「なあ、
「はあ?」
昼休みの学食で黙々とうどんを啜っていた
それがあまりにもトチ狂った世迷言だったので僕の声音にこいつ何言ってんの?という気持ちが多分に含まれたことは仕方のないことだろう。
実際オブラートに包んで口にも出してみる。
「風邪でも引いたの?」
「いや、まったくの健康体だ。どうしてそう思ったんだ?」
「何の前触れも無く急にそんなこと言い始めたら熱で頭がどうにかなっちゃったのかと思って」
「なってねえよ! 俺は正気だし真剣だ!」
黄金井は声を大にして主張しているが、僕のカレーに唾が飛びそうなので止めてほしい。
「じゃあ何で急にそんなことを決意したのさ」
黄金井の意中の人である白野宮白亜さんは容姿端麗にして成績優秀、運動神経も抜群という絵に描いたような超優等生で、この学校の誰もが文句を付けない正真正銘のアイドルだ。
そんな彼女は僕と黄金井のクラスメイトであるのだが、黄金井は彼女への憧れや羨望を口にすることはあっても彼女を狙って具体的に行動することはなかったと思うのだけれど。
僕がカレー皿を黄金井から遠ざけつつその辺りのことを問うと、黄金井はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いて語り始めた。
「そう、あれは昨日の放課後、俺が日直の仕事でよく分からねえ冊子をひとりで運ばされている時のことだった……」
「あれ? 女子の日直は?」
「栗山さんだったんだが私部活のミーティングがあって〜とか言って逃げられた」
「ああ……」
「んなこたあどうでも良いんだよ。で、俺は重い冊子の入った段ボール箱を二箱も抱えて職員室から教室に向かってえっちらおっちら歩いていたわけだ。あれは中々にキツかったぜ……」
興が乗ってきたのか黄金井の語り口に力が入ってきて時間がかかりそうだったので、僕は適当な相槌を打ちながら食事を再開した。
「俺は階段に差し掛かり、段ボールで足元が見えない中階段を登った……。俺はズッコケないように一段一段慎重に登っていたんだが、踊り場にたどり着こうという時に気が緩んで階段に足を引っ掛けてしまったんだ!」
「ふうん」
「思わずつんのめる俺! 両手は塞がっているので倒れたら怪我は必至! もうダメかと目を瞑った時、俺を正面から支えてくれる人が現れた!」
それが誰なのかは話の文脈からして明らかだったが、カレーが口の中に残っていた……もとい、空気を読んで指摘はしなかった。
「俺がハッとして目を見開くと、段ボールの向こうに白野宮さんの顔があった! もう顔と顔がくっ付くんじゃないかって距離でさ! 驚きに目を見開く俺に、彼女はにこりと微笑み、大丈夫? と声をかけてくれたんだ! 白野宮さんの顔面がどアップになるわ吐息は感じられるは俺を支えるために白野宮さんの両手が俺の手に重ねられてるわで、危うくぜっちょ……昇天仕掛けるところだったぜ」
「普通に気持ち悪いなお前」
思わず気持ちが口に出てしまったが、テンションがハイになっている黄金井はそれに気がつかずに話を続ける。
「俺は急な展開に頭が真っ白になっていたんだが、白野宮さんはひとりでこんな荷物を持ってたら危ないわと言って俺の手から段ボール箱をひとつ取り上げて、俺が何かを言う前に階段を登り始めた。俺は慌てて彼女を追いかけて隣に並んだんだが、そこから教室までは至福の時間だったな……。緊張しすぎて何話したかまったく覚えてないけど」
「だめじゃん」
「仕方ないだろう急展開過ぎて心の準備ができてなかったんだから! ……で、お前どう思う?」
黄金井の問いに、僕はふむ、と一瞬だけ考えてから答えた。
「仮にラブコメとして見たら展開がベタだし、ヒロイン候補との会話が欠落しているのはマイナスだね。それに、黄金井の語り口が冗長だからそのまま書いたら読者は途中で投げると思う」
「誰が物語の採点をしろと言った文芸部員め! 俺の真剣な恋愛話までそういうのに絡めようとするなよ!」
「そりゃあ悪かったけど、黄金井の話しぶりだって文芸部っぽさが出てたじゃないか」
そう反論をしつつも、僕は己の迂闊な物言いをちょっとだけ反省する。
物事を創作の世界に当てはめて見るのは僕の悪い癖だ。創作を志す者としては必要な感覚だと思っているが、それをあまり表に出し過ぎるとろくなことにならないのは身をもって知っている。
