重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話 作:かめっくす
相変わらず学校ではいつも一人だった。
当たり前と言えば当たり前だ。
俺自身、状況を変えるための努力を何もしてないのだから。空から女の子が落ちてくるみたいな棚ぼたは現実ではあり得ない。
それに俺は別に状況の変化を望んでいない。
昼休み。俺は集まって昼食を食べる皆を尻目に、そそくさと教室を後にする。
一人でいるのは平気でも、教室で一人で弁当を食べるのは平気じゃなかった。
部屋に一人でいる時よりも、皆でいる時に輪に入れずにいる時の方がずっと孤独で惨めな気持ちになるみたいなものだ。
もしかすると、一人で昼食を食べていたら、見かねた親切なクラスメイトがいっしょに食べようと俺に声を掛けてくれるかもしれない。
向こうからすると善意で言ってくれているのだろう。でも俺はそこに同情とか、憐憫の匂いを感じてしまう。施しを受けているように感じてしまう。
そうすると、どうしようもなく惨めな気持ちになる。
別に一人でいることは悪いことじゃないと思ってるのに、一人でいるのは悪いことなんじゃないかと思わされてしまう。
だから、俺は昼食を教室以外で食べる。
学校の敷地の端、特別棟の裏手には人気のない空間がある。周囲に雑草が繁茂し、校舎の庇が色濃い影を作っている。
細くて狭いその場所には、まず人が来ない。
外で食べる生徒は皆、景観もよく、開けていて、座ることのできるベンチもある賑やかな中庭の方に足を運ぶ。
アスファルトの上に腰を下ろすと、購買部で買った焼きそばパンのラップを外し、もそもそと食べ始める。美味いと言えば美味い気もするし、そこまででもない気もする。購買のパンなんてだいたいこんなもんだろう。
「あ、榎木くん、いた」
格別味わうわけでもなく、淡々と食べ進めていた焼きそばパンを胃袋に収めた時、不意に声が聞こえてきた。
雑草を分け入って現れたのは、担任の先生だった。
明坂小春先生。ショートカットの髪に小柄な体つき。明るめのブラウンのジャケットにパンツを合わせている。
童顔だが、実年齢も若い。確か二年目とか言っていた気がする。クラスの皆からは小春ちゃんと呼ばれて親しまれていた。
「お邪魔してもいいかな?」
「別に俺の土地じゃないので。拒む権利はないですよ」
「そこは普通にどうぞって言ってくれればいいのに……。その言い方だと、渋々って感じに聞こえちゃうんだけど……」
実際、渋々だった。少なくとも歓迎はしていない。
若干居心地が悪そうにしながらも、小春先生は俺の隣に腰を下ろす。と言っても、地面に直接尻を付けるのは憚られるのか、浮かせていた。壁に背をつけ、体育座りの尻を浮かせたような姿勢になる。
「あー、午前の授業も疲れた。午後からまだ三時間あると思うとゆーうつ……。しかも放課後は部活もあるんだもんなぁ」
愚痴をこぼしながら、コッペパンの袋を開ける。
「しかも休みの日は一日、好きでもない部活で拘束されるし。そこまでやって手当が一日三千円しか出ないってヤバいよね。バイトしてた方がずっとマシ」
万国旗の手品みたいに、次から次にするする不平不満が出てくる。小さくて細い身体に相当溜め込んでいたらしい。
ちなみに普段の小春先生はこんなにやさぐれていない。教室では基本、笑顔を絶やさずにポジティブなことしか言わない。だから他の生徒たちには明るくて快活な先生だと認識されているはずだ。
小春先生は昼休みになると俺のいるこの場所に来て、日頃の不平不満を垂れ流す。他の生徒には見せない一面を露呈させる。
最初、俺はそれを同情の類だと認識していた。一人でいる俺を気に掛けて、クラスの輪に入れるために接触してきたのだと。自分の弱みを晒すことでこちらの信用を得て、俺の心を開かせようとしているのではないかと。
だから一度はっきりと告げたことがある。
『あの、俺に気を遣ってるなら、そういうのいいです』
