オウニ商会所有の滑走路に立ち、レオナは沈みゆく夕陽を眺めていた。荒野をオレンジ色に照らす太陽は、もう半分ほど地平線に隠れている。
「遅いですね」
隣に立つ雇用主のルゥルゥの方をちらりと見ると、ルゥルゥはこれといった感情を浮かべずに淡々と答えた。
「仕方ないわ、かなり遠くから来るのだから。もしかすると到着は日が暮れてからかもしれないわね」
「暗い中で着陸ミスんなきゃいいけどな」
仕事を増やされるのはごめんだと、そばで工具をいじっていたナツオが鼻を鳴らす。
レオナとルゥルゥ、そしてナツオをはじめとする整備班が滑走路に集まっているのは、これから到着する予定の飛行機乗りを出迎えるためである。遠くのとある街の貿易会社からの紹介で、オウニ商会の護衛として雇われることが決まったそうだ。
雇い主のルゥルゥの決定とあらば、レオナとしては従うより他ないのだが、いかんせん急な話である上に相手の素性もよく分からない。先ほどルゥルゥから聞かされた話によれば、そのパイロットは男で相当腕が立つらしいが。
「マダム、これから来る男というのはどのような方なのか、全く想像がつかないのですが」
「ラハマからずっと南に『ルーデ』という街があるわ。聞いたことは?」
「ありません」
ルゥルゥは煙管を一吸いすると、煙を吐き出した。
「無理もないわ、ここから飛行機でも一週間以上かかる場所だもの。それで、そのルーデには『トルム貿易』という大手の貿易会社があってね、そこで護衛をしていたという話よ」
「どうしてまたそんな遠くから?」
「それがね、そのトルム貿易がついこの間倒産したらしくて、抱えきれなくなった飛行機乗りをいろいろな場所に紹介して回ってるのよ」
「なるほど、そんな事情が」
レオナはこの雇用主が何を考えているのかを何となく察した。早い話、オウニ商会の活動範囲を増やすためのパイプ作りの一環というわけである。
「わざわざ紹介状を送ってくるくらいだから、腕は保証できると思うわ。コトブキは女所帯だし、せっかくの男手なんだからこき使っちゃいなさいな。使えなかったら……まあ、羽衣丸の床掃除でもやらせればいいでしょう」
ルゥルゥは煙管を片手に、えげつないことをさらりと言い放つ。
「それは、本気ですか? 冗談ですか?」
「さてね、どっちだと思う?」
副船長サネアツの苦労を垣間見た気がして、レオナは曖昧に笑うことしかできなかった。
「あ、そうそう。彼の経歴を確認して少し興味深いものがあったわ」
「と言うと?」
「どうやら、リノウチの生き残りみたいよ」
リノウチ、という単語に思わず緊張が走った。
リノウチ大空戦。イジツ史の中で最も大規模な空戦。規模だけでいえば先日のイケスカ動乱とは比べ物にならないほどの大空戦だった。若かりし頃のレオナも参加したあの空戦は、彼女の中で良くも悪くも大きな印象を残している。
過去の感傷へ浸りかけていたレオナの意識は、ナツオの大声で現代へ引き戻された。
「来たぞ、あれだ!」
ナツオが指差す方を見れば、夕闇が迫る空に小さな機影が見えた。
「仕事だお前ら! ボヤボヤしてっとケツにクランクぶち込んでかき回すぞ!」
にわかに滑走路が騒がしくなり始める。
機影が近づいてくるにつれて、機体がはっきりと見えるようになってきた。
飛行機乗りの性とはやっかいなもので、空を飛んでいるものを見れば機種と所属を確認してしまうもの。レオナもその例に漏れず、近づいてくる機体をじっと観察する。
機体の各所描かれた所属を示すマークは、五角形の盾とそれに巻き付くように尾を引く流れ星だ。
挙動、駆動音、概形などから、やって来た飛行機はレオナにとって馴染みのあるものに近いと気づいた。
「あれは、隼か……?」
車輪を軋ませスムーズに着陸した飛行機は、滑走路の中ほど、整備班が最も作業しやすい位置で停止した。