……それでも黄金井の話を真面目に取り合う気にはあまりならないのだけれど。
「確かにちょっと劇的に見せようと大仰な話し方だったのは認めるが、見るべきところはそこじゃない! あの踊り場でのほぼゼロな距離感! 好き好んで重い荷物運びを手伝ってくれる健気さ! 白野宮さんは俺のことが好きに違いない!」
どんっ!と効果音が付きそうな勢いで主張する黄金色だが、自意識過剰と言う他ない。僕はスプーンを置いてから水をひと口飲むと、哀れな黄金井の勘違いを正してやることにした。
「黄金井からすればそれこそマンガや小説みたいな展開だったかもしれないけどさ。白野宮さんは君のことを欠片も意識してないと思うよ」
「はあ!? 何でそんなことが言い切れるんだよ!」
黄金井は僕の言葉に不満げな表情で食って掛かる。普段のお調子者ながらも人と波風を立てるタイプではない黄金井なら考えられない反応だ。
僕は何故だかやたらと熱くなっている黄金井に現実を突きつけてやることにする。
「まず前提からしてあり得ないよ。白野宮さんならサッカー部エースの
「そ、それは……どこかで俺に惚れるようなフラグを立てているとか、誰も気がつかなかった俺の魅力を白野宮さんが発見したとか……」
僕の容赦の無い指摘は恋に盲目な黄金井にも刺さったようで、先ほどのように反発することなく弱々しい口調で反論してくる。まあ、その反論もラブコメにありがちな展開を口にする辺り語るに落ちているのだけれど。
僕は黄金井の反論に耳を貸さず、続けざまに言葉をぶつける。
「それに、黄金井は白野宮さんが自分に優しくしてくれたり自分との距離感が近いとか言ってるけれど、正しくないよね。白野宮さんは誰にでも優しいし、誰とでも距離感が近いじゃないか」
「う”っ!」
黄金井は反論することもできずうめき声を上げて沈黙した。
そう、黄金井の話だけでは白野宮さんが特別黄金井に好意を持っているとは言えないのだ。白野宮さんはイケメンだろうがオタクだろうが運動部だろうが文化部だろうがギャルだろうが真面目だろうが陽キャだろうが陰キャだろうが文系だろうが理系だろうがだろうがカースト上位だろうが底辺だろうが、すべてに等しく平等に優しいのである。
その上やたらとパーソナルスペースが狭いようで、造形物のような美貌やグラビアアイドルとしてやっていけそうな豊満な肢体を至近距離に寄せられて堕とされる男子が後を絶たない。
僕も以前、図書室で本を読んでいた時に白野宮さんから声をかけられ僕の肩越しに読んでいる本を覗き込みながら本の内容について会話したことがある。
自然な感じで肩に手を置かれるわ玉を転がすような声が耳をくすぐられるわでとてもドギマギした記憶がある。
それでも黄金井のようにのぼせ上がって告白まで考えるほどではないと思うけれど。
そんな感じで白野宮さんに恋をして告白する男子生徒が続出しているのだが、本人は恋愛に興味ないのかそのすべてを丁寧かつ容赦なく断っているのである。件の青葉君や翠山君も白野宮さんを狙っているが、本人がこんな感じなので様子見しているところなのだとかなんとか。
そのふたりでなくとも、僕と同じく一般モブな黄金井より優良物件な男子が何人白野宮さんにのぼせ上がって突貫し撃沈している様子を見ているだろうに、黄金井も良くぞ自分ならいけると思い上がれるものだ。
むしろそんな黄金井を思い上がらせて告白を決断させる白野宮さんの魅力こそ驚くべきというものかもしれない。
いや、魅力というより妖力の類かもしれない。
「……確かに黒江の言う通りかもしれない」
僕がそんな考察をしている横で項垂れていた黄金井がぽつりとつぶやく。
やれやれ、ようやく現実を理解してくれたらしい。黄金井が無為な告白をして傷つかないよう心を鬼にして容赦なくバッサリと斬り捨ててやったので黄金井の反発を招くかもと危惧していたのだが、無事に諦めてくれたようで何よりだ。
……と、思ったのだが。
「けどよお。こんな気持ちを抱えて白野宮さんを遠巻きするだけなんて、俺にはとてもじゃないが出来そうにねえ! どうせなら当たって砕けてやるぜ! 俺は!」
「黄金井……」
言い回しが厨二臭すぎる、という言葉はすんでの所で飲み込んだ。
「例え可能性が万に一つだとしても、俺は白野宮さんに──!」
