上映が終わると、また瑠衣さんが俺に尋ねてくる。
「どうでしたか?」
「正直、面白くなかったです」
でも、と俺は付け加えた。
「最後のシーンだけは凄く好きでした」
話した。
自分が感動した場面について。
どうして良いと思ったのか。上手く言語化はできなかったかもしれないけれど。
瑠衣さんは俺の感想を聞いて、今までと同じように愉しそうにしていた。でも、今までよりもどこか愉しそうな気がした。喜んでいるように見えた。
その答え合わせはすぐ後に訪れた。
瑠衣さんは膝を抱えながら俺を見つめると、柔らかな微笑みを浮かべる。そして世界の秘密を打ち明けるようにそっと告げた。
「私もそのシーンは凄く好きです」
☆
立て続けに朝から映画を三本見終えた頃には、雨が上がっていた。
映画が終わり、場内に明かりが灯るかのように。窓の外は赤くなっていた。
時刻は十八時半を回っていた。
すでに遠足も終わり、それぞれが帰路についた頃だろう。
さすがに三本も連続して映画を観ると疲れていた。あと、腹も減っていた。瑠衣さんも同じ気持ちだったのかもしれない。
「雨も上がったことですし、どこかに食べに行きましょうか」
「いいですね」
瑠衣さんの提案に乗り、夕食を摂りに出かけることに。
俺たちは財布とスマホを手にすると、部屋を後にする。
玄関の扉を開け、廊下に出た。
先に瑠衣さんが出て、その後に俺が続く形。廊下に出た瑠衣さんに続こうとして、一歩を踏み出そうとしたところでぶつかった。彼女の背中に。
瑠衣さんは立ち止まっていた。そしてどこか一点を見つめている。驚いたような、戸惑ったような横顔だった。
「……瑠衣さん?」
「結斗くんにお客さんみたいですよ」
訝しみながら俺はその後ろから廊下に出ると、瑠衣さんの視線の先を追う。
俺の部屋の前に人が立っていた。
ショートカットの髪に小柄な体格。明るめのブラウンのジャケットにパンツ姿。それは毎日のように教室で見る姿。
でも、教室以外では一度も見たことがない。
「榎木くん?」
そこにいたのは、小春先生だった。