重いタバコを吸ってる不健康そうな年上美人とドロドロの関係になっていた話   作:かめっくす

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ピアスの味

 朝。部屋に日が差してきて、意識が覚醒する。

 

 まどろみを振り払いながら、ベッドから上半身だけを起こす。

 いつもの朝。いつもの部屋。けれど、景色はいつもと少しだけ違っていた。

 ベッドの足元、テーブルに踏まれるように敷かれたカーペットの上。そこには瑠衣さんが横たわっていた。

 芋虫みたいに身を丸めながら、すやすやと寝息を立てている。

 

 昨日の記憶を思い出す。

 ゼミの飲み会の後、俺の部屋に来て飲み直していた瑠衣さんは、酔い潰れて自分の部屋に帰らずにそのまま寝てしまった。

 起こそうにも、起こせなかった。あまりにも安らかな寝顔だったから。だから俺はそのままにしておくことにした。そのうち起きて勝手に部屋を出ていくだろうと。でも結果はこの通り。とうとう一度も起きることなく、朝になっていた。

 

 俺はベッドの上から、瑠衣さんの寝顔を眺める。

 記憶が蘇ってくる。

 昨夜、彼女にキスをされた時のことが。

 

 酩酊状態だった彼女と、俺はとりとめのない会話をしていた。

 何を話していたのか、今となってはもう思い出せない。

 ただ、彼女が話す度にちらちらと見える舌ピアスに目を奪われていた。瑠衣さんは俺のその視線に気づいた。そして言った。

 

『ピアス、気になりますか?』

 

 ハイボールの缶を手にしながら、彼女はうっすらと微笑みながらそう尋ねてきた。心臓の鼓動がとくんと高く跳ねた。

 

『結斗くん、ずっと見てましたよね。私がコンビニにタバコを買いに来た時も。バレないように一生懸命繕ってましたけど』

『……気づいてたんですか?』

『はい。最初からずっと。だからわざと見せるようにしてたんです』

 

 確かに俺は彼女の舌ピアスに惹かれていた。

 タバコを買いに来た時、彼女がお礼を口にした時にちらりと覗かせる銀色の輝き。そこにほの暗い感情を感じていた。

 

『もっと見たいですか?』

 

 瑠衣さんは笑みを漏らすと、俺に向き直り、べろんと舌を剥いて見せてきた。薄紅色の舌の真ん中には、銀色のピアスが埋められていた。

 俺はその光景を目の当たりにして、息を呑んだ。

 ぬらぬらとした赤色の中にある、銀色の輝き。それは酷く淫靡だった。見てはいけないものを見ている気持ちにさせられた。

 

 でも、目を逸らすことができなかった。魅入られたように。釘付けになる。

 

 動けずにいると、瑠衣さんがゆっくりと身を寄せてきた。肩と肩とが触れあう。彼女の良い匂いが鼻腔をついた。湿った息づかいも聞こえてくる。

 間合いに入られたのに、動けない。

 

 気づいた時には、唇を奪われていた。

 蜘蛛が巣に絡め取った虫を、捕食するかのようだった。

 

 彼女の舌が口内に侵入してくる。互いの粘膜が、舌と舌とが絡み合う。熱い。ぬるぬるとしている。まるで生き物みたいに蠢いている。

 精巧な人形みたいに落ち着いた雰囲気の彼女。ただ、舌は異常な熱を孕んでいた。その圧倒的な熱が彼女が生物であることを伝えてきた。

 貪りあう。息ができないくらいに激しい。溺れそうになる。互いの熱が混ざり、溶けてしまいそうだ。

 ナメクジみたいにどろりと蠢く彼女の舌。そこに無機質な感触があった。

 ピアス。俺は彼女のピアスに舌で触れた。無機質だった。味のしない飴玉みたいだった。

 しばらく夢中になって、味のしない飴玉を舐め続けた。他に何も考えられなかった。頭の芯が痺れてしまったかのようだった。

 