「私がどうしたの?」
手にした箸を振り回し高らかにその決意を宣言しようとした黄金井は、横手から声をかけられてぴしりと固まった。
声に誘われるように振り向くと、そこには白野宮さんが立っていた。白野宮さんは普段教室で手作りのお弁当を食べていたと思ったのだが、今日は学食に来ていたらしい。手にはお弁当箱をぶら下げているので、いつも彼女とご飯を食べている誰かが学食を利用するのについてきたのかもしれない。
「あ……いや……」
黄金井は特に睨まれているわけでもないのに、白野宮さんの視線を受けて硬直している。白野宮さんは黄金井の様子を見てか少し困ったように微笑んだ。
「突然ごめんね。私の名前が聞こえた気がしたから気になっちゃって」
「い、いや! 別にそんな!」
申し訳なさそうな白野宮さんに黄金井が慌てた様子で声を上げる。しかし、まさか白野宮さんに告白するべく心意気をぶち上げていたなんて言えずそれ以上は言葉が出ない様子だった。
ここからどういう展開になるのか非常に気になるところであるが、黄金井の冷や汗がすごいことになっていたので助け船を出してやることにする。
「白野宮さんが昨日黄金井の手伝いをしてくれたから、すごい助かったって話をしていたんだよ」
「昨日?」
僕の都合の悪い部分を伏せた説明に白野宮さんは何のことか分からなかったのか一瞬首をかしげたが、すぐに思いだした様子で頷いた。
「ああ、放課後のこと? あんなの全然たいしたことじゃないのに」
「そんなことないよ!」
まあそうだろうなと頷こうとした僕は、黄金井が突然叫びだしたので驚いた。
「黄金井?」
黄金井の顔を見ると、真剣、というにはいささか目が血走ったヤバ気な表情で白野宮さんを見つめている。
明らかに常軌を逸した黄金井の様子に僕は困惑することしかできないが、白野宮さんはそんな黄金井に穴が空きそうなほど見つめられても、少なくとも表面上は動じることなく見つめ返している。
「お、俺は白野宮さんに助けてもらえなかったら間違いなく顔面から落ちて怪我をしてた。だから、君が俺を助けてくれたのはたいしたことじゃない! それに、あんな重い段ボールだったのに君は嫌な顔ひとつせず手伝ってくれて。だから……俺は……」
黄金井は、客観的に見て非常に興奮していた。昨日も緊張して会話の記憶がないとか言っていたから、緊張しすぎてテンションがおかしくなっているということなのだろうが、ただ感謝の気持ちを伝えるだけでそうはならないだろうと思うぐらいには普通じゃない。
物語の登場人物に例えるならなんていうかこう、意中の女の子を執拗につけ回したあげく、思いあまって女の子の前に飛び出してきたストーカーっぽいというか……。
黄金井が何かしでかす前に止めるべきなのだろうか? けれど、止めるといっても表面上は普通に会話をしているだけだし……それに。
僕はちらりと白野宮さんの様子を盗み見る。黄金井からは明らかにヤバい雰囲気を感じるのに、白野宮さんはいっそ怖いぐらいに平然としている。
特に問題ないという確信があるのか、それとも……。
と、その時。
「白亜、何やってんの?」
異様だった場の雰囲気が一瞬で霧散する。
「あ、ベニちゃん」
白野宮さんに声をかけたのは、
「黄金井君たちとお喋りしてたの」
「へえ」
白野宮さんの答えに相槌を打ちつつ、紅谷さんがチラリとこちらに視線を向ける。
紅谷さんは制服を着崩し、髪を茶髪に染め緩いパーマをかけたいかにもギャルという感じの人だ。
その姿からして僕や黄金井とはあまり縁のない(実際に同じクラスでありながらほとんど話したことがない)タイプなのに、その上紅谷さんの切れ長の目が僕と黄金井にうちの白亜に何しとるんじゃごらぁと言わんばかり注がれている。
白野宮さんと紅谷さん幼稚園からの幼馴染だと聞くし、白野宮さんの保護者みたいなポジションなので僕たちのようなモブが彼女に近づくのを快く思わないのだろう。
紅谷さんのメンチに別に何もしていない僕は彼女から視線を逸らしただけでよかったが、黄金井の方は真っ青になっている。
紅谷さんはそんな僕たちをほぼ睨んでいると言ってもいいぐらいの目で見ていたが、やがて視線を外して再び白野宮さんに話しかけた。
「緋奈子たちも先に行っちゃったし、あたしらも早いとこ教室に戻るよ」