『へ?』
『ぼっちの俺を心配して気に掛けてくれてるとかなら、大丈夫です。別に友達がいなくても今のところはやっていけてるので』
それよりも同情されることの方が嫌だし、惨めだ。他人に勝手に哀れまれるほど、俺は今の立場を悲観的には思っていない。
俺の意図を汲み取ったのだろう。小春先生は取り直すように言った。
『あー。別にそういうんじゃないよ。一人がいいならそれでいいと思うし。困ってるなら力になりたいけど。榎木くんが納得してるなら口を挟むことじゃない』
『私もお昼は一人になりたくて。でも他に良い場所がないんだよね。だから、榎木くんがよければいっしょに使わせてほしいな』
俺にとってもこの場所は唯一、平穏を得られる貴重な場所だ。替えが効かない。だからと言って小春先生を追い出す権利もない。
そういうことでたまに昼休みをいっしょに過ごすようになった。
とは言え、毎日なわけじゃない。
俺が図書室に行ったりしてここに来ないこともあったし、小春先生が生徒の昼食の誘いや授業の質問を受けて来ないこともあった。
「というか、好きでもない部活の顧問なんて、なんでやってるんですか」
「やってくれってしつこく頼まれたから」
「断ればよかったのに」
「あのね。そんなに簡単にいけば、世の中、悩む人なんていないから。やりきれないことばっかりだから、人生は」
これまで飲んできた煮え湯を覗わせるようなことを言う。少なくとも担任教師が教え子に言うことではないと思う。
「あいつら皆、学校に良い思い出しかない人ばっかりだから。社会に出ずに学校の中だけで人生を送ることを恥ずかしいとも思わずに、飲み屋で店員さんに横柄な態度を取るような連中だから。部活の顧問をしたくない人の気持ちが分からないんだろうなあ」
「小春先生もそうじゃないんですか?」
「私は全然。クラスでも目立たない方だったし。地味地味」
「何か意外でした。教室では明るく振る舞ってるし、皆からも慕われてるし。学生時代はてっきりクラスの中心だったのかと」
「あれは無理してテンションを上げてるの。実は暗くて地味だったことがバレたら、皆に舐められるかもしれないし」
「舐められる、ですか」
「生徒に舐められたら終わりだからね、先生ってのは」と小春先生は皆の知る小春先生が言いそうにないことを口にする。
「先生はなんで教師になったんですか?」
「え。どしたの急に」
「いや、学校にいい思い出がないんですよね? なのに、大人になった後も学校に残ろうとするのは変じゃないですか?」
「んー。学生の時、私、先生のこと嫌いだったんだよね。ほら、先生って陽キャの子たちには凄く甘かったりするでしょ」
確かにそういう傾向はあるかもしれない。
「陽キャの子たちといっしょに、地味な子たちをいじってみたり。地味な子たちが困っててもまるで気づいてなかったり。
それが凄くムカついてさ。先生になったら、自分みたいに地味でパッとしない子にも目を向けてあげられる先生になろうって。
たぶん、学校に良い思い出がなかったから、その子たちの助けになることで、昔の自分を救いたいみたいなのがあったんだと思うけど。
でも、いざ先生になってみたら、陽キャの子たちの顔色を覗って、舐められないように毎日ビクビクして過ごしてる。
あれなんだよね、陽キャの子に甘くした方が上手く回るんだよね。クラスの空気を支配してるのはあの子たちだから。先生になってから分かった。地味な子たちに目を向けるのはあんまりメリットないんだなってことが」
小春先生はそう言うと、自嘲するように笑う。
「あー。学生だった時の私が見たら幻滅するだろうなー……。自分が軽蔑してる教師の姿になっちゃってるなお前って」
「でも小春先生はよくやってると思いますけど」
「……そう思う?」
「はい。中心の生徒の顔色を覗ってはいるかもしれませんけど、そうじゃない生徒たちにもちゃんと目を向けてる方だと思います」
