白野宮さんはわからない   作:萬屋久兵衛

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第2話

 

「あんた休日はいっつもゴロゴロしてるけど、なんかすることないの?」

 

 僕がリビングのソファーに寝そべりながら本を読んでいると、声が降ってくる。視線をそちらに向けると、姉が呆れたような表情で見下ろしてきていた。

 

「本を読むので忙しいんだよ」

 

 こいつが目に入らないのかと手にした本を示すが、姉はこれ見よがしにため息を吐いた。

 

「本なんて夜でも移動の隙間時間でもいつでも読めるじゃない。私が言ってるのは、友達と遊ぶとか外に出て何かするとかそういうことよ」

 

 僕は読書軽視とも取れる姉の発言にイラッとしたが、反論はしなかった。

 インドア志向な僕と違ってアウトドア派な姉にとっては本を読むなんてのはただの暇つぶしでしかないらしく、昔から本を読むことの素晴らしさをちっとも理解しようとしないので何かを言うだけ無駄なのである。

 だから僕は適当なことを言って話を打ち切りにかかる。

 

「読書に飽きたら何をするか考えるよ」

 

 現時点で読みたい本が百冊ぐらいあるから飽きるなんてことはないだろうけれど。

 僕が読書を再開すると姉は再びため息を吐く。

 

「まったく、私の弟なのに何でこんなに物ぐさになっちゃったのかしら」

 

 姉を反面教師にした結果こう育ったのだとはかけらも思わないらしい。

 

「あんたこのままじゃ恋人もできずにずっと独り身で生きることになるわよ。それでそのうち孤独に耐えられなくなって、女の子の下着に欲情して盗みに入るような性犯罪者に成り下がっちゃうんだから」

 

「とりあえず姉ちゃんは普通に生きている全世界の独り身の男性に謝った方がいいと思う」

 

 例えにしたって酷すぎるだろう、それは。

 それでもぐちぐちと小言を言う姉にこちらがため息を吐きたい気分だ。

 姉と僕は性格も趣味嗜好も正反対と言ってもいいぐらいに違うが、姉弟仲がそこまで悪くないものだからこうしていらぬお節介を受けることがある。

 いいから放っておいてほしいと思うが、わざわざ反発して喧嘩するほどのことではないので僕は嵐が過ぎ去るのを身を伏せて待つしかないのだ。

 上から降ってくる言葉の雨に耐えていると、僕のスマホから珍しくラインの通知音が鳴った。

 小言を聞き流す材料になれば何でもいいとスマホを確認すると、相手は白野宮さんだ。

 トーク画面を開いて中身を確認すると、画面いっぱいに女性物の下着が広がった。

 

『この中だとどれが良いと思う?』

 

「……」

 

「どうかしたの?」

 

 思わず表情に出てしまったらしく、姉が不思議そうに問うてくる。

 

「……いや、友達から相談を受けたんだけれど、内容がね。ちょっと部屋に戻って話してくるよ」

 

「え、ええ……」

 

 僕は姉に断りを入れて二階の自室に向かった。

 部屋に入りベッドに腰掛けると、改めてスマホの画面を確認する。

 白野宮さんから送られてきた画像はどう見ても下着だった。タグが付いているところを見ると売り物であるらしい。

 正直リビングで見た時は焦ってよく見ていなかったので白野宮さんの私物かと思ったのだが、そうか……売り物か……。

 僕は頭を振ると気を取り直して白野宮さんへの返信を打ち始める。

 

『とりあえず、どういう経緯で僕に相談しようと思ったのか教えてくれる?』

 

『今友達と買い物に来てるんだけれど、緋奈子ちゃんが女子高生たるもの勝負下着のひとつぐらい持っておいた方が良いって言うから』

 

 緋奈子ちゃんこと明坂緋奈子さんは白野宮さんの友人のひとりなのだが、明坂さんがそんなことを言うのは正直意外だった。

 白野宮さんはともかくあの紅谷さんと連んでいるのが不思議なぐらい大人しい感じのイメージだったのだが、わからないものだ。

 

『なるほどね。それじゃあ何で一緒にいる友達じゃなくてわざわざ僕に?』

 

『勝負下着は男の人が喜ぶ物が良いんだって』

 

『それも明坂さんが?』

 

『ううん。この前読んだマンガで言ってた』

 

 僕はどんなマンガだよと突っ込みたい気持ちをぐっと飲み込む。

 マンガだったらまあそんなことを言うキャラクターのひとりやふたりいてもおかしくはないだろう。

 

『私はこういうの何が良いかよくわからないし、男の人を喜ばせるための下着だったら男の人に選んでもらうのが一番かなって』

 

 つまり、そういうことらしい。

 図書室での一件以来、白野宮さんはことある毎に僕に連絡をしてきて、色々と質問してくるようになった。

 白野宮さんはどうも僕のことを自分が理解できない人の心についてや普通を教えてくれる都合の良いクラスメイトという認識でいるらしい。

 例えばこんな感じだ。

 