「はあい」
白野宮さんは軽く返事をしてからこちらを振り向くと、にこりと微笑んだ。
「それじゃあ黄金井君、黒江君。また教室でね」
その笑みの華やかさに黄金井が顔を真っ赤にして使い物にならなかったので僕が頷いて手を振ると、白野宮さんも手を振り返してくれた。
やれやれ、紅谷さんのお陰で変なことにならずに済んだ。流石白野宮さんの番犬の通り名を持つだけのことはあるな。
紅谷さんと並んで去っていく白野宮さんを見送りながら、僕は安堵のため息をついた。
あのまま紅谷さんが声をかけて来なかったら、黄金井が何をやらかしてどうなってしまっていたかはわからないが、その場にいた僕が巻き込まれて何らかの被害を受けそうな雰囲気があった。
僕としてはイベントやらトラブルやらは創作のネタになると思っていてどんと来いな質なのだが、それはあくまでも他人事な時に限る。自分が酷い目にあってまでネタ集めをするつもりはないのである。
しかし、黄金井も変だったが白野宮さんの落ち着き具合も相当だった。
横で見ていただけの僕ですら黄金井の様子がおかしいと感じていたので、正面からあんな目で見つめられていた白野宮さんは怯えてもおかしくないと思うのだがそんなこともなく微笑むだけだった。
「……俺、今日の放課後に勝負をかけるぜ」
「うん……って」
考え事をしていたので黄金井が口にした言葉を危うくスルーするところだった。
黄金井を見ると、紅谷さんに睨まれて先ほどのような興奮状態は鳴りを潜めたようだが、その表情からは並々ならぬ決意を感じる。
僕が言葉で押し留め、紅谷さんに睨まれてもその想いは抑止できなかったらしい。恋は盲目とは言うけれど、盲目すぎる恋は碌な結果を生まないと思うのだけれど。
……まあ、言って聞かないならしょうがないか。
「黄金井。それならさ……」
*
「遅れてごめんね、黄金井君」
「全然構わないよ! そ、それより、来てくれてありがとう!」
放課後の人気のない校舎裏に、白野宮さんは現れた。こんな場所に呼び出される理由など分かりきっているだろうに、その表情には緊張も不安も感じられない。
対して黄金井の方は遠目にも分かるぐらいがちがちに緊張している。
事前に確認した感じだと、黄金井は彼女いない歴イコール年齢で誰かに告白するのも人生初の試みらしいので余裕はまったくないだろう。何か適当なアドバイスでもしてやれれば良かったのだが、僕とて黄金井と同じ条件なので適当な激励の言葉と共に送り出すしかなかった。
僕はそんなふたりを校舎の角から遠目に観察している。
黄金井が告白している間人が近づかないように見張っているとか適当なことを言って近くに控えることを了解させたのだ。
黄金井が実際に何かやらかすほど分別の無いやつだとは思わないが、お昼の様子だと何かが起こってもおかしくは無かったのでそれに対応する措置である。
──僕としては、何かが起こってくれても全く構わないのだけれど。
まあ、この後に発生する告白イベントの結果は目に見えているが、億にひとつぐらいの確率で成功するかもしれないし、黄金井とてダメで元々なのは理解しているはず。
白野宮さんに断られて黄金井がそれで諦めるようであれば友人としては一安心だし、あまり落ち込まず人生の肥やしにするぐらいで収まってほしいものだ。
そんな感じて腹に一物を抱えつつもふたりの様子を見ていると、躊躇してもじもじしていた黄金井が決然と顔を上げた。
「し、白野宮さん! 好きです! 俺と付き合ってください!」
気を衒うことのない、直球ど真ん中の告白。黄金井の表情には迷いもためらいもなく、その熱のこもった視線は白野宮さんに真っ直ぐ向いている。
ここに来て漢を魅せた黄金井に僕は感心しつつ、白野宮さんの返答に注目する。
可能性が兆にひとつだとしても、思いの丈を込めた告白を聞かせられたらあるいは白野宮さんの心を動かすことができるのではないか。
そう思っていたのだけれど、彼女からの返答はやはり予想通りだった。
「ごめんなさい。私、今は誰かと付き合う気はないの」
真摯な表情で頭を下げてみせる白野宮さん。黄金井の表情から情熱という色が抜け落ちていく。
やはり奇跡は起こらなかったらしい。
