重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話   作:かめっくす

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夜が明けたら

 四限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 教師が退室するのと同時に、教室内は一気に賑わう。

 昼休み。クラスメイトたちが群れを成し始めるのを尻目に、一人教室を後にする。

 購買部に寄り、焼きそばパンを買ってから、いつもの場所に向かう。

 特別棟の裏手には小春先生がいた。俺を見ると、ぱっと表情を明るくさせる。

 

「お、来た来た。今日は私の方が速かったね」

「四限目は古典でしたから」

 

 古典の井原先生は始業時間には厳しいけど、終業時間はいつもはみ出してしまう。生徒たちからは大いに不評を買っていた。

 

「今日はコッペパンじゃないんですね」と俺は言う。しゃがんだ小春先生の手には、包装された焼きそばパンがあった。

「この前、榎木くんが食べてるのを見て美味しそうだなって思ったから。どんな感じなのか気になって試しに買ってみたの」

 

 そして俺の手元に目を向ける。

 

「そういう榎木くんは、今日も焼きそばパンか。やっぱ好きなんじゃん」

「……かもしれないです」

 

 なぜだか今日は素直に認められた。

 俺は小春先生の隣に座ると、焼きそばパンの包装を丁寧に剥がす。

 

「最近、何か良いことでもあった?」

「どうしてですか」

「憑き物が落ちたみたいな顔してるから」

 

 小春先生は言う。

 

「それに、最近はサボらずに登校するようになったし。きっと、私の知らないところで何かあったんだろうなって」

「…………」

 

 ここ最近はずっと、毎日登校していた。

 それは瑠衣さんと過ごしたあの夜が明けてからのことだった。

 けれどそこで何があったのかは、誰にも話すつもりはなかった。

 

「でも、あんなにサボってたから、てっきり授業についていけないと思ってたのに。昨日の小テストも全然問題なかったね」

「教科書を読んで自習してたら何とかなりますから」

「かわいげがないなあ。榎木くんが泣きついてきた時のために、放課後に主要科目の特別補習の準備もしてたんだよ?」

「先生はそういうの面倒臭がるタイプじゃないんですか」

 

 部活の顧問をさせられた時は、盛大に愚痴を吐いていた。余計な仕事が増えるのは歓迎しないと思っていたけど。

 

「私は不本意なことをさせられるのが嫌なだけ。可愛い教え子が困ってるのなら、何とか力になってあげたいもん」

 

 臆面もなくそんなことを言ってくる。

 その混じり気のない、真っ直ぐな優しさを受けて、気づけば俺は口にしていた。

 

「……あの、小春先生」

「ん?」

「ありがとうございます。それと、心配かけてすみませんでした」

 

 小春先生はぽかんとした表情を浮かべた後、照れ臭く感じたのか、

 

「なーに、いいってことよ」

 と妙に芝居がかった口調で言って笑った。

 

 俺も何だか妙に照れ臭く感じてきて、「そういえば」と話題を変えた。

「なに?」

「昨日、学校近くにあるラーメン屋を通りがかったんですけど。店頭に設置された灰皿のところで喫煙してた人、先生に似てたなって」 

 

 先生に似た人は、ラーメン屋の前の喫煙所でタバコを吸っていた。やさぐれて、退廃的な雰囲気を纏っていた。

 

「ああ、うん、それ私だよ」

 あっさりと認める。

「小春先生、タバコ吸うんですね」

「吸うよ。バリバリ」

「知りませんでした」

「まー学校では吸えないからね。驚いた?」

「まあ、そうですね」

 

 小春先生は童顔だからか、何となく吸わないイメージがあった。

 今思うと、勝手な決めつけだ。

 

「きっと、それと同じだと思うよ」

「え?」

「榎木くんは嫌いな人が多いって言ってたけど、実際に関わってみたら、知らなかった面もたくさん出てくると思う。私がタバコを吸うことを知らなかったみたいに」

「つまり」と俺は尋ねた。「どういうことですか?」

「世の中を見限るには、榎木くんはまだまだ若すぎるってこと」

 

 小春先生は軽い調子で言うと、

 

「この焼きそばパン、おいしいね。もうコッペパンから乗り換えちゃおうかなあ」と冗談めかしたように笑いかけてきた。

 

 コッペパンが悲しみますよ、と言って俺も笑った。

 また、明日の昼休みにはこの場所に足を運ぼうと思いながら。

 

 

 

 

 その日の夕方もバイトのシフトが入っていた。

 酒袋と同じだった。

 これまでならきっと、憂鬱な気分になっていただろう。

 でも今は違っていた。

 境遇はまるで変わっていない。

 相変わらずバイト先では浮いているし、酒袋からは見下されている。わざとらしく嫌味を言われることもあった。

 それでも以前までとは心持ちが違っていた。

 

 バイトのシフト終わり。

 バックヤードで着替えていた俺に、酒袋が声を掛けてくる。

 

「なぁエノっち、まだあの人とつるんでんの?」

「あの人、ですか?」

「瑠衣さんのことだよ」

「ええ、まあ」

「可哀想だな。遊ばれてるだけだろうに」

 

 憐れむように嗤ってくる。瑠衣さんにまだ未練があるのだろうか。執拗に貶してくるのは不安だからなのかもしれない。

 

「……そうかもしれません」

 俺はそう言った後、

 

「あの、櫻田さん。この前、聞いてきたじゃないですか。俺のこと嫌いになったかって」

「……それが?」

「あの時、別にって答えたんですけど、すみません。あれは嘘でした」

 