プロペラの回転がゆっくりになっていくに連れて、レオナはその機体が隼でありながら自分たちが乗っている隼とは違うことを確信する。
プロペラは二翅ではなく三翅で、照準器も眼鏡式ではなく光像式だ。排気管は単排気管ではなく集合排気管。これらの特徴から、レオナはこの機体が一式戦闘機隼Ⅱ型であることを理解した。
整備員たちがわらわらと機体へ群がっていく。
隼の風防が開き、中からぬっと人影が立ち上がる。
飛行帽を被りゴーグルを着けているため、顔立ちを確認することはできなかいが、体格からして中肉中背の並の男といったところか。リノウチ大空戦を生き残った飛行機乗りと聞いていたため、どんな奴が出てくるのかと少し身構えていたが……。
少しばかり肩透かしを食らった気分になりながら、レオナは隼Ⅱ型から慣れた調子で降りてくる男を眺めていた。
隼から降りた男はナツオ率いる整備班と一言二言会話をしてから、レオナとルゥルゥが佇む滑走路の端へと小走りで向かってくる。
こちらへ向かいながらゴーグルと飛行帽を外した彼の素顔は、意外にも若かった。目元の柔らかさもその印象に拍車をかけているかもしれない。キリエやエンマよりは歳上、レオナよりは歳下のように見えた。
しかし、彼の緊張した表情や、先ほどの着陸、飛行機から降りる時の身のこなしなどから、飛行機乗りとして相当な修羅場を潜ってきたことは容易に想像できた。
「遅くなってすみません、初めまして。あなたがオウニ商会の社長さんですね」
男は迷うことなくルゥルゥが自分の雇い主であると判断したようだ。
やはり、マダム・ルゥルゥという女が持つカリスマ性は初対面の人間だろうと惹きつけてしまうらしい。
ルゥルゥは半歩前に進んでから、たおやかに右手を差し出した。
「ルゥルゥよ。気軽にマダムと呼んでちょうだい」
男も差し出された手を握り返す。
「ルーデから来ました。元トルム貿易護衛飛行隊所属のアキトです」
まだ若さを感じさせる力強さの中に、齢を重ねた老人のような深みを孕んだ声だった。街のバーテンダーなんかだったら多くの女性を虜にしていたかもしれない。
手を離したルゥルゥがレオナの方を見た。
「ウチの用心棒、コトブキ飛行隊の隊長よ」
紹介されたので、レオナも右手を差し出した。
「レオナだ」
「アキトです」
握手を交わしつつ、アキトの視線がちらりと行き来してレオナを観察したのが分かった。
別に無礼とは思わない。むしろレオナからすれば好印象だった。初対面の相手からできる限り多くの情報を引き出そうとするのは、この物騒な業界で長生きするコツである。
アキトは幾分か緊張を緩めた様子。
やや興奮した調子で口を開いた。
「コトブキの名前はルーデでも噂になっていますよ」
「噂?」
「はい、イケスカ動乱で大活躍だったと」
自由博愛連合を相手取り、イケスカで繰り広げられた大立ち回りは、昨日のことのように思い出せる。この戦いに参戦した多くの飛行機乗りがそうだろう。
「あれはコトブキの力だけじゃない。本当にいろいろな人達の協力と幸運があってこその結果だ」
「またまた、ご謙遜を。隼たったの五機で震電を十機撃墜なんて、凄まじい戦果でしょう。……コトブキ飛行隊がいれば、トルム貿易も倒産まではいかなかったかもしれません」
レオナは目を見開いた。聞き捨てならないことを言われた気がする。
「いま、なんて言った?」
「あなたたちがいればウチの会社も倒産までは——」
「そこじゃなくて。隼五機でなんだって?」
「震電十機撃墜でしょう」
後ろでルゥルゥが吹き出しているのが見えた。
コトブキの隼は六機だし、震電もイサオが搭乗していた一機だけだし、そもそも確実撃墜はしていない。震電はイサオと共に穴の中へ消えていったのだ。どうやら噂にとんでもない尾ひれがついているらしい。