他人の告白シーンなんてそうそう拝めるものじゃないけれど、けっこう良い線行ってたと思うんだけれどなあ。やっぱりイケメンではない一般モブはちゃんと好感度を稼いでフラグを立てないと告白なんて成功しないということか。
「──」
僕が勝手に反省会を始めていると、かすかに声が聞こえた気がして再びふたりに目を向ける。
「なんでだよ白野宮さん!? あんなに俺に優しく笑いかけてくれて! 俺のことを見てくれたのに! 何で!」
すっかり色が抜けて真っ白になっていたはずの黄金井が白野宮さんに詰め寄る。振られた未練と思えばその様は哀れだが、そのあまりにも必死すぎる形相は狂気的だった。
黄金井は白野宮さんが何かを言う前に掴み掛かり、勢いに押された白野宮さんは体勢を崩してそのまま地面に押し倒されてしまう。
正直本当にこんな展開が起こり得るとは思わなかったが、逆に言えば理由をつけてまで僕がこの場にいた甲斐があったというものだ。
僕は校舎の角からふたりの方に飛び出していく──なんてことはせず、ふたりの様子を観察し続ける。
お昼休みに見せた黄金井の豹変もそれに対して平然としている白野宮さんも、どう好意的に解釈しても普通だとは思えなかった。
意中の女の子に過剰に想いを募らせる男とそんな男に慣れっこな女の子というには異様すぎる。
今まさに黄金井に襲われている白野宮さんには申し訳ないが、この人気のない校舎裏で興奮しきった男とふたりきりというシチュエーションでも余裕ぶっていられるのか見せてもらおう。
何だったらここからその細腕で黄金井を制圧してみせてくれてもいいし、魔法みたいな不思議な力で解決してくれたら僕が嬉しい。
もちろん白野宮さんが悲鳴のひとつも上げるなりすれば、人が集まる前に速やかに黄金井を制圧するつもりだから安心してもらいたい。
そう心の中で言い訳しながらも、さあどうなるかと事態の行く末に注目する。
白野宮さんは押し倒されて背中を打ったらしく痛みに顔をしかめている。黄金井はといえば、白野宮さんを押し倒した状態で何も言わず何もせずで固まっている。
まるで行動を起こす気配のない黄金井にあいつは何をやっているんだと焦ったくなってきた時、ふと気がついた。
……もしかして、図らずも我が校のアイドルを押し倒してしまったもののこの後どうすればいいか分からない、とかそういう感じなのだろうか。
確かに
しかしまあ、黄金井の脳内がどれだけ混乱して使い物にならなくなっていても、白野宮さんからすれば男に押し倒された危険な状況には変わりないだろう。
むしろ男に無言で組み敷かれて見下ろされる状況は僕でも普通に怖い。
これならお昼に何事もないように落ち着きを見せていた白野宮さんも平静ではいられまい。
しかし、僕のそんな目論見は外れた。いや、ある意味では当たっているかもしれないが。
白野宮さんは背中の痛みから立ち直って周囲を確認する余裕が出てきたのか、まず正面で自分を組み敷く黄金井を見て、次に周囲を見回し人気が無いことを把握した……ように見える。
そうしてもう一度黄金井を見てから、白野宮さんは困ったような微笑みを浮かべた。
お昼休みに僕たちに見せたように。怯えることも、抵抗することもなく。
県内でも有数の進学校である我が河越高校の中でも一、二を争う才媛たる白野宮さんが、この期に及んでまだ状況が理解できないほど初心なお嬢ちゃんさんということもあるまい。
つまりあれは、あの感情は……なんだ?
白野宮さんの心理を理解できず困惑する僕は、つい校舎の角から身を乗り出しすぎて白野宮さんと目が合ってしまった。
「あ」
白野宮さんが口を開く前に僕は校舎の陰から飛び出して全力でダッシュを決めると、手にしたカバンを振り回し黄金井の側頭部に打ち付けた。
不意打ちをくらってなすすべもなく吹っ飛び倒れ伏す黄金井。僕は目を丸くしている白野宮さんが息をつく暇も与えずまくし立てた。
「黄金井お前! こけてうっかり白野宮さんを押し倒すなんてマンガみたいなことやらかして! 早くどかないと白野宮さんが立てないだろ!?」
「うう……」
僕の言葉に反応してかそれとも吹き飛ばされた痛みのためか分からないが当たり所は悪くなかったらしく意識はあるようだ。僕はうめき声を上げる黄金井に駆けより無理矢理立たせる。
「ごめんね白野宮さん! こいつにはきつく言って聞かせておくから! それじゃあまた明日!」
