重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話   作:かめっくす

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彼女の名前

 自分の視界の外でも世界は廻っている。

 今まではそこで何が起こっていても興味がなかった。友達もいないし、自分にはまるで関係のないことだったから。でも今日は違った。

 

「あの人、大学の喫煙所にいたんだよ」

 

 お客さんのいなくなった頃合いを見計らい、レジに立っていた俺の下にやってきた酒袋はどこか得意げな様子で言った。棚だしの仕事を放置して。

 何のことかと戸惑っていたら、彼は察しが悪いなとばかりに一瞬顔をしかめ、苛つきを滲ませつつ言葉を続ける。

 

「店にいつもタバコを買いにくる美人だよ。同じ大学かもって言ってたろ?」

 

 二十五番さんのことだ、と気づいた。同時に胸がざわついた。

 

「見た覚えないなと思ってたけど、キャンパスが別だったんだよ。うちの大学、道路を挟んでキャンパスが二つに分かれてるんだけどよ、俺は経済学部で、彼女は文芸学部。彼女は道路の向こうのキャンパスだったわけ」

「別のキャンパスまでわざわざ探しに行ったんですか」

「次の授業まで暇だったからな。もしかしたら向こうのキャンパスにいるかもって。喫煙所を覗きに行ってみたわけ。そしたらビンゴ。一発で気づいた」

「学部、聞いたんですか」

「あん?」

「いや、あの人が文芸学部だって言ってたから」

「ああ、そうそう。会話の流れでな。言われてみたら確かに文芸学部っぽいよな。ミステリアスな雰囲気があるっていうの? いつもタバコを買いに来るコンビニでバイトしてるんですよって話しかけたら、向こうも俺のこと覚えててくれたみたいでさ。小説が好きだっていうから、俺もめっちゃ本好きなんすよって言って」

「本、好きなんですか?」

「好き好き。意外だろ? けどめっちゃ読むぜ」

「どういうの読まれるんですか」

「ビジネス書とか。知り合いに社長がいてさ。その人が出してる本。つながり出版ってところから出てるんだけど。知ってる?」

「すみません。知らないです」

「そか。エノっち、ビジネス書とか読まなそうだもんな」

「はあ」

「会話も弾んで、良い感じだったんだけど。途中で彼女の友達が割って入ってきてさ。アイドルの握手会みたいに引き剥がされた。惜しかったよなあ。もうちょっとで瑠衣さんの連絡先を手に入れられそうだったのに」 

「瑠衣さん?」

「あの人の名前。葉月瑠衣さんって言うんだってよ」

 

 酒袋の口から彼女の名前が出た瞬間、苦いものが込み上げた。

 俺は彼女の名前を知らなかった。俺にとっての彼女は二十五番さんだった。彼女の名前を酒袋から聞かされたのが不愉快だった。

 

「けど、これからは喫煙所に行けばいつでも会えるし。また店にも来るだろうし。いくらでもチャンスはあるよな」

 

 酒袋はそう言うと、

 

「あの人が店に来た時は、俺がレジするから。エノっち、オーケー?」

「……それは何とも」

 

 と俺は返事を濁す。

 

「櫻田さんが棚だしをしてたら、待たせることになるかもですし。他にもお客さんが並んでたら俺の方に来るかもですし」

「そこはとりあえず分かりましたって言っとけばいいんだよ。ノリ悪いな。そんなんじゃモテないぞ?」

 

 ノリが悪いわけじゃない。いや、悪いのは悪いんだけど。とりあえずでも分かりましたと言いたくなかっただけだ。

 明確に拒むことまでは出来なくても、酒袋に迎合したくなかった。その姿勢を見せるのは自意識が許さなかった。

 

 その後も酒袋はサークル内で自分がいかに頼りにされているかとか、年上の友達がタワマンに住んでる話とかを俺に延々と聞かせてきた。友達の親戚の会社で割のいいバイトをして新卒の月給くらい稼いでることとか。このバイトはいつ辞めてもいいけど、店長に引き留められてるからまだいることとか。

 

 その日、二十五番さんは店にタバコを買いに来なかった。今日に限っては、彼女が店に来なくてよかったと思った。

 

 彼女と酒袋が親しげに話しているところを見たくなかった。

 

 

 たまに家の鍵を掛け忘れることがある。

 学校に行く時にはそれはない。念入りに確認しているから。けれど、帰ってきた後に鍵を掛け忘れてしまうことがある。

 

 今日もそうだった。バイト終わり、家に帰ってきてから鍵を掛け忘れていた。そのことに気づいたのは日が変わる前だった。

 突如、扉が開けられる音がした。風呂上がりで後は寝るだけだった俺は驚いた。寝間着姿で隙だらけだったから余計に。

 

 最初によぎったのは強盗だった。押し入って、金品を盗みに来た。けれど遅れてこんなボロアパートに?と思った。もっと他にいくらでも宛てはありそうなのに。わざわざ金目のものがなさそうなこの部屋に入るか?

