黒羽くんとバレンタインのお茶会をした後の数日間は、ふとした拍子にNYの出来事が蘇っていた。アレほど劇的な出来事だというのに、私の都合のいい脳みそは、黒羽くんや蘭ちゃんの顔を見るときくらいしか、あの日のことを思い出さない。
苦い思い出だから、普段の生活の上では積極的に思い出さない方がいいのだろう。
しかし、思い出さないことはあっても、生涯忘れることはないだろう、あの雨の日を。
彼らとの出会いは。
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アメリカはLA、そこからさらに飛行機を乗り継いでNY。有希子さんにお招きされて訪ったのは、『
派手に道路を爆走した有希子さんのドラテクもあり、なんとか無事に到着……無事って言っていいのかな、これ。
そうして、母さんの知り合いでチケットを融通してくれたアメリカの大女優シャロン・ヴィンヤードと合流した。
「こんにちは、あなたのような方とお会いできるのは光栄です。えーと……こういうときは、神様に感謝、ですね」
「この世に神様なんているのかしら?本当にそんな存在があるのなら……一生懸命に生きている人間は誰も不幸にならないんじゃない?」
キリスト教圏のアメリカなのでこういう言い回しの方がいいかな、と思って口に出してみたけど、シャロンにとって神様は、あまり良い言葉ではなかったようだ。
「そう……エンジェルは私に微笑みかけてくれなかったもの。一度もね」
ざあざあと雨が降っていた。
この後、ステージで起こった惨劇を予感させるような、そんな雨だった。
この後、シャロンさんの後に続いて母さんと共に楽屋を覗かせてもらった。これから舞台でお芝居をするために完璧に着飾った役者さんたちが勢揃いしていて思わず吐息が漏れる。
シャロンさんと女優さんたちが楽しげに談笑しているのを見ながら、有希子さんに色々と舞台裏ならではの話なんかを興味深く聞いたり、裏側を案内してもらったり。新一くんはそんなに興味なさそうだけど、どうせ知識としては取り入れてるんだろうなあ。
周囲をぐるりと見渡すと、上にたくさんのドレスや甲冑が吊り下げられているのが見えた。
「なぜ、天井に衣服が?」
「舞台で使う衣装は場所をとるから上に吊ってあるの」
はえー、と思って見上げていたら、上の衣装のうち重量のありそうな甲冑が降ってきた。咄嗟に周囲を見渡して、衣装が引っかかって逃げられなくなっていた人を見つける。そのまま体重を預けるように庇ったことで、なんとか最悪の事故は免れた。よかった。
みんなで無事を喜んだりお礼を言われたりしていたら、シャロンがハンカチを差し出してくれた。そういえば、ところどころ汚れて、手首を擦りむけてしまった。
「やっぱり神様なんていないわね……いるならこんな酷い仕打ちしないもの」
もらったハンカチを受け取って考える。どう答えたものかと思ってたら、シャロンさんは用事ができてしまったと帰って行った。
私たちももうすぐ開園だからと、客席に座る。私たちが座ったときはまだ空席の方が多かったけど、だんだんと人も増えてきた。
やがて、私たちの席の少し横に、同じくアジア系の四人組が並んで座る。私たちに一番近い席の少し年上の男性はスーツ、残る学生と思わしき三人もドレスコードを守った服装で。
「……え?」
「うん?」
新一くんが吸い込まれるようにその席を、正確にはそのうちの一人を見つめていた。この視線を昔見たことある。小学一年生のときだっけ。
彼が、初恋を語った時の顔だ。
話しかけようにも、新一くんにとっては無情にも開演のブザーが鳴った。
「わあ、すてき」
「でしょでしょ?こんな豪華な舞踏会、日本じゃ見られないわよ!……って、思ってないガキも一人いるみたいだけど」
「どれだけ着飾った美しい女神より、自分自身が惚れた女の子の横顔に視線を奪われる……これはこれで、可愛げというものでは?」
同年代の幼馴染に向ける言葉じゃないな……と思いながらも珍しい光景なので肯定しておく。ギリシャ神話をモチーフにした物語は、たまに解説を受けながらもつつがなく進み、私自身、ミュージカルに没入していく。
しかし、その華やかな神話の世界は、たった一発の銃弾で脆く現実に頽れた。
「なっ……なに!?」
釣り上げられた天使ミカエル役の俳優が胸を撃ち抜かれて死んでいた。周囲は一気に大パニックに陥る。私も有希子さんに続いて、ただちに避難のため立ち上がった。
すぐに警察が駆けつけるも、客は私たちを除いて全員が逃げ帰ってしまった。
新一くんが、殺人現場となってしまった舞台を真剣に観察し、有希子さんが当時の状況を説明していると、突然聞きなれた別人の声が割って入った。
「───その赤いライトなら俺も見ました。彼のいう通り舞台の方向から放たれたと思います」
私を含めた視線の全てがその少年に向いた。完璧と言えるほどの視線誘導。敵意さえ入り混じった、自分に向けられる意識を平然と受け止めて、その少年は笑う。
同じ声、同じ顔。日本人の私たちにさえそう見えるのだから、アジア系の見分けが不得手なアメリカ人ならばなおさら同じに見えるだろう。唖然としているのがわかる。
「失礼、俺はこのミュージカルを観劇していた一介の観客───」
まるで自分自身がステージに立つ役者であるかのように、彼は私たちに向かって美しく礼をした。
「土井塔克樹と申します。捜査協力ができればと思い、この場に残らせていただきました」
その後、土井塔くんの手伝いもあり事件はスピード解決した。一度飛行機で事件を解決できたので探偵として調子の良い新一くんと、マジシャン志望でステージの構造に詳しい土井塔くんが加わり、本当にスピード解決だった。