そうして僕はまだ起き上がってもいない白野宮さんに一方的に告げると、黄金井に肩を貸して引きずるようにしてその場を離脱したのであった。
*
黄金井が白野宮へ想いを告げ、儚く散ってから数日経った放課後。
僕は図書室でひとり寂しく、カウンターに座って図書委員としての仕事をしていた。
本来であればもうひとり当番がいてふたりで仕事をすることになっているのだが、相方は用事があると連絡だけ送ってきて休んでいた。
もちろんそんなものは言い訳で、天気予報が晴れの予報だったにも関わらず午後から急激に天気が怪しくなり今にも雨が降り出しそうな雲行きなので、降られる前に帰りたかったのだろうと僕は睨んでいる。
僕だって傘を持ってきていないから早く帰りたいのに……。
そんな日であるからか普段ならそれなりに利用のある図書室には誰もやってこず、返却図書の片付けが終わってしまうと途端に暇になってしまった。
やることのない僕はカウンターに頬杖をつきながら、窓の外の分厚い雲を眺めて考え事をしていた。
考えるのは先日の告白劇についてだ。
黄金井は振られたことに傷心してか翌日は学校に来なかったが、その次の日からは普通に登校してきた。話してみると失恋のショックはあれど自分の中で折り合いがついているらしく、特に常軌を逸した行動をすることも白野宮さんに良からぬことを企てている様子もない。何かの魔法で操られていたのが元に戻ったというぐらいにいつも通りの黄金井だ。
なお、自分が白野宮さんを押し倒したことは記憶していなかった。これも白野宮さんの魔法の力であって、けして僕のかばんの当たり所が悪かったせいではないはずである。
そんな黄金井に魔法をかけていた白野宮さんはといえば、特に何事もなく至って平常運転だ。告白劇の翌日も普通に登校してきていて、普通に授業を受けている。
正直なところ、その場では全力で誤魔化したが白野宮さんは自分に襲いかかってきた黄金井やそれを傍観していた僕を糾弾することもできる立場であるため、いつ職員室に呼び出されるか(もしくはクラスメイトたちに囲まれるか)とびくびくしていたのだが特にそのようなこともない。
あんなことなど初めからなかったかのような日常にほっとすると同時に、少し残念な気持ちにもなってくる。
つらつらとそんなことを考えながらぼんやりとしていると、入り口の扉が開いて誰かが入ってきた。
こんな天気で居残りをしていた物好きか、それとも部活動終わりの生徒辺りかと予測しつつ顔を向けると、そこにいたのは白野宮さんだった。
ついさっきまで白野宮さんのことを考えていた僕はまさかの本人の登場に思わず息を止める。白野宮さんは僕がカウンターに座っていることに気がついてにこりと微笑んだ。
「黒江君、こんな時にも図書委員の仕事なの? 大変だね」
その笑みには何の
先日の一件から何となく気まずい僕は、何とか笑みを作りつつ応じる。
「これも仕事だからね。相方には逃げられたけれど。白野宮さんこそ、こんな時にわざわざどうしたの?」
「本当は私も早く帰らなきゃって一回学校を出たの。けれど、今日が返却期限の本があったのを思い出して戻ってきたんだ」
そう言いつつ、かばんから文庫本を取り出してみせる白野宮さん。僕は苦笑しつつも彼女から文庫本を受け取った。その本は何の変哲もない先日映画化が発表されたばかりのエンタメ小説だった。ちょっとだけ残念な気分。
「なるほど、それは災難だったね。通りで
「本当はベニちゃん達も一緒に戻るって言われてたんだけれど、私のうっかりだしベニちゃん達が雨に降られたら申し訳ないから先に帰ってもらったんだ」
当たり障りのない会話を繰り広げつつ、返却処理を進める。この様子なら先日の件は本当に無かったものとして扱っても良さそうだ。
「ああ、そうだ。黒江君、この前はありがとう」
そんな風に内心安堵していたとき、白野宮さんが何気ない感じでぶっ込んできた。
「……何の話?」
「ほら、この前私が黄金井君に告白されていた時。黄金井君に押し倒された私を助けてくれたでしょう?」
とっさに上手い返答が思いつかず惚けるような言葉しか出てこなかったのだが、その程度では許されなかったようだ。僕は必死に頭を働かせて上手い言い訳を考える。
