重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話   作:かめっくす

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次回で一区切りとなります。
最後までお付き合いいただけますと幸いです…!


パレード

『今から散歩しに行きませんか』

 

 瑠衣さんからそんな誘いがあったのは、バイト終わりの夜、鬱屈とした気分を醒まそうとベランダに出ようとした時だった。

 

『散歩ですか?』

『お酒を飲みながら、真夜中をいっしょに練り歩くんです。楽しそうだと思いませんか?』

 

 他に予定もなかったし、頭の熱を冷ますためにもいいからと了承する。支度をしてから廊下に出ると、瑠衣さんが部屋の前で待っていた。

 

「こんばんは」

「どうも」

 

 合流すると、共に歩き出す。錆の浮いた階段を降り、地上に立った。

 

「ちょっと待っていてください」

 

 そう言うと、瑠衣さんは近くのコンビニに立ち寄る。

 店から出てきた彼女の手には、ハイボールの缶が握られていた。

 

「ひんやりしていて、気持ちいいですよ」

 

 頬に缶を当てていた瑠衣さんは、その缶を今度は俺の頬に宛がってきた。

 

「ね?」

「…………」

 

 確かに冷たかった。でも、それと同じくらい顔が熱くなった。

 

「さあ、夜に繰り出しましょう。パレードです」

「パレードと呼ぶには、二人は少なすぎる気がしますけど」

「でも、二人いれば充分でしょう?」

 

 瑠衣さんの言う通りだ。それ以上は誰もいらない。

 コンビニの光から離れ、夜の帳の中に踏み出す。

 すでに時刻は真夜中を回っていた。

 車通りから外れた住宅街に、俺たち以外の気配はない。家々の明かりも消え、人の姿はまるで見当たらない。外灯の明かりだけが、うら寂しく道に伸びている。

 瑠衣さんはハイボール缶のプルタブを開ける。カシュッ。小気味良い音。そして飲み口を傾けると中の液体を飲む。

 

「相変わらず好きなんですね、お酒」

「楽しい時間が、もっと楽しくなりますから」

「それは羨ましいです」

「結斗くんも飲んでみますか?」

 

 と瑠衣さんが缶を差し出して勧めてくる。

 今までなら未成年だからと断っていただろう。でも今日はそうしなかった。瑠衣さんと同じ景色を少しでも見てみたかった。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 俺は缶を受け取ると、飲み口に唇をつけ、勢いよく中身を呷った。

 甘くてほろ苦い液体が喉を滑り落ちる。臓腑がじんわりと熱くなった。

 

「ふふ。良い飲みっぷりですね」

 と瑠衣さんは微笑む。

「初めてのお酒の味はどうですか?」

「美味しくはないです」

 

 苦いし、鼻がツンとする。これを好んで飲む人の気が知れない。それとも大人になればまた違う味わいに変わるのだろうか。

 

「最初はそんなものですよ。タバコも、お酒も」と瑠衣さんはかつては自分も通ってきた道なのだということを示してくれる。

 

 今日、俺は初めてお酒を飲んだ。

 それは間違いなく瑠衣さんがきっかけだ。

 もし俺が二十歳になってタバコを吸い始めたら、それもやっぱり瑠衣さんがきっかけということになるのだろう。

 俺の人生のいくつかの初めてを瑠衣さんは奪った。消えない爪痕を刻んでいった。

 

 いつか年老いた後。タバコを吸ったり、酒を飲んだりしている時に、俺は発作のようにふと瑠衣さんのことを思い出すのだろう。

 今日この瞬間、飲んだハイボールの苦い味を。

 夏の匂いを孕んだ、夜の空気を。

 隣を歩く瑠衣さんの白くて滑らかな肩を。

 月みたいな輝きを。

 

「結斗くん、顔が赤くなってますよ」

 

 外灯に照らされた瑠衣さんが、俺を見つめながら笑う。

 

「お酒、弱いんですね」

「まあ、未成年ですから」

 

 頭の芯が痺れている感じがする。身体が内側からじんわりと熱い。

 

「気分はどうですか?」

「悪くはないです」

 

 ふわふわと浮き足立つような心地がして、気持ちがいい。

 何より、普段纏っている分厚い自意識の鎧が薄くなっている。

 