    *

 

『男子が集まって誰かの写真集を見てたから一緒に見せてもらおうと思って声をかけたらベニちゃんに怒られたんだけれど、何でだと思う?』

 

『ううん、それは難しい質問だね。あれはグラビアアイドルの写真集だったし、紅谷さんは白野宮さんにそういうエッチなものに近づいてほしくなかったんじゃないかな』

 

『なるほど』

 

『それに、男子もそういうエッチなものを見ているときに女子に近づかれたくないだろうから、今度そういうのを見かけたら見て見ぬ振りをしてあげた方が良いね』

 

『わかった』

 

    *

 

『お母さんから今日の夕飯のリクエストを聞かれたんだけれど、カレーと餃子とパスタだったらどれが良いと思う?』

 

『統一性のない選択肢だね……。まあ好きなのを選べば良いと思うし、何ならどれを選んでも問題ないと思うけれど』

 

『強いて挙げるなら?』

 

『パスタかな』

 

『わかった』

 

『別に良いんだけれど、選ぶのが面倒くさいから僕に丸投げしたとかそういう話じゃないよね?』

 

『よくわかったね』

 

『ええ……』

 

『私、正解のない選択肢って苦手なんだよね』

 

『確かにそういうのを選ぶときって基本的に好き嫌いが基準になるから、白野宮さんには難しいかもね』

 

    *

 

 しかし、百歩譲って夕飯を選ぶのはともかく性別が男だからという理由だけで僕に下着を選ばせるのは流石にいかがなものかとも思うが、羞恥心がわからない白野宮さんには言っても無駄であろう。

 そんな有り様故に無遠慮に男子に急接近しては勘違いさせ、その男子からの告白を容赦なく断るのだから質が悪い。

 まあ、今はとにかく目の前の相談から対処せねば。

 その前に。

 

『今だれか近くにいるの?』

 

『ううん。皆自分の勝負下着を選びに行ってるよ』

 

 どうやら各自で勝負下着を選んで見せ合いっこという趣向らしい。同じ高校二年生でも僕や黄金井はラノベやらマンガやらの話ばかりなのに女子ときたらまあ。

 しかしそういうことであれば助かった。

 僕は手早く文章を入力して白野宮さんに送信する。

 

『それならまず、僕に相談したことを絶対に誰にもしゃべらないように。あくまでも自分で選んだって皆には説明して』

 

『わかった』

 

 了解の返事は帰ってきたが、白野宮さんが画面の向こうで首をかしげるのが目に見えるようだったので僕は念を押すように続ける。

 

『うっかり話してしまうと白野宮さんが紅谷さんや他の友達から怒られるだろうし、僕が酷い目にあうから本当に気をつけてね』

 

『それは困る』

 

 白野宮さんは人を怒らせるとか悲しませるとかがあまりよろしくないということを、感情としてではなく知識としては理解しているようなのでこういう言い方をすればたいていは言うことを聞いてくれるのだ。

 

『わかった。黒江くんに勝負下着を選んでもらったことは誰にも言わない』

 

 それで良いのだけれど、字面がちょっと背徳的だな……。

 とにかく僕は白野宮さんの相談に応えてやることにする。

 

『それじゃあまずひとつの意見として。勝負下着っていうのは男性に喜んでもらうためだけじゃないんだよ』

 

『そうなの?』

 

『そうなんだよ』

 

 まあこれも白野宮さんと同じくマンガの受け売りだけれども。

 

『勝負下着っていうのは文字通り勝負所で気合いを入れるために履く下着なんだ。だから、白野宮さんが勝負所でどれを履いたら気合が入りそうか考えて選ぶのもありだと思うよ』

 

『特に気合いを入れたりとかはしないし、別にどれを履いても気分は変わらなそうなんだけれど』

 

 うん、知ってた。

 

『じゃあ真ん中の黒いやつが良いんじゃないかな』

 

 僕は投げやりに返信した。勝負下着なんて自分の気持ちも他人からの感情も意味をなさない白野宮さんには無用の長物である。

 ただ女子グループの中で見せ合いっこするだけならどれを選んだって変わらないだろう。白野宮さんが身につけるのであればどれを選んでも外れることはありえないし。

 

『わかった。それじゃあ黒江君にするね』

 

『間違えた。黒にするね』

 

「……」

 

 そういう不意打ちは、白野宮さんにその気がないとわかっていても勘違いしそうになるからやめてほしい。

 

    *

 

「はあ……白野宮さん。今日も素晴らしいな」

 

 黄金井は体育館の隅っこで鼻の下を伸ばしながら白野宮さんを凝視していた。

 その視線の先では白野宮さんたち女子がバレーボールの試合の真っ最中。所詮は授業の一環として行われている素人試合であるためろくにレシーブもトスも上がらない中、白野宮さんは器用にボールを捉えてアタックを決めていた。