「……ああ、あの話ね。こっちこそ申し訳なかったよ。黄金井のやつ、テンパりすぎて色々余裕がなかったみたいでさ。自分がすべって転ぶだけならまだしも、白野宮さんを巻き込むなんてって反省してたよ。後で落ち着いたら白野宮さんに謝るつもりだったんだけど……」
けしてわざと押し倒したわけじゃないですよと改めてアピールしつつ、謝るつもりはあるということも主張する僕に、白野宮さんはなんでもないように頷いた。
「ううん。そこまでしなくても大丈夫だよ。ああいうのはよくある話だし」
口ぶりから察するに誤魔化しはあまり効いていないようだが、どうやら許してはくれているらしい。僕は助かったと安堵し、そして彼女の奇妙な発言に気がついた。
「
「うん。私、告白はよくされるんだけれど、断り方が悪いせいか話が拗れることがあって……」
「ええ……」
「もちろんそう何度もあることじゃないんだけれどね。本当はベニちゃんにはああいう呼出には必ず誰かについてきてもらえって言われてたんだけれど、あの日はちょうど皆用事があっていなかったから」
「いやあ……。それなら、時間をずらしてもらうなりなんなりすれば良かったんじゃ……」
「そうも考えたんだけれど、まあ大丈夫かなって」
「そんな適当な……」
僕は困惑した様子を見せつつも、内心では納得していた。黄金井が特別ああいう異常行動を取ったわけではなく、何人もがあんな豹変をするのであれば原因が白野宮さんにあるのは明白だろう。
どうやら黄金井と距離を置く必要はなさそうだと安堵しつつ、白野宮さんの男を惑わせる異常な魅力と隙の大きさに疑問を覚える。恋しさ余って憎さ百倍となり白野宮さんに襲いかかるほど相手を狂わせる様は傾国という言葉がぴったりだが、それが分かっていながら男の前にひとりでのこのこ出てくる感覚はさっぱり分からない。
「そんなことより、黒江君に聞きたいことがあって」
「ああ、うん。何?」
考察で忙しい僕は白野宮さんのお伺いに何気なく頷いたのだが。
「あの時黒江君、私のことをすぐに助けないでじっと見ていたでしょう? あれ、どうしてかなって」
気安い感じに問われた内容に背筋が凍る。それは僕が最も聞かれたくない話だった。
「そ、それは咄嗟のことですぐに動けなくて……」
「けっこうしっかり観察しているように見えたんだけれど」
「気のせいだよ気のせい」
僕の強弁にそうかな?と首を傾げる白野宮さんにそうだよ、と冷や汗をかきながら頷く僕。
「そっかあ。もしそうなら理由を教えてもらおうと思ったんだけれど」
「理由?」
「うん。何か私に変なところがあったかなって」
私に?変な?
確かに僕からすれば白野宮さんは変だったけれども、何故それを彼女自身が──。
僕はその時に感じた引っかかり、あるいはひらめきに従って口を開いた。
「……実はそうなんだ。白野宮さんの反応が普通じゃないなと思って気になってしまって。ごめん」
謝罪の言葉と共に頭を下げる。
ともすれば白野宮さんに不快感を与え、糾弾されることにもなりかねない行動だ。しかし。
「どんなところがおかしかった」
白野宮さんは顔色を変えることすらせずに聞き返してくる。
「……黄金井が犯罪でも犯しそうな顔で話しかけても怖がったり警戒したりしてなさそうだったからかな。それが気になって黄金井の告白についていって、黄金井に押し倒されて組み敷かれても全然平気そうだったからいよいよ普通じゃないなって」
「そっかあ。やっぱり普通って難しいな」
僕の説明に白野宮さんは困ったような表情で微笑んだ。
「
「うん。私、昔からそうなの。他人と同じように出来ないっていうか……」
「ああ~……一般常識がないとか、そういうこと?」
「ううん、ちょっと違うかなあ。なんていうかこう、人の気持ちが分からないみたいな。普通こういう時はこう思うとか、こういう反応が普通だとか」
「なるほど? ……つまり、他人の感情が理解できない?」
「それも正確じゃないかな」
ほとんど確信に近かった僕の問いに、白野宮さんは首を振った。
「私はそもそも喜んだりとか怒ったりとか、そういう感情がよく理解できないんだよね」
「え……」
感情そのもの?
「けど、白野宮さんはいつも人と話す時に笑っているじゃないか。それなのに?」
「そんなの、とりあえず笑っておけば大抵なんとかなるからそうしてるだけだもの」
つまり、誰も彼もが魅了されてきた天使の微笑みは、ただの愛想笑い!?