「このパレードはどこに向かってるんですか」

「特に決まってないですけど。強いて言えば、コンビニですね。結斗くんがハイボール缶を全部飲んでしまったので。二本目を買います」

「それなら、俺が払います」

「いえ。さっきの飲みっぷりを見せてくれただけで、お釣りがきますよ」

 

 瑠衣さんはコンビニに寄ると、再びハイボール缶を買ってきた。今度は二本。そのうちの一本を俺に差し出してくる。

 

「はい。結斗くんの分です」

 

 結局、また奢ってもらう。

 お礼を言って受け取ると、プルタブを開ける。カシュッ。小気味良い音。缶の冷たさを手のひらに感じながら中身の液体を飲む。

 

 酔いが回る。感覚がぼやけ、景色の輪郭が曖昧になる。

 夜と外灯の明かりと建物が絵の具のように混ざり合う。

 だけど、自分と隣にいる人の輪郭だけはハッキリとしている。ぼやけた世界に俺と瑠衣さんの二人だけが存在しているような感覚。

 それは俺にとっての理想の世界で。とても幸せな空間のように思えた。

 

 「そういえばこの前、紗希さんと喫煙所で会って話したんです。就活生を見て、スーツ姿の自分が想像できるかどうかって」

「ふうん。それで?」

「紗希さんは出来ないって言ってました」

「結斗くんは?」

「俺も想像できませんでした。というか、想像したくないというか。そんなに未来のことを考えたくなくて。瑠衣さんはどうですか?」

「んー。どうでしょう。私のスーツ姿、想像できますか?」

 

 想像してみる。

 瑠衣さんがスーツに身を包み、ヒールを履いているところを。

 

「似合うとは思います」

 

 瑠衣さんはスタイルが良いから、何を着ても様になる。大企業の内定だっていとも簡単に取れるかもしれない。

 でも、見たいとも、着て欲しいとも思わなかった。

 

「何だか含みがある言い方ですけど、似合うと言われるのは、悪い気はしませんね」

「前に酒袋――櫻田さんに聞かれた時には未定って言ってましたけど。結局、インターンには参加するんですか」

「いえ。特には考えてません」と瑠衣さんは言った。「スーツ、まだ荷ほどきしてない段ボールの中に入ってるんですけど。取り出すのが面倒臭くて」

 

 何だその理由。社会不適合者すぎるだろ。

 思わず笑ってしまいそうになる。

 でも、瑠衣さんがそう答えたのを聞いて、ほっとしている自分がいた。瑠衣さんが社会に呑まれてしまわなくて良かったと。

 変わらないで欲しい。心からそう思う。

 

「結斗くんと出会って、もうすぐ半年になりますね」

 

 瑠衣さんはふいにそう切り出した。

 俺と瑠衣さんが出会ったのは今年の春頃だった。今でもはっきりと覚えている。初めて店に来た日から毎回、ずっと目で追っていた。

 

「あの時はまさか、今みたいに仲良くなるとは思いませんでした」

 

 俺も思わなかった。

 憧れを抱いていた相手がアパートの隣に越してきて、言葉を交わすようになり、今では夜中に散歩をする仲になるなんて。

 

「あの、一つ聞いてもいいですか」

「何でもどうぞ」

「瑠衣さんが店に来た時、いつもお礼の言葉を言ってたじゃないですか。かたじけないとかありがとうさぎとか」

「ええ」

「あれって、どういう意図だったんですか」

 

 瑠衣さんは店に来る度、ありがとうの言葉を毎回言い換えていた。酔って自意識の栓が外れていたからか、素直に訊くことができた。

 

「遊び心の意図を改まって尋ねられると、何だか恥ずかしくなりますね」

 

 瑠衣さんは袖で口元を覆いながら、苦笑いを浮かべる。 

 

「でも、そうですね。たぶん、気を惹きたかったんだと思います」

 

 え、と俺は声を漏らしていた。

 

「私は、結斗くんと仲良くなりたかったんです。だから、気に留めて欲しくて、ああいう振る舞いをしたんだと思います」

「……俺と仲良くなりたかった?」

 