 経験者が素人相手に無双するが如き所業だが、白野宮さんとて素人だし何なら帰宅部員である。バレー部の女子がマジ顔でブロックに入っているあたり、とてもそんな扱いは出来なさそうではあるが。

 そんな白野宮さんは確かにすごいのだが、黄金井の賞賛は明らかにその実力には向いていない。

 その視線は、白野宮さんがレシーブにアタックにと躍動する度に揺れる双丘に向けられていた。

 上はジャージを着込んでいるのに白野宮さんの動きに合わせてゆさゆさと揺れるそれは周囲の女子の中でも群を抜いている。

 そんな物を見る黄金井の目の血走り具合は先日の告白騒ぎの時と同等だが、その視線の下劣具合では今の黄金井が数段勝るだろう。

 しかし、そんな黄金井を蔑む者は周囲にはいない。なぜなら周囲にいる試合待ち中の男子の大半が白野宮さんの勇姿を観戦しているからだ。目の前では他の男子チームが意外と白熱した試合を繰り広げているのだがそんなものは誰ひとり見ちゃいないし、女子からは軽蔑の視線が向けられるが誰も気にしていない。

 

「あんまり見すぎない方が良いよ黄金井。露骨すぎると女子から総スカンを食らうよ」

 

「何優等生ぶってるんだよ黒江。女子の視線が怖くて白野宮さんウォッチが出来るか。それに、お前だってちらちらと白野宮さんのことを見てるじゃねえか」

 

 そりゃああれだけ露骨に揺らされたら二次元派の僕もつい目が行ってしまうというものだ。僕だってどこにでもいる男の子なのである。

 

「それでもお前は見過ぎだよ。やり過ぎると怒らせちゃいけない人を──」

 

「キモい目でこっちばっか見んじゃねえよ男子!」

 

 案の定目に見えて苛ついていた紅谷さんが爆発する。突然強い口調で罵声を浴びせられた黄金井以下キモい目をしていた男子連中(僕を含む)が首を竦めながら視線を逸らした。

 

「ちっ。紅谷のやつ、ちょっと見てたぐらいで怒鳴り散らしやがって……」

 

 黄金井が女子には聞こえないような小さな声で悪態を吐くが、小物感が半端じゃないな……。

 まあ基本的に無防備な白野宮さんに不埒な視線を向ける男子に紅谷さんが厳しいのはいつものことだ。けして男子の方も褒められたことをしているわけではないので、反論なんて出来るわけがないのである。

 翻って紅谷さんは女子からの評価はけっこう高かったりする。一見するとギャルで気の強いタイプの紅谷さんは同性からも反感を買いやすそうではあるが、彼女は男子だけでなく女子からも人気が高かったりする白野宮さんを邪な目で見る男どもから守るヒーローなのだ。

 女子に対しては意外と優しかったりするらしいし。

 意外なのは白野宮さんの方も同じで、本人が極めて温厚で誰にでも分け隔てないので敵を作ることがないし、そんな人物が完璧で究極な学校のアイドルだったならそりゃあ同性でもお近づきになりたいと思うだろう。(白野宮さんに反感を持つなんて、ただ彼女に嫉妬しているだけだ)

 まさか白野宮さんが好意という感情をかけらも持ち合わせていないとは思わないだろうし。

 

「それじゃあ男子チーム交代ね~! 今度はBチーム対Cチーム!」

 

 いつの間にやら男子の試合が終わっていたらしく、先生から指示が飛んでくる。

 僕と黄金井はCチームなのでふたりとも試合に出なければならない。隣の黄金井が渋々といった様子で立ち上がった。

 

「やれやれ。もちっと白野宮さん観察が続けられないか頑張りたいところだったがしゃあないな。行こうぜ黒江」

 

「うん。……というかお前この前白野宮さんに振られたばかりでさっきも紅谷さんに怒鳴られたのに、全然懲りないね」

 

「恋人探しとグラビアアイドルの写真集収集は別物ってことだな。今回は対象が一緒だったってだけで」

 

 そこはかとなく最低なことを言いつつコートに向かう黄金井の後を追うようにコートへ向かう。

 僕も黄金井も学内のカテゴリとしては文化系底辺層だ。試合では足手まといになるのは目に見えている。できるだけチームに迷惑をかけないように無難に仕事をこなさなければならないが、バレーボールはワンプレー毎にポジションをローテーションするという謎ルールがあり、それぞれが何でもやらなければならないためどこまで足を引っ張らずに済むかどうか。

 うちは僕と黄金井以外は運動部で固められたチームなので総合力は高い方なのだが、Bチームにはバレー部員がいるので無双されたらどうしようもない。その辺は上手く手加減してくれると思うけれども。

 

    *

 

 ──と、思っていた時期が僕にもありました。

 試合開始から五分少々。

 僕はコートの中で大の字でぶっ倒れながら天井を見上げていた。件のバレー部員がわりかし本気のアタックをかましてくれて、それをレシーブで受け損ねた僕の顔面に跳ねたボールが直撃したのである。