愕然とする僕に白野宮さんはにこりとする。これも彼女の言うことが本当であればとりあえずで形作っただけの表情ということだ。
「本当は怖がったりとか悲しそうにしたりとか色々な表情をしなきゃいけないと思ってはいるんだけど、その時その時の状況に合わせて咄嗟に表情を作るのって中々難しくて……」
「それでつい、笑って誤魔化してるってこと?」
「うん、そうだね」
白野宮さんは変わらぬ笑みを浮かべたまま、僕の言葉を肯定した。
……ようやく彼女の言うことがすべて飲み込めた。
「……白野宮さん、ちょっと」
僕が白野宮さんに手招きすると、彼女は素直に身体を寄せてきた。
カウンターを挟んで向かい合っていた僕と白野宮さんの距離が数十センチ程まで縮まる。
僕は白野宮さんの目を見てはっきりと告げた。
「胸、触るね」
僕は手をわきわきといかがわしく動かしながら白野宮さんの豊かな双丘に伸ばす。
己のデリケートな部分を鷲掴もうとするそれを、白野宮さんは何の感慨もない視線で追って──。
彼女の胸に触れる直前、僕は伸ばした手を止めてそのまま引っ込めた。
「…‥触らないの?」
不思議そうに首を傾げる白野宮さんに対し、僕は無言で彼女の腕を取ると制服の袖を捲る。
そして晒された彼女の白い腕に、二本の指をぴしりと叩きつけた。
「いたっ」
唐突にしっぺをくらい、ちょびっとだけ顔を歪める白野宮さん。
「え? 何で私叩かれたの?」
「ごめんごめん、ただの実験だよ」
怒りもなく純粋な疑問の表情をもって問うてくる白野宮さんを適当にあしらいつつも頷く僕。
どうやら彼女には、心というものが欠落しているらしい。
そして喜怒哀楽その他諸々、内側から湧いて出てくるはずの感情が存在しないから、他人の感情に
男の邪な視線も劣情が分からないからこそ、黄金井に押し倒されたり僕に乳を揉まれそうになっても平静としていられるのだ。
痛覚は流石に存在しているようではあるが、この様子では痛みに対する不快感や恐怖を感じてはいないのではなかろうか。
とにかくこれで、白野宮さんの普通じゃない態度への疑問は氷解した。
「白野宮さん、よく今までまともに生きてこれたね。そんなんじゃまともにコミュニケーションも取れないだろうし、社会的に孤立してもおかしくなさそうなのに」
歯の間に挟まった食べ物がするっと抜けた時のような爽快感につい気が大きくなってだいぶ失礼な物言いをしてしまったが、白野宮さんは気にした様子もなく首をかしげた。
「そう? 今まで生きていて特に困ったりはしたことなかったけれど。何かあればお母さんとかベニちゃんとかが助けてくれたし」
そりゃあ白野宮さん自身は困ったなんて感情に根差した状況を理解できないのだから、困ったなんて思ったこともないだろう。
「それじゃあ白野宮さんが普通っぽく生きられているのはお母さんとか紅谷さんのお陰ってわけだね」
「そうだね。分からないことがあったら聞けば大体教えてくれるし、感謝してるんだ」
そう語る白野宮さんの表情は相変わらずの笑み。しかし、本当に彼女の言うことが真実であればその笑みはただのハリボテで、その感謝の言葉には何の気持ちもこもっていないのだ。
僕は楽しくなってきて、白野宮さんに問うた。
「白野宮さんがそんな有り様だってことは他に誰が知っているの?」
「ううんと。特に誰かに言ったことはないから、黒江君が初めてじゃないかな」
「家族にも、紅谷さんとか友達にも話してないんだ」
「うん。特に聞かれたこともなかったから」
確かに他人に対してお前は人の気持ちが分からないのかなんて失礼なことを、それも白野宮さんのような絵に描いたような優等生にたいして聞く機会など滅多にあるまい。
そして、そんな彼女にお前は普通じゃないと臆面も無く言ってのけたのが僕だ。彼女はそれを不快に思うことなく、事実として肯定した。ただそれだけのことであると。
「ああそうだ。それでさっきの話に戻るんだけれど、私は黄金井君に対してどういう風に接すれば良かったのかな」
白野宮さんが本来の目的を思い出し僕に問うてくる。自分がどう振る舞えばいいのか、自分自身ではたどり着けない答えを知るために。
僕はだらしなくにやけそうになる表情を何とか普通の笑みっぽく取り繕いつつ彼女に教えてやる。
「そうだね。今回の場合だと中々難しいけれど、僕は怖がって見せるのが一番良いと思うな。白野宮さんみたいな女の子が男に血走った目で見られたり押し倒されたりしたら普通は怖いと思うものだからね」
「ふうん、そっか。ありがとう黒江君」
白野宮さんは見る人すべてを魅了する笑みで僕に礼を述べる。
創作の世界にどっぷりとハマった僕としてはあまり三次元に興味はなかったのだけれど、この笑顔は好きになれそうだ。
この恐ろしいほどに美しく、哀れなほどに空々しい笑みならば。
「あ。雨、降ってきちゃったね」
白野宮さんにつられて窓の外に視線を向けると、確かにぽつぽつと水滴が窓にぶつかりしたたり落ち始めていた。この様子ならば雨は直に本降りになるだろう。
「困ったな。今日は傘を持ってきてないんだよ」
「それなら私の傘に入っていく? 確か黒江君も電車だよね?」
僕がぼやくように言うと、白野宮さんがそんな提案をしてくれる。
「本当? それならお願いしようかな」
僕は笑みを浮かべながら立ち上がった。時間的に図書室を閉めるにはちょっと早いがまあ構わないだろう。
それよりも白野宮さんと一緒に帰ることの方が何倍も重要だ。
無論それは大多数の男子が考えている青臭い春のような気持ちのためではなく。
この可憐で美しく、それでいて面白おかしいほどに普通ではないクラスメイトの内面を知る絶好の機会であるが故である。