 それまで余裕めいていた酒袋の表情が、不穏なものを感じたのか曇る。

 怪訝そうに俺を見つめてくる。

 その気取った顔に向かって、俺は告げた。

 

「俺はあなたが嫌いです。ずっと前から。それこそ、殺してやりたいくらいに」

 

 ずっと言いたかった。でも言えなかった言葉。

 それを今、ようやく言えた。

 

「…………え?」 

 

 まさかそんなことを言われると思っていなかったのか。

 酒袋は戸惑ったような、呆然とした表情をしていた。

 その目に怯えの色が滲んでいるのを見た瞬間、思わず笑ってしまいそうになった。ほんの少しだけだけど、愛おしさすら感じた。

 なんだ。俺はこんな奴のために憂鬱な気分にさせられてたのか。

 

「すみません。それだけです。それじゃ、お先に失礼します」

 

 着替え終わった俺は酒袋に向かって笑顔で頭を下げると、バックヤードを後にする。

 裏口から店の外に出ると、出勤した頃に降っていた雨は止んでいた。

 

 夜空には煌々とした月。

 胸のうちは空くように晴れ晴れとしていた。

 

 

 

 

 バイト終わりの夜。

 夜風に当たろうとベランダに出ると、隣のベランダに瑠衣さんの姿があった。タバコを吹かしながら月を眺めている。

 その横顔は美しかった。初めて会った時から変わらずにずっと。

 

「こんばんわ。お仕事、お疲れさまです」

「どうも」

 

 俺はそう言った後、

 

「瑠衣さん、今日は店に来ませんでしたね」

「今月はお財布がピンチなんです。だから、今ある分を大切に吸わないといけません」

「その割には結構吸ってるみたいですけど」

 

 手元の灰皿には吸い殻が何本もあった。ペース配分が苦手なのかもしれない。

 

「原稿の進捗はどうですか?」

「ぼちぼちと言ったところですね」

 

 瑠衣さんは受賞した後、早速次の作品の執筆に取りかかっているらしい。良い短編を後何本か書ければ本にまとまるらしい。

 

「本になったら、最初に結斗くんに献本しますね」

「楽しみにしてます」

 

 お世辞ではなく、心からそう思った。

 

「結斗くんはどうですか?」

「相変わらずです。学校でもバイト先でも浮いてますよ」

「それはそれは」と瑠衣さんは満足そうに言う。「でも、最近はちゃんと学校に通うようになったんですね」

 

 バイトも続けるし、学校にもちゃんと通う。馴染めないかもしれないけど。少なくとも逃げるようなことはしない。

 生きないといけないから。見届けないといけないから。 

 

「瑠衣さんは俺の不幸が好きみたいですから」

「心外ですね。私は、結斗くんの不満げな目が好きなんです」

 

 それに、と瑠衣さんは頬杖をつきながら、歌うように続ける。

 

「結斗くんが一人ぼっちでいてくれたら、私が全部独り占めできますから」

 

 そんなことを平然と言ってのける。

 

 小春先生は言っていた。

 この女の人は俺をよくない方に導いてしまう人だと。

 実際そうなのかもしれない。

 瑠衣さんと関わったことで、俺の人生は破滅に向かっているのかもしれない。取り返しのつかないことになるのかもしれない。

 だけど。 

 

「前からずっと聞こうと思って、聞けなかったんですけど」と俺は言う。

「何ですか?」

「瑠衣さんがタバコを吸い始めたきっかけって、何ですか?」

 

 いつか酒袋が言っていた。

 女がタバコ吸うのなんて、百パー男の影響だと。

 俺は瑠衣さんに尋ねるのを恐れていた。

 瑠衣さんに男の影を感じるのが嫌だったから、じゃない。

 あんなにタバコを吸う姿が様になっている人が、つまらない理由でタバコを吸い始めたということを知りたくなかったからだ。

 でも、今なら聞ける。

 

「昔付き合ってた彼氏が吸ってたんです」

 

 瑠衣さんはそう言うと、俺の目をじっと見つめた後、くすっと言う。

 

「――というのは、冗談です」

「本当は?」

「ただ単にムシャクシャしてたからです」

 

 瑠衣さんはうっすらと微笑む。世の中の全てを嘲笑するかのように。

 それは求めていた百パーセントの答えだった。

 

 紗希さんは言っていた。俺が瑠衣さんに抱いている想いは報われないと。

 でも、勘違いしている。

 俺は瑠衣さんと付き合いたいわけじゃない。結ばれなくても構わない。

瑠衣さんは、俺にとっての光だ。このつまらない世界で初めて出会えた、心から大切だと思えたたった一人の相手だ。

 だからただ、在り続けてくれるだけでいい。

 北極星のように。灯台のように。

 いつまでもずっと、その輝きを失わないで欲しい。

 そうすれば今後、どんなに惨めな人生を送ることになっても生きていられる。

 

 この先、瑠衣さんと関わったことで、俺の人生は破滅に向かうのかもしれない。

 爆弾を作るなんて息巻いたけど才能なんてなくて、報われずにボロボロになって、最後は惨めに野垂れ死ぬことになるかもしれない。

 何も知らない人たちからは憐れまれ、嘲笑されることだろう。

 それでも構わない。

 もちろん、報われるのが一番だとは思うけれど。

 

 たとえ、金も、社会的地位も、何も手に入れることができなくても。

 何も残せなくても。何も為せなくても。

 ただ一人、瑠衣さんだけが笑っていてくれれば。

 そうすれば。

 

 朽ち果てた俺の顔はきっと、穏やかに笑っている。




ここまでで一区切りとなります。
好評そうなら第二部も書きたいと思います。
ひとまず、お付き合いいただきありがとうございました!
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