 そのまま倒れているとことが大きくなりそうな気がして僕はふらつきながらも身を起こす。

 

「おい黒江! 大丈夫か!?」

 

「顔面もろ行ったぞおい」

 

「黒江、あんまり動かない方がいいぞ」

 

「だ、大丈夫……」

 

 僕の元にチームメイト達が駆け寄って来て様子を気遣ってくれる。なんていうかもう申し訳ない。

 

「わりい黒江!」

 

 下手人であるバレー部員、藍沢君がも焦った様子でこちら側に出向いてくる。

 

「藍沢ぁ、もっとしっかり手加減しろよな」

 

「素人相手に顔面狙いはひでえよ」

 

「狙ってねえって! ちょっと力が入っちまったのはあるけど、ボールの跳ね方が悪かったんだよ!」

 

「ていうか鼻血出てんじゃん。誰かティッシュ持ってる人~!」

 

「やっべ。黒江、上向け上。体操着に血がついちまう」

 

 顔面全体で受けた感じだったので気がつかなかったが、どうやら鼻にぶつけていたらしい。僕は黄金井の言に従い素直に上を向いた。

 

「黒江君歩けそう?」

 

 ティッシュを受け取り鼻に当てていると先生からそう聞かれたのでちょっと考えてから答える。

 

「大丈夫です」

 

「そう。それなら大丈夫かな……一応保健室行って養護教諭の先生に見てもらいな」

 

「はい」

 

「それじゃあ保健委員は付き添って。ええと、このクラスの保健委員って……」

 

「私です」

 

 先生がぐるりと見渡すと、女子の中から白野宮さんが手を上げた。

 それを見た男子達が急に騒ぎ出した。

 

「いやいやいや! 白野宮さんの手を煩わせるなんて申し訳ないよ! 男子の保健委員出てこいや!」

 

「漆原だけど、今日休みなんだよな……」

 

「先生! 僕が黒江君を怪我させてしまったので責任を持って僕が連れて行きます!」

 

「そうだそうだ! 責任取れよ藍沢!」

 

「いいぞ藍沢!」

 

「……」

 

 何故だろう。あんなに心配してくれたクラスメイト達がすごく遠い所に行ってしまったような感じがする……。

 

「そう? それじゃあ藍沢君に行ってもらおうかな……?」

 

 男子達の熱意に若干引き気味になりながらも、先生が頷きかけたとき。

 

「藍沢君は試合の途中でしょう? チームの主力が抜けたら大変だよ。私はちょうど抜け番だから気にしないで」

 

「は、はひ……」

 

 柔らかな笑みを浮かべた白野宮さんに、藍沢君はあっさりと陥落した。白野宮さんの極めて真っ当な意見に反論の術を持たなかったのだろう。うん。

 

「ふざけんじゃねえぞ藍沢ぁ!」

 

「もっと粘れよ藍沢ぁ!」

 

「そんなんだからブロックがいまいちとか言われるんだぞ藍沢ぁ!」

 

「うるせえよ! お前等白野宮さんにああ言われて反論できるか!? てか、何で俺のブロックの話を知ってるんだよ!」

 

「それじゃあ黒江君、行こっか」

 

 藍沢君を責め立てる男子達をよそに、僕は白野宮さんに促されて体育館を出た。

 頭に衝撃を受けた僕を心配してか、僕にぴったりと寄り添うようにして歩きながら白野宮さんが話しかけてきた。

 

「大変だったね。鼻血、大丈夫そう?」

 

「うん。一応血は止まったみたいだね。保健室に行くぐらいならひとりでも問題なさそうだし、白野宮さんは戻ってもらって大丈夫だよ」

 

 白野宮さんのことだから心配するなんて考えは無く、僕が急に倒れたらすぐに支えられるようにと考えているか、もしくは何も考えていないかのどちらかだろう。

 授業中だから廊下には誰もいないと思うが、こんなに親密そうな距離で歩いているのをうっかり見咎められたら白野宮さんのファンに睨まれそうだし、保健室に送ってもらうだけでもクラスの男子達から後で色々言われそうなのでやんわりとお帰り願おうと試みる。

 

「駄目だよ。頭は色々怖いって言うし、倒れたら大変」

 

 白野宮さんは真剣な顔で僕の提案をあっさりと却下した。

 どうやらちゃんと考えた上で僕に寄り添ってくれているらしいことはわかった。

 

「……そうだね。それじゃあお願いするよ」

 

 僕は諦めて白野宮さんの好意……はないな。意見に従うことにする。

 そうと決まれば人に見られる前に迅速に保健室に向かわねばと僕が足を早めようとすると、白野宮さんに腕を掴まれた。

 

「あんまり激しく動いちゃ駄目」

 

「へあ!?」

 

 白野宮さんはそのまま僕の腕を抱えこんだ。僕の歩みを抑える為だということなのだろうが、抱えられた腕に当たる柔らかさに僕は身を固くする。

 ジャージ越しでもわかるその圧倒的感触にすべての意識が持っていかれた僕を引っ張るようにして白野宮さんが歩き始める。

 保健室までこの体勢で歩いたら僕は多幸感でどうにかなってしまうのではないかと慄いていると、ふと気がつく。

 この腕を組んで歩いているこの現状、見方によってはいちゃついている恋人っぽい感じに見えるのでは……?