 どれだけの時間が経っただろうか。瑠衣さんはやがて満足したように唇を離すと、

 

『ピアス、よかったですか?』

 

 と妖艶な笑みを浮かべながら尋ねてきた。

 俺は小さく頷くことしかできなかった。頭が痺れて、言葉が出てこなかった。言語中枢が溶けてしまったかのようだ。

 

『……ふふ。そうですか』

 

 うっすらと微笑む瑠衣さんは、俺よりもずっと大人びた表情をしていた。綺麗だった。

 それ以上は何もなかった。

 瑠衣さんは床に寝そべるとまるで電池が切れたみたいに寝息を立て始めたし、俺はそれ以上の行為に進む術をまだ知らなかった。

 だから、そこまでだった。

 

 いったい瑠衣さんが何を思ってそうしてきたのかは分からない。明日、目が覚めた時には何も覚えていないかもしれない。

 でも、少なくとも俺は覚えている。忘れられるわけがない。

 あの熱を、感触を刻みつけられてしまった。

 

 その後、俺はベランダに出てしばらく夜風に当たった。熱を冷ますために。そうしないと眠れる気がしなかった。

 

 

 

 

 昨夜の記憶を反芻し終えた後。

 登校する支度をしていると、背後から身じろぎをする気配が伝わってきた。

 

「んっ……おはようございます」

 

 目を覚ました瑠衣さんは、大きく伸びをしながら、俺の方を見てきた。

 

「すみません。寝落ちしちゃって。結果的にお泊まりしちゃいましたね」

「コーヒーでも入れましょうか。インスタントですけど」

「ありがとうございます」

 

 俺は台所に立つと、お湯を沸かす。カップにインスタントの粉を入れる。その上に沸騰した白湯を注ぐと完成だ。

 

「砂糖とミルクを切らしてるので、ブラックですけど」

「いえいえ。おかまいなく」

「あと一応、そのカップ、まだ使ってないものですから」

 

 何かのキャンペーンで貰ったものだった。

 

「お気遣いありがとうございます。でも私、そんなの気にしませんよ?」

「こっちが気にするんです」

 

 瑠衣さんはカップを受け取ると、ゆっくりとコーヒーを口にする。

 まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりと寝ぼけ眼だ。寝癖のついた髪は、彼女の印象をどこか幼く見せていた。

 でも、俺は鮮明に覚えていた。昨夜の捕食者としての妖艶な表情を。

 

「昨日、楽しかったですね」

 

 ちょうど彼女がその時のことを口にしたので驚いた。

 

「……覚えてたんですね。てっきり忘れてると思ってました」

「ちゃんと覚えてますよ。店員さんの名前を聞いたことも。ゼミの話をしたことも。結斗くんとキスをしたことも」

 

 無邪気にそう言い放つ瑠衣さん。

 彼女の中にもあの時の記憶は残っていた。俺が見た夢というわけじゃなかった。

 でも、だったらあれはどういうつもりだったのか。単なる酒の勢いだったのか。それとも他に何か意味があったのか。面と向かって尋ねることはできなかった。どういうふうに切り出せばいいのか分からない。

 

「もしかして、キスは初めてでしたか?」

「……だったら何ですか」

「いえ。嬉しいな、って思っただけです」

 

 瑠衣さんはテーブルに頬杖をつきながら、にこりと微笑みかけてくる。

 俺は内心、こんなにも動揺しているのに。彼女はまるで動じていない。とても穏やかな面持ちをしている。凪みたいに。

 余裕だ。大人だ。遠く感じた。

 直視できずに視線を逸らすと、壁時計は八時を示していた。

 

「……そろそろ行かないと」

 

 遅刻してしまう。

 

「俺、先に行きますから。帰るときに鍵を閉めておいてください。これ、合鍵です。次に会った時に返してくれればいいですから。それじゃ」

 

 踵を返すと、玄関に向かおうとする。一歩を踏み出そうとした時だった。制服のズボンの裾を引っ張られた。

 振り返る。

 俺のズボンの裾を引いていたのは、瑠衣さんだった。

 