本人の自己評価がどうなのかは知らないけど。
小春先生は分け隔てなく皆に接している方だと思う。少なくとも俺が知っている教師の中では一番そうだ。
ただ今のは生徒という立場を考えると、偉そうな発言だったかもしれない。そう思っていたのだが、当の本人の反応は違った。
「うあー。うれしい~……榎木くん、忖度とかしなさそうだから余計に」
噛みしめるように呟いていた。
「でもあれだよね。榎木くんが他の先生にチクったら、私、完全におしまいだよね。それくらいのこと言っちゃってたよね。あいつら皆、学校に良い思い出しかないとか。社会に出ずに飲み屋で横柄な態度取ってる連中だとか」
「言いませんよ」と俺は言った。「第一、言う相手もいませんし」
「そっか。だよね。よかった」
小春先生はほっとしたようにはにかんだ。
「まあ、それが分かってるから、色々と話してるところはあるんだけど。って言ったら気を悪くしちゃうかな?」
そうでもない。過度に遠慮されるよりは、無遠慮の方の方がずっといい。
「でも榎木くん、最近、何かちょっと変わったね」
「そうですか?」
「うん。前よりずっと楽しそう。良いことでもあった?」
「別に良いことというほどのことは……」
驚いた。
小春先生は思ってる以上に、よく生徒のことを見ている。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
それを聞いた小春先生は、はあ~と深海よりも深いため息をついた。
「あ~……昼休み終わっちゃった……。仕方ない。午後からもやるか~」
意を決したように立ち上がると、俺に向かって言う。
「私、先に行くから。榎木くんも遅れちゃダメだよ。また愚痴聞いてね」
頬を軽く叩くと、小春先生は笑顔の仮面と明るさの鎧を身につける。そして校舎裏から教室のある方へと歩いていった。
☆
二十五番さんとのベランダでの夜のひとときはまだ続いていた。
バイト終わり、熱を冷ますためにベランダに出ると、隣のベランダで物憂げにタバコを吸っている彼女と出くわすことがあった。
「こんばんわ~。お疲れ様です」
「こんばんは」
コンビニの店内においては客と店員という立場。
決まり切った定型文以外の言葉を交わすことはない。
でもここではお隣さん同士。普通に話すことができる。
しばらくの間、とりとめもない話をする。
内容は本当に他愛のないものだ。最近読んだ本の話とか、行った店の話とか。もし街にゾンビが溢れたらどうするかとか。
明日になれば忘れるような、煙みたいな会話。
それでもたまには、学校の話なんかをすることもあった。
「店員さんはあれから、お友達はできましたか?」
「全然。四月にできなかった時点で、相当厳しいですよ。ゴールデンウィークが明けた頃には人間関係ができあがってるから。ほとんどゲームセットです」
「九回裏、ツーアウトからでも逆転はあるかもしれませんよ?」
「かもしれません。でも、当人にもう打席に立つつもりがないですから。一人でいることに慣れきっちゃいましたし」
「じゃあ、店員さんはぼっちくんのままですか」
「ぼっちくんのままですね」
「ふふ。そうですか」
彼女は時たま思い出したかのように俺に学校で友達ができたかどうかを聞いてきて、俺はそれに毎回できてないと答える。
すると彼女はどことなく嬉しそうな表情を浮かべる。まるで俺が孤独でいることを望んでいるかのように。他人の不幸に蜜の味を覚える性格なのだろうか。もっとも当の俺本人はさして不幸だとは思っていないけど。
「それでも毎日、休まずに学校に通ってるのはえらいですね」
「一回休んだら、もう行けなくなるような気がして。それに授業のノートを借りられる相手もいませんから」
一回休んだら、授業についていけなくなる。おいそれと休むわけにはいかない。這ってでも登校しないと。
「そういえば、二十五番さんはどういう高校生だったんですか?」