 そんな姿を誰かに見咎められたらいらぬやっかみを受けるのは目に見えているので、この腕をすぐにでも振りほどくべきだ。いやしかし、この柔らかさは何物にも代えがたい……。

 勝手に懊悩している僕を気にも留めずに連行していた白野宮さんは保健室の前に辿り着くと、保健室の扉に手をかけようとして……一瞬動きを止めた。

 

「? 白野宮さん、どうしたの?」

 

「ほら、これ」

 

 白野宮さんは扉にかかった看板を指し示した。そこには養護教諭離席中の文字。どうやら先生は所用で不在らしい。

 まあ保健室に来たのも先生に見てもらうのも念のためでしかないので、これはこれで別に構わない。

 

「それなら僕はしばらく保健室で休んでるよ」

 

「うん」

 

 頷く白野宮さんを尻目に、僕は保健室に入室した。しばらくはベッドに入ってゆっくりすることにしよう。

 清潔な保健室の薬品っぽい匂いを吸い込みながら入室する僕と、それに続く白野宮さん……って。

 

「……あの。僕は先生を待ってるから、白野宮さんは──」

 

「先生が戻るまでは見てるよ」

 

 白野宮さんは僕の言葉に被せるように言った。体育の先生が言った通り養護教諭に僕が見てもらうまでは離れないつもりらしい。本当に真面目というか融通が利かないというか。

 僕は苦笑しつつも白野宮さんを追い返すことを諦めてベッドに横になった。

 白野宮さんはベッドの横に立ってじっとこちらを見ている。

 

「……せめて座ったら?」

 

 白野宮さんに見下ろされるのは精神衛生上あまりよろしくなかったのでそう言ったのだが、白野宮さんは僕の言葉に頷いて僕の寝転ぶベッドに腰を降ろした。僕としては椅子を持ってきて座ることを想定していたのだが、何故こうなったのか。

 

「あ、そうだ。黒江君、ちょっとお願いがあるんだけれど」

 

 困惑する僕をよそに、マイペースな白野宮さんは思い出したと言わんばかりに話しかけてきた。

 

「な、何?」

 

「実は、今日の放課後に二組の翠山君に呼び出されてるんだけれど。ついてきてもらってもいい?」

 

 どうやらまた白野宮さんに懸想する男子に呼び出されたらしい。それもバスケ部のイケメン翠山君!

 前から白野宮さんを狙っていると噂されていたがついに動いたのかと驚く僕だったが、それと同時に何やら不思議なことを頼まれる。

 

「……ええと。ついてきてっていうのは、告白の現場にってこと?」

 

「ううん」

 

 僕の問いに首を振る白野宮さん。

 良かった。僕の勘違いか。

 

「翠山君に呼び出された待ち合わせ場所にだよ」

 

「いや、それって……」

 

 結局同じじゃないかと言いかけた僕は、勘違いに気がついた。白野宮さんの口ぶりだと、翠山君に呼び出されはしたけれどそれが告白とは限らないということか。十中八九告白だと思うが、そうだろうと思い上がらないのが白野宮さんの長所である。

 

「というか、何で僕がそこについて行く必要が?」

 

 僕の疑問に、白野宮さんはあっさりと答えた。

 

「だって、誰かに呼び出された時は必ず他の人と一緒に行きなさいってベニちゃんが」

 

「ああ……」

 

 黄金井の告白現場にはひとりでやって来ていたので忘れていたが、そういえばそんな話をしていた気がする。白野宮さんに告白を断られた男がよからぬことを企まないようにするための措置なのだろう。

 

「……え? それってこの前僕がした見たいに、遠くで見守っていればいいってこと?」

 

「ううん。ベニちゃん達はいつも呼出しに立ち会ってるよ」

 

「ええ……」

 

 つまり何か? 翠山君が白野宮さんに告白する現場に同席しろと?