……正直、推理の部分がほとんど印象に残らなかったのは、私があの時助けた女優さんが犯人だったからだろう。
私が助けなければあの女優さんが、助ければ天使の俳優さんが。どちらにせよこの劇場では誰かが死ぬことが決まっていた。
それがあまりに心にのしかかる。くらりと貧血になりそうなのを、ハンカチを握って耐えた。
大丈夫、工藤新一なら助けない方を怒るはず。失望されてない。
きっと。
土井塔くんも同じホテルに泊まっていると分かり、三人で同じタクシーに乗った。有希子さんは警察で事情聴取があるから別行動。
通り魔がいるから三人ともおとなしくすぐにホテルに戻るように、と言い含められて三人でタクシーのに乗り込む。
少し冷静になりたくて、ハンカチを握りながら濡れることを承知で窓を開けた。雨が心地いい。新一くんが珍しくホームズ語りをせずに私の濡れた額の雫をぬぐった。
「ほ、っと。どうぞ、お嬢さん」
「あ、ありがとうございます……?あと、お嬢さんはやめてください。同い年くらいでしょう?」
赤信号になり土井塔くんが助手席からぐっと体を乗り出したかと思えばぽん、と手渡されたタオルでできた小さな花束に思わず笑ってしまう。
「オメー、いつもそんなの仕込んでんのか?」
「まあな。修行がわりだよ。名探偵もいるか?」
「いらねーよ。つーか、お前……」
多分、聞きたいのはあの女の子のことだ。四人並んだ席の、真ん中に座っていた二人組のうちの一人。ホームズオタクの名探偵からただの男の子の顔になった新一くんの横顔に意識を奪われた瞬間、シャロンさんから貰ったハンカチが外に吸い込まれた。
「!」
「すいません、止めてください!」
土井塔くんが慌てて運転手さんに声をかけて、タクシーを止めた。大事なものなんだろ?ちょっと待ってろよ、と土井塔くんが駆けていく。新一くんも一緒にタクシーから降りた。
「あのなあ、大事なものなら窓の外に出すなよ」
「すみません、でも」
「いいか。大丈夫だからここにいろ。ハンカチなら俺が拾ってくるから。オメーが不安に思うことは一つもないんだ」
「おちつけ名探偵、焦りは最大のトラップだぜ?」
「わーってるよ!桔梗、動くなよ!」
むう。今の私はそんなに酷かっただろうか。確かに一度落ち込んだら、どん底まで落ち込まないと回復しない性質だけど。
同じ顔をした二人が私が飛ばしてしまったハンカチを回収しに向かうのを、傘をさしたまま外でぼんやりと待っていた。心なしか、視界が揺らいでいるような。
そうして、ぼーっとしていたら。背後に人が立っていた。真っ黒な長髪を持つ緑色の眼の日系人。
拳銃だ、まあ撃ち殺されるならそんなに苦しくないかな……と思ったら、かがみ込むように顔を覗かれた。タクシーは身を守るためにあっという間に走り去る。
「怪しい男を見なかったか?長髪を銀色に染めた髭面の日本人だ」
「いえ、見ていません」
「そうか」
その男の人は、連れ合いの男の人と色々と話して、私の腕を掴んだ。このまますぐに大通にタクシーを拾って帰るように言われ、なんとか一緒にいる人がいるから、まだ帰れないと伝える。
すると男の人は、私のことを一瞥して鋭い声で告げた。
「消えろ!この
「……!」
もやがかかっていた思考に光明がさした気がした。
そうか。あの場所でだれかが死ななければいけなかったのなら、私が死ねば万事解決だったのだ。反省点が見えた。次にこんなことがあれば、そのときこそ、ちゃんとしよう。
決意を新たにして、新一くんと土井塔くんが入っていった建物に足を踏み入れる。かん、かんと外階段を上がって二人を探していたら、上から銀髪の男が逃げてきた。上から新一くんの声が降ってくる。
銀髪の男は私を見て少し驚いていたようだった。
「お前、何故ここに……!?」
「逃げろ桔梗!そいつは例の通り魔だ!」
銀髪の男が、懐から恨むなら神様を恨め、と言いながら引き金に手をかけようとして……もたれかかっていた手すりががしゃんと壊れた。
思考する前に駆け寄って手を伸ばす。だめだ、疲れているのか手に力が入らない。
「……大丈夫、ですか。あと少しで引き上げるので……」
すると、隣から新一くんが一緒に腕を掴んでくれた。すると、まるで軽業師のような動きで犯人の男が階段の上に飛び移る。
……良かったのかな。この選択は。
「な、なぜだ?どうして俺を助けた?いったいどーして!?」
「……わけなんているのかよ?人が人を殺す動機なんて知ったこっちゃねーが……人が人を助ける理由に、論理的な思考は存在しねーだろ?」
私を庇うように、新一くんの腕が背中に回された。体温が温かく感じられて、相対的に私の体は冷えているのだろう。
多分、この言葉は私に向けても言っている。私の選択肢は間違いじゃないから胸を張れと、そういうことだ。
「おーい!二人とも大丈夫か!?」
どこからか土井塔くんの声が聞こえる。新一くんはヒョイっと私を抱き上げた。男に何かを告げて追ってこないように言い含めて、外階段を降りていく。やがて男から十分な距離を取ったあたりで、はあ、と新一くんがため息をついた。
「お前な、そーいうとこだぞ」
「……?」
「お前は悪い子でもなんでもねえ、ただの俺の幼馴染だってことだ」
道路に降りると、土井塔くんがハンカチを片手に傘をさして待っていた。そのまま大通りに出てタクシーを拾い直し、ホテルまで移動する。
翌日、私は見事に熱を出し、それに付き添った新一くんは初恋の彼女へ話しかけるチャンスを失った。
えー、本当にごめんね。