「私は朝が弱くてどうしても起きられなくて、毎日遅刻ばかりしてました。ほんのたまに時間通りに来ると先生に驚かれましたから」
「それは相当ですね」
「遅刻か欠席を八回すると、指定校推薦を受ける権利がなくなるんですけど。私は一年の四月中旬に剥奪されました」
「一年の四月に。それは早い」
「当時も最速でしたし、たぶん、今も破られてないと思います。と言っても、全然誇れることじゃありませんけど」
「朝練とかある部活だったら、大変だったでしょうね」
「ふふ。そうですね。早々にクビになってたかもしれません」
「部活とか入ってたんですか?」
「店員さんは、私は何部じゃなかったと思いますか?」
「何部だったかじゃなくて、何部じゃなかったか、ですか」
「マインスイーパーです。私の入ってた部活を当てたら爆発するとして、一番安全そうな部活はどこだと思いますか?」
「…………バスケですかね。ソフトボールも大丈夫そう」
「ふむふむ。店員さんには、私がそういうふうに見えてるんですね」
「少なくとも体育会系ではなさそうかなと。だったら今タバコ吸ってないだろうし」
「体育会系だからと言って、今タバコを吸わない理由にはなりませんよ? 未成年の頃からタバコを吸っていたのは、むしろ体育会系の人の方が多かったでしょう?」
「そういえばそうかもしれない。野球部とか、サッカー部とか。ちなみに正解は?」
「当てたら、教えてあげます」
「でもこれがマインスイーパーだとしたら、当てたら爆発するんですよね? 爆発したらいったいどうなるんですか?」
「そうですねえ。タバコの煙でも顔に吹きかけましょうか」
「地味に嫌ですね」
彼女はふっと微笑み、タバコの灰を指先でとんとんと灰皿に落とすと、
「でも、真面目な店員さんが私みたいに不良生徒だった人と付き合うと、よくない影響を受けちゃうかもしれませんね」
その後、またしばらくとりとめのない話をして、何かの流れで、昼休みにどこで食事を摂っているかという話題に流れ着いた。
俺は特別棟の裏手の話をした。周囲に雑草が繁茂した、人気のない場所。そこでいつも昼飯を食べているのだと。
「その場所、私もよく使ってましたよ」
「そうなんですか?」
「人が来なくて、落ち着けるところですよね。私にとってあの場所は誰とも話したくない気分の時に避難できる無人島でした」
彼女と同じ場所を使っていたということが嬉しかった。かつて彼女も漂流して、あの島に流れ着いていたのだ。繋がり、みたいなものを感じた。
「確かに。まあ、俺にとっては無人島ではないんですけど」
「どういうことですか?」
「担任の先生がたまにやって来るんです。その人もその島を知っていて。たまにいっしょに昼飯を食べることがあります」
小春先生のことを思い出しながら言った。俺のいる孤島にやってきて、表では見せない一面を吐露して帰っていく姿を。
「ふうん。その方は女性ですか?」
「ええ、まあ」
「若い人です?」
「二年目って言ってました」
「…………ふ~~~~ん」
二十五番さんは僅かな沈黙の後、蚊の鳴き声みたいに長い声を漏らした。手すりに頬杖をついたままタバコの煙を吐き出す。
その面持ちは、どことなくつまらなそうだった。
「え? 俺、何か変なこと言いました?」
「別に。てっきり会話する相手もいないのかと思ってましたから。なんだ。完全にぼっちなわけじゃないんですね」
「って言っても、その先生とは昼休みくらいにしか話さないですけど。友達ではないからぼっちではありますし」
「でも、若い先生とお昼なんて、羨ましいじゃないですか」
「完全にぼっちの方がよかったですか」
「その方がよかったです。店員さんには一日誰とも口を利かずに、でも効いてないみたいな強がった顔をしていて欲しかったので」
「何ですか、それ」
屈折しすぎてやしないだろうか、と思った。でも、そういう屈折した人じゃないとこのボロアパートには住まないよなとも思った。
そしてそのお隣さんである以上、俺もまた、屈折しているのだろう。