 そんなの気まずいなんてレベルじゃないんだけれど……。

 

「紅谷さんとか他の友達は一緒に行ってくれないの?」

 

「緋奈子ちゃん達は放課後は皆部活があるし、ベニちゃんは体育祭の実行委員会があるから」

 

 ああ、そういえばあったなそんなの。

 帰宅部の紅谷さんが黄金井の時も今回も不在なんておかしいとは思ったが、そういうことらしい。女子が誰もやりたがらないからとくじ引きで委員を決めたのだが、見事薄い確率を引き当てた強運の持ち主が紅谷さんなのだ。本人はめっちゃ不機嫌になってたけれど。

 めんどくさい実行委員はやらなくちゃいけないし、白野宮さんをひとりにすることになるしで紅谷さんとしては最悪だろうな。

 おかげで僕にも余計な相談が回ってきてしまった。

 

「わかった、引き受けるよ」

 

 僕は半ばヤケになって白野宮さんの頼みを了承した。他人の告白現場なんかにのこのこ現れた僕に対して翠山君が良い印象を持たないのは明らかなので僕は暗澹とした気分になったが、かといって白野宮さんをひとりで待ち合わせ場所に向かわせるわけにはいかない。

 

「ありがとう、黒江君」

 

 暗い気分になった僕とは対照的ににこりと微笑みを浮かべて礼を述べてくる白野宮さん。外面の笑みとは違い内面では何ら心の動いていない形ばかりの感謝だと理解していても、美人というだけで許してしまえるのだからずるい。

 

「ああ、そういえば黒江君にもうひとつ言うことがあって」

 

「今度は何さ?」

 

 再び何かを思い出したらしい白野宮さんに、ここまで来たら告白現場への立ち会いがもうひとつ増えても変わるまいと投げやりに返事をする。

 しかし、白野宮さんが口にした言葉は僕の予想とはだいぶ違った。

 

「この前黒江君に勝負下着を選んでもらったでしょう?」

 

「ああ、そんな話もあったね」

 

 何で今その話を?

 僕は内心首をかしげながらも首肯する。

 

「特に勝負する機会もなかったからずっと身に着けていなかったんだけれど、今日はバレーの試合があったからとりあえず着けてきたんだ」

 

「ほ、ほう……?」

 

 いや、確かに勝負といえば勝負だけれどそれは勝負違いというか……。勝ち負けなんて感情に根ざした感覚は白野宮さんにはピンとこないだろうから仕方ないけれど、使いどころを致命的に間違っている。

 ん? というか今、白野宮さんは僕が選んだあの黒い下着を着けているということか?

 

「それで体育の前に着替えてたら、何故か皆に怒られちゃって」

 

「はあ……怒られた?」

 

 白野宮さんの体操服の下をつい想像してしまった僕は彼女の説明に半ば適当に相槌を打つ。

 

「うん。その上無理矢理ジャージを着させられたんだけれど、理由がよくわからないんだ。黒江君、何でかわかる?」

 

「さ、さあ……」

 

 白野宮さんの下着のことで頭がいっぱいな僕は話の半分も入ってきていなかった。

 

「皆の話からして下着が不味いことは理解したんだけれど……」

 

 そう言いながらジャージのチャックを降ろす白野宮さん。

 胸部に存在する山に一瞬引っかかったものの、紺色のジャージが左右にわかたれ中から徐々に白い体操着が顔を出す。先ほどまで運動していて汗ばんだのか、豊かな胸を支える黒いブラジャーがうっすらと……って。

 

「それだあ!」

 

「急に動いちゃ駄目だよ」

 

 突然上半身を跳ね起こして叫んだ僕を、白野宮さんは驚くことなくベッドに押し戻した。

 

「ところでそれって?」

 

 あまりにも普通な白野宮さんに僕は説明する。

 

「その勝負下着だよ。白い体操服の下に黒のブラジャーを着けているからブラジャーがうっすら見えちゃってる」

 

「うん。そうだね」

 

 だからどうしたと言わんばかりの白野宮さんにもどかしさすら覚えつつ僕は続けた。

 

「だから、ブラジャーが見えるのが不味いって話だよ。体操服越しとはいえブラジャーなんて他人様に見せるものじゃないからね。下着姿で外を歩くのなんて普通じゃないだろう?」

 

「ああ、なるほど」

 

 噛んで含めるように丁寧に説明してやると、白野宮さんはようやくことの次第を理解したようだが首をかしげている。

 

「そっか。だから皆にもスケスケとか言われたんだね。けれどそんなこと言ったらワイシャツなんてもっと薄くて透けるんだから、このぐらい大したことじゃ……」

 

「普通は透けたら恥ずかしいから透けないように色々と気をつかうものなんだよ。制服指定があったりどうしても着たい服があるとかならある程度は仕方ないかもしれないけれど」

 

「ふうん」

 

 僕の説明に頷く白野宮さんだが、本当に理解しているのだろうか。

 

「こういう色の下着は初めてだから考えたことなかったよ。それじゃあ体操着を着るときとか夏服になったときはできるだけ透けない下着を着けた方が良いんだね」

 

「そうした方が間違いないと思うよ」

 

 そう言いつつも僕はため息を吐く。何が悲しくて僕は女の子に透けブラについて解説をしているのだろう。

 こういうことはちゃんと紅谷さんから説明しておいてほしい。

 ここにいない白野宮さんの幼なじみに内心で悪態を吐きつつ、僕は白野宮さんに言った。

 

「そういうわけだから、今日は制服に着替えるまでジャージを開けちゃだめだよ。そのまま戻ったらまた紅谷さんに怒られるからね」

 