 理解できなかった。

 勉強ができるわけでも、運動ができるわけでもない。顔が良いわけでも、人に好かれるものがあるわけでもない。

 むしろ、嫌われていたのに。

 そんな俺と、瑠衣さんは仲良くなりたいと思ってくれた。

 どうして、という俺の疑問は次の瞬間に氷解した。

 

「初めてあの店に入った時、レジにいた結斗くんの目を見た瞬間に思ったんです。この人はきっと、世の中全部が嫌いで堪らない人なんだろうなって」

 

 そう言われた瞬間、脳天をぶん殴られたかのような衝撃があった。

 瑠衣さんの言う通りだった。

 俺は最初、群れに馴染もうとしていた。生きるためにはそうする必要があったから。でも本当は、全部が嫌いだった。

 自分の優秀さを誇示するために、俺を人前で貶めてくる酒袋も。

 非がないのにこちらにも非があるような言い方をしてきた店長も。

 歪曲された噂を信じてうっすら避けてくるバイトたちも。

 何をやっても許されると思っているクラスの中心の男子も。奴の言った面白くない言動に迎合して笑うクラスの他の連中も。

 何もかも皆、本当に嫌で仕方なかった。そして何より、世の中に馴染むことのできないでいる自分のことが嫌いだった。

 だけど。

 

「……どうして分かったんですか? 俺が、世の中全部が嫌いで堪らないって」

 

 そのことを誰かに見抜かれたことはなかった。

 表面上は取り繕っていたから。

 誰も俺に興味なんて持とうとしなかったから。

 

「うーん。そうですね。何となく、としか言いようがないんですけど。あえて言葉にするとするのなら……」

「するのなら?」

「私も、結斗くんと同類だったからでしょうか」

 

 瑠衣さんはそう言って、微笑みかけてきた。

 その優しい表情を見た瞬間、ふいに泣きそうになった。

 

 ずっと、一人ぼっちだと思っていた。

 この世界に宇宙人は俺だけなのだと。誰とも分かり合うことはできないのだと。

 でも、いた。もう一人。同じ周波数を持つ人がいた。確かにここにいたんだ。そのことを理解した途端、息が出来なくなるくらいに胸が詰まった。

 

 そして、酔った頭で改めて思った。

 この人のことが好きだ。

 瑠衣さんといっしょにいる時間が好きだ。

 人間が十人いたら、九人は嫌いだ。

 けれど、瑠衣さんは違う。

 彼女は俺にとって、たった一人の大切な人だった。

 

 ――だけど、いつかは。

 紗希さんが言っていたことを思い出す。

 今はよくても、いつかは瑠衣さんも世の中にやられてしまう日が来るかもしれない。

 汚れて、呑まれて、輝きを失ってしまう時が訪れるかもしれない。

 

 このまま、社会に出なければ。

 就職せずに大学を卒業すれば。アルバイトをしながら、気ままに暮らせば。貧乏でひもじいかもしれないけど、世の中には呑まれずに済むかもしれない。

 それでもいつかは、限界が訪れる。輝きを失い、夢から醒める日が来る。今の自分たちではいられなくなる日が。

 きっと、何かがなければ夢を見続けることはできない。その何かは若さだったり、才能だったりするのだろう。

 

 その時が訪れるのが、俺は怖い。魔法が解けてしまうのが。たった一人、初めてこの世界で大切だと思えた人を失ってしまうのが。

 そうなった時、俺はどう生きていけばいいのか分からなくなる。

 瑠衣さんという光を失ってしまえば、暗闇の中で立ち尽くすしかなくなる。これから何をよすがにしていけばいいのか見失ってしまう。

 だから、この時間がずっと続いて欲しい。パレードが終わって欲しくない。瑠衣さんとこのままずっと真夜中を歩き続けていたい。

 

「実は、結斗くんに話しておきたいことがあるんです」

 

 瑠衣さんはふいにそう呟いた。

 

「話したいことですか?」

 

 その声色に不穏なものを感じた。

 

「前に読んで貰った短編小説を覚えていますか?」

「もちろん、覚えてます」

 

 ゼミ生たちに酷評された五十枚ほどの短編。ゼミ生は酷評していたそうだが、俺はあの作品のことを面白いと思っていた。

 

「あの短編なんですけど、公募の新人賞に送ったら受賞しました」

 