◆◆◆
「それじゃあ、俺が聞いた話はただの噂話だったってことですか」
「そうだよ」
レオナはルゥルゥから言われて、アキトに羽衣丸の内部を案内して回っていた。
アキトという男は、話してみると案外気さくでとっつきやすい人間だった。コトブキ飛行隊の面々ともうまくやっていけるだろう。
コトブキ飛行隊への誤解もすぐに解けた。
「がっかりしたか? 噂と違って」
「いや、むしろ安心しました。噂を聞いて人間業じゃないと思ってましたから。化け物と一緒に仕事をするなんてどうしよう、とか思ってたので」
レオナさんが人間でよかったです、とアキトは笑った。
「他の隊員はいまどこに?」
「街に飲みに出ているはずだ。ついこの間、給料日だったからな」
「明日仕事ですよね、大丈夫なんですかそれ」
「仕事に支障がなければ構わないさ。酒に関しては心配していない」
チカはジュースだし、キリエはパンケーキにしか興味がない。エンマとケイトは節度を持って飲めるはずだし、ザラは常人離れしたうわばみだ。
酒に関しては、大丈夫だろう。酒に関しては。
「酒以外に心配事があるような言い方ですね」
「いや、まぁ、大丈夫だろう。……多分」
チカは喧嘩っ早いし、キリエも喧嘩っ早いし、エンマは口が悪いしケイトも言うことははっきり言うし、ザラは一応まとものはずだがはっちゃけた時は収拾がつかなくなる。
……だめかもしれない。
アキトから向けられる憐憫の視線がレオナの背中に突き刺さる。
「とにかく、顔合わせは明日の朝だ」
「分かりました。楽しみにしておきます」
話に区切りがついたところで、レオナは気になっていたことを訊いてみることにした。
「話は変わるんだが」
「何でしょう」
「リノウチにいたことがあるのか」
アキトは肩をすくめた。
「よく調べられてますね。マダムですか」
レオナが頷くと、アキトは少し困った顔をした。
「さすがですね。我ながらとんでもない人に雇われたな。……リノウチにいたことがあるのは本当です。空戦にも参加していましたよ。こんな話を振るってことは、レオナさんも?」
「ああ、今でもたまに夢に見る」
俺もですよ、とアキトは同意した。
「その時から隼に乗ってたんですか」
「いや、九七式だ。ひよっこのくせして馬鹿みたいに突っ込んで、結局落とされたよ。君は何に乗っていた?」
「流星に。機銃手でしたけどね。真後ろから来た零戦に尾翼をへし折られた時は死を覚悟しましたよ」
「お互いよく生き残れたな」
「いやもう、本当に」
ひとしきりリノウチの思い出話をしてから、アキトはレオナに提案をした。
「明日の顔合わせで模擬空戦をやりませんか」
「構わないが、どうしてまた」
「お互いの実力を見る分には手っ取り早いでしょう」
「わかった」
「では、おやすみなさい」
一礼して去っていくアキトの背を見送り、レオナも自室へ戻ることにした。
◆◆◆
レオナが部屋に戻ると先にザラが戻っていた。
「お帰りレオナ。新顔さんはどうだった?」
「悪くない。明日、模擬戦で実力を見ることになった。リノウチの生き残りらしいから腕も期待できる」
ザラは赤ら顔で微笑んだ。
「なんだか楽しそうね」
「そうか……?」
「レオナはすぐ顔に出るから」
「……そうかな。まぁいい。——そっちは何もなかったか?」
「…………」
「なぜ目をそらす?」
「ちょっと、ね」
飲みの席で絡んできた男とエンマが言い争いになり、チカがそいつをぶん投げ、キリエが顔面に蹴りをお見舞いしたという件をザラから聞かされ、レオナはベッドに突っ伏すことになった。
ケイト曰く、キリエのハイキックの速度が前回より8パーセントほど上昇したらしい。
レオナは頭を抱えることしかできなかった。