「はあい」

 

 白野宮さんは素直にジッパーを締め直そうとするが、ジャージが小さいせいで胸部にジッパーが引っかかって中々締まらず苦戦していた。

 

「……なんでそんなに小さなジャージを着てるのさ」

 

 僕がジャージに寄せられる白野宮さんの豊かなお胸を眺めつつ呆れ半分で突っ込むと、白野宮さんは悪戦苦闘しながらも答える。

 

「入学したときから使ってるジャージなんだけれど、身体が大きくなってきつくなっちゃって……」

 

 全体的に成長したのは間違いないだろうが、どこが最も成長したのかはなんとなくわかる気がした。

 

「そろそろ買い換えた方が良いかもね。今よりちょっと大きめのサイズのやつに」

 

「そうするよ……あ」

 

「どうしたの?」

 

「チャックが壊れちゃった」

 

「……」

 

 いやもうホント、何もかもが規格外だ。

 

    *

 

 その日の放課後。

 僕は白野宮さんに連れられて校舎の屋上に向かっていた。

 翠山君の指定した場所が屋上であるらしい。

 まあ学校内で人気(ひとけ)のない告白スポットなんてだいたい校舎裏か屋上と相場が決まっている。校庭のハズレに伝説の樹でもあれば話は別だが。

 白野宮さんにくっ付いてきた空気の読めない男に向ける翠山君の目を思うと足が鈍るが、呼び出された当の本人は平気な顔で階段を登っている。普段からして付き添い有りで告白を受けているようなので慣れっこなのだろう。

 やがて屋上へ続く扉を開けて外に出ると、既に翠山君は到着していた。

 翠山君は屋上の端で校庭を見下ろしていたのだが、扉の開閉音で気がついたのかこちらを振り返る。

 百八十センチ半ばぐらいありそうな高身長な上に顔が小さいので離れた所から全身を見ると頭身が高く見える。たぶん八頭身ぐらいじゃなかろうか。

 運動部らしいこざっぱりとした短髪ながら大人びた理知的な雰囲気があり、しかし高校生らしいあどけない顔をしてるというか……。

 とにかく一言で言い表せば爽やかなイケメン、ということになるだろう。僕と同じ高校二年生には全然見えない。

 翠山君は白野宮さんがを視認すると笑みを浮かべた。その笑みがまた爽やかで少しも嫌味がないので、僕は一層申し訳なくなってくる。彼は白野宮さんの背後を歩く僕に気がつき一瞬不思議そうな顔をしたが、気を取り直したようにまた笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「白野宮さん、来てくれてありがとう。ええと彼は……もしかして付き添いの人?」

 

「うん」

 

 どうやら白野宮さんに告白するときの()()は知っているらしい。

 白野宮さんが頷くだけでろくに説明もしないので、僕は仕方なく口を開いた。

 

「紅谷さん──白野宮さんの友達が心配性な人で、男子が白野宮さんを呼び出すときは必ず誰かをついていかせるんだって」

 

「へえ。以前白野宮さんに告白したやつから聞いてたけど、本当だったのか。君は、白野宮さんの友達?」

 

「そうだよ」

 

 僕が口を開く前に白野宮さんが答えた。

 白野宮さんがどういう基準で友達判定をしているかはわからないが、僕もその範疇に入っていたらしい。

 苦笑しながら僕が頷くと、翠山君は面白いものを見たと言わんばかりに僕の方を見る。

 

「白野宮さんは友達に大事にされてるから男子は連絡先も聞けないなんて言われてるけれど、男の友人もちゃんといるんだね。えっと、君は……」

 

「白野宮さんと同じ三組の黒江です」

 

「同学年なんだから敬語なんて使わなくていいよ。俺は翠山若葉(みどりやまわかば)。黒江の名前は?」

 

「え、ええと。玄野(くろの)だよ。黒江玄野」

 

「玄野ね。よろしく。玄野って呼ぶから、玄野も気軽に若葉って呼んでよ」

 

 お、おう……。

 僕は何も言わずに固い笑みを浮かべて頷くのが精一杯だった。

 流石イケメンは対人慣れしているらしく、距離の詰め方が尋常ではない。それでいてバスケ部の主力で確か頭も良かったはずだから、男版白野宮さんみたいなものか。

 いや、白野宮さんみたく内面が欠落しているなんてことはないだろうから、白野宮さん以上の超人である。

 僕、何でこんなふたりと一緒にこんな場所にいるんだろう……。

 僕があまりの場違いさに遠い目をしているのをよそに、白野宮さんと翠山君は話を進める。

 

「本当に付き添いがいるとなると、聞いてた話は本当か。それじゃあ白野宮さんが今は誰とも付き合うつもりがないってことも本当?」

 

「うん、そうだね」

 

「それじゃあ俺が今告白しても断られる?」

 

「うん」

 

「そうか。それは困ったな」

 