「この後、出かけませんか?」

「え?」

「私、今日、大学が休みなんです。取っていた講義が休講になっちゃったみたいで。暇を持て余してるんです」

「でも俺は普通に学校ありますし」

「じゃあ、サボっちゃいましょう」

「いや、そんな軽い感じで言われても」

 

 たじろいだ。

 

「というか、他の人を誘えばいいじゃないですか。友達とか」

「他の人は予定が合わなくて」

「一人でも暇は潰せるでしょう。本を読んだり、映画を見たり」

「そうですね。でも、今日はそういう気分じゃないので」

 

 瑠衣さんはそう言うと、テーブルの上を指でなぞってから微笑む。

 

「私は今日、結斗くんと遊びたい気分なんです」

「そう言われても」

 

 ちょっと揺らぐ。

 

「学校をサボったら、授業についていけなくなるかもしれませんし」

「一日くらい大丈夫ですよ」

「白昼堂々外で遊んでたら、補導されるかもしれない」

「制服を着てなければまずバレませんよ」

「でも」

「そんなに学校が好きなんですか?」と尋ねられる。怒ってるでも嫌味でもなく、単純に気になっているというふうに。

 

 好きなわけじゃない。ましてや楽しいわけでも。

 憂鬱だった。特に今日は。体育でサッカーの授業があるから。

 

 身体を動かすこと自体は嫌いじゃない。運動神経も悪くない方だと思う。でも集団行動をするのは苦手だった。

 授業の最後に毎回試合が行われるのだが、それは二チームに分かれたサッカー部の生徒たちがじゃんけんでそれぞれ選手を取り合う。

 

 基本、クラスの中心の生徒から取られていく。同じく中心のサッカー部の生徒からすると友人でもあり、能力も人となりもよく知っているから。必然、日陰者は後になる。友達がいない俺は最後の最後まで余る。

 

 次々に選ばれて、抜けていく生徒たち。その光景を目の当たりにすると、自分が必要とされていないことを突きつけられる。透明人間だと。最後の最後、腫れ物扱いされながらも指名されるのを待つ。その時間は苦痛だった。

 

「私に付き合ってくれたら、学校に行くよりも楽しい一日を保証しますよ」

 

 瑠衣さんは指を立てながらそう言う。茶目っ気たっぷりに。

 

 また揺れる。

 学校に行くことと、瑠衣さんと遊びに行くこと。二つを天秤に掛ける。

 

「考えてみてください。もし明日隕石が落ちて地球が滅ぶとしたら、結斗くんはどちらの選択肢を選びますか?」

「それは」と俺は言った。「まず学校には行かないでしょうね」

「答えが出ましたね」

 瑠衣さんは微笑む。

「後悔しない生き方をしましょう」

「でも、実際には隕石も落ちてこないし、地球も滅ばない。一時的に後悔しない生き方を選び続けたら、長期的には後悔することになる」

「かもしれません」

 

 そこは否定しないらしい。

 けれど、言いながら、かなり天秤は傾いていた。遊びに行く方に。でも吹っ切って選択するほどの思い切りもなかった。だから天に委ねることにした。

 俺は提案を出した。

 

「……じゃあ、こうしましょう。じゃんけんをして、俺が勝ったら学校に行きます。瑠衣さんが勝ったら今日一日付き合います」

「ふふ。いいですね。でも私、強いですよ?」

 

 瑠衣さんは乗ってくる。両手の指を組み、伸ばす。

 

 彼女と対峙しながら思う。俺はどちらの結果を望んでいるのだろう。勝った時にちゃんと喜ぶことができるだろうか?

 逆にした方が良かったかもしれない。勝ったら学校に行くじゃなく、勝ったら瑠衣さんと遊びにいくというふうに。

 でも、だったら、誰も学校に行くことを望んでないことになる。何のためにじゃんけんをしてるのか分からない。

 そんなことを思いながら、俺は選んだ手を彼女と同時に繰り出した。

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