 

 結論から言うと、強盗じゃなかった。来訪者は二十五番さんだった。私服姿の彼女は手にレジ袋を持っていた。

 

「店員さん?」

 

 赤らんだ顔の彼女は、リビングのテーブルの前に座っていた俺の姿を見ると、きょとんとした表情を浮かべた。

 

「どうして店員さんが私の部屋に?」

「え?」

「あれ?」と二十五番さんは周りを見回した。間取りは同じ。けれど、配置された家具は恐らくまるで違っていた。

「あれれ?」

 

 そして俺の方に向き直ると尋ねてきた。

 

「もしかしてここ、店員さんの部屋ですか?」

「そうですね」

「ということは、私の部屋ではない?」

「二十五番さんの部屋は隣ですね」

「…………」

 

 二十五番さんは顎に手をあてて少し考えた後、

 

「部屋、間違えちゃいました」

「どうもそうらしいですね」

 

 照れ笑いを浮かべる彼女の頬は赤らんでいた。目もとろんとしている。どこかふわふわとした雰囲気を醸し出していた。

 

「酔ってるんですか?」

「ゼミの飲み会だったんです」

 

 なるほど。それで今日は店にタバコを買いにこなかったのか。

 

「食べ放題飲み放題。教授が全額出してくれました」

「それでベロベロになったと」と俺はレジ袋の中身を見て、驚いた。「なのになんでまだお酒を買ってるんですか」

「一人で飲み直そうと思って。でも、ちょうどよかったです」

 

 二十五番さんはそう言うと、ハイボール缶が入ったレジ袋を、俺の前にあるテーブルの上にとんと置いた。

 

「店員さん、付き合ってくれませんか?」

「俺は飲めないですけど。それでもよければ」

「ふふ。よいですよ~」

 

 二十五番さんはニコニコしながら、俺の隣に腰を下ろす。距離が近い。少し身体を傾ければ肩と肩が触れあいそうになる。お酒と居酒屋の残り香に混じって、彼女の良い匂いがした。

 レジ袋からハイボールの缶を取り出すと、プルタブを開ける。カシュッ。気持ちのいい音が狭い部屋の中に響き渡る。

 

 彼女はハイボールの缶を両手で持って飲む。包み込むようにして。タバコを吸う時の姿は格好いいけれど、お酒を飲む姿は可愛らしいと思った。

 彼女が缶に口をつけた後、俺は話題を振る。

 

「ゼミって、何のゼミに入ってるんですか」

「創作ゼミです。小説を書いたり、読んで批評したり。他のゼミと比べて、楽そうだったので」

「小説、書くんですか」

「そうですね。課題が出た時には。と言っても、短編程度ですけど」

「でも凄いです。どういうのを書くんですか?」

「色々です。恋愛ものだったり、私小説っぽいものだったり。この前はゼミ生が次々に殺されるミステリー的な話を書きました」

「最後のはどういうふうに受け取られるんですか」

「大ウケしましたよ。まあ、内輪ノリですから」

 

 でももし俺が書いたとしたら、受け容れられないような気がする。二十五番さんはゼミ内できっと人気があるのだろう。

 

「店員さんの方はどうですか? お友達はできましたか?」

「全然。何も変わってないです」

「そうですか。それはよかったです」

 

 二十五番さんは俺の答えを聞くと、満足そうにハイボールの缶を傾ける。酔っている隙に乗じるように言葉を差し込む。

 

「瑠衣さんっていうんですね」

「はい?」

「二十五番さんの名前」

「私、店員さんに名乗りましたっけ?」

「聞きました。同じシフトの人に。二十五番さんと同じ大学の人がいて、その人が喫煙所で二十五番さんと話したって」

「同じシフトの人、ですか?」

「覚えてないですか。茶髪の。本が好きだって言ってた」

「……ああ、思い出しました」

 

 長い沈黙があった後、彼女はぼんやりと呟いた。すぐに思い当たらなかったことに少しほっとする。

 

「結構、話が弾んだって言ってましたけど」

「そうなんですか?」

「本人曰くですけど」

「ふうん」と二十五番さんは曖昧な相槌を打った。関心なさそうに。「店員さんはその話を聞いてどう思いました?」

「何がですか」

「名前。私の口から聞きたかったですか?」

「……それは、まあ」

 

 少なくとも酒袋の口からは聞きたくなかった。大事な部分を土足で穢された。そんな気持ちになったのは確かだった。

 

「でも、その人は知らないでしょう? 私のもう一つの名前は」

「もう一つの名前?」

「二十五番さん」

 

 二十五番さんはふっと微笑みながらそう告げてきた。

 

「私、この名前も結構気に入ってるんです。店員さんがつけてくれたあだ名。他に呼ぶ人は誰もいませんけど」

「でももう本名知っちゃいましたから。その名前で呼ぶのは変ですよね。これからはどう呼べばいいですか。葉月さん?」

「苗字よりは、名前の方が嬉しいですね」

「……瑠衣さん」

 

 二十五番さん――もとい瑠衣さんはふっと微笑む。葉月瑠衣さん。無機質だった二十五番という名前に色がついた。

 

「じゃあ、今度はこっちの番ですね」

「というと?」

「店員さんの名前。私だけ本名を知られてるのは、フェアじゃないですから」

「そんな、真名じゃないんですから」

 

 と俺は苦笑してから続ける。

 

「榎木です。榎木結斗」

「榎木くん」

と瑠衣さんは口にした。俺の名前を。初めて。

「あるいは結斗くん。どっちの方がいいですか?」

「別にどっちでも」

「じゃあ、結斗くんにしましょう。榎木くんは他の人にも呼ばれてるでしょうから。それに私も名前呼びですし」

 

 瑠衣さんはそう言うと、くすっと笑いかけてきた。

 

「今思うと、お隣さん同士でこれまで散々話してきたのに、お互いに名前を知らなかったのはおかしな話ですね」

 

 二十五番さんと店員さん。

 俺たちの呼び名が、もう一つ増えた。

 瑠衣さんはベロベロに酔っ払っているけれど、明日の朝目覚めた時、この記憶は忘れていなければいいなと密かに思った。

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