 あっさりと肯定する白野宮さんに翠山君は苦笑した。黄金井なんかは余裕なく告白して断られたら我を忘れて暴走したというのに、翠山君には余裕があった。これが役者が違うということなんだろうな……。

 しかし、翠山君も上手いというかちゃっかりしてるというか。はっきりと告白せずに話の流れで告白の成否だけ聞きだしている。おそらく今日で諦めたりはせず、次の機会を伺おうと考えているのだろう。

 ちょっと考えている風だった翠山君は、ふと僕の方に視線を向けてきた。急に見られてたじろぐ僕をよそに、翠山君はうん、と頷いた。

 

「それじゃあ友達っていうことならどうかな? 玄野も友達だって言うなら男友達も作らないってわけじゃないだろうし」

 

 なるほど、そう来たか。

 僕は翠山君のアイディアに感心した。白野宮さんに告白してきた男子達は彼女に近づくまでの壁が厚すぎて自分を知ってもらう前から告白に踏み切らざるを得ない状況だったので、友達というワンクッションを置いて懐に潜り込もうというのだろう。

 恋人になるというと敷居が高すぎるが、友達ならハードルはずっと低い。今なら何か言ってきそうな紅谷さんもいないし、いたとしても却下するのは難しいだろう。

 

「そうだね……」

 

 白野宮さんは翠山君の提案に笑みを浮かべながらちょっと考えている御様子。おそらくあの笑みはどうリアクションしていいかわからずとりあえずで浮かべた愛想笑いだろう。

 いつもなら告白されて断るだけで済んでいたところを、変則的な攻め方をされて内心ではどう答えれば良いかわからないといったところか。

 僕は白野宮さんがどう返答するかと横でぼんやりと見ていたのだが、白野宮さんがそんな僕の方を振り向いた。

 

「黒江君、どう思う?」

 

 それを僕に聞いちゃうかあ……。

 僕は曖昧な笑みで誤魔化しながら、ちらりと翠山君の様子を伺う。

 提案の答えを友人に委ねた白野宮さんに、翠山君はわずかに目を見張った。不愉快にも思うだろうし、そんなことを他人に聞く白野宮さんを変に思ったかもしれない。

 僕はとっさに誤魔化しに走った。

 

「紅谷さんはちょっと不機嫌になるかもしれないけれど、止めはしないと思うよ」

 

 すなわち、僕と白野宮さんの会話を番犬紅谷さんがどういう反応をするか確認した、という形にすり替えたのである。

 僕達の会話を聞いて翠山君は苦笑しつつも納得したように頷いた。翠山君も事前調査をしているようだから紅谷さんのことは知っているだろうし、僕と白野宮さんが過保護な紅谷さんに遠慮しているのだと勘違いしてくれたはず。

 

「そっか。それなら良いよ」

 

 幸いにして白野宮さんも余計なことは言わず、翠山君の提案を了承した。

 

「オーケー。それじゃあこれから友達ってことでよろしく。友達なら連絡先を聞いても問題ないよね?」

 

 一瞬白野宮さんがちらりとこちらを見たのでわずかに頷いてやると、彼女はスマホを取り出し翠山君と連絡先の交換をした。

 

「ありがとう、白野宮さん。そうだ、せっかくだから玄野も連絡先教えてよ」

 

「へ?」

 

 白野宮さんの連絡先をゲットした翠山君は、何を思ったのか僕にもそんな提案をしてくる。僕が戸惑っているうちにあれよあれよとスマホを出させられ、連絡先を交換してしまった。

 

「それじゃよろしく! 気が向いたらいつでも連絡してきてくれて良いから! もちろん玄野も!」

 

 首尾良く僕達ふたり共の連絡先を入手した翠山君は颯爽と屋上から去って行った。後は僕と白野宮さんが残されるばかりだ。

 

「それじゃ私たちも帰ろうか」

 

 嵐のような展開に呆然とする僕をよそにいつも通りな白野宮さんは、何事もなかったかのように僕に声をかけて歩きだした。

 慌ててそれについていきながら僕は考える。

 翠山君は今までにない手法で上手いこと白野宮さんの懐に潜り込んだ。コミュ力の高そうな翠山君のことだからあの手この手で白野宮さんと交流を図るだろう。

 そんな翠山君に対して、白野宮さんが心動かされる可能性はあるだろうか。

 いや、それだけはあり得ない。白野宮さんには動かせるような心なんてものがそもそも存在していないのだ。

 それでも、翠山君がないはずのものを動かすことが出来るのならば。

 しばらく面白いものが見られそうだと僕がひとり悦んでいると、白野宮さんがふとつぶやくようにして言った。

 

「ベニちゃんになんて説明したらいいかな。あまりベニちゃんを不機嫌にしたくないのだけれど。黒江君、何か良い方法ある?」

 

「……とにかく謝ろう!」

 

 お楽しみよりも先に超えなければならない壁があったことを思い出し、僕は肩を落とした。

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