 言葉を失った。

 瑠衣さんが賞を取った。

 皆に扱き下ろされた短編で、認められた。結果を出した。

 瑠衣さんが話したその賞は、俺も知っている有名な新人賞だった。今までも才能のある作家を何人も輩出してきた。

 

「まだ発表前なので、本当はまだ誰にも言ってはいけないらしいんですけど。結斗くんには先に伝えておきたくて」

 

 瑠衣さんはそう言うと、

 

「結斗くんが褒めてくれなかったら、面白いと言ってくれなかったら、賞に出してみようとは思わなかったと思います。だから、お礼を言いたくて」

「……別にお礼を言われるほどのことはしてないですよ」

 

 本心だった。

 むしろお礼を言いたいのは俺の方だった。

 瑠衣さんは正しかった。あの作品は、面白いものだった。俺が、瑠衣さんが信じていたものは間違ってなんかいなかった。

 そのことを証明してくれたのだから。

 

「でも、おめでとうございます」

「ふふ。ありがとうございます」

 

 瑠衣さんは少し照れ臭そうに笑う。

 

「と言っても、短編なので本になるかはまだ分からないですけど。小説だけで身を立てるのはとても難しいでしょうし」

「大丈夫です」と俺は言った。「瑠衣さんなら絶対、大丈夫です」

 

 だって、瑠衣さんには才能がある。

 世の中に呑まれてしまわないだけの、才能が。魅力が。

 

「結斗くんにそう言って貰えると、本当にそんな気がしてきます」

 

 瑠衣さんは俺の百パーセントの肯定を受けると、微笑みを浮かべた。

 それを見て、俺は心からの幸せを感じる。

 

「私、爆弾を作りたいんです」

「爆弾、ですか?」

「本当に凄い作品は、人の心を動かすことができると思うんです。その人の思想を、価値観を変えてしまうだけの力がある。

 だから私は小説を通して自分の思想を、毒を、世の中に撒き散らしたい。そして、作品を読んだ人の心に消えない傷跡をたくさん刻みつけたい。

 自分の思想に共鳴する人たちを一人でも多く作りたい。

 そうすることで、ほんの少しだけでも世の中が変わるかもしれない。私たちにとって楽しい世の中になるかもしれない」

 

 テロだ、と思った。瑠衣さんはテロを仕掛けようとしている。小説を通して、この世界に爆弾を撒き散らそうとしている。

 

「それは」と俺は言った。「凄く良いですね」 

 

 想像するだけで、胸が震えた。

 

「だから、結斗くんにも共犯者になって欲しいんです」

「俺も……ですか?」

「はい」

 

 瑠衣さんはそう言うと、微笑みながら手を差し出してきた。

 

「私といっしょに、この世界に爆弾を落としませんか?」

 

 それは誘いだった。

 何か表現を通して、この世界を変えようという。

 だけど、才能がなければそれは叶わない。

 才能があれば、夢を見続けていられる。世の中に呑まれてしまわずに済む。これからも瑠衣さんの隣にいられる。

 

「……俺に出来ますかね」

「出来ますよ」

 

 恐る恐る尋ねた俺に、瑠衣さんは即答した。そして、笑みを浮かべると言った。

 

「だって、結斗くんは面白い人ですから。それは私が保証します」 

 

 どうして、と思った。

 どうしてこの人はいつも、俺の一番欲しい言葉をくれるのだろう。

 

 瑠衣さんは、俺にとっての光だ。このつまらない世界で初めて出会えた、心から大切だと思えたたった一人の相手だ。

 そんな人が、自分を必要としてくれた。

 共犯者になって欲しいと言ってくれた。

 面白い人だと認めてくれた。

 

 生きる理由なんてないと思っていた。長生きしたい理由も。いつ全てが終わっても別に構わないと思っていた。

 だけど、今、死にたくない理由ができた。できてしまった。

 

「返事を聞かせて貰えますか?」

「……俺でよければ、ぜひ」

 

 瑠衣さんの作る爆弾を、俺は見てみたい。

 その毒が世の中に撒き散らされる瞬間を。

 そして俺の作る爆弾を、瑠衣さんに見て欲しい。

 その毒が世の中に撒き散らされる瞬間を。

 何かを変えるかもしれない瞬間を。

 

 だから。

 その日が来るまでは、もう少しだけ生きていようと思った。

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